もち粉
2026-03-23 19:18:37
12593文字
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婚約破棄してもらうため浮気を画策しましたが、何一つうまくいきません。(前編)


カブミス
政略結婚 婚約破棄を目論むミスさん
※名前のあるモブが出張ります


正式タイトルは「婚約破棄してもらうため浮気を画策しましたが、何一つうまくいきません。――悪役令嬢に扇子はつきものです――」なんですが長すぎて入り切りませんでした



しかし、具体的にはどう動くべきか。

ミスルンが今から辞退を申し出ることは、不可能ではない。
だが本国では、メリニは未だに未開の後進国に過ぎないと見なされている。その上、長命種にとって短命種との婚姻は、幼子と番うような忌避感すら覚えられるものだった。

事実、今回の縁談を打診された本国のエルフ貴族たちは、揃いも揃って急病に伏すか、あるいは突如として運命の相手を見つけ出し、式場へと駆け込んでいった。

候補者が尽き果てた結果、すでにメリニに赴任しているミスルンかパッタドルのどちらかが泥を被れ――という、実質的な王命が下ったのだ。
パッタドルはまだ成人したばかりだ。彼女には輝かしい未来がある。これから恋だってしたいだろう。だからこそ、ミスルンは自ら名乗り出たのだ。
ミスルンが辞退すれば、パッタドルにお鉢が回ってしまう。

かといって、現在のメリニと西方の力関係では、メリニ側から白紙撤回を要求することなど許されない。

(西方が、強く出られないような状況を作る必要がある)

……浮気だな」

不義の子として産まれたミスルンには、不貞行為というのは唾棄すべきものであった。だが実際に身を汚す必要はない。要は醜聞を演出し、エルフ側に非があるという体裁を整えればいい。
西方が「婚約破棄もやむを得ない」と折れるだけの「正当な理由」をカブルーに与えればいいのだ。

よし、方針は決まった。
だが、最大の問題が横たわっている。
どうやらカブルーのジュリエッタへの想いは一方通行のようなのだ。

カブルーを待たず姿を消したその足で、ミスルンはジュリエッタの様子見へと向かった。
彼女は最近外務局に異動してきた才媛で、ミスルンも数度顔を合わせているが、言葉を交わした覚えはほとんどない。


細かく巻かれた明るい金髪、きりりと吊り上がった勝ち気な眼尻と、固く引き結ばれた形のよい唇。均整のとれた体つき。
窓越しに見るジュリエッタは、部下が差し出した書類を一瞥するなり、鮮やかな赤ペンで断罪するように修正を入れ、突き返した。

「不備だらけですわ。やり直しなさい!」

激しい叱責が漏れ聞こえてくる。不手際への指摘に留まらず、相手の勤務態度や身だしなみにまで及んだ辛辣な追及に、ミスルンは思わず眉をひそめた。

(……そこまで言う必要はないだろうに)

カブルーの愛する女性ならば、自分などが打ちのめされるほどに慈悲深く、素晴らしい淑女であってほしかった。それとも、恋人の前でだけ見せる別の顔があるのだろうか。

その時、植え込みの陰から彼女を観察していたミスルンは、至近距離で草むらに身を潜めるようにしてジュリエッタを凝視している人影に気がついた。

​「おい」
「ひゃあ……っ!? ミ、ミスルン様!?」

​茂みの奥から飛び出したのは、ひょろりと背の高い、気弱そうな男だった。鳶色の瞳を泳がせ、驚愕に震えている。

「私の顔を知っているのか。ならば話が早い」
「は、はい。ジュリエッタの……その、婚約者候補の閣下ですよね……

「そうだ。そのジュリエッタ嬢について知りたい」


​ロメオと名乗ったその男の話を総合すると、ジュリエッタ・キャドゥは現在三十歳。安価でありながら洒落た意匠の生活雑貨を取り扱うことで人気の大規模な雑貨屋の生まれである。
(五歳上か、悪くない。妻が年上の方が夫婦はうまくいくというからな)

今までの法律関係の部署から異動したばかりで、不慣れな環境に苛立っているらしい。だが、男社会の官僚組織において、女性として一番の出世頭であることは疑いようのない事実だった。
(なるほど、カブルーは優秀な人材を好むからな、納得だ)

「仕事一筋で、女性として甘えることがなかなかできない意地っ張りな方です。でも、本当はとても優しく、可愛らしい人なんです。だからどうか、どうか彼女をよろしくお願いします」

悲痛なまでに真剣なロメオの訴えに、ミスルンは力強く頷いた。

「任せておけ」

​(カブルーは、彼女のそんな健気な本質を見抜いているのだろう。
――必ず、二人を幸せにしてみせる)

​茂みの暗がりで、妙に密着したまま密談を交わす二人を、ミスルンを探しに来たカブルーが冷たい目で見ていたことにミスルンは気が付かなかった。



ロメオのおかげで、ジュリエッタについての調査はスムーズだった。
やはり現時点で、彼女がカブルーに対し特別な感情を抱いている気配はない。

一瞬、自分にもカブルーの心を捉えるチャンスが残っているのではないかと卑しい期待が喉を鳴らす。

……馬鹿なことを考えるな)

私がカブルーを振り向かせるよりも、カブルーがジュリエッタの心を射止めるほうがよほど現実的な結末だ。
そう、彼女だってカブルーのあの眩しさに触れれば、すぐに夢中になるに決まっている。

大使館の自室でひとり溜息をついたミスルンの視界に、一冊の本が飛び込んできた。
副官のパッタドルが「西方では今、こういう物語が流行っているんです! メリニでの翻訳出版を検討したくて!!」と、鼻息も荒く置いていった派手な装丁の小説だ。

​表紙には、ヒロインらしき女を強引に抱き寄せる男と、その背後で手の甲を頬に当て、高笑いをする女。その高慢そうな女の吊り上がった目元が、どこかジュリエッタに似ている気がして、思わず手に取った。

​『平凡な私がまじめに仕事だけしていたら、なぜか王子に溺愛されていました!? 〜嫉妬深い婚約者は今日も私を階段から突き落とそうとしています〜』

……タイトルが長い)

題名だけでオチまで明かしているのではないかという疑念を抱きつつ、頁をめくった。

あたりが暗くなる頃、ミスルンは本を閉じ、深く頷いた。
​「なるほど……。『悪役令嬢』か」

高貴な婚約者(ミスルン)がありながら、真面目に仕事をする平民のヒロイン(ジュリエッタ)に心惹かれる王子(カブルー)。
当初仕事一筋のヒロインは王子を相手にしないが、王子の婚約者である悪役令嬢は嫉妬のあまりヒロインを徹底的に虐げる。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
パシャリ。

「熱っ……!」
「あら、ごめんあそばせ。手が滑ってしまいましたわ」

公爵令嬢は、けぶるような金色のまつ毛に縁取られた瞳を意地悪げに細めた。
決して裕福ではない両親が、やりくりしてなんとか用意してくれたドレスに紅茶の染みが広がってゆく。

「ひどい……

唇を噛んで屈辱に震えるヒロインに、バサリとみすぼらしいドレスを投げつけた公爵令嬢は扇子を開いて高らかに笑った。

「着替えを貸してさしあげますわ。
私の殿下につきまとう泥棒猫には、そのマタタビ色のドレスがお似合いよ!」

「よさないか! 汚れなき彼女をいじめることは、たとえ君でも許さない!!」
「殿下? そんな庶民の肩をお持ちになるの!?」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ヒロインは自分を庇ってくれる王子に徐々に好感を抱き、一方悪役令嬢は周囲からの不興を買い、最終的に王子から婚約破棄を突きつけられるのだ。

……これだ。ここに婚約破棄の口実を上乗せしてやればいい。そうすれば、二人の仲を深めつつ、同時にエルフ側の非を認めさせる事ができる。完璧だ。

​「必要なのは、扇子と、高笑いと、階段……か」

ミスルンは明かりを灯すと、もう一度読み込むべく、真剣な面持ちで筆記具を手に取り、付箋の束を引き寄せた。


(私が、悪役を演じればいいのだ)




​二日後。ミスルンの手には、西方の意匠が凝らされた見事な扇子が握られていた。
華奢な手首をわずかに返せば、はらりと広がる。扇面に張られた薄紫の絹がミスルンの口元を優雅に覆い、その影で浮かべられる酷薄な笑みを隠す。
不機嫌そうに眉を跳ね上げ扇を閉じれば、真っ白な象牙の骨がパチン、と乾いた音を立てる。
……この、音を立てて閉じるのが難しくて二晩を練習に費やしてしまった。指先が痛い。


​ミスルンは、外務局の廊下で部下に厳しく詰め寄っているジュリエッタを見つけた。

「なんて使えない男ですの!? 慣例? 笑わせないで! 全て私の承認を得ろと通達したはずよ! そんな事も覚えていられないなんて、貴方のその頭は飾りなのかしら!?」

金切り声が石造りの廊下に反響し、若い役人が目に見えて縮み上がっている。廊下の角では、同僚たちが息を殺してその様子を窺っていた。

「出たよ、ジュリエッタ様のヒステリー」
「あれじゃあ、嫁の貰い手もないわけだよ」
「ミスルン閣下と結婚すれば、家庭に入ってくれるかと思ったのになぁ」

​​(……絶好の機会だ)

陰口を叩く役人たちの横を、小柄な影が通り過ぎる。
ハッと口を噤んだ彼らには目もくれず、その人影は、ぱさり、と扇子を開いて、ひとつ息を整えた。
そして本で学んだ通り、カツンと踵の音を響かせて進み出る。悪役令嬢は、この音と共に現れると決まってる。

​「……何をしている、ジュリエッタ・キャドゥ」

​氷のような声に、ジュリエッタが肩を跳ねさせて振り返った。

​「ミスルン様!? い、いえ、これは部下の不手際を教育して……
「耳障りだ。貴女の声は建物の端まで届いている。そんなに喚かなければ自分の正当性を証明できないのか?」
「なっ……!」

――パチン。
ミスルンは閉じた扇子の先で、唇を噛んで俯いたジュリエッタの胸元を指し示した。
彼女の白い頬は、屈辱に赤く染まっている。

​「部下に怒鳴るのはやめるんだな。彼らは貴女の敵ではない。
失態があったのなら、感情に囚われずその原因を探れ。誰にでも起こりうるミスならば、個人の資質に頼らない、再発を防ぐ『仕組み』を構築するのが上司の役目だろう。
……喚き散らすのは、自分が無能だと宣伝するだけだ」

​静まり返る廊下。
ジュリエッタは目を見開き、あまりの衝撃に絶句している。

(さあ泣け! そして話を聞いたカブルーに慰められろ!!)

追い討ちの高笑いを繰り出すべく、深く肺に空気を吸い込むミスルンの前で、ジュリエッタはガタガタと震えだした。

​「……ッ!」
(来るか……?)

​「……おっしゃる通りですわ! 私……自分の狭い能力を過信して、組織を円滑に回すための努力を忘れておりました!」

​ジュリエッタは胸の前でその白魚のような手を組むと、菫色の瞳を煌めかせて自分よりも頭一つ小柄なミスルンに、ずいと顔を寄せる。

​「ミスルン様、ありがとうございます! この年齢になると、正面から叱ってくださる方もおりません。
慣れない部署で早く結果を出そうと空回りしていた私を諌めてくださって……。なんて、なんてお優しい方なのでしょう……!」

……え?」

​ジュリエッタは直立不動の姿勢から、腰が折れんばかりに深々と頭を下げた。その瞳に宿っているのは屈辱の涙ではなく、雷に打たれたような熱狂的な感銘だ。

​「ミスルン閣下、最高にかっこいいです!」
「ジュリエッタ様、話せば分かる方だと信じておりました!!」

固唾を呑んでいた周囲の役人たちからも、堰を切ったように安堵と称賛の拍手が巻き起こる。

​「ああ……この胸に落ちたのは冷たい叱責ではなく、眩い啓示……! もし私が暗い夜の城なら、ミスルン様はそこに射し込む暁の光! 私は今日、今この瞬間、新しく生まれ変わりましたわ!!」

片手の指先を胸に添え、もう片方の手を大きく広げながら天を振り仰ぐジュリエッタ。

……ちょっと何言ってるかわからないです、ジュリエッタ様」
「前の部署の奴に聞いたけど、彼女、感情が昂るとああなっちゃうらしいよ」

「あ、いや……わかってくれたのなら、それでいい」

ミスルンは後ろでヒソヒソとささやき交わす役人たちの声を聞きながら、扇子の影で、放つはずだった高笑いを飲み込んだ。

(おかしい……泣き崩れるジュリエッタに追い討ちの冷笑を浴びせるはずだったのに)



その一部始終を――
窓の外の茂みから、ロメオが熱い瞳で見つめていた。

​(嗚呼、ジュリエッタ……! 人は叱責で砕け、称賛で驕るものだというのに。君は厳しい啓示を糧に、自らを研ぎ澄ます気高き剣となる……。やはり君こそが、"女性官吏の星"の名に相応しい……!)

​ロメオの頬を、一筋の感動の涙が伝い落ちた。