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織音
2026-05-09 00:00:00
12911文字
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錆ビタ人形ノ声
『おやすみなさい、指揮官』
乱数機体、終焉の灰燼塗装で幻覚を見て。捏造たくさん。⚠︎破損、流血描写あります。
エデンの祭日Ⅲ開催おめでとうございます。少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
1
2
3
「リー、おいで」
ふわふわとした、いつもの明瞭さを失いかけたあの人の声が呼んでいる。
カーテンと呼ぶには少し頼りない薄布を通して、更に柔らかくなった月明かりが照らした先にある簡易的な寝台。その上で、指揮官が笑っていた。
「それはどちらの意味の『おいで』、ですか」
「さぁ、どっちだと思う?リーならわかるでしょ」
「
……
そうですね」
寝台の手招くに従うように指揮官の元へ向かえば、彼は心底嬉しそうな色をその目に溶かして機嫌が良さそうに笑みを深める。
ぎし、と寝台がもう一人分の重さを受け入れて音を立てた。柔らかなマットレスの上、座り込む指揮官のすぐ近くに腰を下ろしてその頬に唇を落とす。触れた彼の手はいつもより少し高い熱を帯びていた。ああ、なるほど。
「
……
体温が少し高いですね。眠いのなら、早くお休みになってはいかがですか」
「ふふ、正解。久しぶりに二人だけだったから、なんとなく眠るなんて勿体無い気がして」
「別に、明日の任務も僕たちしかいないでしょう。明日は輸送機が早朝に到着予定ですから早くお休みになってくださいよ」
「それなら、久しぶりに一緒に寝ようよ」
甘えるような声が二人きりの部屋の中で聴覚モジュールを揺らす。この人が素直に甘えてくれる時は貴重だ。貴重な機会だからこそ逃したくはないが、僕には処理すべきタスクがまだ残っている。それを鑑みればまだ眠るには早いだろう。この人の可愛らしい願いを今すぐ叶えてやりたいと願ってしまう感情をなんとか理性で押さえつけて視線を逸らす。
「
…………
僕はもう少しやるべきことがありますので。それが終わってからでいいのなら、検討は、しておきます」
「それじゃあ君が眠るときにはもう眠っている気がするんだけど」
「貴方が眠った後に貴方の傍で眠りますから。それなら大差ないように思いますが
……
ご不満なら、今すぐに寝かしつけて差し上げましょうか。無理して夜更かしをして体調を崩されては困ります」
えー、と不満そうな声と裏腹に、指揮官は機嫌が良さそうに笑ったままだった。
「わかったよ。ちゃんと早く眠るから
……
少しだけ、君の温度を借りても?」
拒絶されることを恐れているのか、ほんの僅かに不安を浮かべた瞳が微かに揺らいだのが見えて、気付かれないように笑みを溢す。
――
ああ、本当に。許可を得る必要もないほどにささやかな願いだ。指揮官であれば、余程のことではない限り拒むことなどないというのに。やはりこの人はどこか不器用で、愛おしく思えてしまう。口になんて出さないが。
「
…………
仕方ありませんね」
そっと腕を引けばあたたかな温度が入り込んできた。閉じ込めるように、いつもより高い体温を分けてもらうように回した腕の中、彼が微かに身動ぐのを感じる。
「
……
硝煙の匂いがする」
「簡易的な洗浄は行ったのですが、細部までは洗浄できなかったので。
……
空中庭園に戻ったらすぐに洗浄します」
いくら慣れている匂いとはいえ、これから眠る彼にとって硝煙は落ち着く匂いとは言い難いだろう。安心して眠る為には離れた方がいいのかもしれないと回した腕を解こうとすれば、不意に指先を絡めるように繋がれた手に優しく引き留められる。
「君からする硝煙の匂いは好きだよ。僕たちのことを守ってくれる匂いだから」
「
…………
そうですか」
あまりにも真っ直ぐそう言われてしまうと、感情の処理演算に僅かなタイムラグとそれに伴った機体温度上昇が生じてしまう。じわりと頬に滲み出した赤を見られまいと視線を逸らしても、感情の揺らぎに聡い貴方にはいつも気が付かれてしまう。
「あれ、もしかして照れてる?」
勿論、今回も例外ではなかった。
「そんなわけないでしょう」
「あは、そういうことにしとくよ」
不機嫌を示すようにむ、と顰めた表情も余裕そうな微笑み一つで流されてしまう。
……
この人が笑っている。それだけで自身のこの不機嫌も途端に些細なものに思えてしまうから、やはり僕はこの人の笑顔に弱いのだろう。そう自覚したのはつい最近のことだが。満足したように離れていく体温が何故かいつもより名残惜しく感じて、微かに絡んだ指先から貴方がいなくなるまで僕は動かないままだった。
「それじゃあおやすみ、」
リー、といつものように聞き慣れた柔い声が聴覚モジュールに届く
――
はずだった。
「
……
指揮官?」
まるで時間が止まってしまったみたいに。夜風に揺れていた薄布も、寝台から少し離れた場所で揺れていたランタンの火も、指揮官も。僕以外の全てが、その動きを止めていた。
どうしたんですかと問いかけても返事はない。指揮官に触れようとした指先がギシ、とするはずのない軋んだ音を立てて視界に微かなノイズが走った。出発前に万全なメンテナンスはしたはず
――
確認するように眺めた自らの手は瞬きの一瞬のうちに姿を変えた。バイオニックスキンに包まれ青いグローブをつけていたはずの左手は白く無機質な機械の手へと変わり、その関節の至るところが錆びついている。どうして
――
そう自分に問おうとして、すぐに気が付いた。
――
ああ、そうか。これは夢だ。
彼が
……
指揮官が、僕に触れてくれることもなければ声を聞くことすら二度と叶わないのだ。此処にいる指揮官は僕の夢の中の虚像に過ぎないのだろう。泡沫に似て、目が覚めたら跡形もなく消えてしまう、そんな儚いもの。
そう気が付いた瞬間、色彩に溢れていたはずの夢が色を失って亀裂が生じ、世界が崩れ落ちる。きっとこの夢から覚めてしまうまでもう数分とないだろう。
それなのに。目に映る景色が崩れ落ちても尚、目の前の最愛と呼ぶに値する存在だけは最後まで崩れないままで。
「
……
良い夢を、指揮官」
それでも、どうかこの夢が終わってしまうまではと、もう二度と動くことのない指揮官を、もう一度強く抱きしめた。そこに先ほどまで感じていたあの柔らかな温度はないけれど
……
夢の中でだとしても、もう一度貴方に会えてよかった。
「僕は、もう行きますね」
その言葉を最後に腕の中の最愛は形を失うように崩れ落ちた。残ったのは底の見えない黒と、夢を見ている僕という存在だけ。指の隙間をすり抜けていく夢の欠片にさようならを告げて、僕は落ちていく。底のない黒に真っ直ぐ、落ちていく。
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