MN*B
2026-04-27 23:26:09
22664文字
Public 二次創作
 

化楽 ―バケガク―

カラスド/降霊サークルの裏切者派生二次創作
オリ主・固定名あり・外見なし
解釈保存を兼ねた小説の為、新規情報と矛盾している可能性が含まれます(おおよそ2026年3月までのもの)

 大して賑やかでもない職場に似つかわしくない青年が来た。
 一時的な穴埋めとして募集していた枠に、若い男が臨時で働きに来たわけだ。
 それを最初は皆、歓迎していた。そう、最初はそうだった。

 それが変わった切っ掛けは、休憩中の何気ない雑談で、ソイツが社内不倫を話題に出しやがったことからだろうか。
 小さな会社、狭い職場での事柄だ。そんなことは皆が分かりきっていた。知った上で目を背け、口を噤んでいたことだ。
 それをこの男はわざわざ口に出した。女性陣が給湯室で話すようなことを、オフィスで堂々と喋り出したわけだ。
 しかも、それは切っ掛け……即ち、始まりでしかなかった。

 公然の秘密から本当の暴露まで。どこから仕入れたのか、この小さな世界でそこに所属する誰かの醜聞スキャンダルを公にしてしまう。出来の悪いサスペンスかヒューマンドラマの如く、秘密を暴かれた犠牲者が積み重なっていくのだ。
 その男の在り様はまるで、人間関係を引っ掻き回して滅茶苦茶をやる、無自覚無神経なお騒がせ探偵みたいだった。その態度は〝それとなく〟・〝何気なく〟・〝悪意なく〟暴露リークしてしまったようにしか見えないのだ。
 にしたって、恐れとか恥とか他人への配慮や他人からの視線を気にするとか、そういう情緒はないのか。……少なくとも、あるようには見えない振る舞いをする男だった。

 質が悪いのは、この男、おそらくこれが初めてじゃなさそうってことだ。その手の雰囲気がソイツにはあった。
 これは勘に過ぎない。だが、俺は自分のコレを信用する。
 そうでなくとも、ソイツのことを気にせざるを得ない。俺がそういう状況に置かれているのは確かだった。


 俺は背後から人の気配を感じ、デスクから顔を上げる。椅子を回して、身体を斜め後ろに向けた。
 それだけで隣の席の人間は肩を揺らし、息を潜めてこちらを窺ってくる。なんなら隣からだけではない。そんな雰囲気をオフィス中から感じていた。
 それを無視して、俺は俺に用があって来たのだろう人物のことを見る。

……烏兜カラスド、くん」
「どうも、佐為原サイノハラさん」

 今の空気の理由、作り出された異様な雰囲気のワケは、コイツとそして俺の動向が気になる人間が多いから。この組み合わせによって何かの化学反応が起こるかのように恐る恐る、だがその好奇心を抑えきれずに覗きこんでくる。
 この職場で暴かれていないのは、残るは俺だけ。暴かれたばかりの人間ですら、いつかいつかと遠巻きに視線を向けてくる。
 ゴシップを、人の秘密を、愚かしさや汚さが晒されるのを待ち望んでいた。

「今日、良かったら呑みにでも行きませんか。せっかくだし佐為原さんとも仲良くなりたいです」
「とか言って……ボクにオゴらせるつもりじゃないか? それと連絡先も交換しないからね。前にも話した通り、臨時や派遣の子とはしないことにしてるから」
「アハッ、バレました?」
「残念だけどね。あと今日は残業するから、そっちもムリだ」
「じゃあ手伝います」
……そう。助かるよ」

 なんて遠回しなやり取りなんだろうか。俺を探ったところで何も面白いものなんて出てきやしないのに。
 にこやかな笑顔に不穏な色が混じる佇まいの青年に、俺は淡白な返事をするだけに留めた。

 この男、距離の詰め方が異様だ。何が異様かって、最初からそこに居ましたってツラで、人の間に紛れ込んでいるところがだ。
 前からここに勤めている俺のほうが浮いているようにすら思えてくる。癖があるクセにそれを感じさせない人当たりの良さがあった。


 これは比喩だが、人の皮を剥ぐような人間は一定数いる。
 人が一生懸命整えて取り繕った面の皮を剥いでしまうような、人が隠したがる本性を露わにしてくる奴が、そんな人間が世の中にはいる。方法はカリスマであったり支配による恐怖であったり、意識的にか無自覚であるかどうかもそれぞれだ。
 そして、中でも質が悪いのは、皮を剥ぐことに愉しみを見出すタイプと、皮を剥いだその下に用があるタイプ。……この男は、その両方のクチだ。


 ここに勤めている人間の殆どが退勤していったことで建物には静けさが広がり、不気味さが増した。まともに明かりがついているのは俺達がいるオフィスくらいだろう。俺と彼以外、人の気配は残っていなかった。
 こういう時に限って他の人間も大した仕事を抱えていないらしい。それなら臨時この男も雇わなくて良かっただろ、と思わなくもないが、もう少しでコイツの雇用期間も終了することを考えれば当然かもしれなかった。

 俺は事務用品が入った棚の前で、立ったまま思考を巡らせる。

 俺も残業とは言ったものの、することといえば、消耗品の在庫管理をするだけだ。文房具等の備品の数を数えて、クリップボードで留めた用紙に数を記入していく。……それだけだ。俺一人で事足りる。
 俺と彼、二人並んでやるにしたって狭いし、この程度を分担というのも変だ。
 どうしたものか。助かるよと言った手前、何かを頼まなくてはならないのだが、特にこれといって仕事はない。

 俺がそうこう考えている間に、彼は近くのデスクからオフィスチェアを転がしてきて、それに悠々と座る。完全に俺を横から見ているだけの姿勢で、笑みを向けてきた。

「お構いなく。アタシのタイムカードはもう切ってありますから」

 その行動に込められた意図に、俺は「……そうなんだね」と、当たり障りのない返事で終わる。

 俺の残業なんて体のいい断り文句であり、彼と関わらない為の言い訳に過ぎなかった。しかし、断っても付き纏わられるから、早いところで折れることにしたのは明白だっただろう。
 なのにも関わらず、こちらのそんな思惑を全て察した上で尚、こうなのか。この男は。厄介極まりない。

「訊かないんですね。どうしてそんなことをするのか、って」
「訊けば答えてくれるのかな」
「勿論」
「へぇ……
……

 ……。間合いを測る視線、無言の空気が絡み合う。
 ……いやこれこっちから話を振らないと訊かないといけないのか。
 崩れる様子のない笑顔に対し、俺は若干引き攣らせた苦笑で答える。

「ボクはね、人が自分から言わないことは聞かないことにしてるんだ」
「ってことは、アタシが話せばアナタは聞いてくれるんですか」
「気分によるかな、それは」
「釣れませんねェ」

 俺の返答で殊更、楽しそうに彼は笑う。釣れないのはどちらなんだか。

 さっさと終わらせて帰ろう。上がる時にまで絡まれたら、その時はその時だ。スパッと切って捨て置いて帰る。精々が冷たい人間だということをネタに晒上げられるくらいで済むのなら、それで構わない。
 ただでさえ人と関わる気はないのに、こういう相手タイプと進んで関わりたいとは思えなかった。

 俺が仕事に取り掛かり始めても、彼は気にする素振りもない。それどころか弾むような調子で話しかけてくる。

「それじゃあ逆にアタシから訊いちゃってもいいですか~?」
「あー、うん。キミが話す分には構わないよ」

 俺は作業の勝手間になら返事をするといったふうに適当な態度を返して、備品の数を数える。……俺の横顔に視線がじっとりと絡みついてくる、そんな心地がした。

「そうですね、まず……それって残業してまでやることでした?」
「他に人がいない時にやれば数に間違いが出ないよ」
「なるほど。理にかなってますね」

 相手はそう言い、ニコリとまた違った笑みを作っている。それを視界の端で捉えつつも、俺は作業を続けることで、視線を合わせなかった。

「では次に、人がいない時にやるといえば、――どう思いました、アレ」
……アレ、とは」

 それこそどれだ。いや、『人が居ない時』という条件をつけるのなら、最初にコイツが暴いた一件アレしかないのだが。
 そこまで考えて……俺は動かし続けていた手を止めた。それから、また同じ物品の数をイチから数え直す。
 そんな俺の邪魔をするみたいにして、また言葉が投げかけられる。

「他に人がいなかったから間違いが起こったのか、人がいたから間違いが出たのか」
「キミは……なんだか難しいことを話すね」

 真意を捉えきれない。その心境のままに、困り顔ともとれる表情を浮かべて見せる。
 環境によって間違いが誘発されたと言いたいのか、それとも観測されなければ間違いは発覚しなかったと言いたいのか。

「別にアレは皆知ってたことだよ」
「ヘー、そうだったんですね」
「誰も藪蛇をつつきたくなかったんだ」

 お前と違ってな。事なかれ主義が基本姿勢なんだ。
 それに誰だって職を失いたくはない。

「でもそれなら尚更、『アタシが喋ったせい』みたいな言い草をされては困っちゃいます。むしろコッチが被害者だと思うんですよね、あんなの見せられちゃって」
「まあ、そうだね」
「もしかして佐為原さんもご経験がお有りで?」

 ……俺は返事をせずに溜息を吐き、手を止めた。そして、彼と同じように近くの席から椅子を引っ張り出して腰を下ろす。
 その一件に関して、コイツが責められる謂れがないのも確かだ。少なくとも俺はそう思う。

 嫌な社会経験を踏ませてしまったし、俺も踏んでしまったものだと思う。しかしコイツの如く、その現場で「ア~、どうぞ。アタシのことはお気になさらず!」等と言い放つような真似を俺はしなかったが。
 被害者面した不倫社員がそんな話をしていたことを思い出す。しかもそれで若干の同情を集めていたのは強かだった。
 いや、あれは話すタイミングが上手かったんだろう。なんせコイツの化けの皮が剥がれた――というより、コイツに剥がされた被害者が増えだした頃だ。

 存外、似たり寄ったりな秘密をヒトはみな抱えているもので。それを前提にしてしまえば、他人のことを責められる人間などいなくなる。
 それはそれ、これはこれ……という考えの人間もいたりするが、ここにおいては冷笑の対象になるだけだ。
 職場ココに居る人間の倫理観が他より一段階下なのだと言われてしまえば否定できやしない。
 ましてや俺は、明らかにされて困るような隠し事すらないのだ。人として真っ当な生き方を心掛けたらコレである。人生というものはままならないな。

 彼のほうを横目で覗けば、バッチリ目が合った。視線を少しズラしても、相手が身に着けている目玉モチーフの飾りと目線が合ったような気がしてくる。

 しかし、何故こんな話をする羽目になっているんだろう。いや、どう転んでもこれに近いことにはなっていたのか。目を付けられた時点で詰んでいる。
 それなら……餌を撒くか? 自分のコントロールできる範囲で、想定内の被害に抑える為に。

 俺は椅子を回転させ、横を向いた。話し相手を正面に据えて、手慰みにボールペンで紙面をつつく。

「トンボが二匹連なって飛んでるのを目にしたことは? もしくはオンブバッタがその名の通りの状態でもいいけど。それを目にしたって、わざわざ叩き落としたりしない。気分の良し悪しは別として」

 それと同じだ。そうとまでは言わないけれど、言外にそう言い含めた。

「猫とかならよく聞く例えですけど、虫ですか」

 意外そうというか、興味深そうに聞き返される。

 そうだ、まるで虫ケラ扱いな言動をした。
 さあ。失言したぞ。これでいいか?
 曲解しようと思えばできる発言内容だ。

 俺達はまるで聴取か問診かの如く、お互い椅子に座って向かい合っていた。
 彼は両手の指の先を合わせ、自身の身体の前に置いていた。思考を巡らせているように指先が何度か離されてはくっつく。

「虫は嫌いですか?」
「え、普通……?」
「普通。……そうですか。てっきり、嫌いか好きかのどちらかだと思ったので」
「そうかな。嫌いだったら例えに出さないし、好きでも例えに出さないものだと思うけど?」
「ああ、それも尤もですね」

 彼はどこか物憂げに、いっそ退屈だと言わんばかりに、顔に指を添えてこちらを見る。

「アナタは尤もなことしか口にしませんね。なんだか――ちょっぴり残念です」

 ……ああ。最悪だ。
 口でも態度でもそう言うが、これは釣りだ。彼は俺から反応を引き出そうとしている。
 ヒトはツマラナイ人間だと思われたくないものだし、誰かの期待外れになりたくはないものだ。その相手が魅力的であれば尚更だろう。

……そう」

 なんと答えてもドツボに落とされる。それなら、最低限の反応だけ返して終わりにするだけだ。

「冷たいですね~。アタシのこと嫌い? それともまた普通って答えます?」

 ダルがらみに言葉と会話のカツアゲだ。
 どこまで許されるかを探られている感覚がある。そして、おそらく、それらを全て許したところでコイツはきっと満足できない。コイツにとっての答えを与えなければ、それまで続くのだろう。
 コイツが求めているものはなんだ。これならいっそ、聞いたほうが早い。

「何が望みなのかな」
……ン?」
「ボクの秘密? 醜聞? 弱み? キミは何が知りたいのかと思って。それとも何か他の用でもあるのかな」
「訊けば教えてくれるんですか?」
「ないものは教えられないけれどね。まず何を訊かれているのか分からなければ話せないだろう」

 ……彼の表情がすっと移り変わる。
 薄ら笑いですらない。ただ坦々とした、それが基本な顔つきニュートラルと呼べる表情だった。

「人が自分から言わないことは聞かないことにしてるんじゃなかったんですか?」
「うん。気が変わったんだ」
「アナタって結構、気分屋なんですね」
「意外かな」
「どうでしょう。そう言えるほど、アタシはアナタを知りませんから」

 彼は話しながら、その顔に再び笑みを戻していた。
 煙に巻かれた? しかし、どうだこれは……意味深にも見える笑みに、深みに落ちそうになる思考を止める。

 裏を疑っても答えは出ない。訊いたところでヒトは自分の納得いく答えしか受け入れることはできないものだ。
 だから、仮初めの納得を手に入れようじゃないか。お互いに。

「それで、キミは訊けば答えてくれるんじゃなかったかな」
「ああ、そうでした。それじゃあオハナシしますね、アナタの気が変わらない内に」

 そうしてくれ。この状況が、俺にとってはすでに面倒なのに変わりないんだから。


「『何故こんなことをするのか』ってのは、よく訊かれるんですよ。アタシがちゃんと答えても、訊いてきたヒトは訊いてくる割に、あまり耳を貸してはくれませんけどね」

 彼はこちらが何も言っていないのに、「マア聞いてくださいよ。アナタの質問からは少し外れますが、主旨は合っているでしょうから」と、引き留めてくる。

「興味があるんです。ヒトがどういう反応をするのか。何を感じ、考え、示してくれるのか。その矛先が私であれば尚良い」

 読めない笑みを浮かべて、彼は自身の思考シコウを開示していく。

「ヒトの考えていることって分からないじゃないですか。それなら知りたいと思うモノでしょう? それにアタシ、分からないことが好きなんです。それでつい……調べちゃったり」
「だからって、人の秘密も探るんだね」
「何も特別トクベツなことじゃありません。今、アナタと話しているように。それと同じですよ」

 彼は椅子に座ったまま前のめりになり、こちらを少し下から覗きこんでくる。

「勿論、アナタのことだって分かりません。私に興味がないのか、そのフリをしているだけなのか。でも、もし今のアナタが感じているモノが悪感情だとしても、私に向けてほしい。そう思ってますよ」

 ……今の事態を引き起こしている動機はソレか。
 俺はペン先を軽く揺らして、当たり障りのない言葉を喋る。

「物好きだね。まさか今までもそうやってきたのかな」
今回ココみたいなのはあまりやりませんけどね。まあ気分転換に」

 やはり質が悪いな。こうなると好感度の急下落すらもワザとだったんじゃないだろうか。
 ここまであからさまでも周囲は案外、気がつかないものらしい。まあ、わざと嫌われるという行動は理解し難いものだから当然だろう。意図が明確だとしても、実際に行動へ移せる人間はそう多くない。

 彼は何を考えているのか、ニコリとした笑みを作った。

「好かれるのは容易ですから」

 そうだろうか。嫌われるのも容易いと思うが……見目が良いと塩梅が難しいのかもしれない。
 自身の秘密を暴かれて尚、未だに、コイツの行動に善性を見出しているような薄らボンヤリとした人間もいるくらいだ。それこそコイツの見た目と人当たりの良さのせいで湧いてくる『そうであって欲しい』という願いによるものかもしれなかった。


「そんなにも興味ありませんか。私にも、周囲のヒトにも」

 俺が黙ったままなのをそう受け取ったのか、彼は姿勢を戻しつつ思案げに喋る。

「人間関係を引っ掻き回して、貴方の日常をおびやかし、壊しかけている。そう受け取られたっておかしくはない。なのに、落ち着きを失う様子もないし、今この時ですら責めもしない。アナタから話を振ってきたようで、その実、無関心に見える……アナタが何を考えているのか、アタシにはサッパリです」

 そう話すコイツは、今までそうやって責められてきたんだろう。自業自得だな。
 だからといって、他と同じ反応を俺に求められても困るわけだが。それに、もし俺がそうするにしたって、そのタイミングはすでに逃し切っている。

 俺は手に持ったままのクリップボードとペンを持て余しながら、何と答えるべきか検討した。

「昨今、地球汚染やら森林伐採だのオゾン層がどうだとかメディアでも取り上げられるだろ」

 俺の話の切り出しに、彼はこちらを様子見する目つきを向けてくる。俺は構わず「人の行いによって環境が変化していくわけだ」と続けた。

「自然環境において、人は自然の一部だと思うか? という話で……――ああ、これは意見を訊いているワケじゃないから気にしないで。キミの問いに対するボクの答えがこうだ、と。まあ、そういうことだよ」

 ……俺の返答を聞いて、彼は暫く黙っていた。それから冷静に言い返してくる。

「答えになっているようで、なっていませんよ」
「そうかもしれないね」

 現状がすでに答えである以上、俺から話すことはない。

「アナタはいっそ、全員等しく嫌っているんじゃないかと邪推しちゃいそうです」
「別にそうじゃないんだけどね」

 軽やかに若干の毒が含まれていそうな言葉も、俺は気にせず流した。
 そう見えるのであれば仕方がない。よくあることだ。

 目線を彼の顔から彼全体へと、俺はそれなく向けた。行き場のない思考を纏めているように、膝に置かれた両手の指が絡み合っているのが目に入る。
 これ以上の問答は無用だろう。俺は短く息を吸い、

「どうします?」

 作業に戻る、俺がそう言いかけたのを察したようなタイミングだった。
 行き場を失った呼気が音もなく俺の唇から漏れる。

「これからのアナタは」

 ……単純な今の話ではなく、今後の在り様を問われている?
 立ち上がる為の力が入ったまま、俺は思わず身動きを止めた。
 それとは逆に、目の前の相手は指先を解き、その両手を自由にする。

「私は私の秘密を、アナタの言いようによっては醜聞になりえることを明かしました。なんなら今すぐ言い触らしてくれたって構いませんよ」

 彼は更に「アナタにこんな話をするような相手が居れば、ですが」と余計な一言を付け加えてくる。
 コイツの行動が俺を孤立に追い込んだようなものなのに、よく言えるものだなと感心してしまう。何より、それを自覚しているのに口に出す神経に。

「ボクは人から聞かれなきゃ話す気はないかな」
「聞かれたら話すってことじゃないですかヤダー。それもアナタの気分で変わるんでしょう?」
「そうかもね」
「アハハ。まあそれで構いません。どちらにせよ、これで――職場ココで暴露していないのは、アナタだけになりましたから」
「は、…………

 椅子の肘掛けに肘をついて頬杖にし、さも愉しそうにこちらを見てくる男。その顔を見つめる。
 それからジワジワと、してやられたことを理解していく。……俺としたことが、ヒトの数を数え間違えていたようだ。

……ふ」

 力を抜いて、背もたれに身体を預ければ、自然と顔が上を向く。

 俺とコイツはそれぞれ社内ココで孤立していたのにも関わらず、発端のコイツは俺を対比ダシにすることで多勢ヒトの輪に入るつもりだ。しかも、あの不倫社員と似たようなやり口で。
 俺がバラさずとも、コイツは自白バクロすればいいだけだ。そうすれば悪事も秘密も、俺だけが露見してない状況になる……俺は本当の孤立ナカマハズレになるわけだ。
 俺がそれを避けようとするのであれば、今ここで俺も〝暴露する〟しかない。――完敗カンパイだ。

「あッはッはッはッ!! キミは本当に優秀な奴だなあ! なんでこんな会社トコに来ちまったんだか、甚だ疑問だよ……!!」

 明らかに釣り合っていない。たかだか個人間での腹の探り合い程度で、こうも綺麗に嵌められるとは思わなかった。
 そして、痛感する。身の丈に合った生活は楽だが鈍ってしまう。即ち、俺は静かに暮らし過ぎたみたいだ。

 パキリと、安いプラスチックが割れた軽い音が鳴る。
 俺は笑いを収めて、手の内を見下ろす。手の中でボールペンがへし折れていた。

……気に入ってたんだがな、このペン」
「そのボールペン、まとめ売りされてるような、一本たかだか十円相当ですよね」
「インクの出も硬くて、握り心地も最悪……そんなチープさが好きなんだ」
「だからって備品とは違う物をわざわざ使ってるんですか。変わったシュミですね」
「自前以外にも目玉を付けている奴に言われるとはね。それに……

 俺は一先ず、クリップボードを近くのデスクに置いた。それからポケットからハンカチを取り出して、手についたインクをふき取り、ペンの残骸を纏める。……そうしている間も、俺は席を立たずに会話を続けた。

「キミも好きだと思うがな。ボクの思い違いか? ちゃちチープで、壊すつもりがなくとも壊れやすくって困っちまうようなのが」
「アハハ。アタシは困ったりなんてしませんよ」
「ああ、その様すら楽しめるんだろ。それを世間じゃ趣味が悪いって言うんだ」

 足元に置いていた自分の鞄の中に、一塊になったハンカチを放り込む。そしてそこからまた、代わりに予備のボールペンを取り出した。
 見た目も製品としても全く同じものだが、結局は別物だ。

 俺の発言に対して、相手は不快さを感じている様子はなく、むしろ笑顔を見せてくる。

「怒ったんですか? 自分よりも若い奴に出し抜かれたのは気に食わなかったとか」
「そうだな……キミはそう思うのか?」
「ええ。そう見えます」
「ああ、違う。そうじゃない。――キミなら怒るのか、この状況で?」

 『違うだろ』……そんな意図を込めてみるも、上手く伝わらなかったようだ。
 つい先程まであった笑顔は鳴りを潜め、彼は不可解そうにする。『なぜ自分を引き合いに出すのか分からない』って感じだ。
 まあ仕方ない。これは俺の一方的な見解だからな。
 しかし、せっかくだ。少しくらい明かしてもいいだろう。それが礼儀ってもんだ。

「俺の理解が間違っていなければ、お前だって俺と似たような感想を抱く。全く同じじゃなくともな」

 少しだけ、皮をめくり上げて、露わにしてやる。
 それがコイツの望みであり目的で、それに……コイツから俺に近づいて来たんだから。

「なあ。どう思う。お前が俺と同じ状況に置かれたら、お前は怒るのか?」

 それがお前の望む答えに最も近いモノだ。是非、教えてくれ、答えてくれ、聞かせてくれ。
 お前が何を感じ、考え、そして示してくれるのか。


 俺が険のある言葉遣いになっても、やはり彼が気にする様子はない。尤も、彼はそれどころではないようだった。

「理解、しかも似たような感想ときましたか。実に興味深いですね。何を以てして、アナタがその答えに行き着いたのか……興味があります」

 真顔。それから、うっそりとした笑みを浮かべる。

「アナタは他人に興味がないと思っていました、それこそ私とは正反対に。そこもまた不思議なんですよ、不可解と言ってもいい」
「他人からの浅はかな理解は不愉快か?」
「まさか。ただ、アナタがどんな思考をしているのか、気になって仕方がないんです」

 彼は堪えきれないとばかりに、椅子から立ち上がる。その後ろで、勢いで押された背もたれがクルリと一回転した。

「アナタがどんな捉え方をしているのか。せめて、先程の言葉の根拠をお聞きしたいところですね。こう見えてもアタシはヒトからよく〝理解できない〟と罵倒を受けるんですよ」

 トンと軽い足音を立てて、彼は俺との間の大してありもしない距離を縮める。

「ヒトから理解されないことに対して思うことはないんですけどね。私自身、他人ヒトからの理解を必ずしも得たいわけではないですから」

 すぐ傍まで来た彼の動きが、ヒタリと、止まった。座っている俺のことを斜め上から見据えてくる。

「しかし、そんな私を、一部あるいは一側面、もしくは浅くともしれなくとも、理解している、と。アナタは言ったようなものです」
「感情的になって思考が鈍ってないか」
……私が? ……確かに、少し冷静さを欠いているかもしれませんね」

 顎に指を当てて小首を傾げてみせる。
 美形というものは下から見ても整っているものだな。整い過ぎていると面白みに欠けるのが難点だが。

「ちなみに、どうしてそう思ったんですか?」
「訊く必要のある質問だとは思えなくてな」
「ヒトを理解するには観察と対話が必要不可欠では?」
……お前は、それに加え、干渉が必須なように思える」
「対話をするのであれば接触が要り、それが干渉というのならそうです。何よりヒトの反応を引き出すにはこちらから動くべきでしょう。殊、私個人に対してなら特に」
「そこが俺とお前の違いだ」

 ……俺がそう言った途端、覿面テキメンだった。
 表情が動いた。眉が僅かに動いた、これまでになかった動きだ。今までとは違う感情モノを感じたな。

 ――そう、違いだ。違うと言うには、まず基準が必要であり、類似点すら見受けられなければ、違いも何もない。
 喩えるなら、蝶とパズルを比べた時、それらが違うのは当然だからだ。
 だが、彼と俺では互いの情報量に差が出来てしまっている。つまり、見えているモノが違うのだ。

 彼は俺を嵌める為とはいえ自分を明かしている。その上、そもそもの気質としてお喋りが過ぎるようだ。……コイツは俺にアカし過ぎた。

「お前が喋れば喋るほど、俺はお前を理解していく。だからこそ敢えて言うが、俺は――いや。俺も、お前を理解できないな」

 何を考え、感じ、巡らせているのか。
 まるで読めやしない相手の表情を下から眺めつつ、俺は真新しいペンを指先で回す。

「理解したいとも思わないし、理解するべきではない思考をしているんだ、お前という人間は」
「しかし、そう話す時点で矛盾しているじゃないですか。それにアナタは私を分かっているふうに言いますね。それが私には分からない」
「同調や共感をするべきではない思考回路をしていると言っているんだ」

 まだ分からないのか。それとも分かった上での確認作業なのか。
 どちらにせよ早く済ませてもらいたいものだ。俺だって耐えるのには限界がある。

「ソレは、人間社会において害悪になる。だから、表に出さず、抑制すべきものだ。排他され、排除されるもので、そうであるべきだから。それが人の為だ。……心当たりはあるだろう。今のお前はそういう生き方をしている」

 それなのにお前は続けるから、他者からの理解を得られない。許容されるべきモノではないからだ。
 ……またペンをダメにしそうで、クリップボードと一緒のところに置くことで手放す。

「だから、敢えて言わせてもらう。俺はお前のことが分からない。その在り方を続ける理由もな」

 俺は眉間に力を入れ、空いた片手で口元を覆う。ゆっくりと息を吸いながら、相手を見上げる。
 視線の先では、年若い青年が真っ当そうに言うのだ。

「分かりませんか。面白いからですよ」

 ああ、――分かるとも。
 楽しいよな。人を知るのは。

「だからダメなんだよ」

 今のお前も、昔の俺も。

 俺は口角が上がりそうになるのを堪えながら、彼に向けている目を細める。
 本当に面倒だ。欲求カンジョウを抑えて、演技フリをするってのは。


 細く長く息を吐き、全てに蓋をして、何事もないようにする。口元から手を外せば、いつも通りの何の変哲もない顔が現れた。そのはずだ。
 とはいえ、俺はこれ以上、余計なハナシをするつもりはなかった。明確な答えを与えるつもりもない。
 だが、相手にとっても、ここまでで十分だったようだ。

「アナタは人に興味を持たない、違う、関わり合いになろうとしない。どこまでも自分が中心、自己中心的な捉え方をしている」

 手を下ろした俺とは逆に、今度は彼が口元に手をやっていた。俺との会話を糸口にして、絡まっていたものが解けていくように、彼の思考リカイが動き出している。

「そんなアナタから、私は理解を受けている。アナタの理解の中に私が存在している。排除されるべきだと言いながら、アナタはそうしない。矛盾を繰り返す……

 そこまで話して、彼ははたりと言葉を止める。答えに行き着いたとばかりに、ほろりはらりと破顔していく。
 そして、堪えきれない笑い声が高らかに上がった。

「アハ、アハハハハッ!! まさかアナタ、私に、自己投影するだなんて――! それも、アナタ自身を否定したくないからですか!」

 腹を抱えているのか、はたまた頭を抱えているのか、どちらとも言えない曖昧な体勢で彼は笑う。

「憧れという形でする人は今までもいました。しかし、自己弁護でする人はそういない!!」
「お前、嫌な奴だな」
「自己紹介ですかぁ?」

 俺の率直な感想にもたじろがず、なんならわざと嫌味っぽく、したり顔で言ってみせる。本当にとんだ男だ。

「考えたことありませんでしたね、こういった形での理解は。アナタのそれは、他者への理解とは真逆に位置するやり方だ。――アナタは自身を理解するついで他者を理解している」

 細かな笑いの吐息が言葉の合間に漏れている。そうしながらも、彼は喋りをやめない。

「面白いですね、ええ。そうだと分かったら、話は別です。アナタは私を理解しようとしているし、きっとそう思えるほどに近いものを抱えている。全く同じかは分からない、お互いの思考も感情も読めるものじゃないから」

 そう話しながら、耐えられないとばかりに、ゆっくりと口の端が持ち上がっていく。

「それでも、そう勘違いしてしまえるほどに、アナタは知っているんですね。経験した上で、私に、やめろと、そう言うんですね! 自分がそうだから!!」

 再び、ケタケタと笑い出す。コイツの笑い声だけがオフィスに響いていた。

「老婆心からですか。それとも羞恥心? 後悔? 何がアナタを今のカタチにさせたんでしょうね。ああ、知りたい!」

 楽しそうだな、なんて他人事のように俺は彼のことを眺める。

「本心、いえ、本性ではアナタも同じ。私と同じことをアナタも感じている。そうだとすれば……それなのに、こうも違うんですね。ええ、ええ……知りませんでした。分からなかった」

 彼の勢いが収まったかと思えば、今度は噛み締めるように呟く。もはや俺に話しているのか独り言なのかも曖昧だ。

「これがアナタの理解の仕方、アナタにとっての人を知る方法。だとすれば、理解されるというのも、なかなか気分がいいものですね」

 雲行きが、というか様子が怪しい。その声は徐々に熱を帯びていき、頬に赤みが差す。

「話せば話すほどに、私とアナタとの違いが浮き彫りになっていく。不思議だ――私を明かすほどに、アナタが露になっていく」

 改めて俺に向けられたのは、緩んだ眦と口元。その表情は――恍惚。

「分かり合うってキモチイイですね」
……はしたないな。慎みを持てよ」

 俺が少々呆れながら窘めれば、「ペンを折ったヒトが言うと説得力がありますネ」と言い返される。
 そこまで〝理解した〟のなら、もう用はないだろう。

 俺は作業に戻ろうと手を伸ばし、デスクに投げ出したクリップボードとペンを掴む。
 しかし、俺のその動きを遮るように、彼が俺の座っている椅子の肘掛けに手をかけた。ギシリと椅子が鳴く。
 彼は追い詰めるように、先程よりも近くから俺に問いかける。

「どうして我慢しているんですか。本当にやりたいことを堪えてまで、どうでもいい人達と足並みを揃えたりして」
……他人をどうでもいいと思える人間なんて世の中に殆どいない。俺もそういう人間だ」

 俺の答えを聞いて、フムと考えるように唇に指を当てる。それがまた様になっている様子は、自分の見せ方が分かっている人間のものだった。

「アナタって、外道とか畜生だとかって呼ばれたことでもあるんですか」
「自己紹介か?」
「否定はしませんよ。経験ありますから」

 そんなことはどうでもいいのだと、彼はまた距離を詰めてくる。
 こちらを覗きこむなんてもんじゃない。近い。コイツにパーソナルスペースはないのか。
 そうやって更に、彼の体重が俺の座っている椅子にかけられる。

「人って普通、自分や他人のことを人間だとは表現しない――主張しないんですよ。当然のことをイチイチ言う必要はないんだから」
……

 だとしたらなんだっていうんだ。それこそイチイチ言及してくる意図に、じろりと視線を向ける。
 人は普通、その程度の言動の端々を嗅ぎ取るようなこともしない。精々が変な言葉選びだと思われるくらいだ。
 やはりコイツは敢えてつつき回すのが好きなように見える。

「どうであれ、俺は誰がどう見たって人間だ。それが全てだろ」
「安心してください! 私からしてもアナタはちゃんと人ですよ」
「お前からのお墨付きで何の安心が得られるんだ」
「アア、すみません。図星でしたか」

 最後の距離すらも無くすかの如く、ぐいっとすぐ目の前にまで笑顔が近づいてきた。それを俺はクリップボードでガードしながら、腕で相手を押して目の前から退かす。
 その流れで、俺は椅子から立ち上がった。

「それで、どうして我慢しているのか、だったか。そんなのは至極、当たり前のことだ」

 ボードを退けた向こう側から、彼の顔が覗く。……ああ、〝当たり前を押し付けるな〟という目をしているな。先に〝当然〟を持ち出してきたのはお前だろうに。
 勿論、これも俺の主観から見た印象でしかない。だが、その認識の確認と訂正なんてことを常々する奴は普通いないものだ。
 だから、それでいいじゃないか。

「ヒトが懸命に被っている化けの皮を剥ぐなんて、カワイソウだろ」

 俺が人にそうしているように、お前もヒトにそうしてもらえると助かるんだがな。


 俺は掴んだばかりのクリップボードとペンを棚の上に改めて放り出し、取り替えるように自分の鞄を手に取った。椅子を元の位置に戻す。
 それから立ち尽くしたままの彼に目を向ける。

「満足したか」
「そうですね……では、アナタと同じということで」
「そうか。言葉を変える。満足しろ」
「なら、こちらも変えます。もっと知りたくなっちゃいました」

 変わらない笑顔に、俺は白けた目を向ける。
 コイツの悪癖コレのせいで、この会社の現状は蜂の巣をつついたようにというか、ミツバチの巣にスズメバチが紛れ込んだようなものになっているわけだ。
 しかし、ミツバチもスズメバチも蜂は蜂で、そして幸いにも俺達は蜂ではない。

 気づかず食われてしまえばお終いなのは同じだが、問題は食われる度合いだろう。
 この手の人間は災害と同じで、良くも悪くも周囲に影響を与え、そして何食わぬ顔で去っていく。
 一所に留めておこうと思ってもムリだし、いつまで居座るかも分からない。そういう者だ。

「本当に物好きな奴だな。そんなに人間が好きか?」
「アレ? アタシ、人間が好きだなんて言いましたっけ?」
「いや。俺が勝手にそうなんだと決めつけただけだ。それに、そうでもなきゃ、こういう絡み方を人にしないだろ」
「そうでしょうか。揶揄って遊ぶだけで、その下地には好意じゃなくて悪意があるかも」
「聞いてりゃ分かる。悪意がないから益々質が悪いんだ」

 そういう類の人間だ。この場合の『好き』が他の人間と同じであるかは別だが、悪いようにするつもりもない。結果、悪い様に転がるだけだ。それも至極当然の果てに。
 無邪気だからといって無害とは限らない。生きているだけで駆除される毛虫と同じ。害があるから悪とされてしまう。
 それが好意からくるものであろうと、そこに悪意があろうとなかろうと、傍から見れば同じだ。

「分かる、ね。まあそういうことにしておきましょう」

 含みがあるな。そう感じるも俺は言及せず、彼もそれ以上は深堀りしなかった。
 そして彼も俺に続いて帰り支度をしてみせる。
 俺は何も言わずにその場を離れ、デスクの間を縫ってオフィスの出入口へと向かう。後ろから彼がついてくる気配がして、それは俺のすぐ側にまで追いつくと、構わず話し出す。

「人って、過ちだらけで、愚かで、そこが可愛くて、愛しい。そう思いませんか。あまり共感されないんですけどね」
「そうか。俺もそうは思わない」
「アラ」
「個人に対してならともかく、人間という括りに対して思うことなんてない。そんなことを普通は考えない」
「嗚呼、成程。それはそうですね、ええ」

 意味ありげにほくそ笑んだ。そういう吐息が、こちらにまで伝わってきた。

「てっきり斜に構えてるのかと」
「喧嘩売ってるのか」
「イイエ、とんでもない!」

 俺が少し顔を向けてみせれば、彼はわざとらしく仕切り直して、話題を戻しにかかる。

「では、個人に対してなら思うことはあるんですね。枠組みでいえば家族や友人、恋人でしょうか」
「ああ。当然だろ」
「んフ……興味深いですね」

 気持ちの悪い含み笑いだ。
 それに俺ばかりが質問されて不均等さが目立つ。だから、俺からも問いを投げかけることにした。

「お前はヒトが愛しいと、そう言ったな」
「ええ。それが何か」

 彼はあっさりと頷く。が、目線からは粘着質的なものを感じさせてくる。その目が笑みの形で細められた。

「勿論アナタもその中に入ってますよ」
「それはどうだっていい」
「おっと手厳しい」

 俺が茶々入れするなと態度で制しても、彼はやはり気にする調子ではない。
 オフィスの出入り口に着き、俺は電灯のスイッチに指を置きながら、彼のほうに向き直った。

「その感情は言葉通りの枠に納まっているのか、それとも納めているつもりなのか。どちらなのかと思ってな」
……へえ?」

 つい先程までの軽い調子から一転し、先を促すようでいて、試すような目つきに晒される。

 俺は彼を見据えて、しかしその視線を遮るように、オフィスの電気を消した。通路の奥で光る非常灯の緑と消火栓ランプの赤の光が、ドアのガラス越しに俺達の足元へ差し込んでくる。
 暗がりの中でお互いの姿は朧げだった。その状態のまま、俺はハナシを続ける。

「俺の言葉において〝愛している〟というものは、画一的な感情に収めるためのものでしかないのだと。そう指摘されたことがある」

 世間一般の枠組みや大衆心理の範囲から漏れないように、本心や本来の欲求、執着を隠す為のものだと。

 俺はドアを開け、彼よりも一足先にオフィスから出た。

「お前はどうだ、カラスド」

 お前の言う『愛しい』は、本当はどんな形をしている。
 曖昧な輪郭に向けて、俺はそう問いかけた。――アイツは、なんと答えたんだっけか。




 あの男の雇用期間が終わり、いなくなってから暫く、会社は空中分解した。つまり、倒産。俺は無職になった。
 この結果がアイツのせいだとまでは言わないが、人間同士の結び目を解いていったのは確かだろう。小さな会社でそんなことをすれば瓦解する。現にそうなったわけだ。

 尤も、そうなった最大の原因は人の罪とそれに伴う感情にある。それを暴いただけの相手にどうこう言うつもりもない。
 しかし、そう言えるのも、俺が特段被害を被ったわけじゃないからに過ぎないのだろう。被った迷惑も、あの残業後に下衆な勘繰りの囁きがうざったかったくらいだ。あと現状もか。

 貯金もあるから焦るほどではないが、失業手当の申請やらなんやらの手続きに追われる羽目にもなった。面倒なことこの上ない。
 会社員という肩書を見事に剥がされてしまったわけだ。ここからまた組み立て直しとなると溜息も出る。
 つくづくアイツは人の皮を剝ぐのが上手いようだ。少しは哀れみの心を持ったほうがいいに違いない。

 ――そんなことを考えたせいで引き寄せたのだろうか。

 分からないことが好き。それなら、分かってしまえば飽きるということだ。
 一定のラインを超えて満足させてしまえば、消え失せるものだ。それこそ嵐のように。
 だから、とりあえずは満足したのだろうし、物足りなかったのだろう。言葉を変えたところで意味がなかったように。

「コンニチハ。お久しぶりですね、お元気そうで何より」

 職安から出てきたばかりの人間に、そんな言葉を掛けてくるとは。相変わらずのようだ。
 だが、あれから暫く経った今更、関わり合いになろうとしてくるだなんて。

 俺は一瞬、足を止めかけて、だが止まらずにそのまま歩くことにした。建物の出入口付近で立ち止まるわけにはいかない。
 そんな俺からの返事を待ち構えるように、ソイツは何も言わずとも俺についてきた。

 俺は建物の脇にある自販機の前まで来てから立ち止まり、その品揃えを眺めながら、横に向けて返事をする。

「偶然にしては世間も広いはずだがな」
「じゃあ運命ってコトにしときます?」
「気持ち悪いこと言うな」
「本当にそう思ってるんなら、表情くらい変えたらどうです」
「お前相手に作る理由がない」
「だからって愛想もなくしちゃうんですか~?」
「知らないのか、元から無いものは失くせない」

 俺は小銭を取り出して、自販機に投入する。俺が顔と視線を少しだけ相手に傾けて見せれば、相手はすんなりと察してみせた。
 彼は自販機のボタンを押し、音を立てて落ちてきた小さめのボトルを取り口から出しながら、「そういうコトじゃないんですけどね」とちょっとばかり不服そうに呟く。

「無職の人にタカるほど厚かましいつもりはありませんよ」
「これは視覚化された価値だ、お前のお喋りに対する時間のな」

 俺は続けて自分の分を購入する。それを横から覗いていた彼は、俺の手にある缶コーヒーを見て、「少な~」と空笑いをこぼした。
 それを横目に、俺は自販機の更に脇へと寄る。
 俺の隣に並ぶようにして、彼も側に来た。立ち話をしていても目立たず、風景の一部のように。
 ……やはりコイツ、できるのにやらないのだなと、一種の諦めが俺の中に生まれた。

 俺はプルタブを開封しながら、相手に話を振る。

「なんでここに居る。まさかお前も職探しか?」
「んフ、それも悪くはありませんが……ハッキリ言ってしまえばアナタを探していました。私はアナタの連絡先を知りませんし、唯一の手掛かりである勤め先もいつの間にやら立ち消えてしまっていて」

 彼は「いやはや」とばかりに困り顔を向けてくる。

「それで思ったんです。普通の人なら、失業した時には自身の生活圏にある公共職業安定所に行くでしょう?」
「ああ。それも次が決まるまで定期的にな」
「貴方のことです、最寄り駅も自宅に一番近い物から一つくらいズラしているでしょうけど、まずはそこからアタリをつけて後は虱潰しですよ」
「待て。まずなんで最寄りを知ってる」
「 ∩  ∩ 
   ワ  」

 笑顔で誤魔化そうとするな。唯一の手掛かり~なんて、どの口で言ってるんだ。
 ……まあいい。方法はどうであれ、遭遇してしまったことに変わりはない。
 俺は追及するのも面倒になって、さっさと本題に入らせることにする。

「で、何の用だ」
「久しぶりに会った相手と会話を楽しんだりとかする気は?」
「それだけか?」

 俺は缶の飲み口に口をつけながら、横目で彼の事を見た。彼は自分の分を開封する素振りすらみせずに、俺と視線を合わせる。

「訊きそびれていたな、と。――……面白いですか、その在り方は」

 淡々とした問いかけに、無駄な表情も声色も含まれていなかった。
 俺は徐に顔から飲み口を離し、口を開く。

「答えを求めていない問いを投げかけるな」

 彼と同じように、俺も淡々と言葉を突き返した。
 コイツの中で答えが決まっているのに、わざわざ俺の答えを聞く神経が分からない。だが、敢えて答えてやるとするなら……そうだな。

「言っておくが、さほど悪くもない。無害で無毒で居るのもな」
「何か良いことでも?」
「ああ、――お前ヒトが釣れた」

 俺がそう言って彼を見ていれば、徐々にその目を見開いて、それから瞬きをする。

「それは、確かに。悪くないですね」
「滅多にあることじゃないがな。しかも、厄介極まりない奴なのが困りものだ」

 それこそ悪くないものが見れたなと、そう思いながら、俺はまたコーヒーを口に含む。

「でも、好きですよね」
……随分と自信家なんだな」
「よく言われます」

 こうも堂々と言えるものなのか。その振る舞いと発言に舌を巻く。
 変なタイミングで話しかけられたせいで、口内に中途半端に水気が残っている。それを俺は重ねて飲み下した。
 そんな俺を笑うように、彼は悠々とその手元に持ったままだったボトルのキャップに指をかける。

「答えを求めていない問いだと先程のアナタは言いましたけど、それは少し違います」

 そう話す彼の手元で、音を立てて飲み口が開く。

「答え合わせをしに来たんです」
「断る」

 ……失敗した。即断したにしても発声のタイミングが早すぎた。
 言ったそばから自分でもそれを悟る。相手もそのようだった。

 しかし、俺の焦りを見逃すように、味合うように、彼は素知らぬ顔をして俺の横で飲み物を飲む。
 体感、じりじりと時が過ぎる。何も話すことはなく、相手が身動きする微かな音だけがあった。
 缶の中身をさっさと飲んでしまえば良かったのだと俺が気づいたのは、その空白が過ぎ去ってからだった。

 ボトルのキャップを閉めて、それから彼は口を開く。

「嫌ですか、ご自分を知られるのは。アナタはあんなにも私を理解していったというのに」
「変な言い方をするなよ。それにアレを理解したとは言わないだろ。合っているかなんて知りようもないんだから」

 俺が少しばかり嫌気を滲ませながら返しても、彼は「そうですね。一方的な所論は、理解とは真逆の位置にある」と平然として話した。
 そして、相手をそこへ引きずり込むような、鈍く光る目をして笑う。

「だから答え合わせをしませんか」
「しない。お前も俺も、真実を言う確証が互いにないだろう。結局は上辺だけの理解と疑惑が残るだけだ」
「なら、私の化けの皮も剥がせば宜しい」

 ……何を、言って

「アナタが納得できるまで、それこそ私の骨の髄まで暴けばいい。そうしなければ腑に落ちないというのなら、アナタはやるべきだ。私ならそうする」
――――

 それは……それは、それは、それは――それはダメだ。
 俺は目を閉じて、自分の視線を遮った。そしてゆっくりと開き、改めて相手を見る。

「お前ももう少し、人としての振る舞いを身に着けたらどうなんだ」

 先程の発言アレは俺の皮を剥がす為の言葉だ。ヒトの為の言葉アイに見せかけた、コイツの欲を満たす為のもの。
 受容という名の落とし穴だ。底に足を踏み入れるのは人であって、彼は其処そこるだけ。あるだけなら実害はないけれど、人がいる限り間違い事故が起こる。

「頑なですね。燃えてきます」
「お前が勝手にする分には構わん、好きにすればいい。だけど、こっちに延焼させようとしてくるなよ」
「アハッ。私に執着するヒトの気持ちが分かる気がしてきますね。素晴らしい」

 彼は「態度だけでなく言葉でハッキリ示されると気分が良い」と、その言葉通り機嫌が良さそうに喋った。

「身に付けろと言うのなら、アナタが私に教えてください。人に化ける楽しみ方を」

 俺は何も言わず、彼の顔をじっと見つめる。その間も彼は俺から目を逸らさない。
 俺の見る限り、ただの青年がそこには居た。……7、8。言い訳にするには十分な時間が経過する。

 俺は缶を呷り、中身を全て飲み干す。そうして空にした容器をぶら下げて、上を向いたまま溜息を吐いた。

「お前は何か勘違いをしているな」

 俺は目線を元の高さに戻し、空の入れ物に目をやる。

「思うほど楽しくはない。……だが、楽が出来るようになる」

 その場から俺は少し歩いて、自販機の横にあるゴミ箱へ缶を捨てた。そうしながら、ボヤくようにして彼に話しかけ続ける。

「どうせお前はやりたがらないだろうがな。何せ、面白くもない」
「アラ。決めつけは良くないですよ」

 どうだかな。
 俺は自分の携帯電話を取り出し、画面ロックを外してから彼に投げ渡す。唐突だったにも関わらず、彼は危なげなく片手で受け取ってみせた。
 代わりとばかりに彼のボトルが俺に投げ返される。すでに空になっていたそれを、俺はゴミ箱に入れた。

「それに俺は、お前に抑えろとまで言うつもりはない。俺も言うほど抑えているつもりがないからな」

 人は物を食べなければ生きていけないが、摂取する必要がなくとも食べる物がある。そうやって食べずとも生きていける物を食らうことが人の業だとすれば、俺達の欲求コレも同じものだ。
 そうすることこそ〝生〟であり、しかしながら、それが『害』になるから、社会通念上において『悪』とされる。

「ただし、俺をお前の面倒事に巻き込むなよ」

 なんの為にこの生き方在り方を選んでいるのか、その意味がなくなる。
 この手の人間と絡むと命が幾つあっても足らないし、俺は人だから当然一つしかないんだ。

 お互いの連絡先を交換し終わったのだろう、彼が両手に持った端末から顔を上げて、若干の呆れを滲ませて肩をすくめる。

「アナタって面倒くさがりですよね」
「ああ。だからこれも、ちょっと面倒だなとは思う」
「私はこういう面倒なのが大好きなんですけど」
「お前の性癖に付き合うつもりはない」
「でも、関わってくれるんですね」

 お前が関わりに来たんだろ、と言いたいところだ。しかし、今更取り繕う意義が感じられない。
 俺は自分の端末を受け取り、新しく追加された電話番号を眺める。

「人と関わるのは存外、楽しいからな」

 だからこそ、気をつけなければ。
 人と楽しむのと、人で愉しむのでは、ワケが変わるのだから。


 俺達は、傍から見れば同類だ。
 どれだけ理由や過程が違っても、結果が揃えば同じ、似たようなもの。それと同じように、思考や道筋が同じか、あるいは似通っていれば、幾ら〝答〟が違っても、同じもの扱いを受ける。

 俺とコイツはこんなにも違うのに、同じ〝人でなし〟だ。
 世間からすれば、そんなものだって理解している。……そのつもりだった。



 俺はゆっくりと目を開く。よく分からない施設の待合室で、身体の前で組んでいた腕を解いた。椅子に座ったまま敢えて行なっていた貧乏揺すりを止める。

……

 面倒だな。溜息が出そうになったのを噛み潰す。
 結果、深く息をしただけになり、それがまた得体の知れない施設の得体の知れない空気を吸った気になって嫌になる。

 俺は今から、あの男の弁護をしなければならないらしい。
 あれで人外扱いされるだなんて、たまったもんじゃないな。
 そして、気をつけなければ。アイツに釣られて、せっかく作った面の皮が剥がれないように。

 施設の人間に案内されて、俺は大人しくついていく。その内心じゃ、すでに帰りたくなっている。
 なぜ俺がしなければいけないんだ、こんなにもリスクが高いことを。
 だが、知人からの要請を無視したら〝人でなし〟になる。連絡があった時点で、俺は来ざるを得なくさせられた。だから来る羽目になっている。

 そんなことを考えながら辿りついたその先で。こんな状況であっても意に介さず、にこやかに笑ってみせる男に、溜息を超えて舌打ちを飛ばしそうになる。

「来てくれて嬉しいですよ、佐為原サイノハラさん」

 嗚呼、人に化けるのも楽じゃないな。