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織音
2026-05-09 00:00:00
12911文字
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錆ビタ人形ノ声
『おやすみなさい、指揮官』
乱数機体、終焉の灰燼塗装で幻覚を見て。捏造たくさん。⚠︎破損、流血描写あります。
エデンの祭日Ⅲ開催おめでとうございます。少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
1
2
3
崩れ落ちて、いつの間にか抜け落ちていた何かが、意識海の奥で細波のように揺らいでいる。見えない波が横たわる機体の表面を撫で、生まれ落ちた熱を攫っていくような気がした。
――
まだ夢の中にいるのだろうか。
ゆらゆらと水面を浮かぶような浮遊感だけがあって、それ以外の全ては曖昧だ。各種モジュールの感度を設定するように自身の意識海の奥へと『僕』を沈める。そこは真っ黒の深海にネオンのような光を放つコードが整然と並ぶ場所。アルファベットと数字と記号の羅列
……
機体に組み込まれた数多くのプログラムの中からモジュールの項目を迷わずに拾い上げる。
視覚、聴覚、発声と各種モジュールの感度と数値を順番に確認を進めていく作業も何度もこなしたことだ。さほど時間もかからないうちに『僕』はまた意識海の水面へと浮かび上がる。
不意に、僕の頭上に微かな光が灯った。雲で翳った月明かりみたいに頼りなくて
――
でも優しく照らすような光。いつか僕の意識海の中で帰り道を照らしていたそれに酷く似ている。
「
―――
」
無意識に口走った存在の名が声になることはなかった。届かない。あの人に、届かない。
微笑んで消えていくあの人を追うように暗闇の底で手を伸ばしても、そこには空虚があるだけ。もしあの光に触れたとしても、全ては僕の記憶の中にある煌めきでしかなくて本物のあの人ではないとわかっている。それでも何一つ掴み取れない手を伸ばしたまま、全てが宵闇のような黒い空間の中に潰えていくのをただ眺めていた。
僕は静かに目を開く。そこにあったのは崩れかけた灰色の天井。
確か昨夜は雨が降っていて
……
ああ、そうだ。ここ数日は酷い雨が降り続いていた。適当な廃墟で雨を凌いでいたんだったな。ぼやけた視界が鮮明になっていく最中、僕は夢に見たことを思い出す。
――
久しぶりに、夢を見ていた。
任務続きの日常の中にあった、しあわせな夜。夢の中で抱きしめた二度と戻らない温もりをまだ覚えている。
あれは確か二人で就いた任務が終わった後だった。輸送機がすぐに来られないからと、保全エリアの片隅で夜を過ごしたあたたかな思い出。おいでと僕を呼んで、一緒に寝ようよとどこかねだるように響いた声が酷く懐かしい。
「
―――
」
指揮官、と口に出してあの人を呼ぼうとしても、自らの喉から音が鳴ることはない。疾うの昔に壊れて直す事すら叶わなくなった発声モジュールは何の音も発せなくなった。
「
…………
」
しかし声が出せずとも何も問題はなかった。此処にいるのは僕ひとりなのだ。かつて一番近くで心を通わせた存在も、仲間も、守るべき人類も、もう何処にもいないのだから。
起き上がろうとした体がギシギシと音を立てて、僅かな痛みが関節部分に走る。もうどれほどの間メンテナンスできていないのだろうかと自らの体を眺めながら思考の海を揺蕩う。バイオニックスキンはかろうじて接着しているものの、いつ剥がれ落ちてもおかしくはない。関節部分や機体表面は錆が目立ち、手指には僅かな罅が走っている。視覚モジュールも端がブロック状に欠け、ノイズでザラついていた。
こんな満身創痍な機体で起き上がったとして、何処に行けばいいのだろう。もう何処にも行く場所なんてないのに。
人類の旗印は、疾うの昔に潰えてしまった。拡大し続けいくつものエリアを飲み込んだ赤潮、人類に手がつけられないレベルまで生命として進化を遂げた異合生物、多くの兵士の離反に、衛星軌道上を離れた空中庭園。もう、何故人類の旗印が潰えてしまったのか説明する必要などだろう。
――
空中庭園が衛星軌道上を離れる、それは地球奪還を諦めるということに他ならないのだから。
それでも、執行部隊の中には地球に残る選択をした小隊もいた。
グレイレイヴンもそのうちの一つだった、というよりも空中庭園が衛星軌道上を離れてしまう直前に脱走した指揮官を追って全員で地球に来た、という方が正しいだろう。
空中庭園という地球奪還の旗印でなくとも、全てを救えなくても。保全エリアが次々潰えていく中で命の燈火を絶やさぬよう抗い続けた。地球上で生き、朽ちると選択した人類の為に。アディレが潰えても、オブリビオンが潰えても、九龍が潰えても。僕たちの手の届く範囲だけでも生きる人々を守るために篝火を灯し続けた。
『リー、少し任務に出てくるよ。多分少し長くなるかもしれなくて。僕たちがいない間無理しないようにね』
『貴方こそ、無理をしないように十分注意してください。先日の怪我がまだ完治していないことをお忘れなく』
『リーフからは任務に出る許可は出てるから大丈夫だよ。君は本当に心配性だね
……
じゃあ行ってくる。みんなと此処を守って。後のことは任せたよ』
行ってらっしゃいと、そう見送った指揮官が任務に出た後
――
彼ひとりだけが帰ってこなかった。
帰ってきたのは無情な報告一つ。指揮官は異合生物に襲われたスカベンジャーを庇って赤潮に呑まれ、死んだ。遺体も認識票も何一つ遺さないで。
ルシアが守れなかったと泣いている。リーフがそれを慰めている。それなのに僕は慟哭もできなかった。指揮官を失ったことが酷く悲しくて痛くて苦しいのに、僕は何一つできないまま。弔うことも別れを告げることもできないで、保全エリアで空白になったままの指揮官の部屋から彼の温度が、匂いが消えていくのをただ感じていた。
この場所にも指揮官が存在していたと証明できるものはほどんど遺されていない。地球に来ると選択した時に大半の物を手放してしまったから。此処には、主を失った部屋の冷たさが横たわっているだけ。
――
それからだろうか。目に見えて犠牲者の数が増えていったのは。
夜空に灯る星明かりが一つずつ消えていくみたいだった。暗い闇の中で北極星のように輝いて僕たちを導いた指揮官がいなくなったのを皮切りに、共に戦った仲間たちも、誰かが託した願いも、この歩いてきた道に灯してきた想いも記憶も。闇の中に一つずつ潰えて暗くなっていく。
それと同時に、人類がいなくなっていく度にパニシングの赤い光も暗闇の中に消えていった。文明の灯火が消えていく度に赤潮の範囲も狭くなって。命が潰えていくたびにその濃度を低くして。やがて厄災と呼ばれたパニシングは、人類文明に属する存在が僕一人になった時消滅した。
そうして、結果。残ったのがこの廃墟と化した地球だけだ。二度と戻らない崩れ落ちた瓦礫と鋼鉄の森、人類という成長を抑えつけていた支配者がいなくなったことで地表を覆い始めた植物、そして何もできない僕が一人存在するだけ。
何故、僕だけが生き残ったのだろう?地球奪還の為という大義の下戦場に立って。空中庭園が衛星軌道上を去っても尚、誰かを守る為に最前線に立ち続けて。一番死に近かったはずの僕が、どうしてまだ生きているのか。パニシングに耐性があるわけではない。侵蝕されてしまえば侵蝕体となり得ただろう。赤潮に飲み込まれれば異合生物の温床となり得ただろう。それなのに、何故?
自責ともつかぬ思考の隙間、まだ生きている聴覚モジュールがギィ、と遠くで鳴る駆動音を拾い上げた。錆びた接合部を無理に動かして歩くような音と何かを引きずって歩く音、そして声と呼ぶこともできない無意味な音の羅列。僕は思考の中でああ、と溢して起き上がる。
もうパニシングすら残っていないのに、まだ残っていたのか。
すぐ近くの瓦礫の隙間。窓と思しきところから音のした方へと視線を向ける。そこにいたのはやはり侵蝕体だった。機体に蔓延るような植物と錆びきって相当動きが悪くなっているであろう関節部を見るに、過去に機能停止した侵蝕体が何かしらのエラーで再起動してしまったのだろう。あれほど錆びた機体や長時間使われずに劣化したコアでは機体を満足に動かすどころか、機能停止すら時間の問題だろう。放っておいても構わない。わざわざ弾丸を消費して排除するまでの危険ではない。
――
それでも。
『みんなと此処を守って。後のことは任せたよ』
あの人の願いが意識海で揺れる。気が付いた時には窓から飛び出していた。
射線上に障害物無し。目標は十メートル先
……
この距離なら難しい演算は要らないだろう。一秒と掛からない弾道計算の後、侵蝕体が放り向くよりも先に乾いた破裂音が聴覚モジュールに届く。
初弾命中、関節と思しき接合部破壊。二発目、装甲貫通。動力コアの露出。三発目、コア貫通。視界の先で悲鳴すら上げないまま地に伏せた侵蝕体が動かなくなったのを確認して、銃を下ろした。
「
…………
」
意味もなく静寂が戻った廃墟に転がる空の薬莢を眺める。残りの弾は幾つだっただろうか、今装填している弾倉の残弾数も多くはないだろう。携帯している弾倉の数は、と考えてもう残弾数すら気にかける必要はないことを思い出す。
今の僕には守るべき人も守るべき場所もない。僕が守ってやれる明日だって何処にも存在すらしないまま、あの人の願いを叶え続けている。守ってほしいと願われたまま、片手で指折り数えられるほどにしか現れない敵を撃って、保全エリアだった残骸にすぎない廃墟の静寂を守り続けている。
錆びた手から双銃の片割れが滑り落ちる。せっかくだからと指揮官が乱数機体に換装して間もない頃に用意してくれたスケールゼロ。これを最後にメンテナンスできたのはいつだっただろう。何千という数の戦場を共に歩いた銃は傷だらけのまま弾丸を吐き出して何かを貫く。今の僕と同じだ。狂うことも壊れることもできないで、ただ役目を果たし続ける
――
いや、違うか。
「
…………
」
片手に握ったままの銃を持ち上げて、自らのこめかみに突き付ける。今の僕とスケールゼロの相違点
――
僕は僕を殺せなくても、スケールゼロは僕を殺せる。
スケールゼロから射出される弾丸の速度は音速を超える。外しようのない至近距離なら弾道計算も演算も要らない。このまま引き金を引けば、たった一秒もないうちに弾丸が僕の頭を貫くだろう。
――
このまま死ねれば、僕はあの人の元へ行けるだろうか。この体が修復不可になってしまえば、あの人の元へ行くことを許されるだろうか。
この機体を壊すこと自体造作はないのだ。人間よりも頑強に作られているとはいえ、この命を捨てる方法なんてこんな荒廃し尽くした世界でだってきっと探せば幾らでもある。幾つもある死に方の中で、自分の体をこの銃で撃ち抜くことが最も手っ取り早くて、最も楽なだけだ。
かちり、と硬質な音を立ててセーフティが外れる。錆びた関節を折り曲げて、引き金の感触を指先が捉えた。もう何も考えなくていい。このまま、このまま引き金を引けばいい。引いてしまえば、きっと全部
――
。
「
…………
」
それなのに。僕は引き金を引けないまま、今もここで不要なはずの呼吸をしている。
『リー』
あの人の声が、言葉が。死の一歩手前で呪いをかける。引き金を捉えた指先がそれを引くことを許さず、壊れかけ、罅割れて傷が開いた心を縛って死から遠ざける。
『みんなと此処を守って。後のことは任せたよ』
もう全部終わりにしたいのに、あの人が僕に託した願いを捨てることが許せなかった。貴方がいた此処を守れるのはもう僕だけだから。相反した感情のせいで意識海が過負荷を起こしたように強く揺らぐ。行き場もなく、言葉という形を得ることすらできないままの感情が幾つも溢れて中枢部で熱を帯びて、処理しきれないまま異常を引き起こす手前ギリギリを暴れ回る。
「
…………
っ、」
あの人の帰りを待って、永遠にあの人を失う痛みを味わった。文明が潰えていくのを、人類が滅びていくのをこの目で眺め続けた。それなのに、まだ終わらない。まだ、終われない。
もう終わらせて欲しい。いつになれば終わることを許される?いつまで一人でこうして生きていれば、あの人の元へ行くことが許されるのだろう?
心に根差した深い痛みを、処理しきれない感情を吐き出すように震えた息を吐いた。錆びた手から滑り落ちた銃が落ちた音で永遠に孤独の現実に引き戻される。
『人間』の心は、永すぎる孤独には耐えられない。緻密に生死の螺旋を繰り返しながら、短い生を生きるように創られている。それは『人間』を模した形を持ち、元々人間であった構造体も同じである。
――
もう、疲れた。
救済が欲しいわけじゃない。僕は理由が欲しいだけだ。ただ僕が『僕』を救ってやれる理由が欲しい。あの人の願いを叶え続ける以上に、全てを手放しても許される理由をずっと、ずっと探し続けている。
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