突如として海から浮上した黄金城、そして新生メリニの建国。これを世界に先駆けて承認し、即座に外交官を派遣して国交を樹立したのは、意外にも西方エルフの国であった。
この世界有数の大国の後ろ盾があればこそ、生まれたばかりのメリニが国際社会という荒波に漕ぎ出せたことは否定できない。しかしその代償として、諸国からは「エルフの傀儡の王国」と見なされているのも、また揺るぎない事実であった。
短命種の国として、世界と対等に渡り合いたいメリニの為政者たちにとって、現状は忸怩たるものがあった。
だが、建国からわずか三年の弱小国。今は西方の配下にあると思わせておくのも、生存戦略の一つと言えた。むしろ、背後のエルフの影を勝手に恐れ、他国が手出しを控えてくれるなら安い代償だ。
幸いなことに、現在かの国から派遣されている外交官、ケレンシル家のミスルンは、自国の権益ばかりを強権的に押し付けてくるような男ではなかった。
少なくとも、彼とその副官がメリニに赴任している間は、この微妙な均衡に甘んじても実害はないだろう。
宰相ヤアド・メリニの現実的な判断により、両国は適度な距離を保っていた。
一方、世界の覇者たる西方エルフの女王は、魔力に満ちた執務室で、ぼんやりと光る通信の水晶玉を慈しむように撫でた。
悪魔を喰らった男が興したメリニ。その歪なほどに急速な発展は、女王の好奇心を大いに刺激した。
(もう少し、手元に引き寄せて囲い込んでも悪くないわね……)
――かくして。二国の関係をより強固に結ぶべく、政治的な婚姻が決定された。
驚くべきことに、西方からメリニへ「嫁ぐ」という、破格の条件を伴って。
「カブルーが、私と縁組するというのか……?」
黄金城からの使者が持参した、意向伺いの文書。その羊皮紙の端を指先で微かに震わせながら、ミスルンは困惑の声を上げた。
「だが、私の相手はジュリエッタ・キャドゥ嬢でほぼ内定だと。……何かの間違いではないのか」
「ええ、確かに当初はキャドゥ女史で話を進めておりましたが、この度の婚姻はあくまで両国の親密さを内外に示すための象徴。世継ぎを必要とする性質のものではありません」
メリニ側としても想定外の結論だったのだろう。年老いた使者は、かすかに頭を振りながらさらに言葉を継いだ。
「であれば、むしろ『対等な関係』を強調するために、同性同士の方がより現代的で洗練された印象を与えるのではないか――という判断に至りましてな。
……とはいえ、やはりコトがコトですからね。ご本人に同性婚の意志があるかどうか、改めてお伺いに参りました次第です」
「ああ、私は構わない。……カブルーなら、知らぬ相手でもないし」
望ましい答えを得た使者は、満足気に一礼し、踵を返して去っていく。その靴音が遠ざかるのを待ってから、ミスルンは胸元の服を強く掴んだ。
衣越しに、騒がしいほど早まった鼓動が手のひらへ直に伝わってくる。
「私が――カブルーと……結婚?」
あの男が、理由もなく誰かの人生に深く踏み込むはずがない。きっと何か政治的な思惑や、彼なりの計算があるのだろう。
それでも。
(たとえ、打算だとしても)
――そんな幸運が、こんな私にあっていいのだろうか。
意向伺いの日から、さほど月日は流れていない。
それでも、城内の回廊を並んで歩く二人の肩の距離は、以前よりもわずかに縮まっていた。
「その……よかったです。ミスルンさんが、俺との婚姻を承諾してくれて」
隣を歩くカブルーが、はにかんだような笑みを向けた。
外交の席で見せる作り笑顔じゃない。
あの日――泣き笑いする私を引き寄せて抱きしめてくれた時のように、心からの笑顔。
――期待してしまう。
「問題はなかったから。よろしく、頼む……」
それだけのやりとりなのに、胸がいっぱいで言葉が続かない。まるで夢の中にいるかのようで、自分がまっすぐ歩けているか確証がない。心許ないほどの幸福感が全身を支配していた。
「ふふ。まあ、正式な婚約は西方の使節団が来て調印して、女王陛下の裁可が下りてから、ですね」
カブルーが立ち止まったのに連れてミスルンの足も止まる。
青い瞳に真っすぐに見つめられる。それだけで、心臓が早鐘を打つ。顔がどんどんと熱くなっていくのが自分で分かる。
不意にカブルーの腕が伸び、ミスルンの手を取り上げる。
「でももう……今この瞬間から、貴方のことを婚約者と思っていてもいいですか?」
「も……問題ない。内定はしたのだし、もう決まったようなものだろう?」
「よかった」
カブルーは顔をほころばせると、恭しく頭を垂れ、ミスルンの手の甲にそっと唇を落とした。
言葉を失うミスルンを愛おしげに見つめ、弾んだ声を上げる。
「すみません、この書類置いてきますから、ちょっとだけここで待っててもらえますか? よかったら、このあと食事に行きましょう」
軽やかな足取りで去っていく後ろ姿を見送りながら、ミスルンは茹だりそうな頬を両手で覆った。
(政略結婚! これは政略結婚だ。分かっている、浮かれすぎるな。だが……)
だがその直後、廊下の角を曲がった先でカブルーが漏らした呟きを、エルフの鋭敏な聴覚が拾ってしまった。
「……これで」
間違いなく、カブルーの声だった。安堵に震え、どこかやり遂げたような響き。
「これで、ミスルンさんがジュリエッタと結婚するのは避けられた」
さらり。と甘い夢の端が崩れる音がした。さらさらと粉砂糖のようにミスルンの胸から何かが落ちていく。
(……ああ)
一瞬で、すべてが腑に落ちてしまった。
(そうか。そういうことか)
自分が選ばれたわけではない。
ジュリエッタを守るため。
カブルーは、愛する彼女の身代わりとして、私のような不具のエルフに人生を捧げることさえ厭わないほど、彼女に献身しているのだ。
信じられないような幸運に浮ついていた心が、すとんと落ちる。
代わりに残ったのは、妙に冷静な納得だった。
(……ほんの少しだけ、分不相応な夢を見た。
それだけのことだ)
なあ、カブルー。私はお前を愛してる。
お前が、彼女にその魂を捧げているのと同じように、私はお前を愛してる。
(まだ調印前だ。正式な裁可が下るまでなら、まだひっくり返せる)
お前を愛してるから、お前がジュリエッタと結ばれるよう、なんとかしてやろう。
(心配するな――私が全て、うまくやる)
「あれ? ミスルンさん?」
用件を済ませて戻ってきたカブルーの問いかけに答える者は、もうそこには誰もいなかった。
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