ナガレ
2021-09-16 22:19:23
16982文字
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どこかの世界で神様やってるまついの話(ぶぜまつ)パラレル

職業・神様の松井と成り行きで松井に捧げられた豊前の、気持ちだけ和テイスト混じりのパラレル。設定その他、すごくふんわりしています。刀持って戦うふたりはいません。


 しばらく経ったある日の朝。いつものように豊前が松井を起こしに行ったところ、松井はすでに起きていた。自力で起きるだなんて珍しい。おはようさんと声を掛けようとした豊前は、一瞬躊躇した。松井が険しい顔で豊前の方を向いたからだ。
――領域の中に見知らぬものがいる。その違和感で松井は起こされるよりも早く目が覚めたのだという。入り込んだそれは悪しきものかもしれない。豊前に明日の朝まで戻らないと告げ、身支度を手早く整えた松井は領域内の見回りに向かった。
 この土地を通過するだけなら目を瞑るが、内に留まって災いをもたらすなら相手になってやる。松井は穏やかな神様だが、己の領域内にある存在を傷つけるものに対しては手厳しかった。
 松井は千里眼を持っていないし、空も飛べない。なので、てくてくと己の足で歩いて回るしかなかった。後回しにしていた場所を重点的に歩き回ること、半日。松井は社から離れた山の中、隣の領域との境に近い場所で結界の綻びを見つけた。見知らぬものはどうやらここから入り込んだみたいだ。一体何が入り込んだのやらと、そっと痕跡に手をかざした松井は渋面を作った。その痕跡は案の定よろしくないものだった。
 最近、都で疫病が流行っているという話を聞いた。ここは都から遠く離れているのでまだ誰も罹ってはいないが、警戒するに越した事はない。いつ何時風に乗って、都と土地を行き来する人間にくっついてやって来るかわからない。疫病は早めに手を打たねばどんどん広がっていく。あっという間に人間達の数を減らし、神様の力を弱めてしまう困った存在だ。
 『慕ってくれる人間がいなくなった時、私達は消える。土地に根ざす神様になるのなら、その土地の人間達を大切にしなさい。』――新神研修で耳にたこができるほどそれを聞かされた。
 松井はこの土地の人間達が好きだ。松井がここに棲むと決めて根ざした当初、この地は実りの乏しい土地だった。松井は長い時間をかけて、荒れてやせ細っていた土地に手を加え、人間達が生きるに困らない豊饒な土地に育て上げた。時に飢饉や災害に見舞われる事もあるけれど、人間達はずっと松井を慕い続けた。だから松井はこの土地の人間達を守り続ける。
「ここは僕のものだ。土地や人間達に手を出すというのなら、後悔させるぞ」
 その声色は鋭く硬く、異国の宝石を思わせる碧い眼がすっと眇められた。空が雷雲に覆われ、川の水が逆巻く。まさに天変地異の前触れだった。これが松井よりもうんと高位の、古代から生きる神様の引き起こすものだったら、きっと土地も人間も何も残らない。
 神様の怒りに触れるとどうなるのか。松井はその一端を見せた。

*****


……神様、珍しく荒れてんのか?」
 突如として暗くなる空。たまに松井の機嫌が悪いと空も荒れ模様になるが、ここまで薄気味悪い空は見た事がない。豊前は草刈りの手を止めて空を見上げた。一体何が起きたのかと、じきに神職が顔色を変えて飛び込んでくるだろう。とりあえず祈祷の準備をしておいた方がよさそうだ。今日は早々に社も閉めてしまおうか。よいしょ、と豊前は立ち上がった。
 神様というよりも官吏と呼んだ方がしっくり来る松井は、きっちりと計画を立てて領域の見回りをしている。今朝は急に見回りに行くと言って出て行ったから、何かあったのかもしれない。人間である豊前にはわからない、何かが。
 暗雲から雷鳴が聞こえ、遠くの山に雷が落ちた。

*****


「取り乱してしまった……
 松井が怒りをあらわにした事で山の動物達は一目散に逃げていき、一斉に飛び立つ鳥の羽の音で松井は我に返った。急いで暗雲を吹き飛ばして川の逆流を鎮めたが、人間達も気づいたはずだ。今頃、社には人間達が何事かと詰めかけてきているに違いない。豊前一人で対応するのは大変だ。綻びた結界を張り直すと、松井は山を下りた。早く社に戻って人間達を安心させてやらねば。
 厄災探しを一旦中止して帰り路を急ぐ松井。その視界の端を黒いものが走っていく。領域内にはあやかしや魑魅魍魎も生息しているが、あれは見た事がない。黒いものが転がるように走り去ったのは社のある方角。――あれこそが入り込んだ悪しきものに違いない。松井はそう直感した。


「だから、さっきから言ってっだろ。神様は出掛けてるって」
「この一大事に一体どこへ!」
「知らねーっちゃ。すげー怖い顔して出てったけ、何かあったんだろ」
 松井の予想通り、豊前は詰めかけてきた人間達の対応に追われていた。神様は出掛けている、一体どこへ、知らない。ずっとこの繰り返しで飽きてきた。今日はもう社を閉めるから帰ってくれ明日の朝には戻るだろうからと、豊前は集まった人間達や顔色の悪い神職を帰らせた。気持ちは理解できる。でも、いないものはいないのだ。
 豊前にだってこの状況が一大事だという事はわかる。暗雲はすぐに消えて晴れ間が見えたが、何かよくない事が起きたのには間違いない。とりあえず塩でも撒いておくかと、豊前は清め塩を取りに行こうとしたその時だった。
「!」
 ぞわ、と背筋に冷たいものが走った。まるで、得体の知れないものが背中を這いずり回っているような感覚。こんな感覚は初めてだ。豊前は咄嗟に辺りを見回した。社に詰めかけた者達は全員帰らせたから、今この場には豊前以外誰もいない。いないけれど、確かに感じる。……あの辺りに、何かいるような気がする。
 じっと見つめていると、茂みの中で何かがカサカサと動いた。それは猫や小鳥のような可愛らしいものではなくて、もっと怪しげなものにしか思えない。丸腰で近づくのは危険だと判断した豊前は宝物庫から刀を持ち出すと、警戒しながら恐る恐る茂みに近づいた。
……っ!」
 茂みの中を覗き込んでそれを直視してしまった時、大声で叫ばなかっただけでも褒めてほしい。茂みの中に潜んでいた黒いもの、豊前はこれが何かを知らない。でも、確かに感じた。これは悪いものだと。人間がこれに太刀打ちできるかわからないが、手にしているのは奉納された刀だから多少の破邪の力はあるだろう。柄を握る手の力が強くなった。
 正眼で構える豊前。どちらも動かず、じりじりと攻防戦が繰り広げられる。――先に動いたのは相手の方だった。茂みから飛び出して走り出したそれを、豊前は慌てて追いかけた。

 名主の用心棒や夜盗退治ができるくらいの剣の腕を持つ豊前だが、動く小さなものを斬り伏せるのは難しかった。相手もすばしっこくてなかなか当たらない。いくら疲れ知らずで体力に自信のある豊前でも、当然限界というものはある。このまま鬼ごっこを続けるわけにもいかなかった。
 逃げ回るそれ。追いかける豊前。そろそろ息が切れそうだ。気づけば社の目の前に来ていた。
(しまった!)
 まだ社の扉を閉めていない。豊前は焦った。社の中でも最も神聖な場所、御簾の内に入られたら終わりだ。神様が、松井が穢れてしまう。穢れた神様はどうなるのか。形を保てず消え失せてしまうのなら良い方で、祟り神や悪神となって厄災をもたらすかもしれない。そうなったら、この土地もここに住む人間も滅びてしまう。きっと松井も。
 なりふり構わず、無理矢理捕まえるしかない。刀を放り投げると豊前は手を伸ばした。しかし紙一枚のところでそれは豊前の手を擦り抜けていく。扉が開いたままの社はもう目の前で、間に合わないと思ったその時だった。豊前が取り逃がしたそれを、社の扉の前でひょいと摘まみ上げる者がいた。――松井だ。
……まったく。逃げ足が速くて苦労したよ」
 手のひらの中に収まってしまう大きさのそれを、松井は山の麓から追いかけてきた。小さい上に素早いそれを途中で見失ってしまったが、社を目指していると気づき先回りしていたのだ。松井の手に力が加わり、手中の逃れようとしてジタバタと足掻くそれ――厄災をギリギリと絞めつけていく。
「小ざかしい厄災め。僕のものに手を出そうだなんて、百年……いや、千年早い」
 絞め上げられてぱんと弾け飛ぶその時、厄災の断末魔が辺り一帯に響いた。耳を劈く声とも音とも言えぬ断末魔に、豊前は思わず耳を塞いだ。
「手間をかけさせてくれる。おかげで手が穢れてしまったじゃないか。……どうしたの?」
「あ、いや、何でもねーっちゃ」
 厄災は消え、この土地と人間達は松井によって守られた。このままでは穢れてしまうという松井のため、豊前は禊ぎの用意をする事にした。早く穢れを祓わないと、松井が悪いものになってしまう。豊前はまず湧き水を汲みに行く事にした。禊ぎには清い水が必要だ。
(あいつは……いや、あの御方は神様だ)
 水を汲み、松井が来る前に場を清める。その中で豊前は思い出した。自分の生殺与奪はこの神様次第だという事を。贄として死ぬはずだった自分は、神様の気まぐれによって生かされているだけだ。どれだけ親しみやすい存在でも、彼は神様。人間の自分がおいそれと触れてはいけない存在なのに、この神様はどこまでも許してくれる。
 松井はあれを厄災だと言った。茂みに潜む厄災に気づいた時、豊前は得体の知れぬ恐ろしさを感じた。断末魔はこの世のものとは思えぬおぞましさだった。しかし松井は顔色一つ変えず、片手で絞め上げて消してしまった。
 ――彼は神様で、自分はただの人間。
 豊前は改めてその事実を突きつけられた気がした。

(君にはあれが見えて、聞こえてしまったんだね)
 祓所に向かいながら、松井は豊前を憐れんでいだ。自分がただの人間から遠くなりつつある事に、豊前はまだ気づいていない。ただの人間には厄災を見る事なんてできないし、断末魔なんて聞こえない。何よりも、すっかり赤色が定着してしまった両の目がその事実を伝えている。
……ごめんなさい」
 ぽつり、謝罪の言葉が漏れ出でた。



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