もち粉
2026-04-04 08:29:54
12962文字
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婚約破棄してもらうため浮気を画策しましたが、何一つうまくいきません。(後編)


カブミス
政略結婚 婚約破棄に失敗するミスさん
※引き続きモブが出張ります



――――ッ」

本当に驚いた時なんて、声も出ない。
突如として虚空へ放り出されたジュリエッタは、成すすべもなく、ただ身を硬直させた。
視界が上下反転し、床が迫る。死すらも覚悟して、きつくまぶたを閉じた――その瞬間。


ドサリ、と、温かな何かに受け止められた。
鼻腔をかすめたのは、森を思わせる、ひんやりとした香り。

「無事か?」

どうやってここに現れたのだろう。魔法のように現れて、王子様のように救ってくれた。
その華奢な体躯からは想像もつかないほど、力強い腕。支えられた背中から伝わる体温にジュリエッタは思わずときめいた。

「ミスルン様……

ミスルンは、自分より大きいジュリエッタを左腕一本で軽々と支えると、右手に持っていた象牙の扇子を、逃走しようとする犯人の足元へ向かって投げつけた。

「うわっ」
足の間に扇子が絡まり、派手に転倒した犯人を走ってきたカブルーがすかさず取り押さえた。
口汚く罵声を浴びせながら暴れる男の腕を、カブルーは一切の容赦なく捻り上げる。

​「大人しくしろ! 傷害罪の現行犯で拘束する!」

衛兵に引き立てられていく犯人の背中を見送り、カブルーがミスルンへと笑顔を向けた。

「ミスルンさん、ジュリエッタを救ってくださってありがとうございます。
俺は本当に頼りになる婚約者殿を得ましたよ」

茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせたカブルーを、ミスルンは呆然と見上げた。

(また失敗してしまった……私がジュリエッタを助けてどうするのだ)

絶望が胸をよぎる。だが、カブルーは愛する人の無事をこれほどまでに喜んでいる。

……まだ最大の一手が残ってる)

「カブルー!!」
「は、はい」
突如として放たれたミスルンの気迫に、やや気圧されながらカブルーが返事をする。

「今夜、西棟の庭に来てくれないか?」
「西棟?」

西棟の庭と言えば、四季折々の花が咲き乱れ、可愛らしい東屋や、小さな噴水を配された黄金城きってのデートスポットだ。そんな場所に、夜に!?

(ミスルンさんと、夜のデート!!)
カブルーの心は浮き立った。

「はい! 必ず行きます!!」
「うん、待っている」

(そこで、私はお前に嫌われて、この恋に幕を下ろすのだ……


婚約者を逢引に誘い出したとは思えないほどに沈痛な面持ちで去っていくミスルンの背中を、ジュリエッタの菫の瞳が見つめていた。

今夜、西棟。
……ロメオとカブルー様を、同じ場所に呼び出している?

その瞬間、彼女は全てを理解した。
(ミスルン様、もしやカブルー様に婚約破棄を告げるおつもりでは!?)

ジュリエッタの脳内では、ミスルンとロメオが身を寄せ合って手を握り、真剣な顔でカブルーと相対している。

​『すまない、カブルー。私はロメオを愛している。この婚姻話はなかったことにしてほしい』
『申し訳ありません、カブルー様。ですが私は、ミスルン閣下の魂を愛してしまいました。この報いはいかようにも……!』

そんな、いけませんミスルン様!
そんなことになれば、両国の外交問題に発展してしまいますわ!

絶望に頭を抱えた彼女はやがてゆっくりと顔を上げた。

……いいえ、いいえジュリエッタ、落ち着きなさい。あなたの仕事は何?
たとえこの婚姻が潰えようとも、その穴を埋め、さらに強固な絆を築く手段などいくらでもある。それができる立場に、あなたはいる。

かつて愛した人と、もしかしたら夫婦となる未来もあったかもしれない命の恩人。

その二人が、愛のために全てを捨てようとしているのなら、このジュリエッタ、全力でお力になりましょう。

ジュリエッタは菫色の瞳を燃え上がらせ、今も胸の奥に燻っていたかつての恋へ、誇り高く別れを告げた。

さようなら、ロメオ……。ミスルン様と、お幸せにね。


(後始末は、私が全て引き受けますわ!!)




夜の帳が下りた西棟のバルコニー。
そこは、月光に照らされた白亜の柱と、夜にだけ香る花々が咲き乱れる、黄金城でも指折りの「愛の語らいの場」である。

​ミスルンは、冷たい夜風に銀髪をなびかせながら立っていた。その黒い瞳には、かつてないほどの決意が宿っている。

​(……これで最後だ。絶対にカブルーに浮気を見せつけてみせる)

​密やかな足音と共に現れたのは、約束通り一人でやってきたロメオだ。
月明かりの下、彼の顔色は紙のように白かったが、その瞳には殉教者にも似た凄絶な覚悟が光っていた。

「ミスルン様! ロメオ・モンソーは覚悟を決めました」

ロメオはミスルンの前に膝をつかんばかりの勢いで詰め寄った。

「貴方がカブルー様との婚姻を破棄するために、きっとお役に立ってみせましょう。何なりとご命令を」

何故、ミスルンの胸の中にしかない婚約破棄計画をこの男が知っている。

(まだ何も言ってないぞ!?)
驚きに息を詰まらせたミスルンに、ロメオが焦点の定まらない目で詰め寄ってくる。

​「……カブルー様を再起不能にすればよろしいですか? 例えば、僕が闇に紛れて、あの方を階段から突き落とすなど……!」
「おい待て、落ち着け」
「ご安心下さい、禍々しき罪に手を染めるのは僕一人。けっして閣下の名は口に出しますまい」

​(……っ、この男、本気だ!)
​冗談で言っている顔ではない。カブルーが亡き者になっては、婚約破棄どころか国家間の大惨事だ。
慌てて制止の言葉を掛けようと口を開いた時、バルコニーの下の茂みから月明かりを浴びて金色に輝く影が飛び出してきた。

「ちょっと、何を言っているのですロメオ! 内乱予備罪になりますわよ!」

「「ジュリエッタ!?」」

ミスルンとロメオの驚きの声が重なる。
ジュリエッタは頭上の二人を見あげながら、声を張った。

​「お二人とも、どうか早まらないで! カブルー様は、決して話の通じない野蛮な御方ではありません。情理を尽くして説明すれば、きっと婚約破棄に同意してくださいますわ。私も及ばずながら、援護射撃いたします!」

(何故ジュリエッタまで知っている!?)

よもや、自分は知らないうちに読心の魔術でも掛けられてしまったのだろうか。混乱の渦に飲まれて立ち尽くすミスルンをよそに、ロメオはジュリエッタの一喝により、鳶色の瞳に正気を取り戻していた。

「嗚呼、ジュリエッタ」

​ロメオがバルコニーの手すりから身を乗り出し、光の女神のように風に金の髪をなびかせて庭に立つ彼女を見つめる。

​「僕は、どうかしていたよ。君の声を聞くまで、長く暗い悪夢の中を彷徨っていたような気持ちだ。……僕の目を覚まさせてくれて、ありがとう。そうだね、正面から誠心誠意、カブルー様にお話ししよう」

「ええ、ロメオ。貴方ならきっとそう言ってくれると思ってた。
そう、全てはミスルン様と――

「ジュリエッタの」「ロメオの」

「「幸福のため」」


「「「…………」」」

三人分の沈黙が、夜の庭に重く落ちた。




​「何を……言っていますの、ロメオ。貴方、ミスルン様と禁じられた愛を育んでいるのでは?」
「君こそどうしたというんだ、ジュリエッタ。ミスルン様に、あれほどまでに熱烈に愛されているというのに……

​見つめ合った元恋人たちは、同時に弾かれたようにミスルンへ視線を移す。

「ミスルン様、貴方、ロメオを/ジュリエッタを愛していらっしゃるのでは……?」

菫色と鳶色の視線を受けて、ミスルンはたじろいだ。

(一体何がどうなっている。仮の浮気相手は男女どちらでもいいとは思ったが、男女両方とは想定外だ。いくらなんでも爛れすぎだろ――いや待て)

男女を問わず複数人のトールマンを誑かし、二股、三股をかけてもて遊ぶ不実なエルフ。

……婚約破棄には、最高の醜聞ではないか!)

​(見ているか、カブルー!  私は今、未曾有の浮気をしているぞ!?)

​勇んで振り返り、庭園の暗がりにカブルーの姿を探すが、彼特有のしなやかな影はどこにもなかった。