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織音
2026-05-09 00:00:00
12911文字
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錆ビタ人形ノ声
『おやすみなさい、指揮官』
乱数機体、終焉の灰燼塗装で幻覚を見て。捏造たくさん。⚠︎破損、流血描写あります。
エデンの祭日Ⅲ開催おめでとうございます。少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
1
2
3
呆然と立ち尽くした廃墟の真ん中で、東の方へ遠く伸びていく影を眺めていた。ふと上げた視線の先、薄い灰色の雲が覆っていた空が色を変えた紺混じりの橙を見て、もう日が暮れていたことに気が付く。
――
ああ、もう夜になるのか。
機体を撫でる夜の風は容赦なく機体表面から温度を奪っていく。夏とは違うこの風の冷たさは、人間であれば防寒具がなければ耐えられないだろう
……
僕一人だけを乗せて季節を巡る回転木馬はもう数百を数えた雪の降る季節へ行く。生きている限り降りることの出来ないそれは、無情に季節を廻るだけ。
冬は嫌いになった。傍にあった温もりのおかげで悪くないと思えた季節の全ても今はもう好きとは思えないが特筆して冬は嫌いだ。春も夏も、秋でさえ何か音が存在するのに、冬だけは廃墟も草木も空でさえ白銀が覆って、死んだような静寂に全てが潰えていく。それが嫌いだ。今この世界にただ一人だという現実を否応なく突き付けられてしまうから。
「
…………
」
行くあてもないまま歩き出す。保全エリアだった残骸の廃墟は永い時の間に風化して崩れているが、かつての面影を残したまま。
だからこそ苦しい。強く目を瞑ってもたった数秒の現実逃避にしかならないことが痛い。もう思考を止めてしまいたい。少し
――
休めるところが欲しい。
構造体なのだから別に夜を越すだけなら柔らかなベッドの上でなくとも屋外の瓦礫の上だっていい。休憩ポッドがない今、何処で休んだって変わりはないが
……
まだひとの形をしたままの心は安心して休める場所を求めていた。
「
…………
っ」
視覚モジュールのノイズが酷くなって、廃墟の壁に手をつく。おさまる気配のないノイズの中何処に向かっているのかもわからないまま歩き続けた。歩いて、歩いて、歩いて。
ようやくノイズが晴れた視界の先に映ったのは保全エリアの中でも比較的崩れ落ちずに残った廃墟だった。黄金時代に存在していた集合住宅とよく似ているそれを見て、ふと疑問に思う。
――
こんな建物、この保全エリアに在っただろうか?
黒い口を開けて獲物を待ち構えるような入り口。その奥で宵闇に続く古い階段が誘うように上へと伸びている。
「
…………
」
ほとんど無意識的にそこへ足を踏み入れていた。簡易的なスキャンの結果は敵性反応なし。建物が崩れる心配もないだろう。
折り返し階段を一段登るたびに靴音が闇の中に吸い込まれていくみたいに響いた。確か三階構造だったはずと頭上の闇を見上げて、すぐに目の前へと視線を戻す。
無感情に登った階段の先、辿り着いた最上階の部屋の一室。まるであらかじめ誰かが開けておいたかのように半開きになった扉の隙間から明かりが洩れている。敵性反応は確認できなかったが、また長い眠りから覚めた侵蝕体がいるのだろうか。
一つ、二つ、と扉を数えながら歩く靴音が宵闇に溶ける。五つ目を数えた扉の目の前で双銃の片割れを手に取ろうとして、そのままドアノブに手をかける。侵蝕体がいようと、罠だろうがもうどうでもいい。罠だったのならばそれで構わない。
扉を開け放った先、そこには捨て置かれた寝台があった。それ以外何一つ存在せず、月明かりが差し込んだ窓際にただそれだけがある部屋だった。
置き去りにされたままの寝台は戦火に晒されていたのかマットレスは端が焼け、シーツは意味を成さないほどに裂けている。とはいえ、まだこんな寝台が朽ち果てずに残っていたとは。今すぐに目の前のそれに体を預けるように倒れ込みたくて部屋の奥へと歩みを進める。文明が潰えた此処には当然、誰もいないはず、だったと言うのに。
「
――
♪」
聞き間違えるはずのない声が、聴覚モジュールに届く。遠い昔に何度も聴覚モジュールを揺らし、何度も意識海の中で聞いた声。僕の血に濡れた昏い闇を照らしてくれた、寄す処の月明かり。
夜風に揺らめいた髪が視界の中で月明かりを弾き返す。いくら視覚モジュールをノイズが満たしていようと見間違えるはずがない、あの人の姿だけは。見開いた視覚モジュールの先、誰一人として存在していなかったはずの寝台の上で眠るように身を丸めて。あの人は知らない歌を口ずさんでいた。
「
―――
」
思わず口にしたあの人の名前は声になっていないはずだった。声という形の音を吐き出せない喉が吐き出したのはただの空気。
「
――
?」
それなのに。あの人はまるで本当に自分の名を呼ばれたかのように体を起こした。閉じられていた瞼が開かれて、薄闇の中で微かに光を映す。月に似た静かな瞳がゆっくりと視線を上げ、僕の姿を捉えた瞬間。その唇が綻ぶみたいに、緩やかに弧を描く。
「
……
リー」
錆びた月の下、指揮官が笑っている。
遠い日に失われ、此処にいるはずのない彼の姿はあの日と変わらないままで
――
まるで還るべき場所に還れず、現世に置き去りにされたままの記憶のようだった。窓を通り、彼のつま先に溜まった青白い月明かり。そこに彼の影がないこと
……
それが彼がこの世にはもう存在しないことを証明していた。
「
――
しき、か
……
」
疾うに潰れていたはずの発声モジュールから掠れた音がした。最早声とも呼べないそれは誰が聞いても言葉だなんて認識すらできないだろう。しかし言葉という列を成せない音に指揮官は奇麗に笑うと、白い指先をこちらに向けて錆びた月が照らす下へ手招きする。
「リー、おいで」
ギシ、とどこかの関節部分が音を立てた。
今此処にいる彼は僕の視覚モジュールのエラーだろうか、それとも月明かりの幻?ああ、こんな全て朽ち果てて死んだ世界で、目に映るあの人が偽りかどうかなど最早些細なことでしかない。あの人が僕を呼んでいるのなら。意識海に過ぎった遠い日の夜、あの日と同じ言葉。あの日と同じように僕を呼ぶ声に錆び付いた体は導かれる。
古びた寝台がもう一人分の重さを受け止めて悲鳴を上げる。柔らかなマットレスの上、交わった視線の先でずっと求めていたものを見つけたかのように嬉しそうな色を溶かした瞳が揺れて、指揮官の腕が僕の機体を優しく抱きしめた。
「ずっと、待ってたんだよ。君が来てくれるのを」
壊れかけた機体の表面を優しく撫で下ろすその手に、錆びた機体を柔らかく包んでくれるその体に温度はない。それなのに貴方に抱きしめられているという確かな感覚が遠い昔に置き去りにしたまま、夢の中にしか存在しなかった『幸福』という感情を呼び起こして意識海で心地よい細波を生む。
「
……
傷だらけだね」
機体表面の傷の形をなぞる指先の優しさが懐かしい。遠い昔、任務中に怪我した時も同じような優しさで簡易的な処置をしてくれた。彼の指が覆い隠された傷の形を思い出すようになぞって、無理はしないようにねとまだ兵器だと息を殺していた頃の僕には勿体無いほどの感情をくれたことも覚えている。
「
……
ごめんね。君が待っているところまで帰れなくて」
視覚モジュールの奥から何かが溢れるような感覚がして一筋の透明が溢れる。無意識的に溢れそうになった感情を押さえつけるように深く息を吸い込んだ、刹那。
「頑張ったね、リー」
――
ありがとう、僕の願いを叶え続けてくれて。
そう放たれた言葉にあの日慟哭できないまま抑圧していた感情の全てが落ちていくような気がした。
「
…………
指揮官、っ
……
指揮官
……
!」
指揮官は何も言わない。ただ泣き崩れ縋る僕の背を撫でて、優しく抱きしめてくれて。
昨日見た夢じゃない。温度はなくても確かに貴方がいる。永い間歩き続けた暗闇の中で焦がれた存在が今、此処にいる。
「ずっと守ってきました、ずっと生きてきました
……
ずっと、探していました」
ずっと探していた。貴方を失って、狂うことも壊れることもできないまま生きてきた『僕』を終わらせてあげられる理由を。貴方の願いを叶え続ける以上に、貴方の元へ行ける理由を。それが見つかったら、終わりを許せるような気がして。
「指揮官
……
僕に、理由をください」
救済なら自分自身で与えてやれるから。許しが欲しい。理由が欲しい。貴方の、言葉が欲しい。懇願するように響いた言葉に、指揮官は微笑んだ。
「
……
おいで。一緒に眠ろう」
他でもない指揮官の声が、他でもない指揮官の言葉が、僕を生に強く縛り付けた糸を切り裂いて、自由になった手が一発の弾丸を掴むことを許した。
ようやく見つかった。ようやく許された。ようやく、ようやく
――
僕を救ってやれる。
上手く動かせずに震えたままの手で双銃の片割れを握る。そして、そのスケールゼロの銃口を循環液を送り出す自らの『心臓』の真上に強く突きつけた。セーフティーが、外れる。
「すぐ、貴方のところに逝きますから」
この一発で、全て終わらせる。スケールゼロから弾丸が射出されてからこの錆びた機体の『心臓』を貫くまでの速度は音速を超える。この白い錆びた体を捨てて、この永すぎた命の全てを捧げたいと伝った頃の青い姿で貴方に会いに行く。そちらに逝くまで少し時間がかかりますが
……
あと数分だけ。この体が終わるまで、待っていてください。
「
――
うん、待ってる」
記憶の中にある優しい笑顔と同じ顔で、貴方が笑う。額を合わせて、祈るように温度のない手が震える僕の手を支えた。照準が定まる。外しようのない至近距離。これで弾道計算は必要ない。もう、演算は要らない。
「ねぇ、リー。次はどんな夢を見ようか」
錆びた関節を折り曲げて指先が引き金を捉えた刹那、指揮官の声が柔らかく聴覚モジュールを撫でる。
どうしようもないくらい救いのない悪夢でも、この両手に有り余るほど幸せな夢でも。貴方と一緒ならどんな夢だって構わない。どんな夢だって、今僕がいる現実よりも、貴方の手を握って共に行く夢の中の方が幸せだから
――
。
「貴方となら
……
僕は、どんな夢でも」
もう、きっと何も考えなくていい。何も恐れなくていい。この目を閉じたままきっと、きっと貴方のところへ逝ける。
「また、貴方の隣で眠らせてください」
そう言葉が落ちた、刹那。掻き消すように乾いた破裂音が響いて、『心臓』を貫いた。
穴の空いた場所から鮮やかな青が溢れ出して、機械仕掛けの体が音もなく戦火に焼けたシーツの上に伏せる。人間の意識を宿していた機械仕掛けの体は空虚な器へと成り下がる。
――
痛い。正常に感じることができていたはずの感覚すら遠ざかっていく。でも、これでいい。宵闇に酷く似た黒の中に潰えていく意識の中、鮮やかな青に染まっていく柔らかなマットレスの上で視覚モジュールが機能しなくなる瞬間まで光を見ていた。永すぎた時をかけてようやくもう一度交わった彼の手を離さないように指先を絡め合って。永い夜を照らし続けた月の隣で、横たわる僕の全ては終わっていく。
「おやすみ、リー」
最後に残った聴覚が拾い上げたその声が、僕の世界の最期の音だった。
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