史加
2026-03-19 00:20:44
20996文字
Public サンプル
 

【5/5サンプル①】セントエルモの灯に祈る

フリンズ+イルーガ/2026年5月5日スパコミ頒布予定サンプル


『■■■・■■■■■■■■■■・■■■■』




 快晴の空の下に賑わう人々の声が響いている。色とりどりの天幕が並び、各国より集まった商人や料理人が露店をひらいて商いをおこなう姿はすっかり見慣れた光景だ。しかしかつての物々しさや荒涼とした風を知る者にとってはどうにもまぶしくてかなわない。
 月の光を集めた目を細め、唇にうすく笑みを浮かべた黒衣の男は雑踏の中をゆったりとした足取りで進む。陽の光のあたる場所を歩くのももう慣れたものだった。
 かつてはライトキーパーの本部としての機能に重きを置いていたピラミダの街は、ワイルドハントの沈静化に伴い人々の健やかで明るい活気に満ちていった。ライトキーパーたちが世代を越えてピラミダを故郷とし続けるだけでなく、アームスヴァルトニル湖やエンブラの柱に残されている伝承に心惹かれた学者や冒険者が移住してきたり、新たな商機を求めてやってきた商人がビジネスに成功して代を重ねていったりと、この三百年ほどでかなり人口が増えている。
 今も脅威は完全に消え去ったわけではなく、ライトキーパーと呼ばれる者たちは存在し、人々の安寧を守るため今日もランプを手に方方を駆け回っているが、昔と比べてずいぶんと安全な仕事になったのは確かだ。主なきランプを見つけて胸を痛めることがほとんどなくなったのは喜ばしく、あの時代を壮大に生きた者たちにとって何よりのはなむけとなるだろう。
 ピラミダは今やナド・クライの地に刻まれた戦乱と犠牲の歴史を風化させぬための場所であり、平和の象徴のひとつとして数えられるようになった。街の南方にある小さな港も多くの船が訪れるようになり、ナシャタウンに負けず劣らず栄えている。この光景を旧友たちが見たらそれはもう、心の底から嬉しそうな、安心したような顔をしたことだろう。
――♪」
 遠き日に別れを告げた人々の顔を脳裡に浮かべたとき、唐突に姿を現した黄金の夜鳴鶯が男の肩に止まった。
 白み始めた空の色に似た長い髪の中に隠れて過ごしていることもあれば、かつての主が所有していた目の中に宿り大人しくしていることもあるこの「友人」が、男の肩を止まり木とするのは珍しい。何かあったのだろうかと足を止め、黒革の手袋に覆われた指先でそっと小さな頭を撫でると、ちいさく鳴きながら擦り寄ってくる。
「どうしましたか? ……ああ、別に悲しんでいるわけではありませんよ。ただ今日という日が穏やかであることを、心から嬉しく思っているだけです」
 この世でまばゆく輝く光の美しさと尊さを知る夜鳴鶯は、どこかひとの心の揺らぎに敏感だ。この懐旧に悲しみや憂いはないのだと言の葉に乗せて伝えても、まるで光と影が離れることなく存在するように、その奥に滲むひそやかな感情に寄り添おうとすることをやめはしない。
 いずれにせよ黎明の光で編まれた友人の存在は目立ってしまう。金の夜鳴鶯を連れたライトキーパーの噂はどういうわけか風に乗り、はるか遠い異国にまで伝わっているのだ。名も知らぬ人々から羨望や期待に満ちた目を向けられるのはあまり得意とすることではない。
 友人の気が済むまで身を隠そうと、男は近くに積まれている荷の影に潜もうとして、けれど失敗する。急に友人が群衆の中へと飛んで行ってしまったからだった。
 何も言わずに金色が先行するときは、大抵誰かの命が脅かされている。一見すると平和そのものでも、その裏で牙を研いでいる脅威の存在に気付いたのかもしれない。ならば一刻も早く状況を確認し、場合によってはすぐここにいる民間人をピラミダまで避難させなければと、男もすぐに後を追う。
 あくまで周囲を動揺させることのないよう、落ち着き払った流麗な足捌きで。しかし素早く人混みを掻き分け、そうして――
「♪」
……わあっ! と、鳥? っふふ、くすぐったい……
 港の中心部より外れたところにある積荷の前でぽつんとひとり立つ少年の肩に止まり、甘やかな声で囀る夜鳴鶯の姿を見つけて、男はつい立ち尽くした。
 吹き抜ける潮風が、ふわふわとやわらかな銀灰色の髪を揺らす。夜明けの空に似たブルーグレイのつぶらなひとみがきゅうと細められて無垢に笑う顔に、とくりと脈を打ったのはかりそめの心臓か。
 まっさらな陽の光の下で大小ふたつの影が伸びて、邂逅する。
「あ……え、っと……
 肩口で戯れる夜鳴鶯に気を取られていた少年が、男の存在に気付き見上げてくる。男は静かに少年の前へ歩み出ると膝を折り、目の高さを合わせた。
「初めまして」
「は、はじめまして。君は……?」
「訳あって友人からこの子を預かっている者です。あなたはここにひとりで?」
 尋ねると、はっとした少年が辺りを見回したあと、大きく肩を落とす。大きな目がじんわりと潤み出すのに気付いても、男は表情を崩さぬようつとめた。
……実は、義父さんと、はぐれてしまって。僕がピラミダの街にどうしても行きたいって言って、今日ようやく連れてきてもらえたんです。そうしたらこの人混みで……
 少年を慰めるように夜鳴鶯がそのちいさな身体を寄せて鳴く。男も辺りを見回して、道行く人間の多さにそういえば今日は一週間のうちで最も定期船が多く入港する日だったかと思い出した。
「そうでしたか。それでここでひとり行き違いにならぬよう、大人しくしていたのですね。賢明な判断です」
 むやみやたらに人混みの中を歩き回るのではなく、そこから少し離れたところで親が見つけてくれることを信じてじっと待つのは、幼い子どもにとっては耐えがたい試練のはずだ。立派なものだと素直に褒めると、大きなひとみに溜まった涙がぽろ、とあふれだす。見知らぬ地でひとりぼっちになってしまって、相当怖かったのだろう。あるいは自分が駄々を捏ねてようやく連れてきてもらえたというのに、さっそく迷子になってしまったことで迷惑をかけてしまったと思い詰めていたのかもしれない。
 次から次へとあふれて止まらなくなった涙がまろい頬をしとどに濡らしていく。嗚咽を上げて泣き出した少年の肩に手を置き、男は優しく微笑みかける。
「この地を訪れたのが初めてだというのなら実に心細かったでしょう。よく頑張りましたね」
「〜〜っ、う、うぅ」
「もう大丈夫です。僕たちであなたのお父上を探して、必ず見つけ出しますから。……アドン、頼めますね」
 少年に寄り添う友人を見つめて言うと、金色の鳥は力強く飛び立ちあっという間に港の人混みの中へと消えていった。その姿は目立つものだが、これほどひとが多ければ気付く者はそこまで多くないだろう。少しばかり騒ぎになってしまったとしても、目の前の少年が無事に親と再会出来るのなら些末なことだ。
 あとは友人が無事に父親を見つけ出して連れてくるまで、この少年が何者にも危害を加えられることのないよう守るのが男の務めである。ずいぶん治安が良くなったとはいえ、それでもかつては無法の地として知られたナド・クライは他国と比べると犯罪率が高い。弱者を狙う悪党の存在は世が平和になっても絶えぬものであり、そういった悪意から人々を守ることも灯りを手に世を照らす者が担う役割のひとつだった。
 ぽろぽろと涙を流し続ける少年が乱暴に目を擦ろうとするので、男はやんわりとそれを制して清潔なハンカチを取り出し、甲斐甲斐しく涙を拭ってやる。大きな不安や寂しさを抱えた子どもに必要なのは人肌の温もりであるが、初対面の、それも身の丈が倍くらいある男に抱きしめられなどしたらかえって怖がってしまうかもしれない。慎重に、けれど親身に男は少年に寄り添おうと口を開いた。
「あの子が戻ってくるのを待っている間、少しお話でもしましょうか。先ほどあなたはピラミダに行きたいと言って連れてきてもらったのだと仰っていましたね。何か興味のある物語でも?」
「ぐすっ……僕は、ライトキーパーの話が、好きなんです。昔はもっとたくさんライトキーパーがいて、ランプを手に闇を照らし、魔物と戦って、みんなを守っていたんだって聞きました。そういうひとたちがいたから、今の時代があるんだって……
「ええ、そうです。今では想像もつかないことですが、ワイルドハントが毎日ナド・クライのあちこちで姿を現し、人々の生活を脅かしていた時代がかつてありました。その時代のピラミダはライトキーパーの本部が置かれていた場所であり、マスター・ライトキーパーの指示とライトキーパーの誓いの下、皆灯りを守るために戦っていたのですよ」
 己のうちがわに刻まれている歴史を紐解き、物語に綴り直して語ると、ぱあっと少年が顔を明るくした。
「わあ……詳しいんですね。もしかして、君もライトキーパーだったりするんですか?」
「さあ、どうでしょう。少なくとも今ここにいる僕は小鳥の預かり主に過ぎませんよ。ただピラミダに来ることは多いので、ライトキーパーの物語はもうすっかり覚えてしまいました」
「じゃあ、どうやったらライトキーパーになれるかは知っていますか? 昔は試験を受けて認められたひとがライトキーパーになって、街の門番から夜回り、魔物の退治まで様々なことをしていたんだって義父さんが言ってました。でも今はどうやったらライトキーパーになれるのか、誰もわからないんだそうです」
 すっかり泣き止んだ少年の目には物語に紡がれる名もなき英雄たちへの純粋な憧憬だけでなく、複雑な思いが秘められているようだった。男は静かに望月のひとみを細めて、少年に問うことにする。
「その口ぶりだと、あなたはライトキーパーになりたいのですか?」
 少年は迷いなく頷く。はずみで揺れた銀灰色の髪が陽光を受けてにぶく光り、いつか見たまばゆさを男の双眸に焼き付けた。
……僕には物心のついたときから、家族と呼べるひとが義父さんしかいませんでした。両親は事件に巻き込まれて、多くの人を守る代わりに犠牲になったんだって……」 
「そうでしたか……。では、あなたはライトキーパーになってご両親のように犠牲になる人を減らしたいと?」
……はい。僕の友達も義父さんもみんな、わざわざ危ないことをする必要はないって言います。だけどこうして平和な日常を過ごしている裏側で、誰かが僕の両親のようになっているかもしれない。平和な日常を守ろうとするひとがいなくなってしまったら、みんなが悲しい思いをする日が来てしまうかもしれない。だとしたら……守らなくちゃいけないって、思って」
 小さな手のひらを握り締めて言う少年の言葉に揺らぎはなく、痛ましいほどにひたむきで真っ直ぐな決意が宿っていた。
 いつの時代も悲劇が完全に消え去ることはない。どれほど世界が平和を謳おうと、広大な世界のどこかには悪や危険が存在し、善良な人々の幸福を脅かしている。
 久方ぶりに胸を去来する哀しみに、男は目を伏せた。けれどそれを少年に悟られる前に表情を緩め、固く握り込まれたちいさな手を己の手で包み込んでやる。
「あなたの志は立派なものだと思います。ですが、忘れてはいけません。あなたが犠牲になることで悲しむひともいるということを」
……
「骨と血を燃料に、死よりも壮大な生を生きよう。それがライトキーパーの誓いであり、いつの時代もライトキーパーたちの掲げるランプの灯が消えない理由です。その意味をよく考えた上で、あなたの進む道を決めることをおすすめします。まあ、ライトキーパーになる方法については……少なくとも迷子になって泣くというのは聞いたこともありませんがね」
「うっ……どうして急にいじわるなことを言うんですか! もう絶対泣きませんから!」
「ふふ、そんなに真っ赤になった目で言われても説得力がありませんよ」
 頬をぷくっと膨らませた少年の肌が血色を帯び、そのひとみを覆っていた翳りがうすれる。
 いついかなる時代もライトキーパーは個より全を選び、自らを犠牲とすることを躊躇わぬ存在だ。だがそれは、常に自らを擲つことが最適解であるというわけではない。
 馴染み深い光の気配が潮風に乗って男の元へ届く。どうやら少年と話しているうちに夜鳴鶯は無事探し人を見つけ出せたようだ。
 人混みをすり抜けて先に戻ってきた友人の姿をとらえて、男は立ち上がる。
「ありがとうございます、アドン。ついでにもうひとついいでしょうか」
「?」
 差し出した手に留まった夜鳴鶯は小首を傾げて男を見つめた。
 男は慈愛を滲ませた笑みを浮かべて、そっとささやく。
『彼と一緒にいたいのでしょう? お行きなさい』
 旧き言葉に背を押された金色の鳥はほんの少し躊躇うように男を見つめたあと、静かに少年の元へと飛び立つ。
 誰かが人混みをかき分けてこちらへ向かってくるのが見えた。男は自らの腰に吊り下げている目を外すと、少年を振り返る。
「もうじきあなたのお父上が来ます。僕はもう行かなければなりませんが、ここで待っていてください。それと、この子はあなたのことを気に入ったようです。なのでそのまま一緒に連れて行ってくださると助かります」
「え? でも、この子は君が友人から預かったんじゃ……
「ええ。ですがもうその友人はこの世にいません。ですからこの子が望む場所にいるべきなのですよ」
 戸惑いを見せる少年の手を取り、男はその無垢で傷ひとつない白い手のひらの上に外した目を置いた。
 光の宿らぬ空っぽの目の上に夜鳴鶯が止まり、少年と男を交互に見上げる。
「この「目」を肌身離さず持ち歩いてください。そうすれば、きっとこの子があなたを守ってくれるでしょう」
……本当にいいんですか? この子を僕が預かったら、君は……その、寂しくなってしまわないんですか?」
 男の言葉をただ受け止めて流すのではなく、純粋に案じてくるその真っ直ぐさがまぶしくて、懐かしくて、温かくて――寂しい。
 心臓の裏側でちりちりと炎が焦げ付くような感覚に苛まれながらも、男は微笑みを崩すことなく答える。
「ご心配なく。あなたのようにひたむきで優しい人々が幸せそうに笑っている顔を見られれば、悲しいことなどありません。それではどうかお元気で――イルーガ」
 え、と少年が目を見開くより先に、強風が吹き抜けた。
 ごうと唸りを上げるそれに辺りの人々が声を上げ、あるひとは捲れ上がる天幕を押さえ、あるひとは目を閉じる。
 少年も夜鳴鶯が吹き飛んでいってしまわぬよう咄嗟に胸に抱き締めてぎゅうっと目を瞑り、風の落ち着くときを待った。
 そうして目を開けると――そこにはもう男の姿はなかった。
 
 ……一体どこへ行ってしまったのか。
 少年が辺りをきょろきょろと見回していると、覚えのある姿が駆け寄ってくる。
「イルーガ! ここにいたのか……よかった……!」
「あ……義父さん!」
 義父の腕に力強く抱き締められるも、イルーガはすぐ我に返り俯いた。
「すみません。迷子になって、迷惑をかけてしまって」
「いいや、むしろ目を離してしまってすまなかった。怪我はしていないか? 誰かにひどいことをされたりは?」
「大丈夫です。さっきまで親切なひとが一緒にいてくれて……あと、この子を僕にって預けてくれたんです」
 身を案じてくれる義父の優しさにむずがゆさと居た堪れなさを覚えつつ、先ほど出会った不思議な男から預けられた金色の夜鳴鶯と、光の灯っていないガラス玉のような不思議な宝玉を見せる。途端に義父は驚いたような顔をして、茫然と呟いた。
「金色の夜鳴鶯を連れた……まさか……あの噂の……?」
……義父さん? もしかしてあのひととこの子のことを何か知ってるんですか?」
 イルーガが尋ねると、義父は小さな双肩に手を置き、まだ幼いひとみをしかと見つめて言う。
……イルーガ。これからピラミダに行けば、きっとある物語を耳にするだろう。だからそれは肌身離さず、誰かに安易に見せないよう隠し持っておきなさい。その子のこともなるべくひとに知られてはいけないよ」
 いつになく真剣な義父の言葉にイルーガは頷き、ひとまず上着のポケットの中に宝玉をしまい込む。光で出来た夜鳴鶯はいつの間にか宝珠の中に入ったようで、虚ろだったガラス玉に淡い金の光が宿っていた。
 今度ははぐれてしまわぬようしっかり義父と手を繋ぎ、イルーガはピラミダへと歩き出す。
 そうして彼は耳にすることになるのだ――とあるライトキーパーの物語を。
  
 

 歴史に名を残す最後のマスター・ライトキーパー、イルーガ。
 彼の死後より、ライトキーパーの存在は蒼き謎に包まれることとなった。
 かつてライトキーパーの門戸は誰に対しても開かれており、試験を経て認められればその名と誓いを胸に戦場に立つことを許されていた。しかし、この世からワイルドハントの脅威が薄れていくとともに、人々の覚悟の重みもだんだんと失われていった。
 ゆえにイルーガ亡き後、彼の意志と、彼の連れていた黄金の夜鳴鶯を受け継いだという次代のマスター・ライトキーパーは、新たなライトキーパーの選出に関わる情報を日の光の当たる世界から隠すことにした。
 それは真なる覚悟とともに誓いを背負わんとする者だけが新たな灯の守り手となり、世界の安寧を影より照らし続けられるようにするためなのか。名もなき英雄たちへの薄っぺらい憧憬が誓いの意味を軽んじ、はき違え、本来起こるはずのなかった悲劇を生み出すことを防ぐためなのか。
 いずれにせよイルーガの死後二百五十年が経つ今の世界において、その真相を知る者はほとんどいない。そもそも当代のマスター・ライトキーパーが誰であるのかも、何度代替わりしているのかも、その情報はすべて謎に包まれており、少なくとも日の光の当たる世界を生きる者が知る術は存在しない。
 ただひとつだけ、はるか遠き国まで伝わっている物語がある。

 今もこの世を影より照らし守るマスター・ライトキーパー。
 黄金の夜鳴鶯を連れてナド・クライを日々見守る彼の正体は旧き時代につくられた妖精であり、そのランプの炎はかつて犠牲となった無数のライトキーパーの骨と血を燃料に消えることなく燃え続けている。
 煌々と燃えて夜を照らす蒼炎はまるで鬼火のようであり、昼の世界を歩く際も夜の帳を纏った麗人のすがたをしているという、そのひとの名は――