有栖川
2026-03-18 21:13:00
19910文字
Public 天使悪魔パロ
 

ネバーエンド/13

天使悪魔パロのkiis
色々捏造と妄想で厨二病、何でも許せる人向け。最後はハピエンです
nsとna多め。

BACK ■ HOME ■ NEXT




13/ネバーエンディング・ストーリー(上)





 クリスマス・イヴのマーケットは、昼下がりを目前にして既にごった返し、とんでもない賑わいぶりを見せていた。
 朝が遅いドイツ人にしては盛り上がりのピークが早い。それもそのはずだ——何しろ今日のミュンヘンは十四時を回った途端一斉に人がはけ、街のあらゆる機能が止まり、各々自宅に引っ込んでしまうことが決まり切っている。

「おお……イヴ当日のマーケットって何気にはじめてかも! 買い出しとか前日昼までにしとけって誰かさんが口酸っぱく教え込んできたからさぁ、俺この日はそもそも街に出たことがなくって」

 目深にフードを被った世一が、声をひそめて耳打ちをしてくる。口を酸っぱくして教え込んだ自覚のあるカイザーはふっと目を細めて笑った。そう教えた理由の半分は、世一が自分以外の誰かとホリデーを楽しんでいたらと思うだけでどうにも面白くなかったという(当時は)無自覚の嫉妬が原因なのだが——まぁ今更言うことではないし、永遠に伝える必要もないことだ。

「親切な同僚に感謝するべきだな? 実際こんな日は外に出るべきじゃない」
「お前人混み嫌いだもんなー。俺も例年はけっこーサクッと帰国しちゃうことが多かったし。でもさ、そのおかげではじめてをお前と一緒に体験できるんだから、ふふ、嬉しいかも」

 そんな真意を誤魔化すように軽口を叩き、世一の肩を抱く。世一はその仕草にどきりとしたように頬を染め、はにかんだ。そして僅かな逡巡を見せたのち、おずおずと——カイザーの腕の中に自分の身体を寄せ、上目遣いにくちびるをすぼめて見せてくる。

……世一ぃ、お前なぁ」

 その様子に、カイザーはお手上げとばかり頬を染めて溜息を漏らした。正体を隠すためにコッチも目深にフードを被っていてよかった。すくなくとも、世一以外の通行人からは、「あのミヒャエル・カイザーが頬染めしてる……」なんて思われずに済むはずだから。

「うん、なーに?」
…………俺も、はじめてだ、誰かとホリデーを過ごすのは」

 咳払いをして、照れくさいのを隠しながら返事をすると、世一がけらけらと笑った。あー、クソ、こんな小悪魔みたいな男のことが可愛くて好きで仕方ないんだから、本当にやってられない。
 だがそれでも今日という今日だけはやり抜くしかないのだ。カイザーはもう一度だけ咳払いをすると人混みから世一を守るためにすこしだけ強く肩を引いた。



◇ ◇ ◇



 決戦の日はあっという間にやって来た。二重の意味でだ。ひとつはもちろん、世一との初デートを成功させて完膚なきまでにこの男を落とすという意味で。そしてもうひとつは、幾万年にもわたる神との因縁に決着を付けるという意味で。

『ここ数日下見をして、結論が出た。下級共のログを見ている限り、降誕祭直前までは本当に動きがない、と踏んで間違いないだろう。その代わり当日は何が起こるか分からん』

 神の計画についてアタリがついた日から三日後——ノアは鉄面皮を貼り付けたいつもの顔のままあっさりとそう言った。

『神秘が薄れつつある現代において、それでもなお、降誕祭前夜はより多くの祈りが捧げられ、神が最もその威を復権させる。おまけに現場が教会となれば、ほぼ敵の本拠地に乗り込むも同然だ。備えはいくらあっても足りない——ゆえに俺は当日、作戦開始ギリギリまでやれる手を打っておく。お前らはいつコトが起きても対応出来るように近場で待機だ』
『はあ。つまり?』
『お前らふたりは暇つぶしにマーケットでも行ってろ』
『は?』

 そして突然下された指示に、カイザーと世一は揃って顔を見合わせ合うハメになった。間抜けにも豆鉄砲喰らわされた鳩みたいなツラをしたまま。

『いやノア、待て。イヴのミサに合わせて仕掛けると決めたとき、クリスマスマーケットでデートする可能性は考えから消してたんだ。脚本の出来がクソ微妙、カス結末オチになったらどーしてくれる』
『そーっすよノア、つか最終決戦前の想い出作りって死亡フラグっぽすぎ! 前回俺たちそのあと心中自殺してるんですけど!?』
『だから不吉だと? ジンクスぐらい覆せよ青い監獄の申し子エゴイスト。その程度も出来ないで神に勝つつもりか?』
『ん、んぬぬぬ……! そう言われると立つ瀬ねぇ〜!』

 そしてマヌケな受け答えをひとしきりした挙げ句、普通にぬーんと押し通されて決戦前デートをすることに決められてしまった。『最悪負けてまた死ぬかもしれないんだから確実に時間が取れるタイミングでアドリブだろーがハグでもキスでもしておくべきだろ』とはノアの言である。言うことに容赦がなさすぎる。事実だからって歯に衣着せなさすぎだろコイツ。
 というかつい先日乳繰り合ってる間に襲撃されて死んだらどうするんだ自制しろなんぞと言ってきた男と同一人物のセリフだとはとても思えない心変わりようなのだが。

『あ? ありゃ無防備に背中晒すなクソガキ共が、という意味だが。まさか街中を歩いている最中に世間様にお見せ出来ねぇような醜態を晒す気か? 寝首掻かれない程度に自衛できる状況なら何してたって一緒だろーが』

 などとぶーたれていたら丁寧な補足がとんできた。なるほど一理ある。
 そのまま「では異存ないな」と念押しをされ、最終的にカイザーは世一とのデートを受け入れることにした。そしてどうせ出掛けるのなら楽しもうと心に決め、あわててネスに追加の情報をせびったり、ワケも分からないまま「デートで相手の心を掴むマル秘テクニック」みたいなホームページを閲覧したり、世一の趣味を思い出しながら洋服を新調したりして今日に至るのである——



「おい、はぐれるなよ。……そろそろ鐘が鳴る時間だ、観光客が足を止めるから余計にこのあたりは身動き取りづらくなる」

 ネス推薦のマーケットはフラウエン教会からほど近く、幸運なことに、ネスのアドバイスを最大限に活かして回ることができた。一度は野良に棄てられたというのにそれでも忠誠心を忘れなかったネスは身を挺してグリューワインの飲み比べを敢行しており、率直なテイスティングによって選ばれた屋台のワインは、濃い酒にそれほど慣れていない世一でも飲みやすかったらしく、買ってやったマグカップを幸せそうに握り締めてちびちび飲んでいる姿を観測することができたりしている。

「ん。にしてもホントすごい人だなー、マグカップ落とさないようにしないと、これ持って帰れるんだろ?」
「ああ、もちろんだ。リビングの棚に飾り付けよう」
「お前のもあわせてふたりぶんね。あ、一緒に飾る用にサンタクロースの置物とか買ってもいいかも……

 そして特筆すべきこととして、もうひとつ。
 今日の世一は妙に饒舌だった。何しろ朝、家を出て、一緒に歩きはじめてから、世一はずっと喋り続けている。もともとべつに寡黙な男ではまったくないのだが——しかしそれにしたってこれは喋りすぎだ。沈黙が気まずくて、というか間を開けると気持ちが持たなくて、とりあえず上っ滑りでぺらぺら話し続けているという感じがしてあまりらしくはない。
 だがその理由は明白だった。世一はたぶん緊張しているのだ。
 今日このあと命を賭ける予定があるというのを別にしても、どうも世一はクリスマスムード一色に染まる街を一歩進むたび、カイザーとのデートを意識しまくって、イチゴのように頬を熟れさせて愛くるしく胸をときめかせているようなのだった。ついでに——恐らくは脳味噌も。

「な、お前はどー思う? サンタさんよりこの光るウニみたいなトゲトゲオブジェの方が良かったりする?」
「ウニじゃなくてベツレヘムの星な。まぁ……ジジイのフィギュアよりはコッチの方が好きかも」
「あホント? じゃあこっちにしようかなぁ。えーっと、すみませーん!」

 やはり上ずった声で屋台の店主に声を掛け、世一がベツレヘムの星のオーナメントを購入する。店主はバスタードのサポーターだったらしく、接客の途中でヨイチ・イサギだとばれ、芋づる式に、一緒にいる目つきの悪い目元赤タトゥー男がミヒャエル・カイザーであることもばれてしまった。それでも店主は節度を守り、バスタードの双剣が仲睦まじくお出かけしていることを喜び、一緒に店番をしていた奥方と思われる女性に嬉しそうに耳打ちしてハグをする。その様子にひょえっと奇妙な声を出す世一。
 そう。つまり潔世一は、どうやら——クリスマスの雰囲気にアテられてそこかしこでイチャつきまくる連中に、自分たちを重ねて勝手にドキドキしてしまっているらしいのだった。
 あともしかしたら、「今の内にハグでもキスでもしておけ」なんぞという鉄面皮フランス男(一応大天使)の直球すぎるコメントに意識を引っ張られているのかもしれない。ノエル・ノアも何万年に一度ぐらいはいい働きをするらしい。

……い、今のお店の人たち、仲良かったなー。ってか、ドイツの人たちって全然人前でもあーいう感じのやるんだ、普段全然意識してないから気付いてなかったかも……

 屋台から離れ、オーナメントの入った袋を受け取ると、世一はこそりと小さな声でそう呟き、まだ赤みの残る頬を抱えながらカイザーの顔をちらりと覗き込んだ。

「まぁクリスマスだからな」

 それにカイザーはしれっとして応える。が、カイザーはカイザーで、平静が保ちきれていないというか、若干、目がうろうろと泳いで所在なさげに彷徨っていた。実のところ。だって緊張から頬を染めて大きな瞳をうるうるさせている(ようにカイザーには見えている)世一の表情は普段の百割増しで可愛らしい。気が狂う。

「連中も気が大きくなりやすいんだろう。まぁ俺たちの場合は……騒ぎになるのはクソだりぃしあまり目立つ場所でのキスは控えた方がいいだろうが……
「うん……てかそれはね、まだ、取っておきたいの、俺。あの夜に我慢した意味もなくなっちゃうし……

 モゴモゴとハッキリしない声を漏らすと、世一が中身を飲み干したマグを紙ナプキンでぬぐい、ベツレヘムの星が入っている袋にぽいと放り込んでくる。
 とたん、世一の手のひらは自由になり、持て余したようにあたりをぷらんと漂った。ちなみにカイザーのマグはとっくに拭き取って収納済みで、握るもののなくなった左手も、さっさと手袋を被せられたあげく上着のポケットに格納済みだ。

…………

 世一はちらちらと手が突っ込まれたポケットに視線を泳がせ、しかし、何かを言うことなくくちびるを噤んでしまう。周囲では人々のガヤガヤとした声が響き渡っている。

………………
………………

 どいつもこいつも浮かれきってぽやぽやだ。スられるぞ、マジで。
 カイザーはかつて自分がクリスマスマーケットを狩り場にしていた頃のことを思い出していた。浮かれたカップルというのは実に標的にしやすいのだ、あーほら今斜め前のアベックがやられた。つーかあのガキこっち見てるな、このままではカイザーはともかく世一がスられるのは時間の問題である。

——おい、」
——なぁ、」

 そう思って隣を振り向くと、ぴったり同じタイミングでこちらに振り向いた世一の大きくてまるい瞳とパチパチ目がかち合って言葉が重なり、ふたりして思わずぷっと噴き出してしまった。

「ん、ふふ、なーに世一くん。言いたいコトがあるなら言ってみろよ?」
「そっちこそ……いやでも、その顔見る限り、考えてるコトはたぶん一緒か。……あのさ、カイザー」

 世一の手が、ゆっくりと持ち上がって、指先を開く。お手をどうぞの模範的なメッセージ。洒落臭いその仕草にカイザーはフフンと鼻を鳴らし、跪いて手の甲にキスを落とす代わりに、世一の骨張った手のひらをぱっと掴み取る。

「人酔いしちゃった。ちょっと抜け出さない? お前と行きたいところがあるんだ」

 もつれあう指先はかじかんで冷たく、だけどトクトクと脈打ち、確かに、ここで生きているという感じがした。

「あぁ、もちろんだ。——どこへでも」

 その感触にカイザーはふと、最期の瞬間まで手を触れることすら出来なかった百二十年前の感傷を思い出した。だがすぐに不吉な予兆を振り払うためふるりと首を振り、——恋人繋ぎで握り締めた世一の手を引き歩き出した。



◇ ◇ ◇



 観光地からは多少外れたエリアに居を構えているとはいえ、ミュンヘン中央駅にはそこそこ足を運ぶし、周辺の地理だってぼちぼち頭に入っている。向こうを抜けたらヴィクトアリエンマルクト。逆の方に数駅進んだらミュンヘン大学。そっちの方向にはショッピングモールが並んでいて、それから、————この道をいくらか歩いた果てには、いつかの昔、安普請の下宿として借りていた屋根裏部屋が確かに存在していたのだ。

「なんか、うん、なんでだかわかんないけど今日は寄ってみたくなって。……流石に人気ひとけもないな、何にもないエリアだし」

 何の変哲もない小ぎれいな民家の前で立ち止まり、世一が顔を上げる。その昔アレクシス一家が住まっていたはずの土地には、もはや面影もなく、まったく別の形状をした新しい家が建っていた。「ミュンヘンは本土空襲を受けているからな」と、カイザーが物静かに呟く。世一も頷いた。そうでなくたって、下宿人が不審死を遂げた家だ。気味悪がって手放し、引っ越したのかもしれない。仕方ない。でもそこにはまだ、確かに想い出がある。

「けどほら、通り道のパン屋さんはまだあったよな。店の名前もたぶん一緒じゃなかったか?」

 世一が首を捻りながら呟いた言葉にカイザーは黙って肯定の意を示した。

「ミヒャエルくんのバイト先ね。合ってる合ってる、なんならパンの匂いもたぶん同じ。仕込みの製法変えてないんじゃないか」
「えっマジ? 伝統製法じゃんもはや。つーかお前そこまでちゃんと思い出せてんのすごいな」
「当時実体化してなかったお前が嗅覚についての記録を持ってないだけだと思うぞ」
「うーん、それも確かに」

 不思議なもので、奇妙な夢に振り回されてあれこれ調べ物をしていたときは実在すら疑っていたくせに——こうして思い入れのある土地に一歩足を踏み入れると、アレが嘘や妄想だったとはとても思えないほどのリアリティを伴って、ずしりと心臓の奥の奥へと何かが落ちてくる感触がある。
 「ここなんだよな」世一もきっと同じことを考えているのだろう。握り合っている指先がぴくりと震えて、それからカイザーの指先に強く絡みついた。「ある意味、ここから全部始まったんだと思う。うんざりするような運命を断ちきることが出来る可能性が、全部——」それから宇宙の如く深淵で海の様に深い色を湛え、青色かれと同じ目をして、カイザーだけをその世界に映し込む。

「あの日も、こんなふうに、冷たくて澄んだ風が吹いてたんだ」

 過去の幻を回想して、世一がささやいた。

「パンの匂いはわかんないのに、それだけはハッキリと思い出せる。悪魔を見て腰抜かした馬鹿なガキ、利用するだけしてポイって棄てるつもりの玩具、そんなつもりで手ぇ出してさ。それなのにいつの間にかズブズブにさせられちゃって、……そのうえあっという間に合体しちゃってさぁ」
「お前そこはもっと他に言い様があるだろ」
「うるせーあんなの二十一世紀日本人の倫理観からしたら合体以外に言い様ねーわ。でも、なんか、ちょっと羨ましかったんだよな、そーゆーの。……恥じらってばっかじゃ前に進まないよなーって、それでちょっと勇気が欲しくてさ、ここに来てみた」

 別にセンチメンタルになるためじゃなくってね、と、世一がうそぶく。あと人混みから離れたかったのも本当だったという但し書きつきだ。クリスマスイヴのごった返すミュンヘンで、多少は地理がわかって、静かな場所。それを考えて咄嗟に思い浮かんだのが、この場所だったのだという。

「自分がどうするべきかは、この前ちゃんと決めてきた。だからこれは単に、潔世一のエゴで、ワガママで、祈りで、ちいさなちいさな秘め事だ」

 世一が言う。そうしてヤツは触れ合わせたままの指先にきゅっと力を込め、今一度カイザーの瞳を覗き込んでくる。

「キス、は、まだ、とっておき……だけど。ハグは……してもいい?」

 世一の青い瞳は穏やかな海原の如く凪ぎ、澄み渡って、狂おしく胸が締め付けられそうなほどに愛おしかった。

「断ると思うか?」

 だからカイザーは素直に頬を緩め、繋いでいた手をふわりと離す。そして両腕の中に恋しい人を抱きすくめ、ぎゅうぎゅうにハグをして応える。

「あ…………

 世一の身体、成人男性アスリートとしてそれなりに鍛えられてガタイのいい肉体をそれでもすっぽりと腕の中に抱きすくめていると、感極まったようにヤツが声を漏らし——それからゆっくりと世一も腕を回してカイザーの背を抱きすくめた。
 あたたかい。どうしようもないぐらいに。羽根はちゃんと仕舞っているはずだったが、まるで純白の六枚羽根と漆黒の翼を大きく広げて睦み合っているような奇妙な錯覚さえ抱き、カイザーは世一の顔を覗き込む。

「約束、守ってくれてありがとな」
「約束?」

 柔らかな胸の鼓動に耳を澄ませながら小首を傾げると、世一がささやかに目を細めた。

「俺と一緒にクリスマス出かけてねってやつ。破ったら針千本飲ますって言っただろ?」
「あぁ、確かに……そんなこともあったっけな」

 そう、確か、ボードゲームで一日潰したあとの、停電の夜に。百二十年前に比べたらついこの間の出来事のはずなのにひどく遠い昔みたいに感じる。
 もしかしたらそれは、二十一世紀のふたりにとっては、あの夜こそがはじまりの瞬間だったからなのかもしれない。
 ふと柄にもなくロマンチストな空論を思い描いてカイザーは自嘲気味に笑んだ。今世紀における物語の始まりはまず間違いなく青い監獄ブルーロックでのあの出逢いの瞬間のはずだが——すくなくとも恋物語のはじまりは、こっちなのではないかと。

 恋と愛に衝き動かされて走ってきたような数万年だった。
 だから最後まで、恋と愛のために走り続ける。道化ピエロ役に似合いの滑稽なクライマックスだ、だが、ハッピー・エンドにちゃんと繋がっていくというのならもう一度だけそいつを拝命されてやってもいい。

「だが世一、後顧の憂いをここで全て断ってしまうと、それこそB級映画のフラグ建築みたいなことにならないか」

 そのために不穏の種を摘んでおくかと思い、優しく背をさすって囁きかける。すると耳に吐息を吹きかけられた世一は「ひぅっ!?」と引っ繰り返ったような声を出し、「そんなの分かってるって……」と何故か恨みがましい声音を漏らしてから、最後にひどく真面目な顔になってカイザーの背中を抱きすくめる。

「だからさ、今ここで、約束、もう一個新しく追加して」

 世一が言った。

……なんだ?」
「カイザーの誕生日、俺に一番にお祝いさせて」

 それはある種の、魔術的とすら言える——神秘を伴う詠唱テキストだった。

——、」

 カイザーは静かに息を呑み、喉を鳴らす。大天使の権能を多少なりと飼い慣らしたからこそわかるのだ、この約束はただの口約束では済まされない。
 一度口にしたが最後、履行するか、滅ぶか、その二択しかない、そういう類のシロモノだ。
 殆ど呪いのようなものだ。本能的にそれを理解らされる。そうだ、然るにヨイチに与えられる愛というものは、ずっと、ずうっと、呪いじみている。そしていつだってミヒャエルの魂に纏わり付き、運命を悉く変え、ねじ曲げてしまうのだ。

 魂が破滅しかねないほどの狂気的な恋。
 あるいは狂喜的な愛。

 それが自分の中に今なお息づいていることを今一度確かめ、カイザーは大きく息を呑むとくちびるを開く。

「あぁ、もちろん」

 それは二十一世紀における、新しい宣誓だった。……たとえ彼ら自身にその自覚がなくとも。
 だからだろうか。その声に呼応するように、一陣の風が吹き抜けていく。カイザーは瞬きをした。何かあたたかいものがほんの一瞬自分たちを包み込む、ような、——気がする。だがその正体について深く考える暇は残念ながら与えられない。
 柔らかな冬風からほんのコンマ一秒遅れるようにして、今度は死神の鎌を喉元に突きつけられたかのような、鋭く痛ましい、凄惨な気配が——ぶわりとどこかから滲み出た。

「「————ッ!」」

 心臓を直接舐られるような気色悪さに、ふたりは揃って言葉もなく喉をヒクつかせる。世一が、広く温かい腕の中からばっと抜けだし、蒼白な面持ちで背後を振り返った。その視線の向こうから、大きな鐘の音がリンゴンと鳴り響いてくるのがいやでも耳に入る。

「カイザー、」

 世一が鋭く名を紡ぐ。

「理解ってる」

 カイザーも短くそれに頷く。
 これで、ノアが与えてくれた最後の猶予は全て使い切った。
 ……いよいよだ。時は待たない。もう二度と。

「魔法陣が起動する——急ぐぞ。走れば五分と掛からないはずだ」

 今一度頷き合うと、ふたりは弾かれたようにその場から駆け出した。



◇ ◇ ◇



 大きな木造の扉は何故か閉め切られており、勢いのままに押すと不気味な音を立てて開いた。無視して教会内部に足を踏み入れると、びりびりとした気色の悪い感触が走る。
 それを無視して中へ入り込むと、その先で世一が思わず動きを止めた。カイザーもギョッとして瞬間言葉を失う。教会の内部、例年のこの時間なら厳かに降誕祭のミサが執り行われているはずのその場所は、何か異様な気配に満たされ——闖入者たるふたりにビリビリとした悪寒をもたらしている。

……何これ。パニックホラー映画の撮影現場か何か?」

 ゾッとしない口ぶりで世一が零した言葉に、カイザーは力なく首を横へ振った。

「そうだったら良かったんだがな。生憎大天使としての権能がそのセンを否定している。最悪だ」

 そうして喉をひくつかせてぼやくと、受け入れ難い光景を前に、カイザーは息を吐き——改めて周囲を見回した。


「てんし、さま——
「てんしさまぁ——
「てんしさま——


 高い天井に、それなりに広い敷地を誇るこの教会は、本来であればパイプオルガンの厳かな音色に包まれた荘厳な場所である。だが今はオルガンの音はまるで鳴りを潜め、聖歌隊の歌声ひとつもなく、集まった人々は祝詞を唱えるかわりに屍人のような呻き声をあげ、涎を垂らしながら、無数に浮かび上がる紡錘形スピンドルの構造体へ縋り付いている有り様だった。
 誰がどう見ても異様な有り様だが、それを不思議に思っている人は残念ながらどこにも見当たらなさそうだ。

「領域化してるな、入った時のキモい感触は人除けか」

 カイザーは頭を振って天井を見上げた。ビスマス鉱の色をした奇妙な正八面体に、円環と二枚の羽根を生やした構造体——下級天使どもが、うようよとそこら中を漂って埋め尽くし、侵入者たるふたりには目もくれずなんらかの職務に従事している。
 彼らは教会の天蓋を埋め尽くすほどに群れを成して、どうも、虚ろな目をした人々からふよふよと漂う光を吸い取っているようであった。
 いったい何をしているのだろう?
 その答えを考えるまでもなく知っているカイザーは、忌々しげに舌を打つ。——ヤツらは信心深くこの世に絶望している薬物中毒患者たちから、魂エネルギーを徴収しているその最中なのだ。

「世一。ヤツらは全員ヤク中のうえにトランスさせられてる。——方針は分かってるな?」

 ノアの姿がどこにも見えないが、こうなると最早待っている暇はない。すぐにでも作戦を開始しなければ。
 カイザーが大きく左手を広げると、その背からばさりと三対六枚の翼が広がり、美しい金髪の頭上に輝く天の冠が浮かび上がる。

「当然。こーなったら遠慮は不要ってノアも言ってたしね。できるだけみんなは無傷で返して、下級天使だけ速やかに撃破。作戦パターンはEかな、——さっさとヤろーぜ!」

 それに呼応するように世一も右手を広げ、悪魔の翼を大きく広げては爛々と瞳を輝かせる。
 夕暮れの光がステンドグラスを通じて蝋燭の明かりと溶け合う、昼と夜のあわいに——斯くして大天使と大悪魔のイチかバチかの攻防は幕を開けた。



 作戦は単純だ。神は既にエネルギーの大半を集め終わり、大悪魔滅殺の魔法陣を書き終えている。あとは最後にダメ押しの魂エネルギーをかき集めて実行式を走らせるだけという段階だろう。根本的な邪魔や破壊はまず不可能——ならば乗っ取るしかない・・・・・・・・
 限りなくキツイ綱渡りのようなアイディアだが、端的に言って、こちら側にはそれ以外の選択肢がなかった。それにギリギリの賭けではあるがまったく勝算がないわけでもない。なにしろ百二十年前、実際にミヒャエル青年は神が集めたエネルギーをかっぱらうことで権能を超えた奇跡を起こし、本来は起こり得ない悪魔と天使の人間体への転生を現実のものとしている。

『とはいえそのためには、最低でも、現場に詰めてくるであろう下級共を根こそぎ押さえつける必要がある。他の大天使は興味を失うか間に合わないように細工しておいたが——力のある天使は自我があるぶん気まぐれだからな——下級共は神の命令に絶対服従だ』
『なるほどな。当日はドイツ中、いやヨーロッパ中の下級天使が総動員されるだろう。その状態で、それでも俺達はフラウエン教会のどこかに刻まれているであろう起動式を見つけ出して制御するための時間を稼ぐ必要がある、と』
『えと……出来なかったらどーなるんですか?』
『消滅する。それだけだ。他に質問は?』

 作戦を立案したノアの説明はシンプルにも程がある内容だったが、カイザーと世一はその方策に乗った。そしてみっちり扱かれて多少は身についた技術で、何度も暴走させては振り回されてきた異能をコントロールし攻勢をかけた——だが。

「あー、クソ、まじでクソ! どんだけ出てくるんだよウジャウジャしすぎ! ゴ○ブリなみにしつけーんだけど!!」

 仮にも天の遣いを害虫扱いなどと不敬な暴言を乱発しているのは、悪魔の力を全開にしてふりかぶっている世一である。背丈の数倍にも膨れあがった翼が空間を凪ぐたび、下級天使は甲高い悲鳴をあげて吹き飛び、チリになってジュッと消えた。だがすぐにそうやって空いたスペースを別の下級天使が埋める。キリがないし、ひっきりもない。無尽蔵に思えるほどの紡錘形スピンドルが、延々と教会のあちこちから湧き出てくるのだ。

「まったく最悪なことにあらゆる利があちら側にあるからな。そもそも俺たちはフットボーラーだ。せめてボール蹴らせろボール、もうこんなのシュートブチ込んだ方が早いだろ」
「コ○ンじゃん。武器がわりに持ってくりゃよかったかもな、——ってカイザー真上! それから斜め四十五度!!」

 カイザーが指をはじくと乾いたな音があちこちで弾け、紡錘形スピンドルの構造体がぎゅるりとねじれる。細長い紐状にツイストされた下級天使がチリになって消えた。しかしすぐにこれも補充される。金属がかち合うような悲鳴、ざわめく天使の今際の叫び、輪唱の如く広がる不快な叫び。それらすべてを一瞬にして埋め尽くす、新たな天使たちの、嘆き。

≪あぁ、ミヒャエル、さま————
≪神は、お嘆きに、なられています————
≪お戻りください、お戻りください、お戻りください————
≪さもなくば————
≪さもなくば次はあなたに意志も残されないでしょう————

「だからクソうるせぇって言ってんだろうが」

 パチン。軽快な音が鳴り、下級たちが爆ぜ散った。ガラス片のようなチリが虚空をキラキラと舞い続けている。魂を吸い取られている信徒たちは、その光景を前にただただぽうっと呻いているばかりだ。
 状況はハッキリ言って最悪だった。圧倒的な多対二で純粋な消耗戦を強いられ続けているうえ、この場所は守らなければいけないモノが多すぎる!
 せめて、この信徒どもが、ここにいなければ。
 暴走覚悟で権能を使い倒すなんて方策もあったのかもしれないが——あちらさんはそのあたりも織り込み済みで無数に人間を配置しているのだろう。まったく悪魔より血も涙もないではないか。

——ぐっ、あ、ぐあぁっ……!」

 とにかく、そんな状態がいつまでも続けられるはずがない。
 まずはじめに異常を来したのは、世一より一足早く、十九世紀の時点で人間への転生を果たしていたカイザーの方だった。翼がたわむ。白翼が荒れ狂い、抜け羽根が宙を舞う。金色に滲む瞳を抑えてカイザーは微かに呻いた。頭が痛い。ひどくガンガンする。あぁクソ、本当にクソッタレだ、力が足りない、これっぽっちも足りてない、この身体のなんと歯がゆいことだろうか、——胸糞が悪いったらありゃしない!

「カイザー!」

 状況を察したであろう世一が翼を翻してこちらに振り返り、旋回してくる。バカ、そんなことしてる場合か、悪魔の力が多少コントロールできるようになったからって、お前だってたいして余力があるワケじゃないだろーが。だがそんな正論を説いたって世一はまるで聞きやしないんだろう。やつの顔にはいつだって、お前が大切だから守りたいんだよという、そればかりがでかでかと書き記してあった。あの時も、あの時も、あの時も。
 あの時だって。
 潔世一ほど愛情深い生き物をミヒャエル・カイザーは知らない——だからカイザーだってよっぽどお前なんかより守ってやりたいと願っていて、限界を間近に控えて失墜していきそうな身体に鞭を打ち、𠮟咤し、全霊を尽くす。

「大丈夫だ——まだ倒れねぇよ、俺を誰だと思ってやがる、……ミヒャエル・カイザーだぞ、」
「ッでも、おま、全然顔とか青いけど!? 起動式の起点は? 見つかりそうなのか!?」
「ちっともだ。ご丁寧にジャミングされてやがる、術式はミカエルのモノなんだぞ、邪魔さえなければ一発なんだが、な……!」

 翼を振るい、指を弾く。地獄の釜で炒めたポップコーンみたいに下級が爆発して消える。また弾く。爆発。その繰り返し。どこまでも終わりが無い。
 あと何体、コイツらを転がす力が自分には残されているだろうか。
 あと何分、この痛みに耐えていられるだろう。分からない、分からない、その苦しみにつけ込むようにしてやがて大きな地響きまで鳴り渡りはじめる。

「ッ、あ、天変地異……!」

 教会のシャンデリアが、ガチャガチャと音を立てて揺らいだ。
 どうやら、いよいよ、あちら側の干渉も本格化してきたようだった。戦うのに必死で気付いていなかったが、きっと建物の外はとうの昔に酷い吹雪に成り代わっていることだろう。ついでに雷鳴も轟いているかも。カイザーは舌打ちを重ねる。降誕祭の夜にこの荒れ模様はどうもいただけない。こんなコトをこれ以上続けさせてたまるものか。早く来い、早く、——早く、それだけを懸命に願ってカイザーは叫ぶ。

「とっととしやがれ、これ以上は保たねぇぞ!」

 逆転の一手を呼び込むように。
 未だ姿が見えない協力者の凱旋を待ち、残された全神経を集中して、ただひたすらにその時を待ちわびる。

——待たせたな」

 果たして、その祈りは、或いは怒声が、ヤツに通じたのか。

「今、最後の結界を展開する・・・・・・・・・・。歯食いしばってろクソガキ共」

 作戦の最後のピースが——遅れて決戦の地に着弾する。



◇ ◇ ◇



 当然だが、計画E——この名称は世一が付けた、ちょっとダサいと思う——は、ガス欠まで無闇矢鱈に下級天使を撃滅し続けるなんて頭の悪い作戦ではない。
 ミカエルの術式を見つけ出して制御を乗っ取るという目的上、作戦の要は当然、ミカエルの魂を持つカイザーになる。カイザーがその権能を十全に行使することさえできれば、気配感知で恐らく起点はすぐ見つけられるからだ。しかしそんなことは向こうも分かっているだろうから、全力で邪魔をしに来るだろう。
 そこで天の力による妨害を中和する役にはノアが立候補した。というかノア以外適任がいないといったほうが正しい。十九世紀末ではミヒャエル青年と悪魔も防護結界を展開してみせていたし、今のふたりも一応それっぽいのが出来なくもない程度にはノアに稽古をつけてもらっていたのだが、それはそれとして現役大天使のノアには精度で劣ってしまう。
 そういうわけで残る世一は自動的に物理妨害をどうにかする役に割り当てられ、ついでにカイザーも、感知出来る状態になるまで世一を補助する方向で合意と相成った。どうせ世一ひとりに任せてカイザーは温存、なんて出来る状況ではなかろうと踏んでいたからだ。
 もちろんこの予感は現実のものとなり、カイザーも世一もそれなりにボロボロになるまで追い詰められていた——のだが。

「ッ、おせーんだよノア! マジで死ぬかと思ったんだが!?」
「仕方ないだろ、今世じゃ別にここの牧師じゃねーんだよ。保管庫の聖遺物コイツを持ち出すのに少々手間取った」

 限界を迎えるその手前で、ノエル・ノアが、巨大な聖杖を手に持って降臨する。既に三対六翼を展開しているノアは、聖杖をカン、と教会床に叩き付けると短く詠唱し、自身の頭上に浮かぶ円環を輝かせる。

≪ガブリエル、さま————?≫

 天使がわなないた。
 紡錘形スピンドルの構造物が震える。ある個体は怯えるように。またある個体はきょとんとして。はたまた次の個体は硬直して。ノアはそんな下級どもの動揺などまるで知ったこっちゃないとばかり首を振り、最後にもう一度聖杖で床を叩く。

————Desine止まれ〟」

 その宣告と共に、あれほどうじゃうじゃと湧き出てきては教会を埋め尽くさんと蠢いていたはずの下級天使たちは、凍り付いてしまったかのように動きを止めて——魂を吸い上げられていた人間たちもぴくりともしなくなり、建物内にはしんとした静寂が訪れた。

「フィールドは整った。聖夜にはうってつけの静けさだ。五分は保つ」
「ハッ、上出来。よくもまぁそのレベルの聖遺物が二十一世紀にまで現存してたもんだ」
「十九世紀の時点で、何かあった時のためにと俺がこの教会に隠しておいたからな」
「マジの職権濫用じゃんノア教授」
「レポート一本で見逃した時点で何をやろうとあとはさほど変わらん。……グズグズするなカイザー、ここからがミカエルの本領発揮だろーが」

 聖杖を掲げたままノアが嘯く。大天使ガブリエルの権能を、更に聖遺物で補強拡大し、常軌を逸した結界術によってこの場の主導権を上書きする。とてつもない御業であり、当然、そう長く維持出来るものではない。ノアは五分と言ったが、すぐ横やりが入る可能性だってある——一分一秒と無駄にはできない。

「うるせぇよ老害、ここで決めなきゃどうせそれまでだ」

 カイザーは自らに与えられた六枚の翼を、忌むべき祝福にして呪いを高々と広げ掲げると、大きく息を吸い込んだ。

————ッ、」

 円環が光を孕む。
 翼が淡くまたたいて膨らむ。空色の双眸が金色に滲み、染まり、輝きを放つ。感覚が研ぎ澄まされてどこまでも広がり、鋭敏になった魂が、隔絶された教会の内部に刻まれたすべてのはじまりを照らし出す。

「は、ぁ、——あった、————クソ、地下室だ、——ガブリエルの羽根があった場所——!」

 それを理解した瞬間、カイザーは地を蹴り、翼を広げて飛び上がっていた。
 空を切り、聖堂の中央をまっすぐに走り抜けていく。足止めとして設置されていたであろう下級どもは電源を切られた機械みたいになってただそこらじゅうに転がっているばかりだ。カイザーはそいつらに足蹴のひとつもする余裕もなく、何かに急かされるように飛び続ける。
 そののっぴきならない雰囲気を確かめたノアと世一が、顔を見合わせあい、あとを追ってくるのが分かった。だがそれでも振り返ることはない。ただまっすぐに前だけを見て、祭壇の裏手に回り、地下室へと続く小さな階段を下っていく。

「この先に——

 触るのももどかしく天使の力で扉を無理矢理開け、中へ。十九世紀と異なり、観光客向けに開放できるよう整えられたちいさな地下室は明かりで照らされ綺麗に整えられている。カイザーはその一番奥へまっしぐらに向かった。淡い光が床に浮かび上がっている。それはつい一週間ほどまえ、ドイツ地図のうえに線を引いてカイザーが書き記したものとまったく同じ図柄をしていた。
 ミカエルに与えられた天使の術式、〝神の剣〟の円陣。
 その縮図が脈打つ血管のようにどくどくと揺らめいて、不気味に——どこからか力を吸い上げ続けているのだ。

「は、——悪く思うなよ」

 カイザーは舌打ちを漏らすと魔法陣に向けて左腕を伸ばし、目を閉じた。
 それから先は一瞬だった。世一とノアがすこし遅れて地下室に辿り着いたときにはもう、カイザーの掲げられた手のひらに向けて、キラキラと輝くまばゆい光の球体たちが、逆巻く渦のように勢いよく集まり、吸い上げられている最中だった。
 失踪事件の被害者たちを使ってドイツ全土に描かれた法外な大きさの魔法陣を、カイザーはほんの瞬きの間に掌握し、絶え間なく運び込まれてくる高純度エネルギーを奪い取っていく。むろん、その全てを吸いあげるには、人間の器は脆すぎる。だから基幹機能にアクセスできるだけのぶんにとどめ、完全に制御を奪い取ったら——あとはノアあたりの力でも借りて今度はカイザーと世一の権能を全部剥ぎ取るために集まった力を使い、最後は吸い取られた人間達に魂を還す。これが予め立てていた計画の全容だ。

「カイザー、大丈夫? ……その、エネルギー、重かったりしない?」

 脂汗を滲ませ、黙りこくって手順に集中しているカイザーの顔を、世一が心配そうに覗き込んできていた。
 カイザーはまんじりともせず目線だけで世一を宥めようとした。大丈夫。今のところうまくいってる。このぐらいの負荷は想定内だし、まだもう少し余力がある。
 とはいえ万一を考えてここらを潮時に逆流を一度抑えるか。
 そうしてカイザーがそのように判断を下し、手のひらをパッと畳もうとした、その時。

「ッ、下がれ、カイザー!」

 異変は起こった。

「今すぐ接続を切れ、俺としたことが——抜かった!」

 ノアがサイボーグの名に似付かわしくない、珍しい絶叫を上げるより——ごくごく僅かに、早く。

…………あ?」


 ひかりが、カイザーの身体を、またたくように駆けずり回り、支配した・・・・


「え、…………か、カイザー?」

 またたきより僅かなあいまの出来事だった。
 ミヒャエル・カイザーのすべてを荘厳な光が包み込み、血管を這いずって励起させ、変質させる。許容値を超えた高純度エネルギーが怒濤のようにその肉体に詰め込まれ、天使の権能が際限なく膨れあがっていく。頭上に浮かび上がった円環が痛ましく明滅を繰り返した。黄金色の輝きが赤と黒のエラーメッセージめいた色に侵食され、背中の翼は異様な速度でボコボコと隆起し形を変えていく。どう見たってまともな状況じゃない。だがそれを止めたり宥めるような猶予すらない。

「ぐ、ぁ、——あぁああっ!」

 痛みに耐えかねるようにカイザーが雄叫びを上げたのは、世一が息を呑み、瞬きを終えた、そのぐらいの頃のことだった。
 それは確かめるまでもなく苦悶と憎悪の叫びだった。
 たとえば、世一にゴールをかっさらわれた瞬間のような。
 更に言うのであれば、あの今は懐かしい新英雄大戦ネオ・エゴイストリーグ最終戦の前半で、世一にすべての虚飾を剥ぎ落とされて壊れていったあのときのような。
 魂の尊厳を傷つけられ、精神の高潔さを陵辱され、貶められる。ミヒャエル・カイザーの自我が、自由が、悪意が、塗り潰されていく。
 神の兵隊に、神の走狗に、神の生け贄に、意志持たぬ剣に。

「がぁあああああっ————!!」

 それでも彼は抗おうとして、けれど何もかも無駄で、やがて——彼の美しい空色の瞳が、ゆっくりと閉じてまた見開かれたかと思うと、茫洋とした金色に染まりきって血の涙を流し始める。

————頭ガ、高イprinceps caput

 カイザーの姿をした何か・・・・・・・・・・・が、カイザーの声で、そう告げた。

「は、ウソだろ、——うぁあっ!!」

 色のない宣告と共に掲げられた手のひらから衝撃波が発生し、世一とノアの身体を諸共に吹き飛ばす。ふたりは強烈な烈風によって地下室から叩き出され、階段へしたたかに身体をぶつけさせられた。翼で咄嗟に身を守り、そのまま逃げるように聖堂の上へと飛び上がる。
 アレはなんだ。
 いったい何が起こった?
 地下室から、逃げ出した悪魔と裏切り者の天使を追いかけて、美しいかたちをした何かが悠然と浮かび上がってくる。世一は悪魔の翼を震わせて息を呑んだ。信じたくない。信じたくないが——だが向き合わねばこの状況はどうにもならないと本能が告げている。

「やられたな。作戦は失敗だ」

 その直感を肯定するかのように、世一のそばで警戒を露わに聖杖を握り直したノアが呟いた。

「ソレも最悪のケースを引かされたときた。……暴走させてでも自我を奪い取ろうとは、神はよほどミカエルのことが惜しいらしい」
「それ、……って、どーゆー、意味……
「はじめから向こうの本命はミカエル自身にお前を殺させるコトだった。天変地異や下級天使は追い込みとブラフを兼ねた単なるサブプランに過ぎなかったのだろう」
「だからっ、何言って——!」
「こうなればもう殺さなければヤツは止まらない」

 聖杖を構え、ノアが淡々と補足を続ける。世一は引っ繰り返ってひしゃげたカエルみたいな声を喉から漏らすのがやっとだった。今なんて言った。失敗? 殺さなきゃ止まらない? 誰を殺すって?


 ——あれほど焦がれて愛した、唯一無二の最愛ミヒャエルを、この手で?


「薄々は理解ってるんだろう、潔世一。その通りだ。ヤツは神の術式の制御権奪取に失敗し、逆に神の支配下に置かれた。恐らくはミカエルの魂の根源にはじめから謀反対策の自動防衛機構を刻んでいたんだろう。でなければここまで見事な乗っ取りは説明が付かん。土壇場でただ一度だけ発動するような類の——アレは本来人一倍自我が強くて言うことを聞かねぇハズだからな」
「だ、からって、そんな、——元に戻せないんすか、アンタ大天使なんでしょーが!?」
「出来るならこんなコトは言わん。魔法陣で抽出されたエネルギー全部乗っけられたミカエルの権能にマトモに対抗する術なんぞどこにもない」

 活かすのは殺すより難しいんだよ、と、ノアがちいさく吐き捨てる。正攻法は無理、どうにか一瞬隙を見つけて殺すのが精一杯だ、と。
 何しろ器は人間なので致命傷さえ与えれば今世では止めることができる。
 そうすればまた、いつかの未来でどこぞにその魂は生まれくるだろう。

「でも、それじゃ、今この時代を生きるカイザーは? ——カイザーのサッカーは? ——どーなるんだよ?」
「まぁ事故死で処理されるだろうな。バイエルンの民はひどく悼むだろうが、それで終わりだ」
「ふざっけんな、そんなのって、」
「だがそうしなかった場合は更に凄惨だぞ。——忘れたのか? 神の目的はそもそも悪魔お前の完全消滅だ。あれだけの力があればいよいよ今世ではそれが決まる」

 呆然として浮かび尽くしてしまった世一を一瞥すると、聖杖をふるい、ノアが保護膜バリアを生成する。しかし次の瞬間、激しい熱量に晒されて保護膜バリアは跡形もなく砕け散った。カイザーが——いいやミカエルが、世一の命を執拗に狙っている。ミカエルは既に次の攻撃の充填に入っていた。ノアは新しく保護膜バリアを張り直すが、そのたび少しずつ、サイボーグとまで評された彼の額に、らしくもなく脂汗が滲み垂れ落ちていく。

「お前を失ったヤツがどうなるかなんぞ火を見るよりも明らかなことだ」

 ノアが言った。

「だが少なくとも今ヤツを仕留めれば、来世でリトライするチャンスが生まれる。可能性をゼロにするよりはマシだ、——と俺はそう思う。何の為に何万年とこんなコト繰り返して来たんだ、お前たちは」

 そして彼の言葉を遮るかのように、保護膜バリアが、もう一度、割れて消えた。
 世一は言葉ひとつ持つことが出来ず、ふたたび、引き攣れた声を喉から落っことした。わかっている。これが絶体絶命の大ピンチであることは。逆転の目は殆ど無く、ノアによる護りにも限界があり、リミットは刻一刻と近づいて来ている。世一にできる唯一の対抗策は、今すぐ決断してこのしみったれた物語の結末オチを選ぶことだけだ。

——そんな、」

 だが。世一は肩を震わせる。選べない。だって今更何を選べって言うんだ? 死んで次の転生を待ってリトライはもうやったのだ。あれはひどく苦しく、辛く、惨たらしいものだった。同じ轍を踏むのなんて願い下げだ。……絶対にいやなのに、現実はこんなにも無情で無慈悲で、クソ詰んでいる。

「どうして——

 こんな終わりが、自分たちの人生の幕引きになるのか。
 まだ何も夢を叶えていないのに。世界一のフットボーラーにもなってない、ピッチ上で鎬を削り合うのだってまるで満足してない、愛してるって伝えるのだって満足にできてない、何もかも中途半端で、こんな状態で——本当に、そのどちらかしか、選択肢はないのだろうか。

(嫌だ)

 頭の中で、駄々をこねる子供のような泣き言が、さざめき広がっては降り積もっていく。

(そんなのは嫌だ……!)

 いい加減もうウンザリだ。十九世紀の連中だって、次こそハッピー・エンドを掴むつもりで、血反吐と引き換えに幕を閉じたのである。ここでまた先送りになんてしたらきっと永遠に終わらない。意地でも、何を代償に払ってでも、このどん詰まりの状況を打開するための奇跡がこの手に欲しい。

 たとえ悪魔にこの魂を売ったとしても・・・・・・・・・・・・・・・・・
 それで願いが叶うのなら、潔世一は何だって惜しくはない。

——頼むから、)

 世一は胸元に手をやって思い切り握り込んだ。心臓を握り締めるように、怒り任せに手のひらで鷲掴んで、自分の中にある大悪魔の魂に怒鳴りかける。

(助けろよ。まだ何か隠し持ってるんなら全部吐き出してくれよ。俺はお前なんだろ、——愛してるんだろ、俺たちは…………あいつのことを!)

 それはまったく、追い詰められた人間の逆上でしかなく、狂人の悪足掻きでしかなく、無意味な自己嫌悪で、何の成果も生まない八つ当たりでしかなかった。
 そんなことはわかっている。わかっている——けれど。


 ————仕方ないなぁ。


 けれどそれでも潔世一という男はどこまでいってもエゴイストであったから。
 とびっきりの、世界でいちばんの、ごうつくばりでわがままで諦めの悪い男なのだ。魂の底から……その執念はある種、ミカエルをも、そして神をも凌駕する。そうでなければそもそもサタンは堕天しなかったし、愛し子をその手の中に陥れることだって出来なかった。
 きっとこれは、それを証明するための最後の儀式。


 ————確かに今がその時だよな、俺。


 保護膜バリアが、鋭い破裂音を立てて、中央から完璧に割れて散った。
 疲弊しているノアに反してミカエルは充填速度を上げ続けており、次の攻撃体勢にすでに入っている。護りはもう間に合わない。ミカエルの手のひらから熱源が放たれる。悪魔の存在そのものを滅する光だ。まともに喰らえば後には何も残らない。ミヒャエルが愛した青色も、潔世一がこの世に生まれて生きた証も、誰の記憶や記録からも、完全に灼かれて消える。

………………あ、」

 けれど、それよりほんの僅かに早く、世一の心臓の奥底から、何か柔らかな光が瞬き、あふれ出した。

「あぁ、」

 世一は静かに目を閉じた。これから何が起こるのか、なんとなく知っている。これは幾度も繰り返した光景、幾万年と重ねてきた祈り、その果てに辿り着いた答えで、永遠で、そして刹那。


 ——最後の白昼夢が、はじまろうとしている。



BACK ■ HOME ■ NEXT