めやぬら
2026-03-29 23:47:26
12676文字
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不在②

不定期週刊燐一
一ヶ月仕事で海外行く燐音と留守番する一彩の話、の続き。
クレビならこれくらいしそうだと思うし、燐音は分かりづらく妬いててほしい。

「それじゃあヒロくん、明日ね」
「うん、気をつけて」

 玄関先で帰っていく背を見送る。
 夕方、傾く日差しを背負って行く友は、昨日一彩の家に泊まった。住み始めてまだ日の浅い我が家に初めて他人が来たのだ。なんだかとても嬉しくなってしまって、二人して眠るのが遅くなってしまったのも仕方ない。数日ぶりに信頼できる誰かが側にいたことも手伝って、今朝は随分とゆっくり起き出したけれど、寝過ぎて損をしたとは思わなかった。

 廊下の角を曲がって見えなくなってしまうまで手を振って、そっと戻った家の中は、なんだかがらんとして見える。つい数分前までお喋りの絶えなかった藍良の明るい声が反響しているように思えて、楽しかったなという疲労感と一緒に漠然とした淋しさも寄せてきてしまう。
 突っ立ったままぼうっとしていたら、快い疲労感も重くなってしまいそうだ。片付けを、と思ったがそれは藍良と一緒にしたことを思い出し、また考えは振り出しに戻った。
 やることがないと落ち着かないが、それはもはや性分なのだろう。何かないだろうか、と記憶の重箱の隅をつついてほじくり返してみても、なんにも思いつかない。
 こんなときは体を動かせばいい。そう思い至って、本日二回目の走り込みに行くことにした。動いていれば発散できるのは自分の長所だ。帰ってくるころには余計なことなんて考えないように頭もすっきりしているはず。そう期待して。

 けれども、そう簡単に余韻を振り払うことはできず、結局布団に入っても一向に眠れないでいた。ごろごろベッドの上を転がっても落ち着けず、瞼の裏を眺めては楽しかった昨夜の記憶がどんどん思い出されて、余計目が冴えてしまう。
 部屋に時計がないため、何時かを確かめるにはスマホを見るか部屋から出るかしないといけない。どうせ眠れないのなら、とサイドチェストの上にある端末を手に取ってみれば、夜の11時半を少し過ぎたあたり。床に就いてから1時間半経っているという無情な現実が突きつけられ、ちょっとした焦燥と罪悪感が湧きそうになる。
 少し悩んで、端末を開く。メッセージアプリを起動し、そっと指先が辿ったのは、兄とのやり取り画面。つい二日前の記録から遡っていく。連絡事項しかない文章だけでも、読めばあの日はこうだったと思い馳せてしまうのは、やはり兄の不在の所為なのだろうか。普段は見返しもしないのに、こんなときだけそんな風に思うなんて、なんとも都合が良い話だ。自分でも呆れてしまうが、今夜は兄が隣にいないことがひどく胸に巣食っている。

(連絡、してみようか)

 二、三日に一度なら構ってやると言ってくれた。あの電話はちょうど二日前だ。電話は無理でも、メッセージなら返してくれるかもしれない。
 だけど何を送ろう?用事なんてないし、報告事項だってない。素直に寂しいなんて言っても、そんなのは煩わしいだけだろう。そもそも、そんなメッセージが来ても返答に困るはずだ。
 参考にするため、ユニットのグループ画面をのぞいてみる。そこも事務的な連絡が多いものの、少しスクロールすればすぐに他愛ない会話も見られる。そして偉大なる先人の巽が、今度みんなで行きたいと美味しいカフェの写真を送っていた。
 なるほど、解を得たり。本当に正解なのかは置いておいて、この二日間に新しくできた共有したいことを綴る。

『藍良が泊まりに来たよ。二人でトランプをして遊んだ』

 その後に続いて、藍良と遊んだ時の写真を送る。友達の家に泊まりに行くの憧れてたんだァ、と藍良が撮ってくれた写真はポージングも飾り気もないが、自然体に写った自分たちが楽しそうで、お気に入りになった一枚だ。
 続けざまに送ったメッセージと画像。既読になるか、返事は来るかとそわそわして待っていると、ふいにチェックが付いた。

『楽しそうだな』

「わっ……

 思いの外すぐに返ってきた返信。読んでくれたのかとか、返事をしてくれたとか、楽しそうと言ってくれたこととか、その全部が嬉しくて、返事を打つ手が何度か誤字をする。それを修正するのにも逸ってしまい、たった一文を完成させるのがやけに難しい。

『藍良も楽しかったと言っていたよ』
『よかったじゃん。お前は楽しめたか?』
『もちろん楽しかったよ』
『そりゃ良かった』

「ウム、たのしかったな」

 まるでいつも兄と毎日のことを話していた時みたいだ。兄自身は遠くにいるはずだけれど、いつもの日常の欠片を少しだけ近くに感じて、口元が緩む。

『兄さんは今も仕事なのかい?』
『今日はもう終わった。こっちは晩飯食ったばっか』
『何食べたの?』
『なんかよく分かんねぇ串焼き』

 そして送られてきたのは、どこかのレストランというよりも地元の屋台のようなところで撮られたのであろう写真。大きな肉と野菜が刺さった串と、それを持つ兄の手が写っている。その向こうには、ピントが合っていないが恐らくニキであろう人が、同じ串に齧り付いている姿が写り込んでいる。

「ふふっ」

 映りの良さなどまるで気にしていない写真に、思わず笑ってしまう。一人の寝室で誰に憚ることもないけれど、無意識に小声になった笑いは、布団の中にこぼれた。

『美味しそうだね』
『美味かったけど、すっげぇ食いづらかった』
『大きな肉だもんね。僕達も昨夜のカレーにお肉を入れたよ。いつもより少し良い牛肉』
『なにそれ食いてえんだけど』
『残念だけど、明日には無くなる予定だ。兄さんはそっちの美味しいものいっぱい食べられるからいいじゃないか』
『えー、せっかくの弟くんの手料理が』
『帰ってきたら作ってあげるよ』
『頼むわ。こっちの飯も美味いんだけど、やっぱり米が恋しくなってきた』

 現地を満喫している兄はどうやらご飯が恋しいらしい。案外と、SNSや写真だけじゃ伝わってこないことも多いみたいだ。
 確かに米は特定の地域でないと食されていないのだったか。学校での授業内容を思い出しながらも、お肉美味しそうだけどなぁと呑気に写真を見返していれば、再びメッセージが送られてきた。

『ていうかそっち何時?もう遅いよな』

「おっと……気付かれたか」

『内緒だよ』
『もう零時前じゃねぇか。なんでこんな時間まで起きてんだ』
『なぜ分かったんだ?』
『調べりゃすぐ分かるんだよ。どうした、なんかあったか』
『何もないけど、眠れなくて』
『こんなんしてたら余計寝れなくなるぞ。さっさと布団入れ』
『布団には入ってる。でも兄さんの言うとおりだね。そろそろ寝るよ』
『そうしろ。おやすみ』
  
 おやすみなさいと打とうとして、はたと手が止まる。どうして今日はあんなに早く読んで返してくれたんだろう。僕からの連絡を多少気にかけてくれていたのかもしれないが、もしかして。

『一つだけ質問してもいい?』
『一つだけな』
『兄さん、もしかしてこの時間なら空いているの?』

 それを送ったら、すぐにチェックがついた。だが、それまでポンポンとテンポよく交わされていた返事は止まってしまう。
 いつなら兄の都合がいいかを確かめようと思っただけなのだが、聞き方がよくなかったか、それとも全く暇ではないのか。
 動かない画面に焦れて、やっぱりなんでもないと打って送ろうとした瞬間スポンと返信が届き、寸でのところで送らず済む。

『日によるけど、空いてるときも多い』

「っ!」

『わかった!ありがとう、おやすみなさい』

 それだけ送って、チェックマークがつくのも確認せずに端末をオフにし、チェストの持ち場に戻した。
 意気揚々と布団に潜り込んで目を閉じるが、最初とは違う理由で眠れない。眠気もコントロールできないなんて情けないけれど、兄からのメッセージを反芻したら頬が緩んで仕方ないのだ。
 三日後の週の真ん中には、またこの時間に連絡をしてみよう。少し遅い時刻だけれど、この時間帯ならメッセージを送ったら返してくれる可能性が高い。確約してくれたわけじゃないが、余地を教えてくれた優しさに甘えたっていいだろう。
 もうすぐ日付が変わる。今夜はなんとか大人しく眠りに就くしかない。訪れる気配のない眠気を待つため、布団を引っ被った。

--

 学校や仕事から帰って、お風呂に入ってご飯を食べ、課題も調べ物も全て終わらせたら端末を手に布団に潜り込んで、眠らないようにと兄のユニットのSNS投稿をチェックする。ここ二週間で習慣になった流れに、手が止まることもない。
 学校の昼休憩に見た時ぶりのSNSには新たな更新など無く、コメントやリアクションの数だけが増えていた。ニキの投稿によると、本日の朝ごはんは随分と軽めだったらしい。短い文章には兄も他のメンバーのことも出てきていないけど、きっと一緒に食べているんだろうなと想像したら微笑ましくなる。ライブやイベントの激しい感動や高揚とは違うけれど、これも人を笑顔にするというアイドルの仕事で、魅力の一つだ。兄のユニットにしては随分と牧歌的だが。

 画面の隅の時計がちょうど二十三時になるまで、あと何秒だろう。無意味にホーム画面をタップして数字が変わるその時を待つ。一つ、またひとつと末尾の数字が増えていく。最後の九になってからは待ちきれなくなって、メッセージアプリを開いて兄とのやり取りを映した。
 そして二十三時になった瞬間に短い文章を送る。たった数文字、されど数文字。早く早くと返事を待って、既読の知らせもついていないのに何度も読み込みを繰り返していれば、ある瞬間からついたチェックマーク。そしてすぐにかかってくる着信。

「兄さんっ!」
「お〜弟くん三日ぶり〜。長らく顔見てないけど元気してるゥ?」
「元気だよ!三日前も電話したけどね」
「相変わらずボケを殺すようで何よりだ」

 そういう兄も元気そうだ。数日ぶりに耳元で聞こえる声で、自分の機嫌がいっぺんに跳ね上がる。慕わしい呆れた物言いを浴びて舞い上がるほど、待ち遠しかったのだ。

「兄さんはどう?一昨日から宿が変わったんだよね、もう慣れた?」
「慣れるっつーか慣れざるを得ねェな。部屋もぐちゃぐちゃになってきた」
「ホテルの?きちんと片付けなよ」
「無尽蔵に散らかしてるわけじゃねェよ」

 長期の滞在になると毎日使うものは出しっぱなしになる、と語る兄の声がすこし遠くなる。電話しながら部屋の惨状を見回しているのだとすぐに分かって、その目に映るものは持って行った荷物なのだろうかと想像した。

「それは仕方ないね。僕たちもフランスに行った時はそうなっていたよ」
「ホテルは悪くねンだよな、広いし綺麗だし……そだ、一昨日蛇ちゃんと合流したんだけど」
「七種先輩?いばにゃんの人?」
「そ、いばにゃんの人。お前そんなふうに呼んでンの?」
「ボギータイムは面白かったからね。目の前にしてそう呼ぶことはないけど」
「ヘェ〜今度電話繋いでやるから呼んでやれよ。喜ぶぜェ〜」
「そうなの?じゃあこれからはそう呼ぼうかな」

 あまり近寄るなと言われているから関わったことはないが、もし今度機会があるならそうさせてもらおう。色んな人から刷り込まれたイメージでは勤勉でいつも仕事をしている印象だけれど、藍良や創からは良い人だという評も聞く。実際どんな人なのかは知らぬところだし、副所長というだけあって善人では無さそうだが、そう悪い人でもないんじゃないかと思う。気になるとしたら、兄の意地悪げな言い方だけだ。

「それで、七種先輩がどうしたの?」
「あぁそれで——

 大した中身もない雑談に相槌を打って、また僕の方も日常のいろいろを話す。兄の穏やかな声に紛れてたまに聞こえてくる生活音すら嬉しくて、目を閉じて耳を澄ませる。自分の部屋にも愛着はあるが、無意味に眺めていたいものではないのだ。それよりも、電話の向こうにいる愛する人の姿や仕草を追いかけていたい。

 会話を続け、何度か寝返りを打ったりしていれば、三十分なんてすぐに経ってしまう。こちらのこの時間帯はもう夜も遅く就寝のときだからか、二日前のときもその前も、通話は向こうからすげなく切られてしまった。
 だから、今日はちゃんと言い訳を用意したのだ。もうそろそろ電話を切ると言い出しそうなタイミング、考えていた言葉を反芻して、何回も確かめたカレンダーを思い出す。

——、んじゃそろそろ切るわ」
「あっ待って。まだ切らないで」
「んだよ、まだなんかあンのか」
「兄さん、いつもこのくらいで切ってしまうけど、このあとなにか用事があるの?」
「あ?今日はなんも無ェけど」
「晩ご飯も?」
「食べたけど?」

 言質は取れた。何も予定が無いのなら兄の方に電話を切る理由はない。電話するのがめんどくさいとかであれば知ったことではないが、切り上げる理由は多分こっちにある。

「それならもう少しだけ電話していようよ。僕はまだ起きていられるよ」
「はぁ?」
「僕のこと考えて切ってくれていたんだよね?明日は休日なんだ、多少夜更かししても大丈夫」

 メッセージをやり取りした初日といい、零時を越えないぐらいで切られる電話といい、捻くれて素直じゃない兄にしてはあからさまなほどの気遣い。僕が気付かないわけがなく、そして兄自身もその偏重に自覚が無いわけがなかった。気まずそうな沈黙と言葉を探す言い淀みを待つ。

「えー……つってもさァ」
「兄さんさえ良いなら、僕はもう少し話していたいんだけど、駄目?」
……
……やっぱり迷惑かな。ごめんね、いつも休みの日の前は兄さんと夜更かししていたことが多かったから、少しもの足りなくなってしまって」

 嘘ではない。休みの日の前は、何をするともなく二人でライブ映像やバラエティ番組を見たり、それこそ公然には言えないようなことをしたり、眠りについた時間も分からなくなるような寝方をすることだって多分にある。すぐそばに誰の体温もないことが、どこか馴染まないような気がしているのは事実だ。
 でも嘘じゃないからと言って、今の言い方は少し端なかったかもしれない。
 身じろぎや困った呼吸音も聞こえなくなり、心配になってくる。やっぱり、今日のところはもう引こう。少し強引になってしまったのは否めないし、そんな意図は無かったけれど下心だって透けてしまった。勢いに任せて兄の負担になるくらいなら、少しのさみしさくらい平気だ。

「兄さんだって疲れているよね。ゆっくり休んで、」
「はぁー……一彩、電話ちょっと顔から外せ」
「え?外すって」
「いいから。普通に持ってろ」
「ふつう……?」

 電話を普通に持つ、此は如何に。今だって普通に耳元に当てているだけなのだが。
 兄からの指示が理解できずにそのまま待っていると、しばらくがさごそ聞こえた後に、カタカタと端末をいじる音が鳴る。何をしているのか全くわからず、耳からスマホを外したりまた当てたりとしていれば、ふいにぱっと画面が切り替わる。
 揺れているアングルの中に、様子を伺っているような兄の顔が映っている。

「えー……おっ、写ってっか?見える?」
……兄さん?これは動画かい?」
「動画がリアルタイムで喋るかよ」
「じゃあ、配信?」
「ン〜現代生活よりもアイドル生活が先にくるとそうなんのか……テレビ電話だよ、お前もやったことあンだろ」

 テレビ電話。確かに仕事でなら何度か経験があるが、これまであまり自発的にしたことはない。おーい?と手を振る兄の姿に現実感がなく、ぽかんと見つめる僕の顔が画面端の小さいワイプに写っていた。

「おい、やる気ねぇんなら切るぞ」
「あっえっと、切らないで!驚いただけ……どうしたの、いきなり」
「ほぉん?お前から電話切るなって煽っといて、喜んでもくんねェの。燐音くんカナシ〜しくしく」
「嬉しいよ!嬉しいけど、驚きが勝ってしまって無愛想に……ごめんなさい」

 泣き真似をする兄に言い募るが、内心はそれどころではない。
 画面の中の兄は見慣れたヘアバンドをして、練習着に身を包んでいる。背景はホテルの部屋なのだろう、家よりも少し淡白な壁紙に、黄みがかった照明。ベッドにいるのか、サイドランプの笠が見切れていて、カーテンのようなものも端に映っている。

「謝るこたねェけど。……なァに一彩ちゃん、ホテルの部屋気になっちゃう?」
「え」
「目、泳いでんぜ?」

 映る兄の挙動に合わせて、物音がする。口の動きに合わせて声が聞こえる。ニヤニヤと意地悪げに笑う表情、こちらを見つめる瞳。懐かしくて寂しくて嬉しくなって、どう反応すればいいのか手に負えない。

「き……気になる」
「んははは!正直な子は嫌いじゃねぇよ。お部屋ツアーでもするか?」

 別に部屋などどうだっていいけれど、兄が生活している場所には興味がある。兄がまつわるものならなんだって、僕にとっては気になる対象だ。お部屋ツアーなんてものは知らないが、とりあえず目についたものを指差した。

……左のそれはカーテン?窓辺にベッドがあるの?」
「ン?あぁそうね、窓際にある。でもこのカーテンこっち側は動かなくってさ……よっと」

 軽い掛け声と共に衣擦れが耳を掠め、同時にシャッとシャーシが擦れて画面が大きく揺れる。明るい部屋から打って変わって、カメラが写したのは夕暮れに沈みかけた街並み。くれなずむ夕日に滲むビル群と、合間を縫うように走る車のライト。人々や街のさざめきも聞こえてきそうな景色は、日本と似ているようで、けれど看板や風景の小さな違和感が異国なのだと主張する。

「景色はこんな感じ」
「わぁ……結構高い階だね、随分と都会だ」
「いいっしょ。大通り近いけどうるさくなくて助かってる。下まで降りんのに時間かかるのが難点だけど」
「ふふふっ、交通量は多そうだけど、眠る妨げにはならないみたいで良かったよ」
……
「椎名さんたちも同じ階なの?それだと打ち合わせもしやすくていいね。……兄さん?聞いてる?」
……え?あ、あぁ、あいつらは隣の部屋だけど」
「どうしたの?何か気になる?」

 不意に途絶えた相槌はねだればすぐに返されたものの、不自然な間を疑問に思って問い返す。なにか気になることでもあったのだろうか。景色しか見えない画面で、兄の表情を窺い知ることができない。さっきまで音声だけで察せられていたのに、一回姿を見てしまったら、途端に音だけでは察せなくなる。便利なのも考えものだ。

「兄さん、何かに困っているの?睡眠に障りがあるとか」
「あ〜……困ってるってほどじゃねぇよ。ただ……
「ただ?」
……枕変わったからかもしんねェけど、寝が浅い気がすんだよなァ。なんつーか、寝てるけど熟睡はしてないってか」
「ふむ……それは落ち着かないね。疲れてるだろうに、それじゃあ休めるものも休めない」
「そーなんだよな。ま、あと二、三日したら慣れるだろ。それまではしゃーねぇや」
  
 あっけらかんと言い退けた声と、カーテンで遮られる窓の景色。再び大きく揺れた画面は、いつもみたいに得意げに笑っている兄を映して落ち着いた。その目元に隈はないけれど、そう言われてみれば、その表情や声音はなんだかくたびれている様にも見えてきてしまう。慣れない土地での仕事、気を張る場面だって多いのだということは、僕にだって想像がつく。

「なにか僕にできることはあるかな。話していたら気が紛れるかも」

 少しでも力になれたらと聞いてみたものの、少し驚いたように目を見開いてから、すぐに呆れを含む優しい声と表情に変わる。

「もうすぐ寝る時間のやつが何言ってんだ。お前に気遣われるほどじゃねぇよ」
「でも……
「まぁどうしてもってんなら、もうちょっと付き合え。お兄ちゃんが恋しくて寂しいんだろ。ちゃんと聞いててやっから、なんか話しろよ」
「う、ウム!お安い御用だよ!ええっとそれじゃあ——

 今日あったことのなかから興味を引きそうなトピックを選んで話すと、兄が相槌を打って、たまに質問も飛んでくる。
 そうして語り、その日通話を切ったのは、結局深夜も回ってしばらくになってしまった。