mishiadd
2026-04-26 23:28:09
11797文字
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ツツジの花の咲く頃に

【現パロ/本編軸】GWなので今年もまた怖い宮本伊織が美味しい季節がやってきました(じっとり系ホラー風なんにも起こらないただ宮本伊織がいるだけの小咄集)【その他】


その参、『本人には内緒で錦絵を描かれる宮本伊織さん』



金持ちの道楽に付き合わされたんでさァ。俺みたいなうだつの上がらない、絵師なんて名乗るのも烏滸がましいような腕でも、連中にとってははした金みたいな金を払えば自分だけの錦絵を描いてもらえるってんで――まあ、互恵関係ってやつですわ。あっちは誰でもいいから絵の描ける人間が欲しい、俺は金が欲しい。

浅草に住んでる素人の浪人さんを描いてくれって話だった。親馬鹿な話でネ、旦那の若い娘さんが恋慕して、でも声も掛けられないってんで、せめて似姿が欲しいと言う。それで俺に声が掛かったんだが、そこまでのことだったらいっそ俺なんかじゃねェ著名な絵師に描いてもらっちゃどうなんだ、描かれる本人だってその方が嬉しいだろうって言ったら、娘が本人に知られるのは嫌だと言う。

本人に知られるのは嫌だ――って、一体どういう意味でィ、と訊いたんでさ。そしたら、「似姿を描いていることを本人に知られずに絵を完成させてほしい」って言うんだ。
随分無茶なことを言ってくれるだろう。じゃあ何かィ、この俺に覗きだかコソ泥みてェなことさせて、奴さんの周りをコソコソ嗅ぎまわって奴さんの絵を描けってェのかい、って訊いたら、あの野郎、恥ずかしげもなく「そうだ」って言うんでェ。……ま、それで銭渡されて話を呑んじまった俺も俺だがよ。

だからまあ、その日から毎日浅草の方に出掛けたよ。奴さんが住んでる長屋だけ教えてもらってたから、そのあたりうろついて「ああ、あの人か」って目星つけて。――ま、遠くから見てもすぐにわかるような、見るからに綺麗な顔立ちの色男だったわな。上背もあって、こう、すうっと背筋が伸びててよ。若いお嬢さんがいかにものぼせ上がりそうな、役者みてェな顔しててな。

腕はまずいが、俺だって絵描きの端くれだ。美人とか色男ってのは、描き甲斐がある。誰だってどうせ描くのなら綺麗なモンがいいだろう、それが富士の御山だろうが、千両役者だろうが、そこらへんの貧乏浪人だろうがよ。もとはと言えば気の進まねェ頼まれ事で、本人に隠れてコソコソ勝手に絵を描くなんざ反吐が出そうな仕事だったが、こうなってくると話は別だった。――毎日熱心に浅草に通って、奴さんがボロ長屋から出てくるところを狙って、後をつけて回ったサ。物陰からこっそり覗いて、紙に必死に奴さんの顔を描き写してな。正面にはなかなか回り込めねえから、横顔ばっかりが多かった。でもまあそれもよかったよ。こう、眉根の高いところから、すっと鼻筋が通ってたからな。それはそれで見栄えがしたサ。

そうやってつけ回しているうちによ、だんだん奴さんのこともわかってくる。――名は宮本伊織って言って、歳は二十くらいか。元々は播磨だか肥後だかに居たのが江戸まで流れてきたらしい。嘘だか本当だか、あの新免武蔵の弟子だなんて言うんだ。
普段は用心棒をしているみたいでよ、俺の見てる目の前で大立ち回りをすることもあった。……俺に剣術の良し悪しはわからねえが、あの様子じゃあ、あの剣聖の弟子だって話はきっと嘘じゃあないんだろう。

まあ、見事なモンだったよ。歌舞伎座で観る殺陣よりも、よっぽど早くて派手なのサ。最後に大技を決めた後の流し目がね、まるで役者が見得でも切るようでね。ありゃあまあ、男の俺でも見惚れるような、大層妙な色気があったねェ。



――描き甲斐はあったねェ。描いても描いても描き足りなかった。



昼間に奴さんを描き写した紙を見ながら、毎晩月明かりの下で錦絵の構図を練ってた。こんなに夢中になって何かを描いたことなんて、俺にはとんとなかったよ。正面、横顔、見返り姿――どれもしっくりこなかった。ぐりぐりと描きつけては、くしゃくしゃに丸めて捨てていた。それから、また紙を取り出して描いている。そんなことを延々と繰り返していた。

なんでだろうねェ。いくら表面を真似たとて、どうにもこうにも似なかった――いつも何かが足りなかった。奴さんを奴さんたらしめる何かを、俺は描き損ねていた。を捉えきれていなかった。画竜点睛を欠く、ってのはまさにこのことなんだろうと思ったね。
見れば見る程整った綺麗なツラをしていたよ。だが見ているうちにだんだんわからなくなった。木陰からだの建物の物陰からだのとはいえ、本物を目の前にして、この目で見ながら紙に描きつけてるってのに、描けば描く程どんどん姿かたちを見失っていった。

あるとき、仕事の内容についてはなんにも伝えていない女房に言われたよ。「おまえさん、百鬼夜行の絵でも頼まれたのか」、ってね。――それで、目の前の描き殴りを改めて見下ろして気付いたよ。……あの穏やかな菩薩のような顔をした奴さんには似ても似つかない、表情の歪み切って鋭い牙をむいた、まるでのような顔をした似姿がそこにあった。



こりゃあダメだ、完全に行き詰っちまった。



随分久しぶりに筆を煙管きせるに持ち替えて、ふらふらと表に出たよ。気分転換でもしようと思って散歩に出た筈だったんだが、気付けば俺は浅草にいた。俺の脚がすっかり道筋を覚えちまったらしくて、無意識のうちに日課のように足を運んじまったようだった。

とはいえ、いくらなんでも今日ばかりは件の長屋には行くつもりはなかったさ。大通りをぶらぶら歩いて、いつもは奴さんを追い掛けるのに必死で素通りしちまう屋台なんかを覗いては、天ぷらだの鰻だのを適当に買って食らいついた。腹もくちくなったところで、ふわっと甘い香りが鼻先をくすぐるのに気付いた。食い物の匂いじゃねえ。瑞々しくて芳しいような、甘い花の香りだった。……そんで、ふと思ったさ。そういや、奴さんが物陰に隠れている俺の傍を通り過ぎるとき、いつもこの香りがしてたってな。

慌てて周囲を見回したが、奴さんの姿はねえ。あるいは気のせいだったか――そわそわとあたりを見渡して、それで通り沿いに小さな生垣があるのに気付いた。毒々しいような赤紫色の、大振りのツツジの花が咲いててよ。その匂いが、風に吹かれて俺のところまで飛んできてたんだ。
ああ、奴さんのあの香りはツツジの香りだったのか……と思いながら、いざツツジの生垣に鼻先突っ込んでみても、なんの匂いもしねえ。そこにあるのにそこにない。姿かたちは確かにこの目に見えているのに、そしてその香りはそこに確かにあったのに、こうして目の前に立ってみれば、その正体を一向に掴めねェでいる。なんだか奴さんそっくりだと思っちまってねえ。

本人の似姿はいまだに満足いくモンが描けねえが、背景にはツツジの花を添えるのもいいかと思いながら、ふらふら団子屋の軒先に腰掛けたんだよ。



――ふ、っと隣を見たら、奴さんが座っていた。



え、と一瞬背筋が凍ったサ。なにせ、その時はなんの匂いもしなかった。なんの音も気配もなく、奴さんがそこにいたんだ。

ばくばく逸る心の臓を何とか手で押さえつけながら、落ち着け、落ち着け、って己に言い聞かせたね。――奴さんは、俺のことなんざなんも知らねえ。すべては偶然で、こいつがたまたま近所の団子屋まで出てきたのを、俺の方が勝手にかち合っちまっただけなんだってね。
なァに、突然会う筈もない相手に会っちまったから驚いただけだ。俺が勝手に意識しちまってるだけだ。……そんなことより、こんなに至近距離で奴さんを観察する機会もなかなかないってもんだ。ここでしっかり目に焼き付けておかなけりゃ、絵師を名乗るのも嘘だろう。

出された茶を啜りながら、ちらちらと横目で隣に座る奴さんを盗み見たさ。……つるりとした綺麗な肌をしてさ、目尻なんざしゅっと切れ長で、真っすぐ前を見る瞳が碧く澄んでいて、近くで見れば見る程綺麗な男だった。
思わず懐に手を伸ばして筆を取ろうとしたが、代わりに煙管しか見つからなかった。そういえばそうだったと思って、諦めてそいつを口に咥えたね。火打石を探そうとしたら、すっと横から手が伸びてきて火種を貸してくれた。奴さんだった。

……ああ、すんません」

大層驚いたが、なんとか平気な調子を取り繕って煙管に火をつけて咥え直した。そうしたら、奴さんも自分の煙管を取り出して火をつけて口に咥えた。唇が妙に艶めかしくて、なんだか――歳に似合わない、妙に成熟した、未亡人だか男やもめだかの妙な色気を感じたね。
しばらくそうやって、二人で並んで煙管を吸っていた。そうしたらようやく団子が運ばれてきたんで、俺の方は煙管を置いてそっちに持ち替えたんだが、奴さんは団子をほったらかしにしたまま、静かに煙管を吸ってたよ。

俺に魔が差したんだろうな。あるいは、妙に大胆な気分になっちまった。よせばいいのに、「喰わねえのかい」なんて尋ねちまったんだ。そうしたら、「――ああ」って、奴さんが煙管を指で遊ばせながら言ったんだ。

「これは……俺の分ではない。お供え物、のようなものだ」
お供え物?」

団子の串を楊枝代わりにしながら尋ね返したら、奴さんがクスリと笑った。切れ長の眦が細くなってな、男の俺でもどきりとした。

「うん。――昔、これがとても好きだった友人がいたのだ」
……死んだのか」
「死んだ――

くすり、とまた奴さんが笑う。「そうさなあ」と煙管をくゆらせて言った。

「かもな。……そうだな。そう言うのが正しいのかもしれん。――であれば、化けて出るのも道理か
「あん?」
「いや」

そんで、奴さんが俺を正面から見た。菩薩みたいにつるりと整った、静謐で穏やかな顔で言ったよ。

「それで。……絵は描けたのか?」
――え」

串を咥えたまま、俺は凍り付いたね。――気付かれているつもりは、まったくなかった。

奴さんの目が――真っすぐに俺を見ていた。冷たい夜空にぽっかりと浮かぶ、煌々と凍てついた満月みたいな両の瞳が、真っすぐに俺を射貫いていた。

俺は、構わん、どうでもいいと言ったのだが……俺の友人が気に喰わないらしくてな。もし描き終えたのなら、もうここには来ない方がいい」
「う――あ」
「俺を置いていったくせにこういうところだけ主張の激しいのは、人としてどうかと俺も思うのだが」

ぽっかりと浮かんだ純白の満月が、俺の魂を灼くみたいだった。縫い留められたみたいに目を離せないでいるのをなんとか無理やり引っぺがして、それからちらりとなんとなく奴さんの座っている腰あたりを見たんだ。――奴さんの袴と、腰掛けについてる腕の袖の合間にな、まあるい火の玉みたいなのが二つ、爛々と光っていた。



そいつは、目玉だったよ。暗闇で光る狼の瞳みたいな、夕焼け色をしたふたつの目玉だった。



「ひっ」と俺が悲鳴を上げたことに気付いて、奴さんがそっと袖を引いた。そんで、その目玉も隠れちまった。それっきりだった。

あの、煌々と光る瞳の――ぽっかりと静かな満月の浮いた、澄んだ夜空の瞳で、奴さんが俺を見てもう一度言った。

「もうここには来ない方がいい。多分それが、貴殿のためだと思う」
「う――ん」
「では」

そう言って、奴さんが手つかずだった団子を片手に席を立った。そのまま、すらっとした背中が人混みの中に消えるのを、俺はただ呆けて見ていたよ。



家に帰ってから、狂ったように描き続けたよ。三日三晩、寝ずに描き続けた。心配した女房が何度か止めたが、俺があんまりにも鬼気迫っていたモンで、結局最後には声を掛けるのもやめたって後から言っていた。俺は覚えていない。

仕上がった錦絵は、俺の絵師としての最高傑作だと言えたね。断言できるが、後にも先にもこの俺にあの絵以上のモンは描けねェ。実際、描いてた間の記憶がねェ。神憑ってたんだろうよ。
奴さんの顔はようやく納得いくモンが描けた。依頼主の娘さんに見せたら、「この目だ、この目だ」って言うんだよ。……ああ、あの目だろうよ。俺の寿命を半分持っていっちまったような、あの禍々しいようで神々しいような、あの満月の目さ。あの目に射貫かれたときに寿命の半分、その目を描いて更に半分。罰当たりなことをしたからだろうよ、俺はきっと持っていかれた

大喜びの娘さんに気を良くした依頼主が、更に銭を弾んでくれてね。それでようやく踏ん切りがついた――と俺が安堵したときに、娘さんが尋ねるんだ。「これはなに?」ってね。……似姿の奴さんの腰のあたりにぽっかり浮かんでる、ふたつの火の玉さ。

知らないね。俺が聞きてェところだよ。――ただ、絵の中に奴さんの魂まで籠めるんならそこにはそれがなきゃいけなかった。そうしなければ、祟られるのは俺だったのかもしれないし――あるいは、紙の中に閉じ込めちまったを抑えるのに、それが必要だったのかもしれないし――実際のところはわからんよ。俺はただ、その絵を描かされたんだから。

何はともあれ、依頼主は満足して、俺は自分の絵師としての生涯の中で、一番の高値でその絵を売った。それで終いだった。



――今? 今は俺は鳶職の見習いをしているよ。もう絵師は辞めたんだ。あんなモン描いちまったんだ、もう絵師なんてとてもじゃないが続けられねェ。言ったろう、持っていかれたんだ。それが俺の絵師としての寿命だけだったんならめっけもんだよ。こうしてまだ生きてるだけありがてェってモンだ。

浅草にはあれ以来二度と足を踏み入れていないよ。まだ俺自身になにも起こっていないんだからあの絵の出来自体には満足してもらえたんだろう。だったらもう、二度と関わらないのが身のためってもんだよ。くわばら、くわばら。






その参、『本人には内緒で錦絵を描かれる宮本伊織さん』・了



ツツジの花の咲く頃に・了