kametohayashi
2026-06-20 23:53:53
9003文字
Public
 

A Girl in Wonderland

!一浦♀
くろさきくん(23)♂ ×うらはらさん♀
これ(https://privatter.me/page/6a1fe80c9cdad) と これ(https://privatter.me/page/6a27f4fd72259) これ(https://privatter.me/page/6a2e442eaaf82) の続き。
引き続き作者の性癖と煩悩にしか配慮していません。これで一区切り。

「終わりにしましょっか」
 浦原商店に宿泊する際に一護に割り当てられる客間には、昼下がりの眩い陽光が差し込んでいた。商店は定休日で、従業員たちはめずらしく昼からそれぞれ出払っている。ジン太とウルルについては、「あの子たちも年頃ですからね」と浦原が笑っていたので、友人か、あるいは恋人とでも遊びに出かけたのだろう。
 一護がそろそろ帰る準備でも、と考えていた時に突然部屋にやってきた浦原は、人目がないのをよいことに、障子を開け放ったまま一護の隣でくつろぎ始めた。しばらくしてもだらだらしているだけの浦原に、しかたなく一護が持ってきていた本を開いたタイミングで唐突に浦原が切り出した。
 一護は読もうとしていた本から視線を上げて、自分の隣で仰向けに寝転がっている浦原を見下ろした。そうすると、いつものように信じられないほどあらわになった白い胸元が気になって、一護は本を脇に置き、手を伸ばして無言で浦原の衿元を閉めた。その動作にくすくすと笑う浦原の笑い声を聞きながら、なるほどなあと一護はひとつ学びを得る。取り決めのない曖昧な関係では、関係の終わりを切り出されても嫌だと言えないのか。
……理由、聞いてもいいか」
 一護がとりあえずそう尋ねると、浦原の緑色の目が一護を見上げた。帽子に隠されていない灰色がかった緑色は、真昼の陽光を弾いていつもより明るく見えた。
「理由、いります?」
 逆になんでいらないと思うんだ。一護は眉間に皺を寄せる。なんとなくで切っても構わない程度の男だったということだろうか、と一護は自分の憶測に傷ついた。遊び相手だったとしても、自分は浦原にとってもう少し価値のある人間であるはずだと自惚れていたのだ。
……せめてな。浦原さんがどうしても俺が嫌になったとか、やっぱほかのヤツのほうがいいとか、そういう理由だったらしょうがねえって納得できるだろ」
 離れてしまった人の心は、そう簡単には戻ってこないのだということを一護は知っている。浦原がどうしても一護では駄目だというのなら、一護はそれを受け入れるしかない。
 ぼそぼそと自分で口にした言葉に一護はとても嫌な気分になった。一護は浦原のそばが好きだったから、隣にいる浦原がそれを嫌がっているのかもしれないという可能性を考えることはつらかった。
 一護はむっつりと黙り込んで浦原を見た。浦原も仰向けのまましばらく一護を見ていたが、しばらくすると横着にもごろんと寝返りを打って移動し、胡坐をかいた一護の足に頭を乗せた。一護がせっかく閉めた衿元はその拍子にまた大きくはだけてしまい、なめらかな肌が光を受けて淡く輝いた。乳白色の肌。ずいぶん見慣れた今となっても、一護はときどききれいだな、と新鮮に驚く。
 一護の眼差しに気づいた浦原が、機嫌のよい猫のような顔で笑う。突然のスキンシップにもすっかり慣らされた一護は、自然な動作で浦原の作務衣や髪の毛にくっついた畳の繊維を払ってやった。不機嫌な顔のまま世話を焼く一護に、浦原は笑みを深める。
「キミが嫌になったなんてことはないし、ほかのヒトなんかいませんよ」
「いねえの?」
 一護はぎょっとして、思わず浦原に聞き返した。浦原からほかの男——あるいは女——の気配を感じたことはなかったが、そもそも自分が浦原の隠し事を見抜けるわけがないと、一護は浦原に別に相手がいるものと半ば思い込んでいた。自分よりももっと分別があって、経験豊富な相手がいるに決まっている。でなければ、浦原がこれほど長く一護と遊び続けるわけがないと思ったのだ。二人が関係を持ってからすでに一年が経とうとしていたが、一護は自分が浦原を楽しませることができていたとは到底思えない。
……まさかずっとほかに相手がいると思ってたんスか? アタシが誰彼構わず股を開くアバズレだって?」
 一護の本心からの驚きを聞き取って、浦原は機嫌よさげな顔から一転して見たことないほど不快感をあらわにした表情を作ると、一護の膝から起き上がった。一護はとっさに「そこまでは思ってない!」と強く否定する。
「そこまでは、ってことは、ほかに相手がいるとは思ってたんスね」
……いるかもしれねえとは思った」
 一護が歯切れ悪く正直に答えると、浦原は「馬鹿ですねえ」とため息をついた。一護が「ごめん」と素直に謝ると、浦原の白い手がぺちん、とやさしく一護の頬を張った。一護はもう一度、浦原に謝った。
「馬鹿な子」
 浦原は顰め面を苦笑に変えると、今度は一護の頬をそっと撫でた。
「酷いことをされていると思ったら、怒っていいんですよ」
 酷いことをしたのは自分のほうではないのか。一護は浦原が言っていることの意味がよくわからずにおずおずと浦原を窺ったが、浦原はそれ以上は何も言わず、「ま、今回はアタシも悪いっスね」と一護の頬を軽く引っ張ると、それで手打ちにした。
 浦原は一護に疑問を口にする暇を与えずに、再び一護の膝に転がった。浦原を誤解していた申し訳なさから、一護は猫の日向ぼっこに膝を貸しているつもりで何も言わずに浦原の好きなようにさせたが、内心で本当に終わりにしたいのだろうかと首を傾げた。
「浦原さん」
「はあい」
 あっという間に切り替えた浦原が、呑気な声で返事をする。朝に布団の中で微睡んでいる時と同じような声の響きに、一護は混乱した。あいかわらず浦原が考えていることなど一護には少しも察せず、知りたいことは浦原に直接尋ねるしかなかった。
「なんで終わりにしてえの」
 自分に触れられることが嫌ではないのなら、ほかの相手がいるわけではないのなら、わざわざきっちりと終わりを告げる理由はなんだろう。一護の膝に懐く浦原は、とてもじゃないが一護と関係を終わらせたがっているようには見えなかった。浦原は「うーん」としばらく考えた後、逆さまに一護の顔を見上げた。
「理由はね、いくつかあるんス。ひとつ、いい加減に若いキミの貴重な時間を消費するのが申し訳なくなってきました。ひとつ、キミとアタシの関係は正直外聞が悪いから、知られないうちにさっさと清算しておいたほうがお互いに無難です。ひとつ、キミにはもっとちゃんとした関係の相手が必要だと思います。できれば、それは同じ時間を生きる人間のほうがきっといい。ひとつ、」
「浦原さん」
 指折り数えてつらつらと述べられる理由を一護は遮った。聞いていられないからではなく、どれだけ聞いても無意味だと思ったからだ。一護も逆さまの浦原の顔を見下ろして、目線を合わせた。
「本当の理由が知りたい」
 浦原がぱちりと瞬きをした。浦原は気づいているだろうか。長いまつ毛が揺れる様が、いつの間にか一護のこころに小さな嵐を起こすようになったことに。言葉を紡ぐごとに、自分の目が複雑な光を帯びていくことに。一護が、浦原の真意はわからないまでも、違和にはすでに気づけるようになっていることに。
 お互いに目を逸らさずに、じっと瞳の奥を探り合う。浦原の目は時折、複雑な輝きを持って一護を見つめた。奥にひとつ確かに光っているものがあるのに、それを曇りガラス越しにしか見ることができない。そういう眼差しだった。一方で、そのガラスの向こうを知ろうと浦原を見つめる一護の眼差しはいつも透き通っていた。いずれにせよそれは、ふたりだけのとくべつな瞳だった。
 浦原はしばらく一護の目を見ていたが、ほんの短い時間だけ瞑目し、それから諦めを滲ませた顔で微笑んだ。
「黒崎サン、アタシが好きですか」
 浦原の問いかけに、一護はぎくりと固まった。求められている答えがまるでわからなかった。首を縦に振っても横に振っても間違いのような気がした。浦原が一護のこころをとっくに見抜いているだろうことは一護もわかっていたが、この一年のふたりにとっては、なんの意志も示さないことが正解だったからだ。
……好きだ」
 迷った末に、一護は正直に答えた。関係が破綻する決定打になるかもしれないと恐れる一方で、この機会を逃せば、その言葉は一生浦原には受け取ってもらえないだろうと思ったのだ。
 一護の答えに浦原は眉を下げた。驚かないところを見ると、やはり浦原は一護の気持ちなどとうに知っていたに違いない。
 一護は少しも見落としのないように慎重に浦原の様子を観察した。「趣味が悪いっスねえ」と茶化す浦原の表情には呆れと、わずかに喜びの色が浮かんでいるように見えた。しかし、それは自分のつまらない願望かもしれない、と一護はその考えを打ち消す。
「さっき言ったことの全部が全部、建前ってわけじゃないんスよ。黒崎サンにはもっといい相手がいると思いますし、そのヒトのために時間を使ったほうがずっとアナタの人生のためになるはずだ。アタシみたいなのと遊んでるよりはね」
「黒崎サンには幸せになってほしいんです」浦原はそう言いながら体を起こし、言い返そうと口を開いた一護の肩を抑えて制すると、一護の身体に乗り上がった。一護は後ろに倒れそうになる体を、とっさに背後に手を突き出して支える。
「嘘じゃない」
 一護の目を至近距離からのぞき込みながら、浦原が囁いた。浦原自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえたその小さな声は、不思議とはっきりと一護の耳に届いた。まじないにかかったように、一護の脳みそが素直に浦原の言葉を信じる。
 でも、と浦原が何かを言いかけて一度口を閉じた。話術で人を転がすことに長けた浦原にしては、めずらしい仕草だった。それから浦原は何を思ったのか、一護の頬をさらりと撫でると、再び口を開いた。
「新しく空座町に駐在されている女性の方」
 突然の話題転換に一護は困惑したが、すぐに浦原の指す人物の顔が思い浮かんだ。空座町には基本的にツーマンセルで死神が常時駐在しているが、だいたい一年から三年ほどのサイクルで人員が入れ替わる。社会人となった今でも死神代行として駆け回る一護とは、基本的には必ず顔を合わせることになる死神たちだ。浦原の言う人物は、今年その役目に着任したばかり人物のことだろう。
「言い寄られてるでしょう」
 その言い方に一護は顔を顰めた。一護は「そういうわけじゃねえ」と否定したが、熱を上げられていることには間違いなかった。彼女は「英雄」の熱烈なファンなのだ。
 尸魂界や現世の窮地を幾度も救った一護の名前は、死神たちの間で「英雄」を枕詞に爆発的に広まった。一護は居心地が悪くてその称号が嫌いなのだが、当然、一護を英雄視する人間にそんな一護の内心が伝わるはずもない。
 以来、たびたび一護は熱っぽい目をした見ず知らずの死神に声を掛けられるようになった。くだんの女性もそんなひとりで、悪い人間ではなかったが非常に積極的に一護と親しくなろうとするので、一護はかえって彼女に苦手意識を抱いていた。
 そこで、はたと先ほど浦原が述べた「終わりにする理由」とその女性が結びついて、一護は浦原を睨みつけた。まさかあの人と一緒になればいい、などと言うつもりじゃないだろうな。
 無言の抗議を受けて、浦原はへらりと笑って「違います」と一護の考えを否定した。
「キミとあの人が話しているところを見ましたよ。すごく困ってましたね」
 浦原がそんなことを言うので、一護は思わず「見てたんなら助けてくれよ」と情けない声で嘆いた。本当に、あのタイプの女性相手はどうしていいかわからないのだ。傍から見てわかるほどだったのなら、助け舟ぐらい出してほしかった。浦原は「お邪魔しちゃ悪いかと思って」と少しだけ意地悪な顔をして、しかし、すぐに困り切った顔になった。
「キミには幸せになってほしい。そう思ってます、本当に」
 浦原はまっすぐに一護の顔を見ていたが、その視線はどこか遠く、一護ではなく自身の内側へと向けられているようだった。
「嘘じゃない」
 浦原の唇はもう一度同じ音を繰り返した。今度は明らかに一護へと向けられた言葉ではなかったが、そのあまりに切実な響きに一護は思わず「わかってる」と返事をした。浦原がずっと浦原なりに自分を大切にしようとしてくれたことを、一護はちゃんとわかっている。そうでなければ、こんなにも彼女のそばにいたいと思うはずがないのだ。
「そのためにもアタシとの関係はさっさと清算したほうがいい」
 どうしてそれとこれとがイコールで結ばれるんだ、と一護が尋ねるより早く、浦原が「でも」と続けた。その浦原の声がいつになく揺らいでいることに気づいて、一護は口を閉じ、浦原の言葉を聞き逃さないように耳をそばだてた。
……黒崎サンがあの人と話しているのを見た時に、アナタがもしかしたら死神の女を選ぶかもしれないと思ったら腹が立ちました。だってそれなら、べつにアタシでもいいじゃないっスか」
 続いた言葉に、一護は目を見開いて呆然と浦原を見上げた。だってそれはつまり。この一年、頭をよぎるたびに必死でかき消してきた可能性を突然眼前に突き付けられて、一護の心臓が跳ね上がった。
「そう思ってる自分に気づいて、これ以上はもう耐えられないと思いました」
「耐えられない?」
 何に、と一護が掠れた声で問うと、浦原は無言で唇をつり上げたが、その目は苦しげに歪んでいた。
「もっと早くに終わらせるつもりだったんスよ。長く一緒にいたらアタシは絶対にキミの人生をめちゃくちゃにします。だってもうずっとそうしたいんです。キミを縛り付けて、キミから好きなだけ奪ってしまいたい。本当はキミが余所に行くなんて絶対に許せない」
 一護は浦原の言葉を聞きながら、自分の頭がぐわんと揺れるのを感じた。どっと汗が噴き出す。体中の血液が沸騰していた。浦原がこれほど情熱的な言葉を持っていることも、それが自分に向けられることも、一護は想像すらしていなかった。
 しかし、すでにいっぱいいっぱいの一護を置いてけぼりにして浦原はなおも捲し立てた。
「でも、キミには幸せになってほしくて、だからせめて、できるだけ早く終わりにしようって、黒崎サンが少しでも嫌がったら終わりにしようって、そう思ってたのに。なのに、キミがいつまで経っても嫌な顔ひとつしないから、こんなにずるずると長引かせてしまった」
 そこでようやく言葉を切ると、浦原は一護の肩口に顔を埋めて「これ以上一緒にいたらキミを台無しにしてしまう」とつぶやいてそれきり黙り込んだ。一護は中途半端になっている姿勢を正して浦原を膝に乗せた体勢で座り直すと、汗でびっしょりと濡れた手を伸ばして、こわごわと浦原の背中に触れた。浦原の身体がいつになく固く張りつめていることに気づいて、確信に一護の呼吸が浅くなる。
 ——この人、俺が好きなんだ。
 浦原は一護をめちゃくちゃにしたいと言ったが、そう言う浦原のほうこそめちゃくちゃだった。一護を自分の物にしたいと言った口で一護との関係を終わりにしたいと言う。他人にやりたくないと言いながら、自分では駄目なのだと言う。離れなければと言いながら、浦原は一護の身体にずっと触れている。何もかもがちぐはぐで、しかしすべてが浦原の本当なのだ。そう理解して、一護は息もままならないような気分になった。自分の何もかもを浦原にやってしまって構わない、と一護はその瞬間に本気で思った。
……俺のせいなのかよ」
 乾いた喉で、一護は浦原に冗談半分に返した。強張ったままの浦原の背中を撫でると、いつも冷たい彼女の指先が、半袖からむき出しになった一護の腕にほんのわずかに爪を立てる。
「キミのせいですよ。全部キミが悪い」
 どうしようもない苛立ちを滲ませた声が一護を詰る。
「自分がこんなにみっともない女だったなんて、知りたくなかった……
 そう言って浦原は一護の肩に顔を押し付けたまま項垂れた。一護は浦原の体重を支えながら、酩酊したときのようにくらくらした。浦原の苛立ちも後悔も、一護の耳には甘く響いた。体が熱くて、浦原のひんやりとした皮膚がひどく心地よい。彼女の体温をもっとよく感じたくて、一護は顔のすぐそばにある浦原の猫っ毛に頬で触れた。視界の端にちらちらと映る淡い色の髪の毛先が、太陽の光にきらきらと輝いていた。浦原を抱きしめながら、きれいだな、と一護は思う。
「めちゃくちゃにしていいから一緒にいてほしい、って言ったら、怒るか?」
 だって、ずっと嫌ではなかった。戸惑ってはいたが、嫌ではなくて、どきどきして、うれしかった。気ままな彼女を眺めているのが好きで、ほかの相手がいてもいいからそばにいさせてほしいぐらい、彼女の隣は居心地がよかった。
「だめか?」と一護が重ねて尋ねると、浦原はわずかに身をよじった後にため息をついた。呆れられたかな、と思いながらも、ため息のついでに彼女の強張っていた身体から力が抜けたので、一護は少しだけほっとする。
……なんでそういうこと簡単に言っちゃうんスか? アタシがどれだけキミを自分だけのものにして、取り返しがつかないようにしてやりたいかキミは全然わかってない。……たぶんキミが思ってる以上に、アタシはキミの人生をめちゃくちゃにしますよ」
 肩口から少しだけ顔を上げた浦原が一護の顔を睨みつけながら言うので、一護は笑ってしまった。一護を近距離から見上げるときの浦原の目の形を、一護はいつもかわいいと思ってしまう。最初の夜からずっとそうだ。
「浦原さんのめちゃくちゃって本当にめちゃくちゃそうでこえーな」
 一護が笑い声とともに浦原の脅しを受け流すと、浦原は不満げに眉を寄せた。一護は笑いを収めて、おだやかな目で浦原を見た。
「それでいいよ。俺が悪いらしいしな。でも、アンタだけのもんになったら、俺もたぶん結構わがまま言うぜ。それはいいのか?」
 この一年、一護は浦原に従順だった。色事に慣れていないから常に浦原が主導権を握っていたということもあるが、それ以上にそばにいるためには浦原にとってわずらわしくない存在でいる必要があると思っていたからだ。だから、一護は浦原に何も求めなかったし、浦原の望む以上のこともしなかった。
 しかし、それはふたりの間に取り決めた「とくべつ」がなかったからだ。もし浦原が一護にとくべつを求めるのなら、一護だって浦原にとくべつを求める。これまでのようになにもかもに従順な男にはなれないだろう。
 一護の確認に、浦原は「わがまま……」とつぶやくと、一護の肩からぱっと顔を離した。
……たとえばどんな?」
 そう尋ねる浦原の目がなんだかわくわくと輝いているように見えて、一護は少し気恥ずかしくなる。一護が照れ隠しに「ほかに相手は作らないでほしいとか」と言うと、ばちん、と顔の真ん中をそこそこ強めに叩かれる。「ほかには」と平坦な声で端的にべつの案を催促されて、一護は背筋を伸ばしてほかのわがままを考えた。
……デートに誘うかも」
 結局、一護と浦原は仕事の関係で連れ立って出かけるぐらいで、デートはしたことがなかった。約束をして出かけて、美味しいものを食べて、また手が繋ぎたいかもしれない。一護は夕暮れに伸びた長い影を思い出す。
 このわがままは浦原のお気に召したらしい。先ほどより幾分やさしい調子で「ほかには?」と尋ねられる。
「いろいろ連絡するかもしんねえ。メッセージとか電話とか」
 一護は浦原から目を逸らしながら言った。一護から浦原に連絡することはほとんどない。代行業やアルバイトの関係で、もしくは店の顧客としてたまに商店を訪れるぐらいで、それ以外ではよほどの緊急事態をのぞいては、迷惑だろうと浦原に連絡を取ることはしなかった。しかし、たまには用事がなくても会えないか尋ねてみたかった。
 一護はちらりと浦原の反応を窺った。浦原は、あの不思議な眼差しで一護を見ていた。その顔に浮かぶ表情の意味を、一護は今もわからないままでいる。
……ほかにもあります?」
 浦原は、今度は少し控えめに一護に尋ねた。もっと知りたいという好奇心を抑えられないようでもあったし、それ以上は聞きたくないと言っているようでもあった。一護はまた、浦原の質問に答えた。
「キスがしたい」
 こういう風に、と一護ははじめての口づけをなめらかな乳白色の頬に贈った。一護はキスをしたことがなかった。浦原に手を引かれた日から何度も彼女と体を重ねてはいたが、キスはしなかった。とくにロマンチックな理由やこだわりがあったわけではなく、単純に浦原が一護にそれを求めなかったからだ。彼女が望まないことを、一護はけっしてしなかった。
「嫌だったか?」と一護はおそるおそる浦原の顔を覗き込んだ。浦原はびっくりしたように目を丸くして固まっている。
 しばらく固まっていた浦原だったが、少し遅れて一護の唇の感触が脳に届くと、その陶人形のような作り物じみた美貌にたちまち血が通った。もっと恥ずかしいことをしているのに、と驚きつつも、嫌がられなかったことに一護はほっとして、その薔薇色を惚れ惚れと眺めた。昼間でよかったと思う。夜だったらきっと見えなかっただろうから。
「きれいだなあ」
 一護はほとんど無意識に、この一年の間に何度も思ったことを素直に口にした。
 どこをとってもうつくしいひとだ。うつくしいから好きになったのかもしれないし、好きだからいっそううつくしく見えるのかもしれなかった。それはもう一護自身にもわからないが、そのうつくしさを間近で見られることは、一護にとっての僥倖に違いなかった。
 浦原は顔を火照らせたまま、あのよくわからない顔で一護を見た。いつもより一段明るい緑色と目が合った時、一護は不意にその表情の意味を悟った。これは、浦原が自分を欲しがっている顔なのだ。その答え合わせのように、いつもは冷たい指先が一護の腕にそっと触れた。
「もっとしてください」
 うつくしい女は、初恋に戸惑う少女のように恥ずかしげに一護にねだった。わずかに伏せられたまつ毛に、一護は自分の耳がかっと熱くなるのを感じた。一護はぎこちなく薔薇色の頬にもう一度口づける。それから、ようやく彼女の薄い唇に拙いキスをした。