Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
那須野
Public
寿月
Clear cache
月と暮らせば
【寿月】数年後プロ時空*嫉妬とわがままと同棲の話。コンビ枠で柳さんも。
1
2
3
(3)
ぐつぐつと、鍋で湯の沸く低い音がキッチンから聞こえる。広い背中越しにかすかに覗く湯気の揺らぎを視界に映しながら、毛利は手持ち無沙汰に越知の自宅のソファに身を預けていた。
トレーニング後、クラブハウスで入浴も済ませて来たため、食事を待つ以外にすることがない。(しいて言うなら洗濯機を回し始めたところだけれども、洗い上がりは数十分先だ。)
ストレッチをする気にもなれずに、ただ彼の背を見つめては、零れかけた嘆息を慌てて飲み込む。
『蕎麦が食べたい』
クラブハウスでの練習を終え、スタッフたちに別れを告げてふたりきりになった瞬間、ぽつりと彼はそう言った。柳との食事会の二日後、満月の晩のことだった。
覚悟を決め、今日こそは話を切り出そうと密かに意気込んでいた矢先、予想外の角度から飛んできた言葉に流されるようにして彼が一人暮らしをしているこの家まで来てしまった。
越知はといえば夕飯の希望を宣言したきりほとんど何も話をせず、帰宅するなり早々にキッチンで湯を沸かし始めた。台所のカウンターには確かに彼の好物である更科蕎麦の乾麺の袋が置いてあり、言葉通りの状況が出来上がりつつある。
(
……
ど、どないしたらええんやろ、これ
……
)
見たところ既に湯が沸いている。袋の封を切る音もしたから、あと十分と経たないうちに茹で上がってしまうだろう。
手伝いを申し出る前に「そこにいろ」とリビングを示され、大人しく座っているしかなくなってしまった上に、彼の意図が掴めずまったく行動のタイミングが測れない。結局堪えきれずにソファから降りて床で正座をしながら待っていると、ふいに彼がこちらを振り向いた。
「毛利」
「へ、あ、はいっ」
投げられたのは自身の名前ひとつだったけれども、これは近くに来いと呼ぶ声だ。呼び声ひとつで存外多くのことを語る寡黙な彼の低音が、毛利は好きだ。
ぱっと立ち上がってキッチンへ向かう。仕草で示されたトレーの上には温かいつゆの入った丼と蕎麦、薬味に惣菜、湯呑みがひと揃え載っている。盆を手に取り振り返れば、ふたりぶんの椅子が対面に並ぶダイニングテーブルがそこにある。
「
……
イタダキマス」
「いただきます」
静かに合掌し、食事前の唱和を重ねる。
彼の気に入りの更科蕎麦は、ほかのものよりさらに伸びてしまいやすい。彼もそれを踏まえているのか、黙々と麺を口に運んでいる。彼の手元にちらと目を向け、その様子を確かめてから、自分も食事を進めることにした。
……
美味い。温かい。
ダイニングチェアや食器類、寝具に衣類、日用品。家の中を見渡せば、あちらこちらに家主以外の存在
――
自分の痕跡が残っている。合宿所の部屋でも、遠征先のホテルでもなく、彼の暮らすこの家に。
ふとした瞬間目に止まるその何気ない光景が、ふたりで食卓を囲む時間が、自身にとってどれほどいとしいものであるのかを、彼は知らない。
これから先、彼とこうして日々を過ごしていけたなら、どんなにか幸福なことだろう。それはどんなにか、あざやかでかけがえのない日々だろう。
ダブルスパートナーとして彼の隣に立っていられれば、それでいいと思っていた。恋心を自覚してからも、彼の相棒でいられるだけで十分すぎるほど幸せだった。夜空に浮かぶ月に触れられずとも、月のうつくしさが変わることはないように、自身にとってかれという存在の清らかさは不変のものだった。
恋人として彼の指先に、頬に、唇に触れることを許されようと、相棒の立場だけでは知るはずもなかった彼の感情に出会おうと、
――
高校一年の秋、あの満月の夜に見た彼の背を、自分が忘れることはない。
わかっている。だからこそ、子どもじみた嫉妬心など向ける必要はない。彼は確かに、自分に応えてくれている。
わかっている。だからこそ、慕わしさも恋しさも独占欲も情欲も、なにひとつこの身のうちから消しきることはできない。
どちらもさらけ出した上で毛利寿三郎という男を受け入れるか否かを決めるのは、彼だ。
互いに黙り込んだまま、箸と食器の当たるかすかな音だけがしばらくのあいだ食卓に落ちていく。盆を下げ、温かい緑茶を注ぎ足した湯呑みだけがテーブルの上に残るころには、おそらく三十分ほどが経っていた。
手元に落としていた目線を、そろりと上げる。長い前髪の向こうから、彼のまっすぐなひとみがこちらを見ていることに気付いてどきりとした。
揺らぎそうになる視線をすんでのところで堪え、息を吸って、吐く。深呼吸をひとつ。
「
……
あの、
月光
つき
さん」
「なんだ」
「こん前の、
……
引っ越しの話なんですけど」
ぎゅ、と目を瞑って勢いよく頭を下げる。危うくテーブルに額をぶつけるところだったけれども、どうにか留まった。
「いきなり勝手言って、話もせんと長いこと逃げてスンマセンでした!」
「
…………
」
「こっから先の、めっさ大事な話なんに。
月光
つき
さんの気持ちも考えんで、自分の言いたいことだけ言うた。
……
ホンマ、すんません」
そこまで言い切ったところで、ゆっくりと顔を上げる。勢いに驚いたのか、彼の切れ長のひとみがほんのわずか瞠られていた。まっすぐに彼を見たまま、声を接ぐ。
「でも、
……
せやけど、いつか
月光
つき
さんと一緒のウチに住めたらええなっちゅう気持ちはほんまです。
――
なかったことにはせーへん」
何も言わず唇を引き結んだまま、彼は自身を見据えている。さきほどかすかに浮かんでいた淡い驚きも、いまは深い夜の色をした瞳の奥に溶けていた。彼の浮かべる些細なサインのひとつも見逃さぬよう、目を細める。
「時間取らせてもうたけど、
月光
つき
さんの考えてはること、
……
聞いても、ええですか」
沈黙。
十数秒ほどのインターバルのあと、ぽつり、彼が口を開く。
「
……
お前が何をそれほど気にしているか、実をいえば、よくわかっていない。お前に蔑ろにされたことなど、今まで一度もないからな」
「
…………
、」
「それから、引っ越しの
――
同棲の話だが。もちろん、叶うならそうしたい」
「
……
!」
「ただ」
「へ
……
?」
「今、ふたりで暮らし始めたら。お前にひどく気を遣わせてしまうのではないかと、
……
そう思っているのも確かだ」
だから、すぐに返事をしなかった。
ひとつひとつ、慎重に言葉を選ぶようにゆっくりとした低音が静かに降り積もる。しん、と静まり返った家の中で、彼と自分の息遣いだけが聞こえる。思考回路に染み込んでいく音の意味を、脳内で何度か繰り返してから、つぶやくように声をこぼした。
「
……
別に、そないなこと、あらへんのに」
「俺に合わせることが当たり前になっている。
……
お前はもっと、わがままを言っていい」
「ッそれは、その、
…………
月光
つき
さんの前で、かっこつけたかったからで
……
」
「
…………
、」
ほとんど呻き声と化した言葉尻が、情けなくもそのまま消えていく。
いままでずっと、自分は空回りしていたということだろうか。気恥しさに、じわりと耳朶が温むのがわかる。指先を握り込み、唇を噛み締めて視線を机へ落とすと、ちいさな溜息がひとつ聞こえた。
がた、と、短く椅子が鳴り、聞き慣れた歩幅の足音がする。真横に立つ気配に体ごと向き直ると、床に膝をついて屈み込んだ彼が自分を見上げていた。
頭ひとつ分高い、いつも見上げている彼の夜色のひとみがすぐそばにある。かれの長い指先が、不器用なしぐさで自身の頬に触れて、知らず息を呑んだ。
「毛利」
「
……
っ」
「お前の気遣いは嬉しい。あいされている、と思う。
……
だが」
「
――
、」
「格好がついていようと、そうでなかろうと。俺も、おまえをあいしている」
「
………………
!」
「もう一度言う。
……
お前はもっと、わがままを言っていい。その程度の器量は持ち合わせているつもりだ」
鼓膜に届くかれの声に、理解がまったく追いつかない。
耳元で早鐘を打っている心臓が、かれのことばを受け取らせまいとでもしているようだった。すっかり火照った頬に触れるかれの手が、自身と同じ温度をしているのは、この熱が伝ってしまったからだろうか。
指先を持ち上げ、頬に添う彼の手にそっと触れる。五指を絡めてぎうと握ると、同じだけの強さで応えがあった。先を促すような温度に、引き結んでいた唇がほろとほどける。
「
……
つきさん、あんな」
「ああ」
「俺、一緒に出かけやるとき、
月光
つき
さんが他んひとの目印になってもうとるんが、
……
その、あんま、すきやなくて」
「
…………
、」
「
月光
つき
さんが優しいんはわかっちょるし、
月光
つき
さんのそーいうとこがすきやし、まわりに優しくせんでほしいなんて、ぜんぜん思わん。
……
けど、それを分かっとらん人らが、知らん顔して
月光
つき
さんに甘えとるんは、くやしい。俺のすきなひと、こないに優しいんに。なんで気付かへんのや、て思ってまう」
「
……
毛利」
押し出すように肺からこぼした声が、かすかにふるえる。胸から溢れて、ほたほたと落ちていく感情を、とどめ置くことができない。
「やから、
月光
つき
さんと一緒のウチやったら。
……
待ち合わせなんかせんでも、良うなるんちゃうかって」
「
……
それで、あの時だったのか」
ひそやかな問いに、ちいさく頷く。うすく滲む視界だけは、きつく眉根を寄せて堪えた。
「
……
ホンマはもっといろいろ考えて、ちゃんとしたときに、ちゃんと言うつもりやったんです。あない勢い任せに、
……
八つ当たりみたいな気持ちで言いたなかった」
子どものように握りしめた手を、彼のしなやかな腕がやわく引く。呼ばれるままに椅子から離れ、床に座った彼の膝に乗り上げた。
空いている手で首筋をぎゅうと抱き込むと、大きな手のひらがそっと背中を撫でていく。そのぬくもりを五感すべてで感じながら、彼を呼ぶ。
「つきさん」
「なんだ」
「俺と、一緒に住んでください」
「
……
ああ」
「一緒におって」
ああ。
触れ合った胸板から伝わる声の響きと温度がひたすらに心地好い。いとおしい、という気持ちは、こんなにもくるおしいものなのだろうか。無意識のまま引き寄せられるように身を屈め、彼の唇に口付ける。うすい皮膚のやわらかさと熱さを求めて、気付けば舌先を口腔へ差し入れていた。
「は、
…………
ん、」
深い口付けはまだ片手で数えるほどしかしたことがない。熱い口内をまさぐれば、広い肩がかすかに跳ねる。背を撫でていた手が縋るように服を掴む感触に、ぞあ、と背すじを何かが駆け上がった。
「
――
ッ、」
「
……
、もうり、」
思わずぱっと身を離すと、うすく濡れた彼のひとみがゆっくりと瞬いて自身を映す。駆け足の心音を宥めつけることはまったくできそうになかったが、目元に口付けることでどうにか気を逸らした。
目元から鼻筋、額へとつたって、つむじにキスを落とす。彼が時折自分にしてくれるそれを返すのは、なぜだかすこしくすぐったい。面映ゆい気持ちを持て余し、その距離のまま口を開く。
「
……
新しい家、探さんとアカンね。楽しみですわ」
「
……………………
、」
「
月光
つき
さん?」
「
……
いくつか、条件の良いところを見繕ってある」
「へ、」
思いがけないいらえに思考が止まる。顔を覗き込むと、珍しくばつが悪そうな色を浮かべた瞳がわずかに逸れた。
返す言葉を探しているうちに、何かを思い立ったらしい彼は事も無げにすいと体の下から抜け出していってしまう。
……
こういうとき、毛利は彼のことを気ままな獣のようだと思う。
「あ、あの、
月光
つき
さん?」
慌てて立ち上がり広い背を追う。隣に並びつくと、彼はリビングにあるソファの傍ら、サイドテーブルの抽斗から、小ぶりの紙袋を取り出したところだった。
「毛利」
そこにあるのは彼の大きな手のひらにほとんど収まってしまう程度の、小さな包装袋だった。リボンのついたラッピング用のシールがひとつ、慎ましげに貼り付けられている。こちらへ差し出されたそれを反射的に受け取ってから、手の中のそれをまじまじと見つめた。
「
……
俺にでっか?」
「そうだ」
確かめるために口にしたわかりきった問いに、けれども彼は律儀に頷いて応えてくれる。
ぴり、と、袋の口を止めていたテープを剥がし、逸る気持ちを堪えきれずに逆さまに返して中身を取り出す。袋を軽く振った勢いで、見慣れたピンクとまるいフォルムのキーホルダーがころんと手のひらに転がり落ちた。
パッケージには、「うさいぬストア限定」のラベルシール。
「
月光
つき
さん、これ、」
「この前は、店を見られなかったからな」
「
……
っ、」
「新居の鍵をつけるくらいはできるだろう」
「
――
……
!!!」
つきさん!
半ば叫ぶようにそう言って、感情のまま長躯に飛びつく。
至近距離からの行動だったが、彼はといえばすっかり予想していたらしい。さほどよろめくこともなくこちらの体を受け止めて、「落ち着け」と至って冷静な言葉をかけてくる。
けれどもぎゅうと腕をまわした首筋が、自分と同じように温かかったものだから、
――
毛利はしばらく、未来の同居人を抱きしめたままでいた。
1
2
3
広告非表示プランのご案内