吾妻
2022-10-06 23:47:58
10884文字
Public GOD EATER
 

恋とは、斯くも

弊リーダーに遅れてきた思春期のはなし。いつものソマ主♀、GEB以降~RBぐらいの時期想定


3.

「なにを誤解しているのかは知らんが……
 ふたりきりで向き合うこと数分。重苦しい沈黙を破ったのは、深い溜息と共に吐き出されたソーマの一言だった。
 あのあと。ものの数分でサクヤの部屋にやってきたソーマは、まごまごと戸惑うルイの腕をむんずと掴むと、有無を言わさず廊下に引っ張り出した。
 あの、と声を掛けようとしても「いいから来い」と引きずられ、ルイは笑顔で手を振るサクヤとむくれ顔のありさに見送られて、廊下を挟んで向かい側に位置するソーマの私室に連行されたのだった。

 背中で室内と廊下を隔てる扉が閉まった音を聞きながら、ルイは必死で考えを巡らせた。逃げ出した理由をどう説明したらいいのだろうか。
 どうもこうも、正直に白状するより他ないのだが、少しでも嫌な顔をされたらと思うと怖気づく。ソーマに限って、そんなことはしないとわかっていても、臆病になってしまう。幾度となく共に夜を明かした部屋で向き合っても、軽口ひとつ出てこない。
 ソーマは黙りこくっているルイを見て、怒っているとでも思ったのだろう。少々バツが悪そうに、先程ラボを訪れていた女性がアナグラの事務員であること。仕事上のやりとりはあったものの、それ以上の関わりは全くないことを説明した。
 キッパリと否定をしながらも、ソーマは少し戸惑っているようだった。無理もない。これまで似たような状況に何度出くわしてもヘラヘラしていたルイが、今日に限って挙動不審になったのだ。困惑するのも頷ける。
「俺は、お前以外の誰かとどうこうするつもりはない。簡単に他になびくかよ。……信じられないか?」
 戸惑いまじりに、それでも真正面から告げられる真っ直ぐな言葉。
 不器用で、無愛想に見られがちな人だけれど、人と接するときはいつだって真剣で、誠実だ。だからこそ、自分も真正面から向き合いたい。ソーマの実直さに触れるたび、そう思わずにはいられない。
……ううん、わかってる。ソーマが断ってたのだって、ちゃんと聞こえてたよ」
 先程までが嘘のように、するりと言葉がこぼれ落ちた。
 まだすべての迷いが払われたわけじゃない。これまで自分の中にはなかった感情を。恋をして初めて覚えた欲望を。さらけ出すには勇気が要る。
 元々自分の感情を言葉にするのも苦手なのに、まだ把握しきれていない心の内側をうまく言語化できるかもわからない。これまでは気づきもしなかった自分の醜さを、直視しなければならないようで恐ろしくもある。
 それでも、できるかぎり誠実に向き合いたい。そう思った。
 ルイが発した言葉を聞いて、ソーマは眼差しだけで「だったらなぜ」と問うてきた。声を荒らげたり、先を急がせずにいてくれる優しさが、今のルイにはありがたかった。
 しかし、いくらソーマが優しいからといって、いつまでも黙っているわけにはいかない。うまく言えるかはわからないが、一歩を踏み出さなければ何もはじまらない。
……イヤだなって、思ったの」
 様々な感情が入り交じる心の底を、そっと浚うように。とつとつと言葉を紡ぐ。
 主語のないルイの言葉に、ソーマは眉間にシワを刻んだが、それでも辛抱強く続きを待ってくれている。

(そうだ、私……『イヤだ』って、思ったんだ) 
 もしも、ソーマが自分以外の誰かを選ぶとしたら。
 それはすごく、イヤだと思った。
「私ね、ソーマには幸せになってほしいって、いつも思ってる。出会ったときからずっと。ソーマが幸せなら、私のことなんてどうでもいい。いつか隣にいられなくなる日が来ても、ソーマが他の誰かを選んだとしても、構わないって……思ってた」
 きっと、他人には空々しい綺麗事に聞こえるだろう。
 けれどルイは大真面目だったのだ。
 見返りなんて要らなかったし、自分のための願いなんてひとつも思い浮かばなかった。
 これからも変わらないと、確証もなく信じていたのだ――けれど。
「でも、さっき急に、イヤだって思ったの。ソーマが……他の誰かと幸せになるのが……
 小さく息を飲む気配に、ルイは俯いた。真正面から顔を見る勇気がなかった。
 それでも、なにか縋るものが欲しくて、ソーマの体の横に下ろされた腕の先、白いハーフコートの袖口を迷子の子供のように掴んだ。
「ソーマに幸せになってほしいの。それは本当だよ。でも……
 鼓動が早くなっていく。呼吸の仕方を忘れそうになる。足元がふわふわと、雲を踏むようで落ち着かない。目眩がする。
 醜い欲望を、吐露しようとしている。
 言葉にしてしまえば、もう後には引けない。誤魔化せなくなる。今からでも逃げ出したい。
 ……でも、ここで逃げたらきっと、一生後悔する。

「ソーマが幸せになるときは、私も一緒がいい。他の誰かと一緒じゃ、イヤだよ……

 絞り出した声がか細く震えていて、自分で自分に驚いた。自分の気持ちを素直に伝えることを、これほど怖いと思ったことはない。
 駄々をこねる子供と同じだ。独善的なワガママに過ぎない。
 自分以外の誰がどんな道を選ぼうと自由。口を出す権利なんてない。ずっとそう思ってきたし、今だってそう思っている。だからこそ。身の丈に合わない欲望を抱いてしまう自分が、嫌になる。
……それで逃げたのか」
 ようやく口を開いたソーマの声音からは、彼が今どんな心情なのかを察することができなかった。
 夜の海のように静かで、凪いでいて。穏やかなような、冷たいような。
 なだめてくれているのか、呆れているのかさえ、判然としなかった。
「呆れた?」
 いつもなら勢いに任せて飛びつけるのに、今は指の一本を掴むのにも躊躇する。だから結局、袖口を掴んだまま俯いていた。
 問いかけに、舌打ちが返ってきた。今度は明確に、微量の苛立ちを含んだ仕草だったので、ルイは怖気づいて、袖口に縋る指を咄嗟に離してしまった。
 しかし、その腕を引くよりも早く、伸ばされた男の手に捕まえられて、ぐいと強い力で引き寄せられる。
 あとは一瞬だった。気づけば、恋人の腕のなかにすっぽりと抱き竦められていた。
「んなわけねぇだろ」
 突然のことに体を強張らせたルイの耳に、優しい声が落ちてきた。
 その一言だけで、みるみるうちに全身から力が抜けていく。ゆっくりと息を吐いて、ルイはソーマの胸にもたれかかった。
 触れた場所から伝わるぬくもりが、際限なく膨らんだ不安をあっという間に溶かしていく。胸板に耳を押し当てると、確かな鼓動が聞こえて、安堵のあまり泣きそうになってしまった。
「こんなはずじゃなかったのに……
 胸元に顔を埋めたままで、もごもごとうめいた。
 本当に、こんなはずではなかったのに。
 人を好きになるのは、もっと素晴らしいことだと思っていたのに。
「『恋』がこんなに怖いものだって……知らなかった……

 命をつなぐだけで精一杯だったあの頃は、生き延びることしか考えていなくて、それ以外の欲望なんて抱いていられなかった。
 荒ぶる神と戦う力と、アナグラという住処を手に入れてからは、なんとなくヒトの真似事ができるようになって、それでもどこか思考や感情がちぐはぐで、途方に暮れたりもした。
 仲間と出会って。ソーマと出会って、たくさんの感情を知って、ようやく人間らしくなれたかと思ったけれど、こんな恐ろしい欲望を心に住まわせることになるなんて、知らなかった。本当に、誓って、知らなかったんだ。

「今頃気づいたのか」
 喉の奥で小さく笑って、ソーマが言った。
 まるで初めから、すべてを知っていたかのような口ぶりだった。
「ソーマは知ってたの」
 ちょっとだけムッとしてしまって――そんな自分に嫌気もさして――子供のように唇を尖らせてしまった。
 『恋』がこれほど恐ろしいものだと、ソーマはいつ知ったのだろう。
 こんなドロドロとした湿度のある熱を、誰かに傾けたりしたんだろうか。
 それはなんだか、悔しい気がするのだけれど。
 拗ねた気配を察したのか、背に回されたソーマの腕に力が籠もる。
「お前に会うまでは知らなかった」
 隙間なくぴったりと抱き寄せられたそのあとで、耳元に落ちてきた言葉。その意味を理解するまで、多少時間が要った。
 そんな都合のいい話があるわけがないと、声高に叫ぶ理性をねじ伏せるのに、ルイは数度まばたきをした。
「お前を捕まえた日から、俺はずっとそのバケモノと戦ってる」
………………ほんとに?」
「この状況で嘘なんかつくかよ」
「だって……
 奪われるばかりの人生だった。
 差し出せるものも、与えてもらえるものも、何一つ存在しないと思っていた。それなのに。
 こんな奇跡が起こるなんて、俄には信じられない。
「できるなら、お前をどこにもやりたくない。それが無理だってことも、頭ではちゃんとわかっているのにな」
 やけに饒舌なソーマの言葉を聞きながら、ルイは恋人の背に回した腕に力を込めた。
 きっとわざと、多少の無理をして、ソーマは喋っているに違いない。他でもない、ルイのために。
 自覚してしまった感情に翻弄されて困り果てている迷子を、なだめすかすために。
……呆れたか?」
 黙ってしがみついてくる女の背を撫で下ろして、からかいを含んだ声音で男が言う。先程のルイの問いかけを敢えて真似る口ぶりで。
「そんなわけ……ない……
 震える声で、やっとそれだけを絞り出す。
 あとはもう言葉にならず、めそめそと恋人の胸に顔を埋めるしかできなかった。