もち粉
2026-04-04 08:29:54
12962文字
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婚約破棄してもらうため浮気を画策しましたが、何一つうまくいきません。(後編)


カブミス
政略結婚 婚約破棄に失敗するミスさん
※引き続きモブが出張ります

(なにがいけなかったんだ……

手の中の扇子を弄びながら、ミスルンは思考の海に沈んでいた。
今までの所、カブルーとの婚約を破棄するための『悪役令嬢』としての振る舞いは全て不発に終わっている。それどころか、期待とは正反対の称賛だけが積み上がっている始末だ。
既に使節団は到着し、正式に両国の間で婚姻の約束が結ばれる吉日は明日に迫っている。

残された手札はあと二つ。
一つ、ジュリエッタを階段から突き落とし、ミスルンが非難を浴びること。
二つ、ミスルンが浮気をしているとカブルーに思わせ、メリニ側からの婚約破棄に正当性を与えること。

しかしまだ浮気相手に仕立てる人物の選定も済んでいない。
相手は男か女か。この際どちらでもよい。
口が堅く、事情を汲んで協力してくれることが大切だ。


「ミスルン様!!」

​突如、ザザッと激しい音を立て、目前の植え込みからロメオが飛び出してきた。

「聞きましたよ、ミスルン様! あの伝説の『お茶会のドレス事件』! なんと鮮やかな手腕、僕は感動の涙が止まりませんでした!」

(そうだ、こいつがいいかもしれない)

​しかし総務課の備品係だと聞いているのに、なぜ彼はこうもしょっちゅう外務局の茂みに潜んでいるのか。仕事はどうしているのだろうか。
全くもって謎だが、彼がジュリエッタに対する熱狂的な信奉者であることだけは疑いようがない。

​ロメオは天を仰ぎ、ジュリエッタの危機を救ったミスルンへの賛辞を、滝のように溢れさせている。その過剰なレトリックは、感極まった時のジュリエッタのそれによく似ていた。

(流行ってるのか?)

昨今の、トールマンの若者言葉なのかもしれない。カブルーが流行り言葉を駆使するタイプではなくてよかった。

「なあ、ロメオ」
「はいっ! なんでしょうミスルン様!?」

声をかけた途端に、ぴしりと背を伸ばし前に控えるロメオになんとなくミスルンは実家にいた犬を連想した。

​「お前は……ジュリエッタ嬢のことを、どう思っている」
「僕は……ジュリエッタの幸福を、誰よりも願うものです」

​「そうか。ならば話は早い」
ミスルンは静かに、深く頷いた。よかった、彼女を心から愛していますとか言われたら頼みにくいところだった。

​「西方との友好のための婚姻に、彼女が選ばれたと聞いて夜も眠れぬほど案じていたのです。
でも、お相手がミスルン様で本当によかった。政略結婚という冷たい海も、時には運命の伴侶を運んでくるのですね」
「いや。私の結婚相手は、ジュリエッタ嬢ではない」

​「ええっ!? では、一体どこのどなたが!?」
驚愕に目を見開くロメオに対し、ミスルンは一瞬躊躇したが、カブルーの名を告げた。

どうせ明日には正式に発表される情報だ。それに極秘というわけでもない。すでに知るものは知っている。

「そんな……僕は、閣下がお相手だと思ったからこそ……彼女の幸せを遠くから祈ろうと」
​「てっきりジュリエッタ嬢で決まりかと思っていたので、私自身も驚いている」

​パッタドルが聞き及んできたところによれば、カブルーはミスルンの婚約者の座を自分に移すため、裏でかなり無理な根回しを強行したらしい。

(それほどまでに、カブルーは彼女を愛しているのだな)
ミスルンはそっと唇を噛んだ。
――きっと、お前とジュリエッタを添わせてやるからな。

「そこでロメオ、お前に協力して欲しいことがある」

ロメオは震える呼吸を落ち着かせるように胸に手を置き深呼吸をすると、覚悟を決めたようにキリリと眼尻をあげた。

……わかりました、ミスルン様!(今からでも婚約者がジュリエッタに戻るように)何か、工作をお考えなのですね?」
「その通りだ。(カブルーに浮気現場を目撃させるために)お前に協力して欲しい」

​「今日の夜、西棟のバルコニーに来てくれないか。誰にも言わず、一人でだ」

​「いったい何を……」と問いかけようとしたロメオの言葉は、ちょんと唇に触れたミスルンの人差し指によって阻まれた。
「ここでは、誰に聞かれているかわからない。夜に話そう」
ミスルンはそっと緊張に冷たくなったロメオの手を取ると、自身の切実な思いをこめて強く握った。
そうして彼の耳元に囁いた。

​「……すべては、ジュリエッタのためだ」

思い詰めたようなミスルンの黒い瞳に魅入られながら、​ロメオは、ごくりと生唾を飲み込んだ。



​(あら。ミスルン様と……ロメオ?)

その時。窓の内側で、庭園のベンチの前に佇む二人をジュリエッタが見咎めた。

​「……夜。西棟の……バルコニー」

​風に乗って運ばれてきた、断片的な言葉。

(どうして、ロメオがミスルン様と……?)

西棟のバルコニー。
そこは人目を忍ぶ逢瀬には絶好の場所だ。

ミスルンがロメオに向ける、あの痛いほどに真剣な目。覚悟を決めたような、しかし愛しい人を思うようなどこか甘い眼差し。そして、固く握りしめられた手。……唇に触れた指。

​(そう、そうなのね。ミスルン様……貴方は、ロメオのことを……!)

かつて心を交わした人と、
私に光を示してくれた恩人が、
禁じられた情熱を分かち合おうとしている――

​(おお、運命とは、なんと残酷で美しい悪戯をするのでしょうか!)

​カーテンの陰で、はらはらと真珠のような涙を流すジュリエッタ。その背中に、部下の容赦なく現実的な声が掛けられた。


「あのー、早くサインを頂きたいんですけど……



ジュリエッタはふらつく足取りで廊下を彷徨っていた。
その脳裏では、先ほど目撃してしまった衝撃的な光景が、奔流のように渦巻いている。

(ミスルン様が、ロメオの事を……

ロメオ。かつて、私が魂を分かつほどに愛した御方。
商売敵である父親同士の確執により引き離されてしまったけれど、私の心は……まだ……

彼はちょっと頼りないけど、春の陽だまりのように優しい男ですもの。
外交という荒波の中を一羽の白い鳩のように飛ぶミスルン様が、彼のもとで羽を休めたくなっても不思議はありませんわ。

​「ああ、けれどミスルン様……!」

​ジュリエッタは堪らず足を止め、誰憚ることなく両腕を天へと広げた。

​「貴方には、カブルー様という光り輝く婚約者がおいでではありませんか!
おお、なんという悲劇! 祝福されるべき婚姻の影で、真実の想いは散り散りに、儚く霧散してゆくのね。そう、風に吹かれる朝露のように……ッ!!」

「またやってるよ、ジュリエッタ様」
「すみませーん、そこ通りたいんですけどー」


(今なら容易に突き落とせるが……

少し離れた柱の陰。ミスルンは、階段の上で舞台女優さながらに天を仰ぐジュリエッタを、冷徹に観察していた。
転移術で彼女の後ろに回り込み、背中を押せばそれで済む。

​(……しかし。いくらなんでも、危険が過ぎるのではないか)

​ジュリエッタの無防備な立ち姿を見る限り、武道の心得があるようには到底見えない。受け身すら取れず、無様に下まで転がり落ちるのが関の山だろう。

話の中では、どうだったか。
既に頁の角が丸くなるほど読み込んだ『平凡な私がまじめに仕事だけしていたら〜(以下略)』を思い起こすが、あの話のヒロインはとても頑強だった。
作中、実に四回も悪役令嬢の手下やとりまきにより階段から突き落とされているが、いずれも「イタタ……」だけで済んでいる。
そして、悪役令嬢自らが手を下した運命の五回目。彼女は王子に華麗に抱きとめられるのだ。

(そう、カブルーを上手く現場に誘導して、ジュリエッタを助けてもらわなくてはいけないが……

​呼び出してどうする。彼女が通りかかるまで、二人で階段の踊り場に待機しているのか?

(不自然過ぎる……

はらりと開いた扇子の影でため息をついた時、廊下の向こうからカブルーが現れた。

「!! (なんという天の配剤だ)」
「あ、ミスルンさん!」

カブルーがパッと明るく笑って、小走りに近寄ってくる。王子、ヒロイン、悪役令嬢――三者が揃った。絶好のタイミングだ。

(どうする? やるか!?)

​ミスルンが覚悟を決め、ジュリエッタへと視線を戻した、その瞬間。
彼はその隻眼を、驚愕に大きく見開いた。

​ミスルンが手を下すよりも早く、ジュリエッタの背後に「影」が伸びた。
彼女の身体が何者かの手によって乱暴に押し出され、スローモーションのように、ふわりと宙に浮いた。