吾妻
2022-08-28 00:01:52
10478文字
Public GOD EATER
 

奈落を泳ぐ

弊アナグラの無印本編開始直前くらいの話。無印からRまでの弊アナグラの小話をまとめたいと思い、ちまちままとめつつ書き下ろしています。


3.
 奇妙な高揚が続いていた。
 意識を失った女を廃墟の壁にもたせかけたときも。呆気なくシユウを片付けたリンドウと合流し、アナグラに帰投したあとも。
 出どころもわからず、行き場もない熱が、体の中に燻っていた。
 女の体を担ぎ上げた左肩を中心に、他人の鼓動がまだ感じられる錯覚。いのちの、名残。
 民間人の救出なんて、数え切れぬほどこなしてきた。戦場から運び出すために抱え上げもしたし、応急処置のために服を裂いたこともある。それらの行為に、照れや躊躇いはおろか、特別な感情を抱いたことなど一度もない。
 今だって、あの女の顔など既に忘れている。
 思い出せるのは、鮮烈な赤だけ。
 怒りを滾らせた、瞳の色だけ。
(赤は――
 血の色だとばかり思っていた。
 絶望とともに流されるもの。
 死をもたらす終焉の色。
 そんな不吉なものに、烈しい生命の気配を感じた自分がいる。それが何よりも不思議だった。


 自分以外誰も乗っていないエレベーターの壁に背中を預けると、右腕が鋭く痛んだ。
 舌打ち混じりに、ハーフコートのポケットに突っ込んでいた右手を引っ張り出す。手枷のように手首に巻き付いた腕輪の下。腕の内側に、真新しい裂傷がある。シユウとの戦闘で負ったものか、ヘリから飛び降りた際に切ったのか、それとも救援任務のときのものか? 覚えがない。
 きっとあの女の瞳のように鮮やかな赤い色の血を流したであろう傷口はもう殆ど乾いていて、患部に触れていた袖口のほうが無惨に濡れていた。

――部屋に戻る前に医務室に寄ってけよ。これは隊長命令だからな。

 帰投後のヘリポート。
 無遠慮にこちらに人差し指を突きつけて、リンドウが言った。
 反駁する間も与えられず、ラボラトリ階層のボタンが押されたエレベーターに、ソーマは押し込まれた。
 イライラする。下降を続ける機械の籠のなかで、奥歯を噛む。
(お前だって、知っているくせに)
 この程度の傷が翌朝には綺麗さっぱり塞がってしまうことを。
 この体が常人とは違う仕組みで動いていることを。
 知っていながら、まるでそのへんの新米でも気遣うかのように、“人間”扱いをする。
 バケモノと、わかっていながら。

 苛立ちを込めて拳を握ると、申し訳程度に傷口が引き攣れて、痛みをもたらす。
 リンドウの言葉に素直に従うのも癪だが、自室に備え付けの消毒液が残り少ないのを思い出した。
 アラガミの襲撃は昼夜を問わない。神機使いもアナグラのスタッフも、二十四時間のシフト制で活動している。医療チームも例外ではないので、今現在も誰か当直の人間が医務室にいるはずだが、スタッフのほとんどは日頃から積極的に声をかけてきたりはしない。消毒液が欲しいといえば、余計な会話もなくあっさりと渡してくれるだろう。
 半ば言い訳のように理由をつけて、開かれた扉からラボラトリエリアの廊下へ一歩、踏み出した。
 そのとき。
――確かなのか」
 聞き覚えのある声を耳が拾って、足が止まった。
 鋭く問うような声音は、もちろん自分に向けられたものではない。
 応じる相手の声も聞こえなかったので、おそらくは端末を介した通信なのだろう。
 強張る体の内側で、鼓動が速くなるのがわかる。
 どうしてこんな時間、こんな場所に、あの男がいるのか。
 別段おかしなことではない。言ってしまえばこの極東支部はあの男が築き上げた城であり、この階層にはあの男が友と呼ぶ科学者の研究室がある。
 昼夜を問わず、それこそアラガミのように勤勉に動き回っている男だから、深夜に出食わすこともあるだろう。それでも。
 あの声を聞くと、体が強張る。正直に怖気付く。そのあとで、いつも激しい苛立ちが込み上げてくる。
 この世に存在する全てを道具のように扱う、あの男の傲慢さに。そして、その傲慢さを嫌悪しながら、憎みきれない自分の諦めの悪さにも、心の底から腹が立つ。
 『アラガミを殲滅しろ』と呪詛をかけた張本人だ。血を分けた息子ですら、実験動物と見做せる男だ。親子らしいやりとりをしたことなど、一度もない。だというのに――
 なぜ、意識の外側に追いやることができないのか。
 携帯端末を片手に、突き当たりの角を曲がって現れたのは、他でもないヨハネス・フォン・シックザールだった。
 乾いた靴音が、こちら側へ近づいてくる。
 足元から視線を上げたヨハネスが、エレベーター前に立つ息子の姿を視界に捉えた。だが、それだけだった。歩みを止めることも、目を瞠ることさえせず、真っ直ぐに歩いてきて、呆気なくすれ違った。
「詳細なデータを送ってくれ。念のためこちらでも確認を行う」
《了解しました》
 やたらと聞こえすぎる耳が、通話相手の声を拾った。低く響く、女の声。雨宮ツバキのものに間違いない。彼女は今、ソーマたち第一部隊と入れ替わりで、D19エリアの被害状況の確認と、負傷者の救護に向かっていたはずだ。現地で何かあったのだろうか?
「準備が整い次第、適合試験を行う。可能な限り速やかに対象を確保するように」
 息子には一瞥もくれずに、ヨハネスはエレベーターの中に消えた。いつも通りの対応に、いつも通りに苛立ちながら、すれ違う際に聞こえた父の言葉を反芻する。
(適合試験――
 ヒトをバケモノにするための儀式。
 二度と外れぬ手枷を嵌める公開処刑。
 今となっては、日常に組み込まれたサイクルの一環だ。それにあの男が興味を示すということは。
……新型、か」
 無人の廊下に呟きが落ちる。
 新たなバケモノが生み出されようとしている。予感がした。
 進化を遂げるアラガミと同様に、積み重ねられていくヒトの業。
 ソレがどんな姿を持って現れるのか。
 知る由もなかった。そのときは、まだ。

【終わり】