青い空を一直線に割いた飛行機が、頭の上を行き過ぎ、ゆったりと弧を描いて格納庫に向かって降りていく。
それを見ながら、「ああ、描きたいな」と思った。あいにく両手はバトルジャケットの操作でふさがっているので無理だったが。
外の見える入り口を離れ、奥の荷を運びに行く。
レッドリボン軍の倉庫である。
ずっと昔から絵を描くのが好きだったし、できることなら毎日一日中描いていたかった。が、そんな生き方が自分にできるとは思えない。しかも今日も明日もとにかく食っていかなくてはならない。その方法は人によるだろうが、俺はやや後ろ暗いとわかりながらレッドリボン軍に入隊した。
「
——番! A28から55のパレット、5番倉庫まで運んどいてくれ!」
「はーい!」
大声で返事をして、方向を転換し、パレットが積みあがったエリアに向かう。周囲は活気があり、各々元気よく会話しながら仕事をしている。
やや後ろ暗い、ということをみんながどのくらい認識しているのかはわからないが、職場の雰囲気はいい。仲がよくて、自然と会話が活発で、ちょっと珍しいくらい働きやすい現場だった。
「おーい、バトルジャケット通るぞ、そこどいてくれ!」
声をかけると、
「おっ、悪い悪い」
などと軽い口調ですぐのいてくれる。ついでに、
「お前はどっち派?」
と効かれたので、俺はいったんアクセルから足を離した。
「どっちって、なんの話?」
「決まってるだろ! ガンマさんだよ!」
セクシーかキュートかみたいな話かと思ったら、違ったらしい。進行方向で会話に夢中になっていた一団が話していたのは、最近配備されたという人造人間、ガンマ1号と2号についての話題だったようだ。
「俺は1号さん派だ。クールで無口なのがかっこいい」
「俺は断然2号さんだな。親しみやすいけど締めるとこは締めてくれるのがいい!」
「で、お前は?」
1号派と2号派でチームでも組んでいるのか、何やらきらきらした眼で訊かれる。俺はちょっとだけ考えて、
「2号さんかな」
と答えた。歓迎の歓声と、不満の声が半々で聞こえた。勢力図はほぼ拮抗しているようだ。
とはいえじゃれあいのようなもので、本気で競っているとかそういう雰囲気でもない。こういう話題が出るだけに、みんな憧れているのだろう。
ガンマ1号と2号は、古いヒーロー作品を模して造られているらしく、正直とにかくかっこよかった。双子のように似ているが、性格は真反対と言っていい。クールな1号と、お茶目な2号。性格も、バランスがとれていた。
1号派は憧れたい奴らなのかなと思う。無口でとっつきにくい1号は、超然とした存在に見えて畏怖の念が湧く。一緒に働くとなると、自分としてはちょっと怖いような気がした。自分と関わることを考えると、2号の方が感情の機微のわかる親しみやすいヒーローという感じがする。
と、整理した2号推しの理由を口に出す前に、後ろから大声が聞こえた。
「お前らー! サボってないで作業進めろ!」
「やべ、上官だ」
「散れ散れ!」
笑いながら蜘蛛の子を散らしたように各々の仕事に戻る。職場の人間関係は良好、不満はない。
我らこそはこの世の中心、世界でもっとも美しい者といわんばかりに、たんぽぽが二輪、咲いている。しゃんと背を伸ばして、根元の葉をぐっと広げて、花弁は柔らかくみずみずしく、鮮やか。それを凝視する俺の膝で、クロッキー帳にすべらせた鉛筆が、さあっ、さあっと音を立てている。
基地の屋外エリアの植え込み、ちゃんと人の手で植えてある樹の根元にも、雑草はかまわず生えてくる。でもそれらは清掃の時に誰かに抜かれてしまったりするから、うっかり目を離すと明日には消えているかもしれなかった。だから、描く。
時々、むしょうに絵が描きたくなる。手放せずに持っている小さなクロッキー帳と鉛筆を隊服のでかいポケットに忍ばせて持ち歩き、俺はたまにそこらへんの草花をスケッチすることがあった。
別に、その絵をどうこうするつもりはない。ただ、衝動の赴くままに描くだけである。鉛筆を傾けて、誇らしく伸びた茎の外郭線を引く。その茎に細かな産毛のようなものが生えているのをみとめ、それを描くためにぐっと顔を寄せる。
その時、急に暗くなった。集中していた俺は、花の周辺に大きな人影がかかったのだと気づくのに、少し時間を要してしまった。顔を上げる。逆光の人物に目を細め、すぐにそれが誰だか気づいて硬直した。
ガンマ1号だった。
「
……あっ、すまない。邪魔だっただろうか?」
そう言ってすぐに避け、1号は花に影がかからない位置に移動する。
俺は突然のことにあわててしどろもどろになってしまった。
「あ、あのその、全然、大丈夫です、申し訳ありません」
「なぜ謝るんだ。あなたのシフトでは今は休憩時間だろう」
頭の横に手を当てて視線をずらしつつそう言う。データベースにアクセスしてシフトを確認したらしい。
すべての兵士のシフトや顔、あるいはナンバーを把握しているのだろうか。気遣ってくれたのにすこし気味がわるくなる。やはり、人ではないのだ。
その大きな目が
……アイカメラか? それが、自分のクロッキー帳をじっと見た。
なんとなく後ろめたくて、隠したいような、隠してはいけないような気持ちで、俺は居心地の悪い一瞬を過ごすことになった。
「写真では、だめなのか?」
一瞬何を訊かれたのかわからなくて、うまく答えられなかった。写真?
答えに窮する俺を見て怖がらせたと思ったらしい1号が、慌てて弁解めいたことを言いながら両手を振った。
「あ、いや、済まない。とがめているのではない、不思議に思って
……」
俺はそれでも答えに窮していた。絵を描くことを、写真を撮るのではだめなのかと訊かれている
……。
当然、写真じゃ意味がない。全然違う。それだけは間違いない。だが、それを説明するとなると、言葉にしようがなかった。
なぜ絵を描くのか。姿を残すならスマホで撮ればいい。でもそうじゃなくて。姿を残したいんじゃなくて、いや姿も残したいけど、写真では全然違って、でも、それをどう言えばいいのかわからない。
なにかものすごく根本的な、そうじゃないと思ってもすぐに言葉にできないほど根本的な「違う」で、「写真じゃだめなんです」という言葉すらすぐには出てこなかった。
きょとんとしてしまったガンマ1号の肩が、急にぐらりと傾いだ。
「わかってないなあ~1号は。なあ?」
後半のなあは自分に向かって投げかけられる。急にガンマ1号の肩に寄りかかりながら現れたのは、ガンマ2号だった
「何がだ」
1号はそう言いながらすっと横にずれて、寄りかかられた肩をはらう。2号はつんのめったが、「おっと」と言いながら体制を立て直し、まっすぐ背筋を伸ばして懲りずに両手を自分の腰にあてた。
「情緒ってやつだ」
「情緒
……?」
ガンマ1号は、本気でわかっていない顔で考え込んでしまった。その目が
……アイカメラかな
……もう一度クロッキー帳に向く。俺は隠したい気持ちをなんとかおさえた。1号がクロッキー帳を見ながら、滑るように言葉を出していく。
「非常に繊細に、見た通り描写されているが、それなら写真で撮ればいいのではないのだろうか? たとえば、花弁の枚数や折れ方は本物とまったく同じというわけではないようだ。
……違うのか」
俺と2号さんの反応を見てさすがに根本的に違うと察したらしく、1号が眉尻を下げる。
……眉尻かなこれ。
彼としては本当に悪気はなく、ただただ不思議なようだ
2号が、フウとわざとらしく息を吐きながら、懲りずに1号の肩に肘を乗せる。ごていねいに、足元はクロスしてポージングをキメていた。
「だからさ、それ、目的が違うんだよ。情報を保存したいんじゃなくて、感動とか、なんかいいなあって感じの、感情を保存したいんじゃない? ちがうかい」
訊かれて、とまどった。
かなりいいところをついている気もするが、そうですと言うとなんだかそれも完璧に当たりではない気がした。たぶんそれもあるし、でもそうじゃない何かもある。俺は言葉に窮したまま、首をひねった。
「なんというか、その、わからないです。描きたいって衝動があるだけで、俺は
……難しいことは何も
……」
結局しどろもどろである。
なぜ描きたいのか、なんでこんな衝動があるのか、何もわからない。ただ、昔からそうだっただけだ。
「我々の正義への衝動のようなものか?」
1号が尋ねてきた。寄りかかった2号の肘から自分の肩を引き抜き、またよろけて転びかける2号を丁寧に無視している。正義への衝動は本気でわかんないので俺は首をかしげるしかない。
「ごめんねえ」
戸惑う雰囲気を察したのか、驚異的な速さで体制を立て直した2号が1号を引っ張って去っていく。謎の会話だったが、去っていく後ろ姿を見ながら俺は自分がちょっとこの二人を羨ましがっていることに気付いた。
仲のいい兄弟と言う感じだ。当然片割れのことをわかっていて、片割れの事を自分の事のように謝ったり、雑に扱ったり、それでいて愛情や信頼のようなものが見えたり。一人っ子の自分にはまぶしい。羨ましさと、輝きへの戸惑いと、憧れと、怖さがないまぜになっている。
そういえば、初めて近くでガンマさんたちを見て、話した、とその時ようやく思った。
緊張したなあと思ったところで、幼いころのことをふと思い出した。
ヒーローショーのあとに開催された握手会に参加した時、ヒーローを目の前にしてその迫力にあてられた俺は大号泣してしまい、母を大いに困らせた。遠くで憧れを語る時は隣に立って戦う妄想すらするくせに、近くで見たヒーローは大きくて、分厚くて、ぴかぴかしていて、その迫力が気弱な自分にはこわかった。
でも、本能的な怖いという感覚とは別に、寄り添ってくれようとしているやさしさも感じてはいた。せっかく握手会に来た俺を一生懸命楽しませようと、せめて握手してやろうと、ヒーローはがんばってくれていたのだと思う。
考えながら、やっぱり2号が好きだなと思った。1号は「衝動」を共有できない。かわいげはあるが、そこがちょっと不気味に思えた。その点2号はこちらに明るく寄り添おうとしてくれている感じが分かりやすい。
それでも、あとで誰かにこの話をするときには、こわさより不気味さより憧れが勝っているのだろう。大泣きしたくせに翌日にはヒーローショーに行ったことを友達に興奮気味に話した、あの幼い日のように。
*
ある日、本当に隣に立って戦うなどどだい無理なほど、彼らは信じられない強さだったと知った。
そしてその日、めちゃくちゃな戦いの中、とても勝てるはずのないオレンジの化け物に向かって銃を乱射しながら、俺はガンマさんたちと自分の間にある強烈な溝に気付いた。オレンジの化け物の、あの迫力を前にして殴りかかっていった2号さんはすごいと思いながら、銃を投げ捨てて逃げた。みじめで、愚かだった。どこかでわかっていたはずだが、それでも別のどこかで、ガンマさんの役に立てる、隣に立って戦えるような妄想が、まだ生きていたのだ。そんな淡い幻は、跡形もなく打ち砕かれた。
めちゃくちゃに逃げている最中、トラックに乗って逃げる兵士を見つけ、みんなで荷台に飛び乗って一緒に逃げた。だいぶ遠くまで逃げた時、あのセルマックスの頭のようなものが見え、恐ろしい戦闘の光と遠い音が聞こえた。みんな耳をふさいで、ガタガタ震えながら荷台にうずくまっていた。
「
……ガンマさんがどうにかしてくれる」
誰かが祈るように言った。
「ほんとにそう思うか?」
誰かがそう返した。
「
……」
「
……」
「でも、俺もそう思いたいな」
誰かがぽつりとこぼした。
「なんだったんだろう、俺たちが働いていたところって」
別の誰かがつぶやく。
「幻覚だ」
俺は急に、断定的にそう言った。
「全部夢だった」
空虚に響く俺の声に対して、反対するものも賛成する者もいなかった。ただ、全員うつむいていた。
だいぶ走ったところで、それぞれ故郷や知り合いのいる町の近くで、てんでにトラックを降りた。
その後、誰とも連絡をとらなかった。
俺は東の都に降りた。
もう身寄りはないので、行くところはない。2週間くらいは、持っていた装備や時計を売ってしのいだ。クロッキー帳と鉛筆だけは手放せずにずっとポケットに入れていた。
金が尽きかけたある日、とにかく何かしなくちゃそのうち飢えて死んでしまうとふと店先を見て、鍵の付いたままのバイクを見つけた。それに乗ってどこまでも走っていく妄想に取りつかれ、バイクのハンドルに手をかけた。
盗んで生きればいい。
多分、レッドリボン軍は規模が大きく巧妙なだけで、そういう組織だった。
急に、ガンマが色あせて思えた。
何も知らない、絵を描きたいという衝動を理解することもできない、でも強烈に強い化け物。あれは兵器だとカーマインが言っていたっけ。
仲のいい兄弟の印象が、どこかへ去っていた。
ガンマがカプセルコーポレーションにガードマンとして所属しはじめたという噂を聞いた。なにがどうなってそうなったのか、もはや想像もつかない。
もう、どうでもいい。別の世界のできごとだ。
バイクのハンドルをにぎる。もう、こうして生きていこう。パンも服も盗めばいいじゃないか。何を戸惑っているんだ。俺なんか、元からいいやつじゃない。とっくに盗人だったんだ。絵なんか描いて何になる。
その時、急に暗くなった。そしてすぐに明るくなった。自分を一瞬だけ覆うようにぼやけた影が横切ったらしい。
思わず空を見上げる。
ガンマ1号が、空を切って飛んでいた。
目を奪われた。その目が離せなかった。
美しい。恐ろしく美しい。
青い空に生える黄色い軍服と、真っ赤なマント。目に痛いほどのコントラスト。
近くの子どもが「ガンマだ」とはしゃいでいる。
カプセルコーポレーションの仕事だろうか。彼はゆったりと飛んでいるように見えたが、すぐ通り過ぎてその姿は建物に遮られてしまった。一瞬の事だったが、永遠のように美しかった。
遠いせいか、赤いマントのヒーローは、俺にはなんだか迷子の少年のようにも見えた。
絵に描き留めたい、と痛烈に思った。美しさ、どこかに漂う幼さ、それでも飛ぶ姿。
無垢なのだ。だから人間のこのどうにもならない衝動のことがわからない。だから美しい。そう、急に思った。でもきっと、あの人にもあるはずだ。この衝動が。無垢なのだから。
あの時、どうだったっけ。それをわかろうとして声をかけてきたのではなかったか。その知りたいという衝動は、俺の絵を描きたい衝動と似たものなのではないのか。世界を知り、守りたいものに寄り添いたい、理解したい、それがガンマ1号の衝動じゃないのか。
いつの間にか、バイクのハンドルから手を離していた。
「おい、俺のバイクに何か用か」
「あ、済まない」
盗もうとして手をかけたバイクの前に突っ立ったままだった。いつの間にか店から出てきていたバイクの持ち主が、怪訝そうな顔で俺を見ている。
俺はすぐバイクから離れた。同時に、なぜかいい人みたいな言葉が口から滑り出た。
「あんた、鍵はしっかりしといたほうがいいぜ。できるならカプセルに入れて、店に持って入った方がいい。ぶっそうだからな」
「なんだ、見張っててくれたのか。ありがとよ」
愁眉を開いた男は、バイクに乗って走り去っていった。「ありがとよ」が妙にくすぐったくて、うれしかった。
空を見上げる。ガンマはもういなかった。2号はいっしょではないらしい。
「なんだよ」
どうしても、ガンマ2号にいてほしかった。でもそれは、自分が2号推しだからではなく、多分、あの鮮やかな赤の隣には、鮮やかな青がいなくてはならないからだ。あの二人は、二人いなくてはならない。仲のいい双子のような、二人で一人のような存在。当然片割れのことをわかっていて、片割れの事を自分の事のように謝ったり、雑に扱ったり、それでいて愛情や信頼のようなものが見えるような、そういう存在。
それに、2号がいれば、遠くからでも迷子の子どもを見るような気持にならなかったかもしれない。
あの1号はどこか痛々しかった。2号にいてほしい。なぜかわからないが、1号のために、祈るような気持ちでそう思った。
もういちど会いたい。そうしたら、あの時よりはまともにしゃべれる気がする。
今、どっち推しか訊かれたら、両方と答える気がした
「カプセルコーポレーションか
……」
どうやったら就職できるんだろう。
なんにせよ、まずは今日明日食べるもの、泊まる場所をどうにかしなくてはならない。
盗みをしようという気持ちが、なぜかすっかり消えていた。さりとて金はなし、とポケットに手を突っ込む。
手放せなかったクロッキー帳と鉛筆と、わずかな固形絵の具が手に当たった。
今日のパンをがまんすれば、安いスケッチブックを買う金くらいはある。
公園に行こう。似顔絵師でもやったら、日銭が稼げるかもしれない。
都の風景も描こう。今のガンマの美しい一瞬を描いて、それは人寄せに飾っておけばいい。あのタンポポだって、飾ればいいかもしれない。
なぜか、どうにかなりそうな気がした。
絶対、どうにかなる。
了
***
この作品と、
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