もち粉
2026-04-04 08:29:54
12962文字
Public
 

婚約破棄してもらうため浮気を画策しましたが、何一つうまくいきません。(後編)


カブミス
政略結婚 婚約破棄に失敗するミスさん
※引き続きモブが出張ります



その頃、カブルーは夕刻に捕らえたジュリエッタを突き落とした犯人の取調べ中であった。

「ふん、私の背後など洗ってもムダだ。
あの女が邪魔な所に立っていたから、たまたま接触してしまっただけだ。事故だよ」

椅子に縛りつけられたまま嘯く男に対し、向かいに座るカブルーは組んだ手の上に顎を乗せて人懐こい笑顔を作った。

​「その言葉は聞き飽きました。不注意の接触で、あんなに綺麗に宙を舞うわけがないでしょう?
……そろそろ、『実のある』お話をお聞きしたいんですけどね」
「だから、ただの事故だと言っているだろう。エルフの嫁だ、魔法で飛んだんじゃないのかね」

洒落たことでも言ったつもりなのだろうか。
自分の発言に笑い出した男にカブルーは微笑んだまま、袖口に仕込んでいた細身のナイフをすらりと抜いた。

「ふぅん、まだジュリエッタがミスルン閣下の婚約者だと思ってる……正式発表前の情報を、噂レベルでしか入手できない小物だってことは今の発言でわかりますよ」

​男の眼球、その薄皮一枚手前までナイフの切っ先を突きつける。男は椅子ごと後ろへのけぞり、全身に脂汗を浮かべた。

「お、おい。拷問は法律で禁止されているぜ? 官僚様」
「やだなぁ、拷問なんて。たまたま僕の持っていたナイフとあなたが接触してしまっただけ。――ただの『事故』ですよ?」

(あ、こいつヤバい奴だ)
男は本能で察知した。

……僕、急いでるんですよ。
婚約者を夜の庭に待たせてるんでね。
さっ、『事故』が起こる前に、お話を聞けませんか?」
「ひぃっ」

​男が、今回の政略結婚に反対する「反長命種主義」の過激派による差し金であることを白状するまで、それから五分とかからなかった。


カブルーは冷え切った手つきでナイフを鞘に収めると、震え上がる男を衛兵に預け、背を向けた。

​「……さて。急がないと」

​先ほどまでの冷酷な表情はどこへやら、彼は丁寧に上着を整えると、浮き立つような足取りで西棟へと走り出した。
愛しい婚約者が、自分との逢瀬のために待っているのだ。




庭のあちこちに立てられた精緻な鉄細工の籠には明かりが入れられ、密やかに匂い立つ花々を幻想的に照らしだす。
植え込みの向こうの噴水の音だけが、夜のしじまを揺らしていた。

そして、恋人たちが愛を語らうべきバルコニーには、気まずい沈黙が満ちていた。

「その……違うんだ」

ミスルンの狼狽した声が弱々しく響く。カブルーという「観客」がいないのであれば、ここでどれほど不実な男を演じようとも、何の意味もない。
しかし、ミスルン自身にも現状が全く把握できていなかった。
どうして自分がロメオやジュリエッタを愛していることになっているのだろうか。

(私が好きなのは、カブルーだけなのに)

「私は、ジュリエッタが(カブルーに愛されて)幸せになるように……ロメオと……(浮気のふりをしようと)」

「私の……幸せのため?」
ジュリエッタが何かに気がついたように、ハッと息を呑んだ。
「まさかミスルン様、私とロメオの復縁を、取り持ってくださろうと!?
かつて潰えたはずの恋の火を、再び灯そうとしてくださったのですね!!」

(あ。この二人、そういう事か)

自分のことばかりで周囲を観察する余裕を失っていたようだ。
なぜロメオが外務局の茂みにいたのか、なぜあんなにもジュリエッタについて詳しかったのか。ようやく理解したミスルンに、感激に打ち震えるロメオが語りかける。

「ミスルン様、貴方は最初からジュリエッタのことをずっと考えて下さっていた。
そして今、かつて彼女の手を離してしまった愚かな僕に、やり直しのチャンスを下さろうとしているのですね!?
どうしてそんなにお優しいのですか、まるで愛の聖人だ」

「いや、ちが……

必死の訂正も、二人の耳には届かない。ロメオもジュリエッタも、例の「トールマンの詩的な若者ノリ」に完全に火がついてしまった。
こうなるとミスルンには、ちょっと年齢的についていけなかった。

​「嗚呼、ジュリエッタ……!」
​ロメオは胸に手を当て、夜気を震わせるように声を落とした。

「君と別れてからというもの、僕の世界は色を失っていた。朝は昏く、夜は長く、どんな調べも心には届かなかった」

​大仰な身振りで、月を仰ぐ。

「ロメオ……

ジュリエッタも潤んだ瞳で彼を見上げる。
「私も同じ。あなたを失った私は、香りのない花園でした。 咲いているのに、誰にも見られず、風にも触れられず、ただ枯れていくだけの……

​「ジュリエッタ……!!」

​もはや抑えきれぬ情熱に突き動かされ、ジュリエッタは庭からバルコニーへ続く石階段を猛然と駆け上がった。
ロメオもまた、一秒の猶予も惜しむように、彼女を迎えに階段の淵へと身を乗り出す。

​月明かりの下、階段の上。二人は崩れ落ちんばかりの勢いで固く抱き合った。

​「もう二度と離さない! ジュリエッタ!!」
「ロメオ……!!
貴方がどうしてモンソーなのかと、その家名を恨んだ時もありました。でも……!」
「たとえ父が、国が、時代が、この理不尽な世界が我々を引き裂こうとも――

「この想いだけは、誰にも否定させませんわ!!」
「ジュリエッタ……!」



「ええと……
ミスルンはようやく口を挟んだ。
「とりあえず、階段の上は……危ないのではないか?」




「なんだこれ」
(俺は一体、何を見せられてるんだろう)

西棟に近づくにつれ、夜の静寂を打ち破るような朗々とした男女の声が聞こえてくる。
先客がいるのだろうか。カブルーが軽く舌打ちしながら角を曲がれば、庭からバルコニーに上がる階段の上で一組の男女が手を取り合って愛を囁いて……いや、歌い上げていた。

(ジュリエッタと……総務の、ロメオだったな)

ミスルンに妙に近づいてた備品係だ。
ジュリエッタの元恋人だと聞き及んでいたが、どうやらよりを戻したらしい。

とりあえず様子を窺おうとしたが、階段の上の恋人たちが退く気配は微塵もない。今にも段上から身を投げ出さんばかりの勢いで愛を絶叫するジュリエッタと、高らかに答えるロメオ。

声を掛けたくなかったカブルーは諦めて、バルコニーの側まで立派な枝を伸ばしている巨木にするすると登り始めた。常緑樹の太い枝に膝を掛け、葉の隙間からバルコニーの内側を覗き込む。
​そこには、自分を待っているはずの婚約者が、中途半端に手を挙げたまま固まっていた。二人きりの野外オペラを開催する男女に、声を掛けあぐねているのは明白だった。

​「ミスルン様……! 貴方のおかげで、私たちは再び巡り逢えましたわ……!」
「ミスルン様! 貴方のことを、愛の守護天使と呼ばせてください!」

(やめてくれ……

ミスルンが返す言葉を探す前に、二人は手を取り合って夜の庭へと駆け降りていった。

「ロメオ……!」
「ジュリエッタ……!」

月光の下、二人の影は重なり、やがて花のアーチの向こう側へと、消えていった。



ようやく静寂が戻った。


「なんだったんだ……


ミスルンの口から​掠れた声が漏れる。もはや、何もかもが彼の理解の範疇を超えていた。
一つだけ確かなことは、自分はまたもや、完璧に失敗してしまったということだ。

(もう嫌だ)

ミスルンは、力なく手すりに手をついた。
その手には練習したはずの扇子が握られているが、もうそれを開く気力もなかった。

​(……何もかも、上手くいかない)

​ミスルンの脳内では、絶望が渦巻いていた。
浮気相手に仕立てるはずだったロメオは、あろうことかジュリエッタと復縁した。カブルーが密かに想いを寄せているジュリエッタを、自分の手で他の男へと引き渡してしまったのだ。

​(なんと、無能な悪役か)

「すまない、カブルー……
「何がです?」

葉擦れの音ともにカブルーの声が頭上から振ってきた。思いがけなさに顔を上げれば、バルコニーへ差し伸べられた枝の上。カブルーが片膝をついて座っていた。

​「こんばんは。月が綺麗な夜ですね。貴方の髪が光を透かして、まるで本物の月の精のようだ」
……月は、夜ごとに姿を変える不埒者。己の信念を貫くこともできず、ただ太陽に照らされて、右往左往するばかり」
「ならば、不動の星に例えましょう。
俺の人生に現れた、北辰のような貴方――そちらに、伺っても?」

伸ばされた手をそっと取れば、カブルーはひらりとバルコニーに降り立った。

「遅くなってしまってすみません。
ああ、冷えちゃって」

迷いなく抱き寄せられ、ミスルンは、カブルーの胸の中で頬を染めた。

どうしてこんな、恋人のように扱ってくれるのだろう。
ジュリエッタが、もう他の男のものになったことを、まだ知らないからだろうか。
だから政略結婚の相手として、私を丁重に扱ってくれるのか?

叶わぬ夢だとわかっていても、もしかしたらと願ってしまう。

​(このまま――何事もなかったように明日、婚約できないだろうか。どうせ彼女はもう手に入らないのだから、諦めて、私との結婚を前向きに考えてはくれないだろうか……

「で? 何が『すまない』んですか?」

……駄目そうだ。

淡い期待を打ち砕かれて、カブルーの腕の中、ミスルンはぽつりぽつりと今までの悪事を白状した。

背中に回ったカブルーの手。
頬に感じる、カブルーの鼓動。

それらが「怒ってないから、言ってごらん」と優しく促してくるのに何とか励まされて。

それでも、いつこの身体が強張るのか。いつ拒絶の言葉を叩きつけられるのか。怖くて、泣きたくて、声を震わせないようにするだけで精一杯だった。
結局カブルーは、婚約破棄を目論んでいたと聞いた瞬間以外はずっとミスルンの背中をやさしく撫でてくれていた。

​「……なるほどね。なんか妙なことばかりしてるなぁとは、思っていたんですが」

​カブルーの溜息に、ミスルンはびくりと肩を震わせた。
けれど同時に、ミスルンの身体は、先ほどよりも一段と強く、痛いほどに抱き締められた。

​「今の話を聞いて俺が確信したのは……貴方が恋愛方面においては、とんでもないポンコツだって事ですね」

「ポンコツ……!?」
​ミスルンは心外そうに眉を跳ね上げた。悪役令嬢なら、扇子をパチリと鳴らしているところだ。だがカブルーの腕に阻まれて果たせない。彼は体の力を抜いて、ミスルンの頭頂部に顎を乗せると縋るように体重を預けてきた。ぐりぐりと顎でミスルンを押してくる。

……重い)

「だってそうでしょ、俺が貴方の婚約者の座を勝ち取るために、どれだけの工作と根回しをしたと思っているの?」
「いやそれは、ジュリエッタの結婚を防ぐために……

「まだ言いますか」

​カブルーは少し身を離すと、ミスルンの両肩を掴んで、真剣そのものの眼差しで言い聞かせた。

「貴方です。
俺が好きな人は、最初から貴方しかいません。
貴方が俺以外の人と結婚してしまうのがどうしても嫌で、ほぼジュリエッタに決定していた婚約者の座を、死にものぐるいで取りに行ったんですよ」

……そんな、馬鹿な」
呆然と呟いたミスルンに、カブルーは呆れたような、しかし愛おしさに満ちた苦笑を漏らした。

「ほら、そこですよ。そういうところ」
「いや、だって……お前は、確かにあの日言ったじゃないか……

​『これで、ミスルンさんがジュリエッタと結婚するのは避けられた』

​「あ……

(そうか、あれは『私が』他の者と結婚するのを避けられたと……

すとん、と。
今までのカブルーの言葉と情熱が、急に腹の中に落ちてきた。

(では……

落ちた認識はじわじわと体中に熱を広げる。欠けた耳先まで赤くなっているのが自分でも分かる。

「さて、やっとわかってもらえたようですし。明日の正式発表まで、このポンコツな悪役さんが余計な真似をしないように、一晩中捕まえておきましょうかね」

再びカブルーの腕という、世界で一番甘い檻の中に囚われて。
悪役令嬢は扇子を投げ捨て、愛しい王子様の首に精一杯の力で抱きついた。




​「ジュリエッタとロメオが、正式に結婚を決めたそうだな」

すっかり癖になってしまった扇子を、ミスルンはひらひらと動かした。その左手の薬指には、カブルーと揃いの指輪が嵌められている。
二人の挙式は来年だが、周囲への牽制も兼ねて、早々に指輪を誂えたのだ。

「ええ、それでロメオの奴、仕事を辞めてジュリエッタを家庭で支えるそうなんですよ」

カブルーの返事に、ミスルンがふっと口角を上げた。

​「ますます彼女は仕事に邁進しそうだな。ジュリエッタは、後に続く女性官吏たちの、良き先駆者となるだろう」

「そうですね、結婚後も仕事を続ける女性が増えてくれるといいのですが……

どこか歯切れの悪いカブルーの言葉に、ミスルンが不思議そうに眉をひそめた。

「何か問題でもあるのか?」
「いいえ、ただ……結局は夫婦のどちらかが仕事を辞めて家庭に入るのなら、男女逆転するだけで意味がない。
皆が、人生の階段を登るにつれて、仕事量を調整したりしながら長く働ける土壌を作っていかなければならないなって」

「私たちが、その手本になればよい」
「え?」

「実務は、パッタドルに比重を移す。
だが、外交官を辞めるわけではない。
迷宮調査に軸を置きつつ、式典や重要な会議には出るつもりだ」

ミスルンは、ほんのりと白い頬を赤らめ、視線を逸らしながら続けた。

​「その……私たちとて『結婚』するのだ。ならば、結婚後の働き方の一つの形を、世間に提示してみてもよいだろう?」

「結婚」と口にする度に、扇子の陰で幸せを噛みしめるような顔をする婚約者が可愛くってたまらない。

――俺の婚約者、世界一かわいいんじゃない?

早く来年にならないか、むしろ式場が来い。
カブルーは政略とは名ばかりな、愛しい結婚相手にキスを送ろうと、そっと扇子を押しやった。


「そうですね。仕事も、家庭も。
世界中が羨むような、最高の結婚生活を送りましょう」
「ん……


夕闇が迫る中、二人の幸福な沈黙が、新興国メリニの空へと優しく溶けていった。




​なお、ミスルンの人生を大きく変えるきっかけとなったあの物語――『平凡な私がまじめに仕事だけしていたら、なぜか王子に溺愛されていました!? 〜嫉妬深い婚約者は今日も私を階段から突き落とそうとしています〜』は、後日パッタドルの手によって共通語へ翻訳・出版された。

​それは「恋も仕事も手に入れる、新しい時代の物語」として、ジュリエッタをはじめとする働く女性たちの間で爆発的な人気を博し、類似の物語が次々と書き継がれていくこととなった。

​やがてその熱狂が形を変え、メリニに「悪役令嬢もの」という一大ジャンルが確立されるのは、もう少し先の話である。