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12/天使の夢、悪魔の祈り、それから愛
「つーわけでネス、世一と実質両想いだってコトになったから、クリスマスは
全力で行くことにした。力を貸せ」
「い、イヤーーーーーーーッ!」
クリスマス・イヴを一週間後に控えた食堂の片隅で、アレクシス・ネスは絶叫していた。何故か? 考えるまでもない。ここのところ縁起の悪い出来事が続いている友人の新たな厄ネタを人づてに聞き、大慌てで大丈夫ですか色々と
……みたいな訊ね方をしたところ、唐突にそのようなコトを告げられたからである。
「なっ
……なにその、〝実質両想い〟って!? まだ合意は取れてないけど脈はあるなみたいな判断したってこと!?
……キミが!?」
「なんだよネスぅ、その『カイザーにしては発言がちょっとキモいから聞かなかったことにしたい』みたいなツラは」
「そっくりそのままそーゆー気分ですよ今僕! も〜、
……もぉ〜〜〜〜〜
…………!」
ツッコミたいことは色々他にもあるはずなのだが、もうとにかくビックリしすぎてそれしか言葉が出てこない。ネスは胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。聞いていたトラブルたちの割にカイザーが元気そうなのは良かったが、それ以外は全部ダメだ。何しろネスはバスタード・ミュンヘンの中で大流行している「カイザーと世一は結局マジで付き合うのか?トトカルチョ」で9:1の大差をつけられている「付き合わない派」に未だ属しているからである。
「通り魔に遭って退院したばっかりのはずのキミが、今度は自宅で? 何か? 転倒事故? があったってノアから聞いて僕ハチャメチャに心配してたのに開口一番コレって本当に信じたくない
……」
「通り魔?
……あぁ、図書館前のか。そういえばあったな、そんなコトも」
「大昔のことみたいに言ってるけどまだ十日と経ってないよ!」
「いやなんだ、その、ここんとこ色々とありすぎて
……」
もぞもぞと言葉を濁してカイザーがぼやいた。胡乱に泳ぐ目線からして本当に色々なことがあったのだろうが、突っ込んで聞く気にはなれず、ネスは嘆息する。まさかその間にカイザーは大天使の、世一は大悪魔の力に覚醒し、前世やら何やらの記憶をどろっと取り戻し、ソレが原因で神に狙われては刺客の下級天使を大量に差し向けられて死にかけ、助け船が入って間を稼げたはいいもののノアも大天使だったことが発覚し、神に一矢報いるため巷で噂の連続失踪事件を解決することになった
——などとは露ほども知らぬまま、「たぶん世一とイチャついたんだろうなマジで聞きたくない
……」と首を横へ振ってネスはふたたび唇を開く。
「でもまぁ、煮え切らない態度取ってるよりはマシかな。マジでマジでねーですけどそう決めたからには上手くいってほしいです。
……世一じゃなくてキミのためにね」
できたら、なんで急に自分の気持ちを自覚できたのかも教えてほしいですけど。
そんなことを冗談めかして舌の根に載せつつも深入りはせず、ネスはカイザーの頼みに応えることを決める。脳裏にほんの僅か、神様に縛られでもしたみたいに舌の根をもたつかせて変化を怖れていたカイザーの姿がちらついたが、今、ネスの目の前に座っているカイザーにその面影はまったくないように思われた。きっといい意味で変化が起こり、受け入れる決意をしたのだろう。勝手にそう決めつけ、ネスは息を吐く。
だってミヒャエル・カイザーはそうでなくちゃ。
誰にも縛られず、神にだって叛逆し、不可能を可能にする。そう大言壮語して憚らず、そうであろうと努力し続ける姿にこそ、ネスはかつて惹かれ
——付き従っていたのだから。
……変化を起こしたのは結局、世一なんだろうなぁというのは変わらず気に食わないけど。
すくなくともカイザーの中に「世一と一緒にいよう」という決意が固まったのであれば
——それは彼が彼自身を人間として認められたないしはそれに類する気づきがあったうえでのことだろうから、喜ばしいことではあるのだ。
(それはそれとしてやっぱり世一はいつかしばきますけど)
でも、それは今じゃない。ふたりが無事クリスマスを素敵な想い出にして、晴れてくっつき、イチャイチャバカップルと周囲に揶揄われるようになったそのあとぐらいで、きっとちょうどいい。
なのでネスは、相変わらずカイザーが世一お手製のランチボックスを持ち込んでいる件についてはもう考えないことにすると
——ミソスープの匂いにもすっかり慣れてしまった。この前意を決して世一に分けて貰ったらちゃんと美味しかったので、ちょっとだけ許した
——世一不在の間に声を掛けられたことを考慮し、とりあえずカイザーの方針に探りを入れてみることにする。
「で
……クリスマスを全力で頑張るってコトは、よーするにデートプランを一緒に決めてほしい、みたいな感じだよね? どうしたいかみたいな希望はあるの?」
クリスマス当日をメインにするなら、お家デートしかないような気もするけど。ネスがひそひそ声で訊ねると、カイザーはう〜んと首を捻り、それからネスに合わせるようにひそひそ声で囁き返してきた。
「それが
……わかんねぇ。俺はクリスマスにろくな想い出が無い。普通の人間がどう過ごすのかもよく知らない。おまけに世一は異国の出身だ。結論、何をしたら喜ばれるのか分からない」
「わぁ、マジかぁ
……」
思っていたより数段ヤバかった。軸がブレッブレというかもはや存在していない。
そうだった、そーでした。ミヒャエル・カイザーという人はストイックに過ぎるうえに基本的に人間が嫌いだから(流石にネスは付き合い長いのでそれぐらいは見抜いている)、恋人っぽいイベントを意識してこなすのがとことん苦手なのだ。無意識ならいける、というか、割とやらかしてるのだが。
先日のランチボックスをすりすりするカイザーとか不気味すぎて最悪だったし、自分だけ見て笑っててほしいみたいなことを言うカイザーもネス的にはかなり解釈違いである。それになにより恋する乙女のようにもじもじして、手とか握りたがって、隣をぴったりと埋めてる動作とか激ヤバだよね。
……なんというか、演出計画を立てず素で立ち回った方が巡り巡っていいあんばいになる気がしてきてしまう天然っぷりだ。
「あー、うぅん、でもカイザーがわざわざ僕を頼ってくれたということは、完璧主義で凝り性のキミとしては、出たとこ勝負の大博打だけはクソ有り得ないってコトですよねぇ」
とはいえそうもいかないだろうとお伺いを立てると、カイザーは鷹揚に頷き肩を竦める。
「よく理解ってるじゃないかネス。俺は今回だけは絶対に失敗するワケにはいかないんだよ」
「まぁ
……いい雰囲気になってたハズの相手とデート失敗したときのダメージって計り知れないですからね。キミたちが修復不能になると正直チームの運営も困ると思います。そっちは困らせておけって感じですが」
「
……そーゆーのはどうでもいいが、ここで確実に世一を仕留めたいっつー我欲と、あとまぁ、
……哀れな亡霊の敵討ちを少々な」
「へ? 今なんて?」
「
……いや、悪い、口が滑った。世迷い言だ。だがもう、俺は世一の手を取ることを決して恐れたりはしない」
そしてらしくもなく非科学的なセリフを口にすると、カイザーはフッと自嘲気味に鼻を鳴らし、顔を歪め
——けれど数秒後には、憑きものが落ちたみたいにスッとした表情を浮かべて窓の外を見上げていた。
「もう二度と、逃げも隠れもしない。言い訳もしない。俺は俺自身の感情から目を背けない。
……生まれてきて良かったと思えるほどの、恋から」
カイザーがつぶやく。その言葉たちは不思議と誓いめいて聞こえ、どこか、懐かしい感触をネスの心臓の奥へともたらす。
「
——カイザー?」
その声色に、ふいに、ネスはカイザーの首筋からにかけて刻まれた青いタトゥーに視線を吸い寄せられてまばたきをした。
幻が、覆い被さる。まだタトゥーを入れていなかった頃の、髪の毛が今より数段長く、ボサボサしていた頃の彼だ。
選考試験で出逢ったばかりの頃のミヒャエル・カイザーは、どこか陰気な目をしていた。ぎらぎらとした野心には燃えているが、そのくせ、空っぽでとうめいで、やるせなくて。なんとなく浮き足立っていて、誰と話していたってまるで心ここにあらずと言った調子で、ここにいないみたいで、いつかどこにもいなくなってしまいそうな儚さをどこか孕んでいて。
まるで生まれてきて良かったと思えるほどの喜びがひとつもないみたいに空虚で、さみしいひとだと思ったのだ
——でも。
「
……ね、カイザー。あの日
青い監獄へ世一に逢いに行って、キミの人生は何か変わりましたか?」
でも今はきっとそうじゃない。
彼は大切なものを見つけた。それが潔世一なのだとしても、カイザーがそれで生きていけるのなら構わない。アレクシス・ネスはミヒャエル・カイザーの友達だからこそそう祈る。幸せになってほしいな、と。彼らの前世や、十九世紀の顛末、天使や悪魔のオカルトなんかは一切合切知らぬまま、それでも確かに
魂で感じることがあって、だから願い続ける。
キミが今度こそ幸せに老いていきますようにと、高らかに。
「
——何もかもクッソめちゃくちゃだ」
そんなネスの気持ちを、カイザーがどこまで正確に汲んだかはわからない。
「人を好きになるなんて柄じゃない。ちっとも俺らしくない。だが、世一を今度こそ手放しはしない。神にだって奪わせてなるものか、俺をこんなにした責任は取ってもらわないとなァ?」
舌の根を弄んでハッと笑うと、カイザーは苦笑してネスの頭をくしゃくしゃと撫でた。「お前は昔から変わらないな」という彼のぼやきが何を意味しているのかは、ネスにはやっぱり分からない。でも、それで全部、踏ん切りが付く気がした。だって今カイザーが浮かべてる笑顔は、そんなに悪いものには思えなかったから。
「
……仕方ないから僕、〝カイザーと世一は結局くっ付くのかトトカルチョ〟の賭け対象変えます。キミたちは絶対にくっ付きます、というか僕がくっ付けてみせます、キミだけの魔法使いとして
……完璧なデートプランを立案してあげることでね!」
「お前がそっち側に回ったらもうその賭け成立しねぇだろ」
「そんなコトないですよ〜、エヴァンスだけは大穴狙いでまだくっ付かない派に賭けてるはずなんで」
「ソイツギャンブルのセンスなさ過ぎないか?」
カイザーが笑う。ネスも笑った。「僕はハンブルガーですけど、ミュンヘンのクリスマス事情には結構詳しいですよ、越してきてから毎年、マーケットとかも個人的に巡ってましたから」そして上機嫌になって胸を張ると、カイザーは「お前そーゆーの好きだもんな」だなんてどうでもいい独り言を漏らしつつも素直に頷いてみせる。
「なら早速訊いてみたいんだが。
——イヴにマーケットへ行く余裕があるとしたら、どこがおすすめだ? マリエンプラッツか? レジデンツか?」
続けられた問いに、ネスはすこし考え込んでから前者を推した。イヴは十四時で閉まるし世界各地からの観光客で死ぬほどごった返してるけど、その代わり防寒具のフードさえ目深に被っていれば、意外と素性が割れづらいのではないかと思ったからだ。あとはここのところよく起こる異常気象
——強烈すぎる吹雪や地震、大嵐なんかさえ来なければ、きっとすばらしいホリデーになるだろう。
「サンキューネス。これで今晩からは安眠できる」
そう話すとカイザーは安堵したようにふうと息を吐き、それから、冗談めかしてそんなことを言った。
なんと珍しくウインクまでついていて浮かれているのが丸わかりだった。ネスは胸中でイマジナリー世一に向けて五割の怒りと五割の感謝をぶつけながら、安眠という言葉にふと思い出したことがあり今一度唇を開く。
「そういえば
——以前に言ってた〝不思議な夢を世一と一緒に見る〟とかいうオカルトまるだしの話、
……どーなったんですか?」
「あぁ、ソレな
……」
するとカイザーは神妙な顔をして眉間に皺を寄せ、ううむと唸ってからこんなことを口走りはじめるではないか。
「ノアも仲間になった」
「はい?」
ワケが分からずネスは固まった。でも、カイザーのクリスマスデートを成功させるという目的にはとくに関係がなかったので、すぐに忘れることにして図書館へ行くというカイザーの背を見送ると、早速、次の計画へと思考リソースを割いていく。
何しろ一週間後の本番までに考えることが山ほどあるのだ。
とりあえず、まずは一番おいしいグリューワインの露店がどこかを実地調査しにいかないと。
——あのカイザーが頼ってくれたんだから!
◇ ◇ ◇
「
——で、俺の方で集めた〝エンジェル・ドラッグ事件〟の情報はこれで全部です。ニュースで報道されてた被害者の失踪地および発見地、それから分かる範囲での身元。クラインに頼んで横流ししてもらった非公開情報も少々。えーっと、たぶん
……主に被害者が使ってた麻薬の種類
……とかかな?」
「十分だ。よくやった潔世一、
……人を正しきに導く大天使としては嘆かわしい限りだが、クラインの兄とやらが口を滑らせがちなたちでこちらは正直助かったな。ドラッグの種類が簡単に割れたのは有り難い」
「なんか使えるんですか?」
「予測に使う情報が大いに越したことはない。それに自衛にもなる。
——ここから一週間、念のため、ドラッグがとくに流通しているエリアには絶対に寄りつくなよ。しばらく下級の気を逸らしているとはいえお前らが意図しない接触を起こしてしまえば全てがご破算になりかねん」
「はぁーい
……」
パラパラと資料をめくりながら呟いたノアの言葉に頷くと、世一は思いきり伸びをしてあたりを見回した。
部屋の中はしんとしていて、窓の向こうの吹雪が嘘のように綺麗に隔絶されている。その静けさは、溜まっていく一方でつかいみちのない大金をカイザーが惜しみなく注いで建てた家の防音性能のおかげでもあるのだが
……それ以上に、ノアが張ってくれている結界のおかげ、でもあるという。
——あれから一週間、天使らしきモノの襲撃には、遭っていない。
カイザーも世一もだ。色々あって(本当に色々ありすぎて)ノアが自分たちの作戦に合流してくれてから拠点となったこの家には、あのあとノアが念入りに結界を張り直してくれて
……ついでに、カイザーと世一自身にもなんらかの術を掛けてくれていた。世一よりも過去の記憶を多く取り戻しているらしいカイザーによれば、どうもガブリエルの気配で上書きする認識阻害術の一種、であるらしい。
しかしこの術の効果を十全に発揮するにはまず保護対象であるカイザーと世一自身が自らの権能をコントロールできなければならない、ということで、そこからしばらく、ノアによる放課後スパルタ教室がはじまったりもしていた。おかげさまでこの一週間ほど、ノアもほぼこの家に通い込むような形になっている。完全に合宿所だ。
ちなみに世一は「どうせノアの直接指導を受けられるなら羽根やツノを隠す方法よりサッカーを教わりたい」と熱弁したのだが、それについては作戦が成功したあと考えてやると流されてしまった。ソレ絶対
行けたら行くのヤツじゃん!
あと世一がノアに何か質問する度にカイザーが「何故俺ではなくその老害を頼る
……」みたいな顔になって世一を睨み付けてくるのがものすごく面白かったのは内緒の話だ。でもしょうがないだろ、カイザーだって記憶が吹っ飛んで力の抑え方わかんなくなってたんだから
……!
「ん〜。とはいえ情報を並べてみても、今のところパッと何かわかるって感じじゃないな
……。規則性? みたいなのもよくわかんないし。普通なんか、こういうのって、事件現場を繋げたら図形が浮かび上がってくるとかそーゆー感じで推理できたりしません?」
「推理小説の読み過ぎだ」
「うぐぐ
……。だって他に手がかりないじゃないですか。せめて次の事件現場とかが予測出来ればなぁ」
そういうわけで今日も今日とて世一は目標である〝事件解決〟を目指し、自宅リビングで協議をしている真っ最中なのであった。
二十一世紀の連続失踪事件については世一がクラインからアレコレと聞き出し、十九世紀の連続失踪事件については記憶を保持しているノアが分かる範囲で当時の情報を整理。カイザーはそれらの情報を複合的に精査してあと何か引き出せるネタがあれば補足する
——という形で役割分担を決めていて、進捗としては、ようやく集められるぶんのデータが出揃ってきたかもな、というあんばいである。とはいえそこから先の作業は難航していた。だからこそ、今日はリスクを承知でカイザーが単独行動を取り、図書館へ追加の調べものをしに行ってくれることになったのだ。
——ミカエルの魂を持つカイザーは恐らく生け捕りにされるが、サタンたる世一は見つかれば問答無用で滅される。
ゆえに世一には常に誰かが護衛に付いた方がよいし、かといってカイザーと世一を一緒に放置してまた事故られると面倒。以上が、ノアによる合理的判断の末下された結論であった。なおカイザーはこれにも抗議の意を示した
——具体的に言うと発案したノアに向けて思いっきりサムズダウンをしてブーイングした
——のだが、ノアには華麗に無視された。さすがに付き合いが長いだけあって慣れている。
「万年単位の付き合いだからな。そして幾万の歳月が経ってなおあのガキは性格が変わらん。そりゃあしらいにも慣れが出るだろーよ」
などとぼんやり考えていると、世一の思考を読んだようにノアが言った。もしかしたら本当に読まれたのかもしれない。なにせノアは現役の大天使ガブリエルだ。そのうえ、この一週間の作戦作業中にポソッと訊いたところによると
——神の横やりによって転生を繰り返しているカイザーや世一と違って「ずっと生き続けている」ような状態らしいのである。
ふたりがはじめて出逢い、恋に堕ち、破滅し、神から監視役を仰せつかった頃から
——ずっと。
まぁお前らの魂が行方知れずのあいだは休眠してるようなモンだがとはノアの台詞だったが、流石にそれを聞いたときはカイザーと揃って顔を見合わせあったものだった。カイザーなんて珍しくノアに対してマジの同情を向けていた。ノアはそれに何も言わなかった。その代わり、ただ、あまり変わり映えのしない表情筋に珍しい苦笑を載せ、溜息を漏らしていた。
「ずっと変わんないって、要するに、ずっとマウント体質ってことすか?」
とはいえそのことを今更取り沙汰しても仕方が無い。世一は浮かんできた雑念をパッパと払い、ノアに雑談を持ちかける。「あぁ」ノアは頷く。「死んでも直らん筋金入りだ。よちよち歩きの天使だった頃からうっすら周りにマウント取ってたからな」今は仕舞われている羽根がピョコリと羽ばたくのが見えそうなぐらい、肩を竦めながらだ。
「え、なんすか。それって権能の高さ的な?」
世一が訊ねるとノアは竦めた肩を元に戻してご丁寧に首を横へ振った。
「いや。自分を愛してくれる家族に近しい存在、つまりお前についての自慢が殆どだった。本来、天使に家族というものはない。博愛を配る側ゆえに、人間から信心を向けられることこそあれど他者から愛されることもない
——だからこそアレは半ばヒトの身に降りてなお未だ愛を求めているのだろう」
「
————、」
「最後まで責任取ってやれよ、潔世一。天使を人間にするなどと大言壮語を吐いたからには現実にしてみせろ。これでいて俺はこの件についてそれなりに期待しているんだ」
そして、最後に上手い感じ着地してフッと鼻を鳴らすと、スッと寄ってきて世一の肩をポンと叩いた。
「はは、俺としては、ノアに期待されるんならサッカーがいいんだけどなぁ
……」
この人がこういう顔をするのを、作戦に合流してもらってから、もう何度も見ている気がする。
そしてその度世一は思う。ミヒャエル・カイザーはきっとあいつ自身が思っているよりずっと、色々なヒトに愛されてるよな、と。
どうにかこうにか最近向き合ってくれつつあるらしい世一からの愛はもとより
——今世で言えばネスとか、世界中のファンとか。それに十九世紀のときだって、世一の中にふんわり入ってきた悪魔の記憶を紐解く限りでは、バイト先のおかみさんとか、色々なところからそれなりの親愛というものを向けられていたのだと思う。
でも、響かなかった。彼が欲しかったのはいつだって、
愛した悪魔からの愛だったから。それ以外はひとつだって要らなかったのだ、神からの寵愛なんて以ての外で、そしてノエル・ノアはそのことを知っている。
知っていてなお
——この人は幾星霜ものあいだカイザーを見守って、ときに導き、教授として目を掛けたり、次のライバル候補としてサッカーの腕を磨かせようとしたりしていたのだ
——ただ自分がそうしたかったからというエゴのためだけに。
「にしても、ノアって結構カイザーのこと可愛がってますよね。むかーし言ってた親戚のクソガキ程度に気にかけてるって、たぶん本心でしょ?」
だからふと思い出して、百二十年ほどまえ、悪魔のヨイチがふよふよ漂ってるときに聞いた言葉を反芻してみると、ノアは相変わらず何考えてるんだかわからないぬーんとした顔のままフンと鼻を鳴らす。
「こんな不毛な演目はとっとと終わりにしてほしい、というだけだ。神の庇護から抜け出す過程で境遇が担保されなくなっていくのも目に余る。人々の善き行いを期待し、救いを願うのも仕事のうちだ
——他意はない」
「そーすか。じゃ、ホントにノアのコトは信じてよさそうですね」
「今更だな。情で動くなんぞ大天使らしくないという自覚はある」
そうして、そんな素直じゃない調子の世界一様に世一が苦笑すると、ノアも緊張が削がれたのか今度は世一の頭をポンポンと撫でてきて。
そのことに安堵して世一が顔を上げようとした、その時
——
「おい」
地を這うような声がリビングの入り戸から響いてきて、フワフワした休憩時間は唐突に終わりを迎えた。
「何してやがるクソ老害」
それはおよそ天使の名を冠し、天使の如く美しく、事実天使の魂を持っているらしい男が出していいような声音ではなかった。言葉ひとつで世界を呪い滅ぼすことが出来るんじゃないかってぐらいの重低音だ。「あ、カイザー。お帰り〜」その声に世一がのんびり振り返ると、低音呪詛男はドスドスとリビングを横断して寄ってきてノアから世一を引き剥がす。
「世一に手ぇ出してんじゃねぇよクソ殺すぞ」
「ガキに出すワケないだろーが節穴か?」
そうして繰り出された応酬はおよそ大天使と大天使がやっているとは思えないほど殺伐として地獄めいていた。
「お前それ帰宅するたび毎回やらないと気が済まないの?」
いっぽう地獄の住人であるところの大悪魔(の生まれ変わり)の世一はもう完全に慣れ切ってしまっていてまったく動じていなかった。「なんか例の一件以来、完全にこのへんバグっちゃったな
……」という諦念が半分、「好きな男にバキバキの執着嫉妬剥き出しで求められてるの気持ちいいかもな
……」が残り半分なのだが、世一自身ちょっとキモいかもなという自覚があるので口に出してはいない。お互い想いは殆ど確かめ合ったあととはいえ、まだ正式には付き合ってないし。
「当たり前だ、俺の家で俺以外のヤツが世一に触れてるとかマジでクソありえねぇ。現状俺よりコイツの方が権能上っつー状況じゃなければこんなヤツ家にも入れねぇ」
「心激狭
……あっでもミヒャんときからそーゆー感じだったね、お前」
「つーか寒空の下ひとり調査してた俺をほっぽって何楽しそうにお喋りしてたんだ世一ぃ〜?」
「エッ、ノアって何万年とカイザーの親戚のおじさんやってたんだねって」
「マジでキモい話してんじゃねーよ」
軽いジャブを入れると、カイザーが心底肝が冷えてますと言わんばかりにサブイボを立ててノアから一歩引いた。
本当なんだけどなぁ。「まぁいいや、それより調べ物の成果はなんか出た?」とはいえ三人揃ったのならいつまでも脱線しているワケにもいかないなと思って話を戻すと、カイザーはフゥー
……と深い溜息を吐いてカバンから手書きのメモ数枚を取り出して渡してくる。
「〝
二十一世紀の連続失踪事件〟の追加資料だ。断り続けていた広報仕事の関係者にひとりな、メディア関係のお偉いさんがいて
——うまいこと吐かせてきた、何かの足しにはなるだろう」
せっかくコントロールも教わったコトだし少々
魅了術を使って聞き出させて貰った、と付け足すカイザーの声音はドヤっとしていた。ノアの顔に思いっきり「無暗に天使の権能を使うな、何の為に認識阻害掛けてやったと思ってんだ」と文句が書かれていたが、まるで無視している。
コイツこんなに天使の力濫用しておいて真人間になる気ちゃんとあるのかな
……。
不安に思いつつも世一は資料をテーブルの上へ追加で広げた。数枚のメモには、タイプされた機械的な文字列によって、クラインから聞き出した内容と同じように被害者たちの情報が並び、最後に
——新情報として彼らの出身地が連ねられている。
「うん? なんか妙にミュンヘン出身のヒトが多くね?」
それらを見比べるうちに奇妙な共通点に気がつき、世一は思いっきり首を捻った。
「直近の被害者なんて、ニュースじゃフライベルクとライプツィヒ在住の人って話だったのに、出身地だけみんな判を押したみたいにミュンヘンだ。
——おかしくないか? ベルリンほどじゃないにせよミュンヘンって大きい街だし、そこから無作為に薬物中毒の人を狙ったとしたら、普通はもうちょっと出身がばらついたりするんじゃ
……?」
「そうだな。どいつもこいつもミュンヘン近郊で発見されている以上、出身地がバラバラで現住所が全員ミュンヘン、とかなら特に違和感もないんだが。言われてみれば真逆の状況だ、他の連中の現住所はブレーメンにデュッセルドルフ、ルクセンブルク
……ドレスデン、か? 一応ミュンヘン出身ミュンヘン在住の被害者もいるにはいるが
……」
「見事に割れているな。
地図上で円でも描けそうなほどに
……」
世一の疑問に乗っかってカイザーが資料をめくって首を傾げていると、横からノアが乗っかってきて、そして中途半端なところで唇を噤む。
「ノア?」
世一がきょとんとして顔を覗き込むと、彼はらしくもなくあ、と間の抜けた声を漏らした。そしてぐるんと世一の方へ顔を向けると、更にらしくもなく苦悶の表情を浮かべ、唇をもたつかせる。
「すまん、潔世一」
「え?」
そして何故か謝った。あまりのことに呆気にとられ、世一はぽかんとして固まってしまう。だがそんな世一のフリーズっぷりには一切構うことなく、ノアは首を振り、端的なコメントを繋げていく。
「推理小説だ。アガサ・クリスティでもあるまいに」
彼は資料の中に紛れていたドイツ地図を取り出すと、テーブルの一番上に大きく広げ、ペンを握ってポチポチと点を打ちはじめた。そしてよく分からないことをまくし立てながら点と点を繋ぎ初め、おもむろにカイザーへ話題を振る。
「ミュンヘン出身かつ他の土地に散っていった人間を、わざわざミュンヘンに集め戻す形で魂を抜いているのだとすれば
——ミュンヘンを起点にする図形を書く必要があったと考えることが可能だ。カイザー、記憶は十分に手繰り寄せられるか」
「あ?」
「〝
大天使召喚魔法陣〟。
——それも恐らくはミカエルに与えられた術式図だ、正確な陣形はお前が一番良く把握してるだろ」
「
————ハァ!?」
それらの示唆によって合点がいったらしいカイザーは、世一の困惑を余所に思いっきり素っ頓狂な声を上げた。
「は、ウソだろ信じたくねぇ、
………あぁクソ確かに一致するな、〝神の剣〟の術式だ」
「え? マジで何? 魔法陣? ファンタジー?」
「アー、
ヨイチは大天使召喚魔法陣が下賜される前に堕天してるから知識にないのか。世一くんにも分かるように説明してやるとだな、クソ
神様はわざわざミカエルに紐付いた魔法陣をドイツの国土に描いているっぽい、って話」
「んん
……?」
続くカイザーの言葉に、世一はなんかの漫画で似たような話を読んだことがあるような、と思いながら曖昧に頷く。そんなコトをして何になるのかは分からないが、とにかく、ろくな結果を招きそうにもないのは確かだ。
「悪魔一匹滅ぼすためだけに、と言いたいところだが。
……積年の恨みを晴らすためなら安い犠牲だろうよ、何しろドイツ一国で済む」
その証拠にカイザーの口ぶりはひどく剣呑なものになっていっていた。
「ミュンヘンに指定したのはお前らが今この土地にいるからか? であれば最終決行は潔世一が遠征や帰国をしていない時期に絞られるな。最速でホリデー休暇手前まで、それを逃したら翌年と考えるべきだろう」
ノアも静かなトーンでカイザーに同調している。どうやら大天使の知識を持つふたりにとっては、これは十分に
——現実的かつろくでもない事実の一致であったらしい。
「えーっと。ふたりの言うことを総合すると、つまり
——」
こうなると世一としても、いまさらそんな厨二病な、などと言っている場合ではない。自分たちの前世を受け止めると決めた以上、オカルトにも向き合うのが筋というもの。
「魔法陣をなぞってる可能性が高いなら、逆説的に次に被害者が見つかる可能性のある場所が計算出来る可能性もあるってコト?」
世一がなんとかかんとか話に追いついてそう尋ねると、カイザーは「お前もそう思うか」などと言って頷いた。
「が、俺が持つ天使の知識が確かなら、現状では候補地が五箇所残ってるコトになる。日付も分からない状況で総当たりするには少々多いな
……ノア、アンタの権能でどうにかなんねぇのか?」
「悪いがお前らを神から隠匿するので手一杯だ」
「ハァ、だろうな。ここまで来たっていうのに
……」
が、調子よく続いていたノアとカイザーの会話はそこで歯切れ悪く止まってしまう。世一はふたたび首を捻った。う〜ん、五箇所、
……五箇所か。〝エンジェル・ドラッグ事件〟の被害者は現状九人。数がまるで合わない。しかしどうにもこの数は引っかかる。何か
……覚えがある数字だったような。
それも、潔世一の知識ではない。先日なだれ込んできたばかりの、悪魔の記憶
——その中にちょうどそういう数字があって、ろくでもない話で、でも今と似たような状況で悪魔はミヒャエル青年とそのことについて調べていて、
「あ、わかった。〝
十九世紀の連続失踪事件〟の被害者って確か全部で五人じゃなかったか? 悪魔の記憶の中にうっすら残ってるんだけど」
「
——あ、」
それで思うところに至りパンと手を叩いてそう述べると、カイザーは再び驚愕に目を見開き、唇へ咄嗟に手を当て、今度こそゾッとしない表情で喉を呻かせた。
聡明すぎる頭脳に、雪解け水のようにさらさらと、血の池地獄の中身でも流し込まれたみたいな顔をして。
「え? カイザー、
……どしたの? なんか分かった?」
そしてその印象は
——それほど、間違ったものでもなかったのだろう。
「ああ、お前のおかげで嫌な予感が止まらねぇ。なぁ世一、〝ホワイトチャペルの天使事件〟の被害現場がどこだか覚えてるか?」
「いや、全然。だってあの事件迷宮入りしちゃってどこにも資料残ってないんだもん、あんなに図書館とかで探したのにちっともわかんなかったじゃん」
「あぁ
……あの時はな。だが俺たちは記憶を取り戻した。十九世紀ミュンヘンでぼーっとレポート書いてたアホのミヒャエルくんの記憶をだ。
——思い出せ世一。ヤツは例の事件の下手人、その張本人だぞ」
「え?
——あっ!」
だからだろうか。遅れて事実に気付いた世一がギョッとして叫んだ頃には
……カイザーの手が、もう動いていた。
先ほどノアが点を打って繋げた地図の図形に、カイザーが新たに五つの点を打っていく。「ここが一人目、四男坊の魂を抜いた場所。こっちが二人目、見合い結婚に嫌気が差してた女。三人目はここ、絶望した地主の五男坊。それから四人目
……」粛々と。淀みなく。やがてカイザーが追加した五点を新しい点で繋ぎあわせると、世一でも分かるぐらい鮮やかに
——魔法陣としか言い様のない図形が地図上に浮かび上がってくる。
「
これで全部綺麗に埋まった」
ペンを置き終え、カイザーがちいさな声でそう言った。
厳かで、冷え冷えとしていて、
……心なしか唇の端が震えているようにも見える、そんな声をしていると世一は思った。
「魔法陣は既に完成していると?」
「あぁ。あとは起動するだけだ」
重ねて問うノアの声も静かだが冷たい。部屋中に、いいや、家全体を包む結界の中じゅうに、いやな緊迫感が走る。世一の額をすら脂汗が滲んで垂れ落ちていった。そしてそんな不吉な予兆を確固たるものにするかのように、最後にカイザーが、こう紡ぐ。
「そのために、恐らく神は陣形の中心地で最後の行動を起こすだろう」
「中心地って
——」
「〝
フラウエン教会〟」
その場の誰もが、今この瞬間に至るまで思ってもいなかった。
まさか今更になって、もう一度その名前を聞くことになるだなんて。
「アンタの百二十年前の勤め先だよ、ノア。
……マジで性格終わってんな神様とやらは?」
思ってもみなかった。世一は息を呑み、ノアですらマジか、と言いたげな目をして固まっている。「あそこは観光地だぞ。ミュンヘン外の人間だって引っ切りなしにやって来る」そう呟いたノアにカイザーは首を振る。あるだろう、たった一日だけ、観光客が殆ど立ち入らない
——うってつけの日時が。
「クリスマスイヴの降誕祭ミサだ。あの時間帯は地元の人間が大半になる。
……ここまで条件が揃えば、いかに弱体化している神といえど、訪問者の種類をある程度絞るぐらい出来るだろう。例えばこの世に絶望してて薬物中毒になっている信心深い連中をなるべく集めておく
——とかな」
カイザーは怜悧な声でそこまで言い切ると、今度こそ口を噤んだ。
世一もノアもそれに反する言葉を持てない。カイザーの仮定は、恐らく正しい。そんな予感がひしひしとして背筋がぞわりと粟立つ。
まったく、土壇場でなんて話だろう。
物事がトントン拍子に進みすぎて嫌になるったらない。あとたったの一週間ぽっちで、数万年の総決算に臨まないといけないっていうのか
——自分たちは?
「
……仕方が無い。ここから一週間、お前たちには血を吐いてでも力の使い方を身に付けて貰う必要がありそうだな」
そんな想いを肯定するかのようにノアがぼやく。カイザーと世一は顔を見合わせ合って生唾を飲み込んだ。
——モラトリアムの終わりが近づいてきている。
◇ ◇ ◇
決戦の日取りが分かってからは、あらゆる物事が迅速に進んでいった。
まずノアが広げていた机上をあっという間に片付けてしまい、それから、「無駄話に花を咲かせている猶予は現時刻をもって消滅した。ここから先はそれこそ一分一秒と無駄に出来ないぞ」とふたりに向かって宣告した。ノアは自宅と行き来する時間も無駄だとのことで、作戦当日まで一週間、この家に泊まり込むことになった。幸いのこと客間は余っている。世一に一室与えてもあと三人は招けるほど無意味に部屋が多いのだこの家は。それこそ、掃除担当の世一がときどき「何の為にこんなに部屋作ったのお前? 使いもしないのに?」と愚痴ることがあるぐらいに。
「こうなった以上、お前たちも不埒な真似はほどほどにしろ。いつ結界破って下級が攻めてこないとも保証しきれないしな、マヌケな状態で敵襲されて死ぬなんぞお笑い草にもならんぞ」
殺風景な客間にあり合わせの寝具を運び込む道すがら、ノアはそんなふうに軽口を叩いて釘を刺していった。カイザーは気まずそうに視線を逸らしていた。世一はほんの一瞬だけ、十九世紀の終わりに悪魔とミヒャエル青年がしていた〝想い出〟のことを思い出したが、すぐに気まずくなってパッパと頭の隅から追いやった。どうせ心中自殺する気だったからとはいえ、下級天使が無数に攻めてきている状況で結界張りながら想い出づくりに邁進した前世のふたりのことが、今世の潔世一にはちょっとわからなくなって、深く考えることが躊躇われたのだ。
「
………………」
そんなこんなだから、その日の夜、自室に戻った世一はどうにもうまく寝付けなくて、薄暗い部屋の中で何度も寝返りを打つはめになった。
(いや
……マジで寝らんねぇ〜。昨日だって一応練習はあったし、明日はオフだけど明後日は試合だし、
……一週間後にはクリスマスだなんて)
ひとりぶんの体温しかない布団の中でとりとめの無いことを考えていると、どんどん目が冴えてきて、てんで眠気がやって来ない。その得も言われぬ緊張感の中で、ふと、U-20W杯の中でナンバーワンの重圧にのし掛かられていた日々のことを思い返す。
ワンミスでチームが崩壊する恐怖。あるいは、ワンミスで自分たちのすべてが消し飛ぶ恐怖。
サッカーに魂を捧げた二十一世紀の潔世一にとって、その恐怖はある種等しいものだった。世一にとってサッカーが生きて来た証のようなものであるのと同じように
——今、ここにいる潔世一まで連綿とバトンを繋いで来た
悪魔にとって、ミヒャエルという存在は神に抗い、傀儡ではないひとつの生命として羽ばたいてきたその証左であった。
(
……恋って命がけなんだなぁ。知らなかった、ホント、なんだかすごいトコまで来ちゃったみたいだ)
暗闇のなかでそうっと天に腕を伸ばし、手のひらを広げ見る。潔世一という人間の血が通う手のひら、その奥に、同じ魂を抱いた悪魔の、深くたゆたう愛が流れている。そんな気持ちがして、何度も握ったり開いたりを繰り返す。
(でもなんでか、どこか、隔たりを感じるんだよな。今の俺は、あの煮え滾るような激情をハッキリと思い出せるのに。こんなにも鮮明に憶えてるのに)
かつて大天使だったもの、堕して大悪魔になったもの、愛した魂に永遠に惹かれ続ける
青色の記憶。
それが確かにここにあるのに、まだどこか、他人事のように浮ついている。
「
————ちょっと風当たってくるか」
世一は首を振り、ベッドからのそのそと起き上がった。
この一週間というものバタバタしていてなあなあにしてしまったものに今一度向き合ってみたい。寝付けないのはそのためではないかと、そう思ったから。
ひたひたとスリッパの音を消しながら廊下を歩く。明かりの落ちたリビングの中には、しかし、一筋の淡い光が確かに差し込んでいた。月の光だ。悪魔や天使の力をときに活性化させるそれは、本来なら寝る前に毎晩キッチリ締め切られているはずのカーテンの隙間を切り裂き、柔らかに、しかし怜悧に、テラスへ向かう世一の身体を照らし出す。
「あ」
そうしてデッキに出た世一は、手すりにもたれてぼうっと月を見上げている
先客の存在に気がつき、ちいさく息を漏らした。
「カイザー」
「あぁ
……世一か」
この家の家主は、氷点下をまわった真冬の空の下、パジャマの上からジャケットを雑に羽織っただけの格好で夜に黄昏れていた。世一はもこもこのルームウェアで首回りを覆いながらいそいそとその横へ寄りつき、カイザーの顔をそっと見上げてみる。
「お前も寝付けなかったのか?」
カイザーの声に世一は頷いた。
「まぁね。今までずっと何かしなきゃって張り詰めてたのが、いったん目標が定まったことでフラットに戻った
……っていうか。考える時間が出来て、もう一度向き合ってみたくなったんだ」
「俺たちの前世に?」
「ん、ま理解るよな、やっぱ。
……ずっと大天使のままのノアと違って、今の俺たちはほら、フツーの人間として生きてきた時間がそれなりにあるしさ
……」
指先をそっと伸ばす。手袋なんかしてないから、外気に晒せば晒すほど急速に冷え込んでかじかむ。でも、彷徨う指先はすぐにカイザーの指に捕まって絡め取られていく。
恋人達がそうするみたいに。
心臓の奥に空いた穴を埋める代わりに、微かな温度を重ね合う。
「断片的に夢を見てた時期と違って、一気に雪崩れ込んできたソレのことを、今の俺は完全に他人だとは思ってない。
……悪魔のヨイチは間違いなく俺だ。だってあんなにミヒャエルを好きになっちゃうんだもん。
……ホントに同じ気持ちなんだよ、お前のことがすきで、大事で、愛おしくって、仕方が無い
……全部地続きなんだ。けど同時に俺は俺だっていう気持ちもある」
お前は? お前はどーなんだよ? 世一は顔を覗き込む。この一週間の言動を見ている限り、カイザーは恐らく世一よりはるかに多く天使としての記録を引き継いでいる。一度ノアに訊いたら、「十九世紀で最後まで生きてたのはカイザーの方だ」とだけ教えてくれたから、そのせいもあるだろう。
ミヒャエル青年は愛した悪魔の終わりを看取って息絶えた。
……叶わなかった夢を、約束を、ヨイチより多く抱えて、次の生へと足を踏み出した。
「心配すんな。乗っ取られたりはしねーよ、だいたいノアに言われてるんだろ? 昔からずっと変わらないとかなんとかな」
そんな世一の葛藤をどれだけ正確にカイザーが理解していたのかはわからない。
確かなのは、その指先が優しく世一の手のひらを握り締めて、それからもう片方の手のひらで
——世一の頬をすりすりと撫でてくれたという、その事実だけだ。
寒くて赤くかじかむのを気にも留めずに。
かつて大天使だった頃のヨイチが好んだように、転じては大天使のミヒャエルが、そして悪魔のヨイチがそうしたがったみたいに、ミヒャエル・カイザーは潔世一の頬を撫でる。たぶん、魂に刻まれた想いがどーこーとかは関係なく、ただ、そうするのが好きだからというだけで。
好きになった子にはできるだけたくさん触れていたい、ホントそれだけなのだ、
……いつだって、それがぜんぶで、生きる全てだ。
何にもわかんなくても、それだけは理解出来る気がして
……世一が顔を上げると、カイザーがふっと唇をゆるめる。
「生まれ変わるたび、何度も、何度も、同じ横顔に焦がれるんだ。だが何度繰り返してもソイツが成就することはない。
——このクソみたいな物語に
終止符を打つのは、この魂にとっての悲願であると同時に、今を生きる俺自身の切望でもある」
カイザーが言った。「
……どゆこと?」世一が首を傾げると、彼は自覚してるんだかしてないんだか分からないが、優しい微笑みを浮かべて世一の額をなぞる。
「昔のどの俺も出来なかったことを今の俺が完遂できたとしたらめちゃくちゃ気持ちいいだろーが?」
そうして告げられた言葉はあまりにも俗っぽく、人間くさくて。
「
……え〜。おま、ソレちょっとさ、良すぎるわ
……」
それさえ確かめることが出来るのなら、これで十分だな、と、そう思った。
世一は一週間前にここでカイザーにした質問を思い返す。「もし、俺が悪魔だとしても、好きでいてくれますか」。カイザーはこう答えた。「目を瞑るな。逸らさず俺を見ていろ、終わりまで」。
……あれは恐らくキスをしようとして格好付けただけの言葉だったんだろうけど、案外のこと、すべての意味において的を射た返事だったのかもなと、一週間越しにそう思ったりもする。
究極、過去がなんだろうと、今目の前で生きている自分達がすべてで、決断する権利を持ち、結末を変える力を持っている。
これまでの全ての時代の自分達がそうして繋いできた道を、二十一世紀の自分たちは自分たちの判断でまた選ぶ。でも同じ魂を持っているから、似通うこともあるし、共感出来ることもたくさんある。たまには、そうでもないこともある。きっと本当に、ただそれだけの話なのだろう。
「俺、お前とクリスマスを一緒に過ごすの、楽しみにしてるから」
だから種々様々な感情をひっくるめてそう告げると、カイザーはこくりと頷き、悪戯っぽく目を細めてはにかんだ。
「俺も。クッソ楽しみにしてる、シュトーレン食って、グリューワインしこたま飲ませて、酔っ払ったのを口実にたっぷり可愛がってやる」
「なんでかなぁ、可愛がるの部分がちょっと不穏に聞こえるんだけど! っつかシュトーレンのカロリー分かってる? 食べるんならもう今日から始めた方がいいよ」
「
……あとはそれから、ただ抱きしめ合って眠りに就き、
……〝また明日〟が変わらず訪れることを、お前と一緒に確かめたい。
——そうだろ、世一?」
「
————うん」
珍しい顔、かわいいよ、なんて言葉は、野暮だから胸の内側にそっと仕舞っておく。十九世紀の、記憶喪失の悪魔だったらうっかりポロッと失言してたかもしれないが
……二十一世紀の潔世一はそれをちゃんと大事に隠しておけるから。
だって伝えるにはまだ早い。
彼らが生き急いで未来にすべてを託していったその重たい祈りを、けれど世一はすぐにぜんぶ投げつけるのではなくて、後生大事に抱えてすこしずつカイザーに渡していきたい。
それでいいと、いま決めた。難しい事は考えなくていい。きっとそれこそが、かつて生き続けることが出来なかった彼らの願いを叶える、たったひとつの冴えたやり方になるのだと
——今はただそう信じていたい。
「今までとずっと変わんない」
たくさんの意味を込めてくちびるを紡いだ。カイザーはそうだな、とだけ穏やかに言葉を重ねる。それから彼は世一の頬をもう一度撫でて口づけを贈ろうとしてきたが、世一はそれをそっと咎め、静かに微笑む。
続きは、ぜんぶ、終わってから。
言外にそう言い含めて形がよく薄い唇をつうとなぞると、カイザーはちょっとだけムッとした素振りを見せてから、でも子供のようにウンと頷いて、繋いだままの世一の手を引いて、室内へ向かって歩き出した。
眠れない夜の秘密の時間はそれで終わりだ。あとはもう瞬きする間もなく、運命の刻を待つばかりである。
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