同居が始まって一週間が経った。
トガシとしては思った以上にうまく行っていると思えた。朝食はそれぞれが個別に。掃除はリビングと浴室を交代制にして、自室はそれぞれが。
夕飯は引き続きトガシが引き受けると言ったが、カバキはそれを断った。実際、カバキはほとんど外で食べてきているようだった。結果、分担制だったという洗濯と洗い物も自分たちでということになり、お互いに余計な干渉はせず適度な距離を保っている。こうなると一人暮らしとほとんど変わらなった。会話も必要最小限。特にそれで困ったり空気が悪いということもなく。トガシは大変快適だった。
――同居もいいもんだな
……。
どたばたとした日々が過ぎ、何もない休日の朝。ゆっくりとした朝を迎えたのは久しぶりな気がしながら、トガシはキッチンでコーヒーを淹れていた。
「あ、おはよう」
「おはようございます」
自室からカバキが出てきて、挨拶をする。休日のカバキは意外にも寝坊するらしい。時計をみると8時半だった。
カバキの視線がトガシの姿を上から下まで移動する。
「
……なんでパンイチなんです?」
「あぁ、さっきジョギングいってきたんだけど、シャワー浴びたら暑かったから
……」
「
……一人じゃないんで、ちゃんと服くらいきてくださいよ」
「え、ごめん
……」
男同士だからこんなことは気にされないと思ったのだが、世代差だろうか。たった4歳でも感覚は違うものだろうかとトガシは驚く。思ったよりカバキのほうが気を使っているのかもしれない、とトガシは少し気を付けようと思った。
「珈琲淹れてるけど、よかったら飲む?」
「
……いただきます」
朝食はお互いそれぞれ適当にしているが、平日はタイミングが合わないのでかぶることもない。
顔を洗ってきたカバキがTシャツを軽くたくしあげてお腹を掻きながらもどってきた。普段はきっちりしたイメージがあるが、家ではわりとリラックスした姿が見えて面白い。
そんなことを考えていたトガシは思わず「あっ」と声をあげた。
用意していた珈琲に無意識に牛乳をいれてしまったからだ。
「どうしたんですか?」
「いや、無意識に珈琲に牛乳いれちゃってさ
……ブラックで飲むつもりだったのに」
というよりも、ブラックしか飲まないのになぜ自分は無意識とはいえ牛乳を入れたのか。牛乳を冷蔵庫に戻しながら、あーあ、と溜息をつくと、カバキがキッチンにきた。
「それ、もらいます」
「え、いいの?」
トガシがカバキにマグカップを渡す。お揃いの形の紺色の方だった。
「はい。俺、牛乳入れて飲むんです」
そういったカバキは小さく微笑んだ。なんだか少し嬉しそうだった。
「あ、そうなんだ
……意外。もしかして、前も俺がいれてあげてた?記憶なくしてるとき」
「どうだったかな
……忘れました」
カバキは何もなかったかのように、リビングに戻っていく。
何かが引っ掛かる気がしたが、トガシは一つ首をかしげたあと、すぐに「まぁ、いいか」と気にしないことにした。お揃いの赤い方のマグカップに珈琲を注ぐと、「服」とカバキに言われたのでトガシは慌てて自室で着替えた。
「というわけで、トガシさんの再契約が決まりました」
「いやぁ、ほっとしました」
トガシは胸に手をおいて、あからさまに安心してみせた。
「去年の日陸はすごかったですからね。まさかあのあと記憶喪失になるとは思ってませんでしたよぉ」
「俺もですよ」
ははは、と人事と笑いあってトガシは部屋を出ると息をついた。
昨年、契約を失った時はどうするかと思ったが、怪我もあって再起できるかどうかも分からない自分に声をかけてもらえたのは素直にありがたかった。別に所属にこだわるつもりはないが、経済的に不安がないのは助かるのが、正直なところである。
「よぉ、トガシ」
「あ、海棠さん」
こんにちは、と声をかけるとスーツ姿の海棠が口元を緩めた。
「本社にきてたんだな」
「えぇ、声かけてもらって
……契約できました。色々
……本当にありがとうございます」
「俺は何もしちゃいねぇよ。礼なら樺木に言え」
サングラスに隠れて表情はわからないが、きっとこの人も自分のしらないところで何かしてくれたんだろうと思う。
「ま、無理すんな。怪我が再発したら元も子もないからな」
「はい
……」
トガシは後頭部を掻きながら少し頭をさげる。
「ところで
……樺木は大丈夫か?」
「カバキくんですか?別に
……何かありましたか?」
「いや
……変わってないならいいんだ」
またな、と言って海棠が去っていく。トガシはなんとなく気になって、思わず呼び止めた。
「あの
……俺が記憶失ってるときに、カバキくんと俺ってどんな感じでした?」
「知らねぇよ。自分に聞くんだな」
「はぁ
……」
トガシはわずかに首をかしげる。
「覚えてないから、聞いたんだけど
……」
今日は何を作ろうかと考えながら、トガシは本社を後にした。
思ったより早い時間にドアを開ける音が聞こえて、トガシは玄関の方向に顔を出した。
「あ、カバキくん、おかえり!早いね、ちょうどよかった」
「
……ただいまです」
カバキが匂いに気づいて視線を泳がせる。
「いい匂いですね」
「そうそう、ご飯作ってたんだけど、なんだか作りすぎちゃって。良かったら一緒に食べない?」
「
……いいですよ」
引っ越して2週間ちょっと。あまり生活タイミングが合わないのかカバキが夕食時に帰ってくることはなかった。
「珍しいね、早いの。スーツ着てるけど、今日は本社だったの?俺も行ってたんだけど」
「ちょっと
……用事あってタイミングがずれたんで」
カバキはそういうと、手を洗って一度自室に引っ込んでいく。トガシはその間にリビングのテーブルにご飯を二人分セットする。
「
……同居の時に揃えたのかな」
お茶碗などもお揃いだと今頃気づいた。普段一人でしか食べていなかったので気づかなかったな、とトガシはそれ以上は深く考えもせずに用意をする。
ラフな姿に着替えたカバキが戻ってくると、テーブルの上をじっとみた。
「ぶりの照り焼き、カバキくん、好き?」
「
……まぁ」
良かったと答えると、カバキがテーブルの浅葱色の飯碗がある方に座る。
ご飯、味噌汁、ほうれん草のお浸し、とぶりの照り焼きが本日の夕食だった。
「和食って感じだけど」
「
……好きですよ、和食」
「前は、俺が夕食担当だったんでしょ?一緒に食べてたんじゃないの?」
「
……日によって、ですよ」
「そうなんだ?」
なんとなく、トガシの記憶がない時期のことを聞くとカバキは歯切れが悪い。何か聞いても「今のトガシさんとそんなに変わりませんよ」としか言わない。リハビリと練習メニューについては詳しく教えてくれたが、普段の生活については大したことはしていない、としか教えてくれなかった。こんな感じで半年も生活していたのだろうか。自分の知るカバキと何か変わったようには思わないが、半年も一緒に暮らしていたのかと思うと少し不思議に思う。もう少し砕けた関係になっていてもよさそうなものだが、カバキは記憶を失う前の時とそんなに違いがない。むしろ少し距離さえ感じる。
「そうそう、今日ね。クサシノで再契約させてもらったんだ」
トガシはカバキの正面に座りながら話す。
「ほんとですか?」
視線をあげてカバキが驚いた声をあげた。なんだか久しぶりに顔をちゃんと見れた気がした。
「うん、声かけてくれて
……きっとカバキくんや海棠さんも口きいてくれたんでしょ?ありがとう。ほっとしたよ。あ、生活的にって意味ね」
走りのほうは安心してないけど、と言うとカバキは少し微笑んだ。
「何もしてませんよ
……でも、良かったです。また走りに集中できますね」
「まずは色々戻さないとね。カバキくんのおかげで、体の違和感もほとんどないし、ほんと感謝してるよ」
「
……本当に、良かったです
……じゃ、いただきます」
手を合わせてカバキが食べ始めるのを見て、トガシも手を合わせて食べ始めた。ぶりの照り焼きを一口食べてみる。なかなか美味しくできたとトガシは満足した。咀嚼しながらちらりとカバキを見る。同居してからご飯を食べてもらうのは初めてなので、心配になる。
「どう、口にあうかな?」
カバキはゆっくりとぶりの照り焼きを一口大にして、口に運んだ。
「おいし
……いです
……」
最初の三文字は思わず口をでたような声だったので、トガシは嬉しくなる。
「良かった。なんかあんまり作ったことなかったんだけど、適当にやってみたら美味しくなって
……」
トガシは思わず言葉を止めた。カバキの頬に涙が垂れたからだ。
「カバキくん
……?」
カバキは黙ったまま腕で乱暴に目元をぬぐうと、顔を俯かせたまま、大きな口をあけて白米とおかずを食べていく。
咀嚼する間にも、止まらない涙がカバキの顎を伝って落ちていく。
「
……何か、嫌なことでもあった?」
「
……なんでも、ないです
……」
また、カバキは腕で目元をぬぐってご飯を食べ続ける。何かあったに違いないと思うが、トガシはなんと声をかけていいかもわからないし、聞いていいかもわからない。
「えっと
……また、良かったら作るね
……」
カバキは鼻をすすりながら黙々と食べ続ける。トガシも黙って食べ続けた。
何か今日はショックな事があったのかもしれない。もう少し一緒に食べる機会を増やせたらいいな、となんとなくトガシは思った。
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こちらの⑦に、
コッコ様 がFAを書いてくださいました
…!
→コチラ (涙)是非見てください
…!!
泣きながら食べるカバキくんのシーン、嬉しすぎました。ありがとうございます
…!
ご飯はどんなときでも残しちゃいけないと思っているのでちゃんと食べるカバキくんです(えらい)。
次回予告『トガシさん、忘れないけど、俺もなかったことにします』
いちゃつきが足りない
…!ので次ページに③と④の間の番外編をのせました。よろしければ
…!(次の話につながるので6.5になりまする)。
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