無窓居室
2026-04-20 03:35:41
6018文字
Public Pixv投稿企画
 

夢(Pixv執筆応援プロジェクト4月)

前編捏造。若くして病死した👹の母親の話とか出てきます。
ある種の死にネタなのでなんでも許せる方のみご覧ください。



 薔薇色に暮れていく夕焼けの下で、アカネはブラックと並んで家路を歩いていた。春の終わりの夕べの風は、甘い温もりを含んで二人の間を吹き抜ける。
 手を繋ぐことも腕を絡ませることもなく、しかし二人の心がこれ以上なく近く寄り添っていることをアカネは感じていた。気のおけない友達同士のやり取りをしていたのか、同じYouTuberとして自分の動画を褒めてもらえたのか、もしかしたら年頃の男女の……ということはまず無いだろう、そんな事があったら自分は夢物語かと訝しんで、今のような幸せな気持ちにはなれないだろうから……
 そこまで考えて、ようやくアカネはこれが何の帰り道なのか思い出せないことに気付いた。どうしてブラックと二人きりでいるのかも。
 そこはかとない不安を浮かべて見つめたアカネに、ブラックは穏やかな表情で語りかけた。

「日が沈むと少し冷えますね、寒くないですか?」
「平気だよ、アタシは強いから!」

 ブラックの口から出た憂慮が他愛ないことだったので、アカネは安心して胸を張る。思考と思考との間がうまく繋がらないことに思い至れない。脳裏に浮かびそうな疑問はブラックの巧妙な微笑みにあやされて、再び意識の奥へと沈んだ。

「ええ、アカネさんはお強いです。それにとても優しい。きっとご両親に恵まれたのでしょうね。お父様にはお会いしたことがありますが……
「母さんは短命だった。鬼としてはだけど」

 俯いたアカネが答える。幼い子どものような口ぶりだった。

「若い頃は元気だったのに、病気になってからすぐだったって。アタシを産んだせいかもしれない。……だから父さんはアタシにきついのかな」

 そこまで言って口をつぐんだ。余計な話をしてしまったと思った。しかしブラックは沈黙を守って、さりげなく肩を寄せたままでいる。先を促してくれていることが顔を見なくても分かった。懐かしい気分だった。遠い昔、母の手に抱かれて眠りに落ちる瞬間はこんな感じだったのかもしれない。

……ううん、本当はそんなこと思ってない。父さんはいつもアタシを心配してくれてた。母さんのときみたいにアタシに何か起きるんじゃないかって。万が一のことがあるかもしれないから地獄から出るなって。アタシ、父さんを安心させたくて体を鍛え始めたんだ。アタシは強いって分かって欲しくて。どこへ行ってもやっていけるって。……なのに」

 優しい靄に包まれているような感覚に誘われて、言葉にせずにきたことが次々に口をつく。泣き出してしまっていないことに安心した。その代わりのように、生涯言うまいと思っていたはずのことが溢れ落ちていく。涙の気配をまとって。

「お母様のご病気はアカネさんのせいではありません」

 口ごもったアカネと入れ替わりに、ブラックが静かに語り出す。

「一部の鬼の女性に特有の、遺伝性のものであることがもうじき分かります」

 アカネは首を傾げた。遺伝性であることが分かった、というならともかく、もうじき分かる、とはどういうことだろうか。先ほどから感じているぼんやりとした違和感が、像を結びそうで結ばない。

「お母様がこの世に生を受けたときから運命は決まっていたのです。ご自分を責めないで下さい」

 何の証拠も見ないまま、アカネはブラックの語ることを全面的に信じた。心の安らぎと共にアカネが当然予想した事実を、ブラックは端的に告げる。

「お母様の血を引いているアカネさんもまた」
「そっか……

 自分は間もなく死ぬのか、と理解してもあまり恐怖は無かった。ただ寂寞とした心細さがあった。
 どういうつもりなのかブラックが手を繋いでくる。死ぬときには側に居て欲しいと思い握り返した指を、次の瞬間には死に際を見せて悲しませたくないと振り解く。しかし悪魔が自分の死を悲しんだりするだろうか?もしかしたら珍しい症例を撮影したがってこんなことを言うのかもしれない。幾度か考え直して逡巡しているうちに、ブラックの方から繋ぎ直された手を強く引き寄せられた。
 耳元に何か囁かれる。それはとても真摯な言葉だったのかもしれないし、軽薄な冗談だったのかもしれない。アカネにはどうしても思い出せない。そして、なぜ思い出そうとしているのかも曖昧になっていく。

 気づけばアカネは遠ざかっていく黒い背中を見送っていた。あれは誰だろう?つい今しがたまで一緒に居た気がするのに分からない。知らないはずがないのに思い出せないのだ。
 散りゆく薔薇の花弁のように夕日が最後の光を失う。深く澄んだ青に染まりつつある空の上へ、見えない階段を歩くのに似た足取りでその人物は天に向かって昇っていく。
 アカネは遠ざかる背中に真珠色の翼が現れ、黒かった全身を次第に白く輝かせるのを見た。蛹さなぎが繭の中で別の蝶に食い破られながら羽化していくのを眺める思いだった。
 やがて髪の毛の最後の一筋まで白に成り果てた天使が、振り向いて静かに会釈した。アカネがそれを忘れる頃には、目の前には星々のまたたきに飾られた夜空だけが広がっていた。


 翌朝、アカネは久し振りに清々しい気分で目を覚ました。休んでいた日課のトレーニングも全てこなしたし、プロテインとハムとソーセージの朝食もちゃんと取ることができた。
 人間界は木々の緑が輝く季節を迎えている。青鬼ちゃんと一緒に公園で撮影の準備をしているうちに、相棒のさとしがやって来た。アカネの姿を見ると嬉しそうに駆け寄って来る。

「おはよ!アカネちゃん、元気になったんだね。でも無理しちゃダメだよ」
「大丈夫だって、アタシは強いから!今日からまたバリバリ撮るぞ!!」

 鬼の霍乱、というやつだろうか。このところアカネは珍しく体調を崩して、風邪とは違うだるさと微熱が続いていた。撮影のスケジュールは狂うし、青鬼ちゃんやさとしには心配を掛けてしまうし、医者嫌いのアカネもさすがに魔界の病院へ行くべきかと覚悟していたのだが、そうこうしているうちに治ってしまったようだ。

 良い朝だった。何もかも上手く行っている。
 なのに、何かが足りない気がするのは何故だろう。

 当てもなく空を見上げようとして、さとしも何かを探すような表情をしていることに気が付いた。目が合えば撮影のときにはいつも生き生きとしていたはずの顔で力なく笑う。

「ごめん、何か変な感じなんだ。寂しいような、悲しいような……どうしても思い出したい大事なことを、どうしても思い出せないような……
「変じゃない、アタシも同じだよ……どうしちゃったんだろうな」

 アカネは傍の青鬼ちゃんを見た。やはり肩と視線を落とし、やっとのことでカメラを抱えているようだ。最高の助手に心許せる相棒。友人のバニラちゃんとモモとマゼンタ。自分とさとしのファンだというタローとその弟レオ。さとしのゲーム仲間のアッシュとパープル。何かにつけて突っかかってくる栗矢なんとかとその仲間達。ブランク、マネ美……

 他に、誰かいなかっただろうか?皆アカネの大事な日常の一部だけれども、同時にかけがえないものが欠けている気がする。しかし、それを考えるのが無駄なことも直感的に分かっていた。もう二度と、戻りはしないものなのだと。
 
「さて、始めようか!」
 
 助手と相棒の頭を、乱暴にかき混ぜて発破をかける。立ち止まることはアカネにはできなかった。心に空いた穴が掻き立てるどうしようもない痛みが、今はアカネに一心不乱に動画を撮らせるのだった。