山城まつり
2026-06-07 17:08:01
15893文字
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【馬子軸シャルラッハロート】翠緑のヴィラン

「櫻田翠という医者は、ヒーローだと聞く」

厚生労働省公安局螺旋捜査官・市ノ瀬咲良は、瀬戸内海の島々を橋で結んだ学術都市〈せとうち医学特区〉へと派遣される。
しかし、温和なその島々は日常を表面に張り付けながらも──確かに軋んでいた……。

特区内で発生し続けている謎の感染症。消えた神秘の遺物。
不可解な事件の調査を進める咲良の前に現れたのは、患者に触れるだけで病を消し去る医師・櫻田翠。
だが、事件の真相に近付くほどに浮かび上がるのは、ひとつの疑問だった。

──もし、全ての病を癒せる存在が居たなら。
──それは本当に、人類にとっての救済なのだろうか。

絶滅病を巡る短編医療×魔術ミステリ。
そして、誰かが抱いた憎悪と祈りの物語。

櫻田翠はヒーローなのか。
それとも──……。


馬子軸シャルラッハロートだ~~~~~~!!
このたび、アスナショウコ様主催の企画『馬子軸アンソロ(馬子の背骨を壊すものには)』に参加させていただく運びになり、何を書こう、どうしよう……と悩んだ結果、ずっと書きたかった馬子軸シャルラッハロートに手を出しました。
いずれ長めの本編を書きたい気持ちはありますが、とりあえず今回は2万文字目安とのことで、挑戦してみたい気持ちがあった短編ミステリにチャレンジです!
至らぬ点、解釈違い、独自設定(公式に許可を得た……はずではあります)がありますが、馬子軸への〝愛〟で書き上げようと思いますので、何卒よろしくお願いいたします!
原作『シャルラッハロートの診療録』未読でも読めますので、ごゆるりとどうぞ~!

2026.6.15 第二章を更新しました。
2026.6.7 第一章を更新しました。

※アスナショウコ様より市ノ瀬咲良さんをお借りしています。快くお貸しくださり、ありがとうございました。
※本作はフィクションです。実際の人物、団体、地名とは一切の関係がありません。
※本作には医療従事者でない人間が書いた医療の描写を含みます。医学書、病院公式ホームページ、症例論文などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。ご了承ください。



 せとうち医学特区中心街 天璇大学附属病院──。
 せとうち医学特区は、七つの人工島を中心に一つ、周囲に六つの円形配置した島々から成る学術都市だった。その真ん中の島のさらに中央部は小高い丘になっており、そこに直方体をふたつ、ずらして重ねたような特徴的な建物が聳え立っている。
 天璇大学附属病院。銀の看板の上で太陽を象ったレリーフが煌めく、中四国最大級の総合病院だった。

 院内に入ると、冷風が火照った身体を冷ましていく。病院にいい思い出はあまりないのだが、今に限っては天国だと心の底から感じる。そう己の単純さにひとつ溜息を落としたところで、俺の足は一階南部、救命救急センターの方へと向かった。
 ──俺の用事は本来神楽だけだったが、俺を使いによこした椿、そして東都医科大学附属病院からは、「天璇の救命センターを視察してこい」という命令が下っていたのだ。行きたいなら自分の足で行けや、なんで俺に。愚痴なら軽く百単語思いつくが、言っても返り討ちに遭うだけだと分かっていたので、泣く泣く無言で頷いたのである。

「それでは僕は、此処で」
「ありがとうございました、桐山さん」
「こちらこそ、ありがとうございます。まぁ、せとうち医学特区をごゆっくり見て回ってください」

 救命センター入り口の手前まで送ってくれた桐山が、お辞儀をして踵を返す。此処から先は命を守るための主戦場。彼の背中には、「自分では場違いなので」と書いているように見えた。
 ……場違いなんは俺もや。アイツら、俺に任せて後は覚えてろよ。
 心の内側で上司とその他諸々をぶん殴る想像をしながら、センターの扉をくぐる。一歩踏み込めば、内部は人の気配に満ちていた。

 センターの扉から実際の処置現場までは、このやけに広い廊下が続いている。白い照明。涼しい空調。鼻を突くアルコール臭にバイタルモニターの電子音。
 若き日の俺が、こんな場所で働きたいと思っていたのを思い出す。途端に思い返したくもない記憶が雪崩のように落ちてきたもので、俺は何度目かの溜息を吐き出した。

……それで、ここからどうすればいいんかちゃ」

 溜息ついでに言葉も吐き出す。それによってもう一度の溜息が促進されたというのは言うまでもない。
 部外者の俺を、ハイそーですかとセンターに入れるか? ならば、椿か嘴馬先生にでも電話するか? それとも……
 思考がぐるりと一周した、その時。

……市ノ瀬?」

 背後から、低い声。振り返る──そして俺は、目を見開いた。
 青みがかったセンター分けの髪。整えられたスーツに、金のネクタイピン。彼の名前を思い出すより先に、頭を下げるのが先だった。
 彼は、俺の先輩にあたる人である。螺旋捜査部で知り合い、いくつか指示を受けた事がある、その名は……

「あ──一色いっしきさん」

 ──一色怜いっしきれい。それが、この男の名前だった。

「あれ、サクラくん?」

 横からひょこりと、茶色のカーディガンを来た青年が顔を覗かせる。琥珀色のマッシュヘアに黒縁眼鏡。彼はちらりと此方に目を遣ると、小さく微笑んだ。
 彼は綾瀬伊織あやせいおり。一色さんの、相棒というやつだ。

「わぁ、久しぶり! 僕達がこっちに派遣されて以来じゃない!?」
「綾瀬さんも、お久しぶりです。変わりないですか」
「元気にやってるよ。サクラくんは……

 綾瀬さんは俺の顔を見つめると、「あんまり元気じゃなさそうだね」と苦笑した。……見た目からして元気やないんか、俺。そう新たな気付きを得たところで、一色さんが話を切り替える。

「それで、ここまでどうしたんだ。お前、いとしまに居ただろう。……何か用事が?」
「ああ……うちの馬鹿連中が、天璇の三次救命システムを見てこいとうるさいので」
「まぁ、うちの救命は確かに全国的にもすごいもんね」──綾瀬さんが頷く。

「そうです。ですが恐らく、椿が知りたいのはただの救命行為ではなく──」
櫻田さくらだの事だろう」

 一色さんが即答した。綾瀬さんがそれに続く。

「ヒスイ先生、有名人だもんね。天璇は、先生の事隠してるみたいだけど」
「それでも巷で噂されるのは、彼奴の功績が大きすぎるからだろうな。市ノ瀬、そうだろう」
……そうです。櫻田翠──先生に会いに」

 言いながら、顎を引く。一色さんが、「ならば」と腕を組んだ。

「櫻田なら救命センターだ。感染が怖くなければ、見学するか?」
「いいんですか。部外者が」
「お前を弾けば、東医からどう思われるか分からない。お前は、それだけの看板を背負って此処に居るのだから」

 ──どうにも、気持ちのよい看板ではないのだが。
 そう思いながらも、手ぶらで帰っては何と言われるか分からないので、彼の提案は素直にありがたかった。

「それでは……お言葉に甘えて」
「嗚呼。案内する」
「サクラくん、くれぐれも感染予防はしっかりね」
「はい。ありがとうございます」

 三つの足音が、廊下を進む。靴底がリノリウムの床を蹴り、雨音のような音色を奏でた。
 児童扉に近付くほどに、アルコールの匂いが強くなる。モニターの音が強くなる。その中に俺は、誰かの血の匂いを覚えた。誰かの嗚咽を、覚えていた──。

 扉の向こうは慌ただしい──と思っていたが、それは俺の全くの見当違いだった。
 天璇大学附属病院の救命センターは、午前十一時の業務に忙殺されながらも、冷静さを欠かなかった。看護師が器具を手際よく整え、医師達がカルテをチェックする。バイタルサインはどの患者も比較的安定しており、輸液の雫が規則正しく落ちる。
 日常だった。落ち着いていますねなどという禁句は、決して口にはしないが。

黒瀬くろせさん」

 一色さんが、そう体格の良い壮年男性に声を掛ける。彼──黒瀬と呼ばれた男は振り返り、カルテの記入を中断した。

「一色くん。どうした」
「すみません。櫻田に、客人です」
「翠に?」
「居ますか、今」
「今は外来に居る」
「そうですか……

 一色さんの目が此方を一瞥する。──名乗れ、という事らしい。俺は頭を下げ、唇を震わせた。

「市ノ瀬です。市ノ瀬、咲良。厚生労働省公安局、螺旋捜査官です」
「市ノ瀬くん。私は黒瀬という。黒瀬仁くろせじん、救命センター医長をしている」
「黒瀬さん、ですね。よろしくお願いします」

 もう一度、頭を下ろす。そうしたところで、背後の綾瀬さんが台詞を代わった。

「ヒスイ先生、今は会えない感じですか?」
「どうだろうね。彼は外来より処置が好きだから、もうすぐ──」

 ──その刹那。センターの救急搬入口が開き、ストレッチャーが転がり込んでくる。看護師が慌ててストレッチャーに駆け寄り、モニターを接続した。

「来たか」

 黒瀬はそう呟いて、手袋を即座に締め直した。処置室の空気が切り替わり、耳を打つ電子音がやけに響く。

「患者搬送! 四十二歳男性! 高熱、意識混濁、全身発疹!」

 救急隊員の声が張り上げられる。もう此処には、談笑していた看護師も、カルテを管理していた医師も居ない。誰もが一瞬で顔色を変え、ストレッチャーの上では男が苦しげに呻いていた。
 ──顔面。
 ──首。
 ──腕。
 露出した皮膚という皮膚に赤い発疹が浮いている。俺は思わず息を呑む。
 写真でしか見た事がなかったからだ。医学書を詰め込んだ己の脳は、ひとつの結論を叩き出す。

「天然痘……?」

 馬鹿な。天然痘は、WHOによって根絶宣言が出されたはず
 では、この症例は何だ? 俺の知識が、足りないだけか──?

「騒ぐな」

 回り出した思考を封じるように、低い声が響いた。たった四文字の言葉だった。しかし、不思議と周囲の音が止む。
 黒瀬だった。ガウンを着ながら歩み寄り、患者へ視線を落とす。彼の背の紐を、看護師の一人が結んだ。

「患者が聞いている、不安にさせるな」

 その一言には力があった。スタッフの足取りが確かに整い、黒瀬は患者の顔を覗き込む。
 瞼を開く。呼吸を見る。その動作は、医療現場から退いた俺から見ても美しかった。

「酸素飽和度は」
「92です!」
「では、酸素2リットル。血液採取。隔離病棟へ連絡」

 指示が淀みなく飛ぶ。誰も、異論を挟まない。
 俺は悟る。──この場の誰もが、彼を信頼しているのだと。

「防護具の確認」

 黒瀬は周囲を見回した。

「N95マスク。フェイスシールド。接触感染対策を徹底する」
「はい!」
「隔離病棟の準備を至急。あとは、私がやる」
「了解です──!」

 その一言を合図に、看護師達が散っていく。その背中を見送りながら、黒瀬は俺に目を向けた。しわの刻まれた細い瞳が、さらに細まっている。

「すまないな、市ノ瀬くん。雑談をする場合ではなくなってしまった」
「いえ……

 乾いた息を振り絞る。

「俺、邪魔ですよね。またあとからお伺いしても……
……ああ、いや」

 即座の否定。俺は彼を見上げた。
 黒瀬は、マスクの下で笑っていた。その視線は、俺を通り越して背後のドアを見ている。

「用事なら、今から出来ると思うぞ」
……? それは、一体──」

 そう言いかけた、瞬間だった。
 ──自動ドアが開く。救命センターに、廊下の光が差し込んだ。
 黒瀬が穏やかに告げた。──「ああ、来たか」と。
 現れた人物を見て、周囲の職員が一斉に息を吐いた。安堵の輪が広がる中、俺は息を呑む。

 振り返る。その先に、居たのは──。

「──あん、たは」

 声が出る。俺のファンファーレを受け、そいつは──男は、にんまりと笑った。
 そこに居たのは、白衣の青年だった。歳が何歳か分からないような幼い顔立ち、色素の薄い髪をひと房メッシュに染めている。華奢な身体にはグレーのTシャツが纏われ、その上に白衣を着こんでいて。
 彼は両手をポケットに入れ、足元に至ってはスリッパだった。
 貼り付けられたのは、どこか気だるそうな顔。だが視線だけは、まっすぐ患者へと向いていた。

「黒瀬先生、呼んだ?」

 男が笑う。跳ねた声がセンターを染めていく。黒瀬はひとつ、息を吐いた。

「呼んでいない。私はな」
「ふぅ~ん。でも、ま……

 彼は患者に目を向ける。その瞳が、興味の対象を見つけたように細まった。

「俺がやりますよ。なんたって、この病院の〝顔〟ですし」
「翠……

 黒瀬が眉をひそめた。だが、

「大丈夫」

 男は肩をすくめる。次いで、胸を張って、自信満々に──。

「──俺、魔法使いなんでね」

 言い切った。……魔法使い。その言葉が、俺の胸をざわめかせる。
 だが、誰も笑わなかった。冗談ではないと知っているからだ。

 男──櫻田翠さくらだひすいはストレッチャーの傍らへ躍り出る。防護服は着ていない。マスクすらない。俺は〝知っているにも関わらず〟咎めそうになった。だがそうしているところで、櫻田が此方へ声を飛ばす。

「そこのお兄さん、そこでステイ」
「で……ですが……
「だいじょーぶだいじょーぶ、俺はね、無敵なもんで」

 ひらひらと右手が振られる。そして次いで、患者の顔を大袈裟な動作で覗き込む。

「あー、これか。またこの感じ? 最近多いよな」

 軽い声だった。黒瀬が彼を睨みつける。

「出来るのか」
「逆に、出来なかった事あります? 俺がですよ?」

 詰められても億さない。けらけらと笑った彼は手を下ろし、それを患者の額へ押し当てて──。
 ──瞬間。彼がしたのは、それだけ。たったそれだけ
 なのにどうだろう。俺の目が、大きく見開かれた。

 男の顔に浮いていた発疹が、まるで最初から存在しなかったかのように薄れていく。
 首、腕、露出した皮膚……赤く腫れ上がっていた痕跡が、雪解けのように消えていく。
 思わず息を呑んだ──これは、医術なのか?
 いや、違う。これは医療ではない。手品でもない。ましてや奇跡などという言葉でも足りない。
 それは、〝俺の知る魔術〟などではなく〝魔法〟だった。笑いたいなら笑えばいい。俺を馬鹿にすればいい。だが本当に、確かに──俺の目には、魔法に見えた。

「完璧」

 櫻田はそう言って唇を舐めた。そして看護師に目を向け、声を飛ばす。

「隔離病棟、大丈夫ですって言っといて。この人、完治してるから」
「え、でも……
「櫻田翠が治しましたって言えばああそーですか、って言われるよ。この病院ではね、ありがたい事に」
「わ……分かりました」

 看護師が一人、駆けていく。それを見送った俺は、思わず彼の背中に、

……噂通りですね」

 声を掛けていた。櫻田が此方を見る。

「あー……

 少し困ったように笑う。だが次の瞬間には、怠そうに伸びをひとつして。

「まぁ、噂は尾ひれがつくけどな。俺はただ、フツーに治してるだけなんだけど」

 言い切った。その一言が、脳裏を殴る。
 ──〝フツー〟が、こんな超常であってたまるかちゃ。
 そう思いながらも、俺の口は別の言葉を紡いでいた。

……櫻田、翠先生ですよね。〝魔法医療〟を掲げている」
「ん、そうだけど。お宅、どこの人?」
「市ノ瀬咲良と言います。いとしま医学特区から来ました」
「そ。咲良。んまぁ、俺の事知ってるみたいだけど──」

 彼は、患者に触れなかった左手を突き出した。次いで、その表情が不敵に笑い、

「──櫻田翠。天璇の、魔法使いです」

 それは、断言だった。ふざけているようには聞こえなかった。
 俺はおずおずと手を握る。彼の手は夏場だというのに冷えていて、どこか不気味さを覚えさせる。
 ──こうして俺達は邂逅した。櫻田翠は確かに人だった。此処に存在し、今俺と、握手をしている人間だった。
 だが、どうしてだろう。ポケットの中で機械が震える。この医学特区は神秘を宿している。そう思案するのが真っ当なように、来た瞬間から既に、神秘汚染度が高かった──。