もち粉
2026-05-20 22:14:50
5280文字
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うわさの奥様


カブミス モブ視点
幼妻だと思われてるミスさん
※カブの結婚相手は公にはしていないため、外では「妻」と呼んでいます。(古株の人なら知っている)

「効果は抜群だ」の続き



「すまない、カブルーは在室だろうか」

戸口にほっそりと白い影が立っていた。
振り返った俺たちは、しばし呆然とする。雪の妖精かと思った。いや、冬じゃないけど。
乳白色の肌、淡い刺繍が光を返す衣。銀糸のような長い髪は、耳を覆うように半分だけ結い上げられている。流した前髪から覗く、黒々とした片眼だけが、妙に鮮烈だった。

「もしかして……カブルー様の……?」

新人がぽかんと呟いた。
その視線が向けられると、銀の髪の人影は一瞬まばたきをして、新人を見つめ――それから小さく頷いた。

「伴侶だ。カブルーに昼食を持ってきたのだが」

「奥様だ――っ!
実在してた――っ!!」


 ◇

書類で溢れかえっていた打ち合わせスペースを、おれ達は大慌てで片付けた。何せ長年謎の存在だった奥様が目の前にいるのだ。
本人が不在ならばと、「四人分あるから、よければ皆で分けてくれ」と手に持っていたバスケットを預けて帰ろうとした奥様を、どうぞどうぞと三人がかりで執務室に引っ張り込む。

みんな興味津々だったが、中でも好奇心を隠そうとしないのは、新人だ。目をキラキラと輝かせ「えっ、奥様ちっちゃ!ほっそ! えーマジで幼妻じゃん!! お肌きれい……えっ、おいくつ?」と本人を前に、握った両拳を胸の前に上げて、ずいっと顔を突き出している。

グイグイいくなぁ、お前。おれだってそこまで出来ないよ。
……にしても若すぎないか? 十代……なワケないよな、七年目の主任が配属された時には、もうご結婚してたって聞いたことあるし。

新人の勢いに奥様は、若干身を引きながらも口を開きかけた。だが彼女が答える前に主任が声を掛ける。

「こら、止めなさい。年齢聞くとか失礼だぞ。……申し訳ありません奥様、躾のなってない新人で。
せっかくお昼を持ってきて頂きましたが、カブルー様は今日は終日会議で、戻れないと思います。会議室で軽食が出ているはずですよ」

「そうか」

奥様は、あまり表情を動かさなかったが、目に見えて雰囲気がしょんぼりとした。
しかし顔に見合わず、ハスキーなお声ですね、奥様。ギャップで色気がすごいです。

「えー、ならなら! 一人分余っちゃうから、奥様も一緒に食べましょうよー!! ね、ね? いいっすよね?」


 ◇

焼菓子でも出てきそうなかわいらしいバスケットの蓋を開けると、中には香ばしい匂いの紙包みと、冷えた瓶が入っていた。
……蕎麦だ」
主任が包みを開けると、艶やかに細く切り揃えられた手打ち蕎麦がまるで工芸品のように並んでいた。横には、かき揚げの小包まである。

「奥様が……作られたのですか?」
「うん、趣味でな。たまに打ってる」

ほわぁ、と新人が感嘆の声を上げる。
「奥様、すごーい! お料理上手なんすね!」
「料理は得意ではない。ただ、蕎麦を打つのは楽しい……と思う」

蕎麦つゆの瓶を手にした新人が、顔を真っ赤にして蓋と格闘している。
「ふぎぎ……固い……! 開かないっす!」
「貸してみ」

ここは男の出番とばかりに瓶を受け取ったが、いや本当に固いなこれ!?
お湯につけた方がいいか。力を緩めた隙に、奥様の手がひょいと俺から瓶を取り上げた。たっぷりとした袖口から覗くたおやかな手が、蓋をひねる。

――パカン、とさして力を込めたようにはみえないのに、拍子抜けするほどあっさり開いた。

……細腕に見合わず、力強いっすね、奥様。惚れそうです。


 ◇

奥様の手打ち蕎麦は絶品だった。
蕎麦の香りが立ち上り、昼休みの空気が一気にワ島料理屋の奥座敷になった。かき揚げもサックサクだ。
みんなうまいうまいと夢中になって食べていたが、そんな中、奥様はちらちらと新人を見て、何事か言いかけては、やめている。
そして、ついに口を開いた。

……新人、と先ほど伺ったが。いつ頃入られたのだろうか」
「ちょうど一ヶ月前くらいっすねー」
「そうか、仕事は忙しいだろうか? その……貴女は若い女性なので、帰宅が遅くなったりはしていないだろうか?」
「んー、まだそんなんでもないですね。繁忙期はまだ先なんすよね?」
こっちを見てくる新人に、「あと半月くらいしたら忙しくなるぞ」と答えてやる。今朝は例外的に忙しかったが、本来この時期は比較的落ち着いているはずなのだ。

「そうか、ではカブルーの帰宅が最近遅いというのは……?」
「『遅いというのは?』? 」
伝聞調でいう奥様に、新人が不思議そうな声を上げる。
「ああいや、私はここしばらく家をあけていたのでな。今朝帰宅したところ、忙しくない時期のはずなのに連日カブルーの帰宅が遅いと使用人に聞いて、部署に女性が入ったと知って……その……
奥様は湯呑みを口元に持っていっては飲まずに卓に置いたりと落ち着かない。
「別に、だからどうだという話ではないのだが――

奥様の言葉が尻すぼみになったところで、新人がぴんと指を差した。にんまりと唇が弧を描く。
「あーっ! 奥様さては、心配して偵察に来ちゃったっすね? やだかわいーっ」

奥様の白い頬が、ぱっと赤く染まった。
「そ、そういうわけでは……

俺と主任は思わず笑い合った。
「大丈夫ですよ。カブルー様、奥様にしか興味ありませんから」
「貴女がいない家に帰ってもつまらないからと、グズグズ残って仕事をしているだけですよ。あれは」
「ほんとほんと! カブルー様が話すの、奥様のことばっかりっすよ!」
新人が無邪気にうなずく。おい、お前が疑われてたんだぞ。

奥様の顔は、さらに赤みを増していった。髪の毛で見えないけど、たぶん耳まで真っ赤。可愛いかよ。

……こんだけ美人で可憐で、自分にベタ惚れの幼妻とか、そりゃ会えなくてべそべそもするわ。
どんだけ徳を積んだら、そんな人生送れるんですか上司。前世で世界救ったんか。


 ◇

「その……すまなかった。妙な疑いをかけてしまったな」
「なんもなんも」

笑って手を振る新人に、安心したように息をつき、奥様はふと遠い目をした。
……だが、カブルーは昔からよくもてていて。私と結婚したら、周囲の女性もあきらめてくれるかと思ったのに、なんだか結婚前より、もてているようで……

主任はくすりと笑った。
「それは仕方ありませんよ。余裕のある既婚者ってのは、かえって魅力的に見えるものなんです。こちらを向かないとわかっているから、安心して騒げる、というところもあるんでしょうね」

「そういうものか……
腑に落ちないように眉をひそめる奥様の背中を新人がポンと叩く。

「そうっすよー! 私の同期とかもカブルー様のこと素敵ーって騒いでますけど、あーんなに奥様しか見てないって丸わかりの人に、本気で行く人いませんって!」

「そうか」

きゃらきゃらと笑う新人を前に、奥様は小さく呟いて、蕎麦をひと口啜った。そのブドウのように黒い片眼が、ほっとしたように柔らかく細められた。

「奥様、推せるーっ。私もいつか素敵な旦那さま見つけて、おふたりみたいなラブラブ夫婦になるっすよ」
「お前はまず、その言葉遣いをどうにかしろよ」
「先輩だって、あんまり人のこと言えないんじゃないっすかー!?」

わあわあと騒ぐおれ達を、主任は呆れ顔で眺めていたが、奥様は優しい顔で微笑むのみだった。

……いやマジで、こんなお嫁さん欲しいなおれも。