「これ食ったら帰ろ」
テーブルの上がロブスターロールのトレーだけになる頃、リョータさんが海を見ながら言った。空はまだ青空が広がっていて、未だ雨を降らせそうな厚い雲は見られない。
「まだ天気大丈夫だと思うけど」
先程の話を顧みてゆっくり海で過ごしたかったのではと聞くと、リョータさんは首を横に振った。
「波が、高くなった。……気がする」 ――だからずっと見ていたのか。
些細な波の変化も心地よさを運んでくる風も、この人の感じ方は違うのかもしれない。家族を思う場所でもあり、家族を失った場所でもある海の本質を深く理解し、それはこれからもこの人の潜在意識に組み込まれる。恐怖心は完全には無くならない。それだけの経験をしている。
だったらそれごと抱えていけばいい。
一緒に抱えていくことで見えてくる可能性や選択肢がある。オレにそう教えたのもこの人だ。
「リョータさん」
「ん?」
「オレ実は結構稼いでて」
「えっうん。知ってるけど。急にどうした」
「明日なんか予定ある?」
「明日? いや別に……」
「じゃあこのままどっかで泊まって帰ろ」
「え」
ポケットからスマートフォンを取り出してGoogleマップを立ち上げる。今日はこれがよく役に立つなと思いながら朝と同じ動作で現在地周辺を検索するオレの横で、リョータさんがぽかんとしたまま画面を覗き込んだ。 ――いや待てよ、どうせなら……。
親指と人差し指の幅をぐっと狭めてからこの地域の先端まで表示し、フィルター設定で一泊の料金上限をマックスまでスライドさせて再び検索をかける。
「……ここでいいか。こっから一時間半。――Hello? 」
「……ちょ、え? おいおいおい」
「I'd like to make a reservation for tonight, so do you have any rooms available? 」
「待て待て待て! ここリゾート地!」
「Yeah, one room‐two adults. ――OK, could you please hold it? ……Thanks, we'll be there soon. 」
「あぁぁおまえ……! オレ節約中なのに……!」
「ご心配なく」
先週、新たに三年の延長契約にサインした。
昨季の成績と期待を踏まえての打診だった。話が早いフロントで助かる。
『金は貯めとけ。でも自分のモチベーションとか身体にかかる金はちゃんと使え』。
初めてプロとして契約を締結したときにリョータさんにもらった助言だ。この人で言うところの服やアクセサリーはそれに該当するのだろうと思った。
対してオレのクローゼットはリョータさんのそれの半分にも満たない面積で、それすらも持て余している。服は契約メーカーとスポンサーから送られてくるし、たまに買い足すだけで五年は持つ。リーグの選手がつけているような高い時計やアクセサリーも、クルーザーもヘリも興味はない。
こうして稼いだ金を使う機会がほぼなかったから、図らずしも助言は守られた末にそれなりに貯まった。いちいち貯金額なんて把握していないが、まぁこんな一日だけの突発的な豪遊なんて微々たるもんだ。むしろよほど有意義な使い方に思えた。
とはいえ五つ星ホテルに財布とスマホと鍵だけではさすがにアレか――。
そういえばドレスコードも聞いていなかったことを思い出し、まず着替えを買える店を探した方が良さそうだった。服はこの人に任せておけば間違いない。楽しそうに大量の服を持ってきてオレにあれこれ当てている姿が目に浮かぶ。
ホテルに着く頃にはきっと予報通り雨が降り始めている。外にはもう出ないだろうから、やたら豪華な部屋に篭ってウェットバーの酒を飲んでもいいし、やたらでかいベッドに二人で寝そべるのもいいかもしれない。……ゲラゲラ笑ってそうだな。
そうやって大人になった贅沢を学生気分で存分に堪能して、思い出をひとつ足して、その先でこの人の中の海がずっと凪いでいればいい。