辻琥太郎にとって、よく分からない部屋に一緒に閉じ込められた片貝ルチアナ晴海の第一印象は、その見かけに寄らず随分と純粋で危うい思想をよくもまあこの年まで誰にも指摘されずに生きてきたものだ、だった。
「(おそらく、恵まれた体格と容姿、天性の運の悪さも相俟って変な輩に引っ掛からなかったと……)」
初対面にも拘わらず、琥太郎の言う事を真に受け協力するのも厭わない善性の塊は今、定番コーナーから季節限定のコーナーを人の流れに乗って、ぎこちないながらも小さなケーキをひとつひとつ皿に乗せている。
普通の女性よりも背の高いルチアナが列に入ればそれはもう悪目立ちもいいところ。
当初どうすればいいのか困惑している彼女にやり方を横に立って親切丁寧に説明すれば「なるほど」なんて、何も疑わないで教授してくれたことに礼を述べてはにかむ姿に琥太郎もまた当たり障りのない笑みを浮かべた。
ただ「こういう場所に来るのははじめてだ」と、満更でもない通り越して眼鏡越しに目を輝かせる姿を見てしまっては、琥太郎のあるようでないでも少しならあるかもしれない良心が痛む気もしなくはない。
「たくさん取ってきたねー」
「美味しそうなものが沢山あって目移りするな」
「甘いのが飽きたら、カレーとかしょっぱいのもあるし無限ループできちゃうね」
「たしかに」
先に席に座っている琥太郎の向かい席に座ったルチアナの皿にはケーキ同士が肩が触れ合わない程度に乗せられ、どれから食べようか迷うこのひとときも楽しいと云わんばかりに青い瞳が細められた。
傍から見ても分かるくらい嬉しそうなルチアナを観察するのは楽しい。ケージで飼っているハムスターが一生懸命滑車を回したり、ひまわりの種を頬袋に詰め込むの微笑ましく眺めるのと殆ど大差ない気持ちで見ていれば、琥太郎の視線に気付いたのかバツが悪そうにルチアナが顔を背け小さく咳払いした。
そして、食事前の祈りを捧げ一呼吸置いたルチアナは、一番手前にあった定番のショートケーキを口に運びその甘酸っぱさに思わず落ちそうになった頬を抑えた。
「(うーん、ここまでとは……。厳格なお父さんと悪戯っ子な従姉妹さんに改めて感謝しないと)」
ケーキバイキングを堪能して益々気が緩んでいく彼女から情報を聞き出せば女子高に通っていたらしく、そこであまり女性として接してくれる相手はいなかったそう。無論男性との付き合いも皆無。そりゃ何処に出しても恥ずかしくない純真無垢が育つわけだと琥太郎は独り言ちる。
まっさらで無知な彼女の奥の奥、誰の手も触れていない花園を暴き自分にとって都合よく教え塗り替えたらどれだけ面白いだろうか。都合よく部分的な知識が欠如しているからこそ懐疑心を抱く事無く自分の色に染まっていく、それだけで張り付けた笑顔の仮面に隠された顔が愉悦に歪み、倫理観と道徳心を食い破った支配欲と征服欲で脳がアドレナリンで溺れそう。
間を置かず再び二人きりになる部屋に連れて行こうものなら流石に警戒されると思いジャブを入れてみたがそれも杞憂に終わりそうだ。
「(だけど念には念を入れなきゃ。)って、どうしたの?」
「さっきの……子供ができないようにする件だが……」
内容が内容だからか後半口元に手を添え話すルチアナに琥太郎は、人畜無害の仮面を被り直して彼女の言葉に耳を傾けた。顰められた声で話すのを思うに概ね「あること」についての質問なのは分かり切っていた。
真剣さが滲み出る話し方に笑うのを必死に堪え琥太郎は彼女の言葉の続きを待った。
「私なりに考えたんだが、唾液をこ、交換することで免疫を得るのだろう?」
「そうだよー」
「で、だ……、その、他人をジロジロ見るのは不躾だと分かっているが……っ。私たちもアレをしたらどうだろうかっ」
「ん~? あー、ケーキの食べあいっこね」
目をぎゅっと固く瞑り頬はおろかアメリカンスリーブに隠されていない素肌の血色が良くなっているルチアナが指差した方向、これまたラブラブカップルが周囲の目も気にせず「あ~ん♡」している光景に琥太郎の肩が小刻みに震える。
彼女の考えはこうだ。唾液を交換することで免疫を得る、ならばもっとしてみてはどうか、というなんとも愛らしくピュアな発想にとてもイケナイ衝動がかま首をもたげる。
「(いけないいけない、まだ自重しないと……)じゃ、僕たちもしよっか? はい、あ~ん♡」
「!? ……あ、あーん」
躊躇わずにケーキをひと掬いしたフォークを差し出せば、おずおずと親鳥から餌付けされる雛のように食べるルチアナに琥太郎の目が薄っすら弧を描いた。本当に従順すぎて心配になるなこの人は。
琥太郎がしたのなら自分も返さなければならない。緊張で上手くケーキを掬えず、カチカチと固い音を立てようやく一口サイズにしてはやや大きいケーキをフォークで差したルチアナが琥太郎の口元に運ぶ。
琥太郎自身目一杯口を開けたが、口端に白いクリームが付着した感触を感じながらも甘ったるい味を飲み込んだ。目の前で「上手に出来なくてすまない」と、あわあわ申し訳なさそうに紙ナプキンを差し出す美味しそうなチョコレートケーキに琥太郎はわざとらしく口端についていたクリームを指で掬い――。
「もったいないから舐めて?」
ふっくらとした彼女の唇にクリーム塗れの指を押し付けた。
いっそこのまま紅をさすようにクリームを塗ってもいいかもしれない。お願いしているのに見せかけ有無を言わせない上目遣い。戸惑うルチアナの見上げる琥太郎の目が蠱惑的に光る。
彼女の微かな息が指先を撫でるたび、冷たいようで熱い感覚が羊の毛皮を被った狼を一層飢えさせた。
たっぷり時間を掛けたと言ってもそれはルチアナにとっての体感時間の話であり、琥太郎からしてみれば暫し逡巡したのち意を決してクリーム塗れの指を口に含む光景は周囲から見ても一瞬の事だった。
あたたかな口腔内を調べたい欲をぐっとこらえ何食わぬ顔で引き抜いた指をおもむろに口に含んだ。うねる舌で指をしゃぶり微かに甘い彼女の味を味わう。控えめにそれでいてわざとらしく情事を連想させるように見せつけて。
「(っていっても、ルチアナさん”まだ”分かってなさそう)」
真向かいに座っている当人は、赤面するでもなく「やはりしっかり唾液を交換した方がいいのか」と至極真面目な顔で一人頷いている。本当に危機感の”き”の字もない。ノートとペンがあれば真剣にメモを取りそうな気配にとうとう琥太郎は耐え切れず噴き出した。
周囲の視線がこちらに向けられている気配なんてどうでもいい。ただただルチアナなりに考えた愛らしさに笑っていたい。
「ひぃー、ひぃー。久々に声出して笑ったー」
「大丈夫か? 水、持って来ようか?」
「へいきへいき。そうだ僕が子供ができないようにしないといけないって教えたこと、覚えてる?」
「? ああ、覚えているぞ?」
「うふふ。それには続きがあってね――」
そのあとネタばらしよろしく琥太郎の口から聞かされた真実にルチアナは、限界まで大きな体を縮め羞恥心から顔を両手で覆い隠したものの、半紙よりも薄っい謝罪をする琥太郎を指の間から睨みつけたが睨まれた当人曰く「全っ然怖くないね。むしろ可愛くて今すぐ食べちゃいたいのを抑えるのに必死だったよー」だったとのこと。
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