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河童の皿箱
2026-07-12 21:33:06
2841文字
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花/伝
娑楽斎が娑羅双樹を愛でるだけ/セアミンが何かに思い至るだけ
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絵師から手渡されたのは、夏椿の押し花であった。白く可憐で、けれど代用とされるその花は、けれど絵師が咲くのを楽しみにしていたもの。落ちた花といえども一切の色を褪せることなく、この手のひらに栞として蘇った。コーンと、時計が良い頃合いを告げれば、本に栞を挟んで閉じる。凝り固まった体を少しばかり伸ばしてやれば、ぐいと筋が伸びていく。僅かな心地よさと、静かな雨と、淡い照明。座布団を立って、部屋を出る。
通りがかり、絵師の部屋をちらっと覗き見てみる。今日も今日とて、絵の仕事に励んでいる。なんだかんだ、合間の時間に花を見に行ったり、雨を見に出たり。あくせくと動き回るけれど、仕事の時は真剣で。その背中は大きい。机の隅には、また何か押し花を作ろうとしているようで、落ちた葉と花弁が乗せられている。
…
あの栞、いくつ作るつもりなんだろう。
次に、通りがかり。雅楽師の部屋も覗いてみる。オーディオミキサーの無数のつまみをいじりながら、彼はヘッドホンを被って、何かをしていた。多数のコードがエフェクターに繋がったり、繋がってなかったり。MIDIコントローラーを何度か叩くように弾いてみたり、首をひねったり、少しマウスを走らせて、頷いたり。あの作業のことはよくは知らないけれど、あれで何が作られているかは知っている。きっと、今回もまた、良い曲になる。
最後に、通りがかり。人形師の部屋。部屋というより、ラボラトリ。コードや機材の数は雅楽師の部屋とは比べ物にならないほど多く、なんとか作業用として工面したスペースに、また新しい人形の一部が置かれている。ちらとこちらを見た人形師と目があって手を振れば、向こうもまた、手を振り返してくれた。
…
どうやら、まだ手が離せないみたいだった。
誰も居ない居間までくれば、急にポツリ、妙に落ち着かなくて。本を読むのも、今は気分じゃないし。おしゃれも雨じゃああんまりで。稽古はもう終わりだし。ふうと息をついても、なんとなくごろんと転がって、のんべんだらりとするばかり。それはそれでまた空しくて。
何かしたい。何かしたい。そんな思いばかりが胸を埋めていく。調子が悪いわけじゃない。でも、何かが違う。なにか、なにか、別のこと。考えても考えても、なにかは思い浮かばなかった。手足が動きたがっているのに、どこにどう動かせばいいかがわからない。
誰に見せるわけでもなく、頬がぷっくり膨らむ。ふーと長く吹いても、求めているものが形になって出てくるわけじゃあない。体を起こしてまた部屋に戻るかと。歩き出しても、何もなく。
仲間たちはまだまだ仕事の途中。構ってもらえる状態でもないし。謡本も読みすぎて飽きちゃった。結局、初めに読んでいた本を、また開く。
挟まれた夏椿が出迎えれば、ふと手に取ってみる。またの名を、娑羅双樹。とはいえ、娑羅双樹は元来、別の木である。ここらの気候にその木は合わず、けれど仏の教えを彩るためにと、よく似た花として、娑羅双樹と呼ばれるようになった、と。絵師が前に、そんなことを言っていた。そう考えてみれば、唯の花というよりも、自らの身に沁みついた芸事の、根源に関わるような、関わらないような。そういうことなら、この本に挟むのには最適なような、そうでもないような。
あぁ、煮え切らない。雨のせいだか雲のせいだか。どうにもせいせいしなくって。またため息ひとつついて、読み進める。
ふと、目に入ったある記述。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折れる枝の花のごとし。種あらば、年々時々のころに、などか逢はざらん。ただ返す返す、初心忘るべからず。これだって、もう何度読んだかも覚えてない。けれど、白い花に添えられたその言葉は、いつもとはどうも、違う顔をしているように思えた。
あぁ、そうか。花だけでなく、種。
種を、ひとつだけでも。
だからこそ、この書を。
また、栞を挟んで本を置く。本棚から、手帖をひとつ。筆と墨をひとつ。白の上に、黒が走る。
そうだ、自分ができることは、決して舞だけじゃない。自分も、何かを作ればいい。咲いた花として枯れ落ちるのみならず、種を結ぶためにも。
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