鋼鉄のねぎ(あいあんりーく)
2026-06-17 21:31:36
9101文字
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『結月空戦記』寄稿分再録(一部)

PTYさん主催の上記合同誌に、「紺屋暝元」名義で寄稿していたものを一部再録したものです。

大人っぽい彼女の昔の話


 日曜日だった。人間たちと同じように、多くのアンドロイドにとって休日で、ほとんどの者は各々好きなことをして過ごす。
 ゆかり達が所属する組織たる人工存在互助会もまた、日曜日は休日である。人間に近く設計されている人工存在もまた休養を取るべきというメンテナンス班の方針のもと、構成員たちに余暇が与えられていた。

「あれ、トバリさんじゃないですか。もしかして、今週は本部ですか」

「ゆかり。そうだよ、今日は君と同じで非番だから」

 いくら自室棟と隣接しているとはいえ、休日に本部に出てくる者はそう多くない。

「やっぱりそうですか。では一日、よろしくお願いしますね」

 誰かの姿を見かけるとすれば、最低限の対応のための非番だ。普段通りの白衣で廊下を歩くトバリを見て、彼女がなぜ本部にいるのかを推測するのは容易だった。

「ああ、よろしく」

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「ゆかり、コーヒーは飲むかい?」
「いえ、わたしは必要ありません」

食器棚から極細挽きのコーヒー豆を取り出し、トバリはそうか、と呟いた。

「それなら、軽い固形燃料があるから食べるといい。そのロッカーの中だ」

彼女は、ついで取り出したマキネッタにコーヒー豆を入れ、火にかける。

「トバリさんは、わたしと同時期の機体設計ですよね。人間と同じ飲食が可能なのは、結構珍しい気がします」

数秒、弱火が鉄の底を炙る音だけが響いた。トバリの白衣がわずかに揺れ、ゆかりの収音装置がごく小さなため息を拾う。

「わたしが元々、軍で試験的に開発されたアンドロイドなのは知っているだろう。名目上の開発目的は、情報収集と分析を自律的に行う、最前線や危険地帯における情報将校の代替ユニットだったが、まあ、なぜ初期機体に女性タイプが多いのか、ゆかりも知っているだろう。慰安には人に近しい方がいい」

使い古されたマキネッタを見つめながら、トバリは努めて静かに答えた。

「それは──そうですね」

固形燃料を食べやすい大きさにちぎりながら、ゆかりは首肯する。そのままでも食べられるサイズのそれをわざわざ小さくするのは、以前紲星型派生機体の教師役をした時からの癖だった。
しばらくの沈黙が落ちる。代わる話題を探してゆかりは部屋に視線をめぐらせた。数年前の新聞のスクラップらしきものが貼られたフォトフレーム。医療や機械工学の専門書。使い込まれたシンプルなカップとソーサー、最低限の食器が並ぶ棚。
駄目だ、思いつかないかもしれない。そう思いつつトバリの方を見ると、彼女はちょうどマキネッタを火から上げた。

「そういえばトバリさんは、よくコーヒーを飲んでいますよね。マキちゃんと趣味が合っていて、少しうらやましいです」

 なにせ私の味覚センサーは申し訳程度のものなので、味はよくわからなくて、とゆかりは続けた。

「はは、」

乾いた笑い。カップにコーヒーを注ぐ手を止め、トバリはゆかりに向き直る。

「弦巻とコーヒーの話、か。私とあの子では、多分話は合わないだろうな」

 ちょうどいい、とトバリは誰にともなくつぶやく。

「今日はスクランブルもおそらくない。少し長い話に付き合ってくれないか、ゆかり」

 お礼にこのコーヒーをご馳走しよう。そういってコーヒーを注ぎ分けると、彼女はカップをゆかりの前に置いた。
 そして自身もカップを持ってゆかりの前の椅子を引く。胸元からチェーンを通した何かを取り出して、音を立てて机に置いた。そして湯気の立ち上るコーヒーを一口含み、彼女は話し始めた。

「昔の話さ。感情搭載型アンドロイドが実用化され始めてすぐの時代。この旧式記録媒体がまだ現役だったころの時代の、よくある失恋の話だよ」

 夜語トバリという機体は、軍の肝煎りで試験的に開発されたアンドロイドのうちの一モデルであった。特徴的な最新鋭のカメラアイと高感度の各種センサーを備え、自律した情報収集と分析を可能にする最新のAⅠを搭載し、同時に豊かな肢体と魅力的な声を併せ持っていた。

「こんなに魅力的な存在が、男むさい最前線に送られるんだ。男たちが目の色を変えるのは当然だったし、事実それも私の存在意義のひとつだったからね。性的な機能は持ち合わせていないけれども、愛嬌を振りまくのも士気の維持には必要だった」

 戦場は暗い。アンドロイドや無人の攻撃手段の登場で、前線に配置される兵士は数十年前に比べると減少した。しかし、同時に厳然たる事実として、そうした優れた機械よりも、場合によっては人間の方が安かった・・・・・・・・・
 いつ終わるとも知れない小競り合いだけが続く、故郷から遠く離れた戦線で、曇天に押しつぶされる鬱屈の日々が続く。教練を終えたばかりのトバリが配属されたのは、そんな場所だった。

「兵士の質は、あまり良くなかった。未来を嘱望されるような隊に任されるような任務ではなかったし、なにより薄められた絶望が、遅効性の毒のように漂っているような空気感があった。そんな場所で泥にまみれて、ただ生きているだけのような生活で、荒まない人間は多くないらしいと学習したよ」

 カツリとカップをソーサーに戻し、トバリは嘆息する。ゆかりの前に置かれたカップから上る蒸気は少しずつ弱まっている。ちぎった固形燃料をひとつ口に含んだ。

「あまり話を引き延ばすのは好かないし、このあたりでそろそろ本題に入ろう。」

 コーヒーカップの持ち手を白い親指がそっとなぞり、一瞬だけ目が伏せられる。とてもアンドロイドには思えない、それは非常に人間じみたしぐさだった。

「好きな人ができたんだよ。いつから好きになったのかはわからない。ただ、どんなところを好きになったのかはハッキリわかる」

 どこからどう見ても、兵士には向いてないところを好きになったのさ。

 規律を守るとか、兵士としての適性に問題があったということではないんだ。ただ気質が、そうだな、あの場所で長く生きられるようなものではなかった。
 肘をつき、手の甲に頬を載せて、どこともなく斜め上に目をやりながら、トバリは語る。
 真面目でいい人だった。ただ本当にそれだけだった。私のことを妙な目で見なかった。内心はわからなかったが、少なくとも下卑た言葉を浴びせるようなことはしなかった。
 彼はコーヒーが好きだった。余裕さえあれば毎度のように、マキネッタを使って、弱火で丁寧に淹れていた。先ほど私がしていたように。隅で静かに分析をしている私に、毎回のようにコーヒーはどうかと聞いてくれた。休息や書類仕事をする他の兵士にするのと同じように。普通は、そういう部分からだめになっていくはずなのに。
 私の視線は、いつも気がつけば彼を追っていた気がする。この、戦場を見るべきと埋められた虹彩レンズのログには、今でも彼の姿がデータファイルに焼き付いている。



「──でも、トバリさんの言い方から推測すると、その人はもう」
「そうだ、死んだらしい」

 そのうちに私には配置換えの通知が来て、彼と互いに別れと祈りを伝えあって、前線を離れた、その後すぐのことだったよ。
 一息に言い切って、トバリは残ったコーヒーをあおる。彼女の顔がわずかに歪んでいた。
 机の上に置かれたままだったUSBに手をのばし、徒にもてあそんだ。ゆかりは、黙ったまま彼女の言葉を待っている。しばらくの静寂。

「私は、観るために作られた機体だったのに──あの人の死に目すら、この脳に残すことはできなかったのさ」

 それから、戦場を観ることに耐えられなくなった。レンズに映す命すべてに、観られなかったはずの彼の姿が重なるから。

「私の後任だった夜語型を脅して、私が離任した後の観測データのコピーを作らせた。そして、そのデータが入ったこのUSBを握りしめて、この組織に飛び込んできたというわけだ」

 トバリは手に持った記録媒体を一度強く握り、すぐに離した。

「長い昔話を聞かせてすまない、ゆかり」
「いえ」
「そうか。──では一つ。わたしが淹れたコレよりも、弦巻はずっとずっと苦みの強い豆を飲んでいるようだよ」

 だが、弦巻の誕生日にコーヒーを渡すのはやめておいた方がいいだろうね。
 そう言ってトバリは席を立つ。手の付けられていないカップを手に取り、慣れた手つきで施術台近くのシンクに流し捨て、そして振り向いた。

「どうせ暇だろうし、翅パーツのメンテナンスをしよう。予備の翅を持ってくるから、少し待っていてくれ」


 スライドドアが閉まる。センサーも、トバリが保管庫へと向かっていることを裏付けていた。
 机上の旧型記録媒体が目に入る。ごく普通のUSB。
 一瞬の瞠目と瞑目の後、ゆかりは手首の各種デバイス接続口をちらりと見た。

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「おかえりなさい。飛行用擬翅(ぎし)、外して整備台に置いてますよ」
「気が利くじゃないか」

 無造作に予備の飛行パーツを机に降ろし、トバリは整備台へと足を向ける。空のメモリのネックレスを、白い首に通しながら。