有栖川
2026-03-12 20:59:00
14537文字
Public 天使悪魔パロ
 

ネバーエンド/11

天使悪魔パロのkiis
色々捏造と妄想で厨二病、何でも許せる人向け。最後はハピエンです
nsとna多め。

BACK ■ HOME ■ NEXT



11/たったひとつの冴えた真実




 長い、夢を、見ていた気がする。

 一筋の雫が頬を伝い落ちる感触を覚え、カイザーはふいに目を醒ました。それからゆっくりと上体を起こし、あたりを見回す。
 ここはどこだろう? そもそも今自分は何をしていたっけ?
 何もかもが茫洋としてうまく思い出せない。どうして自分はあんな虚しい夢・・・・を見たのだっけ?

————あ、」

 その疑問は、周囲にちらちらと降る白雪と、カイザーを一生懸命になって抱きしめたままの世一の身体を見たことで一瞬にして吹き飛んだ。
 そうだ。ここはミュンヘンにある自宅。己の名はミヒャエル・カイザー、サッカー選手で、同じくサッカー選手の潔世一と同居している。そしてクリスマスを二週間ほど先に控えた夜、自宅ベランダで世一と互いの想いを通じ合わせようとして…………天使の襲撃に遭い、十九世紀ミュンヘンで起きた悲劇のすべての顛末を知った。

「世一……おい、世一!」

 黒い翼と尾をぐったりとへたりこませ、濡れ羽色の髪の合間から角を生やし、奇妙ななりをした世一の身体を懸命に揺さぶる。世一の身体は完全に悪魔・・としてのそれを取り戻しており、間違っても病院に連れて行けるような風貌ではない。そして世一がこんなことになっている理由についても、薄々察しが付いていた。……自分が暴走したからだ。
 カイザーは、自分が人間の器にあまる天使の力に翻弄されて死にかけたことをゆっくりと思い出しはじめていた。
 そして世一が荒れ狂うカイザーを守るために悪魔の力を宿す身で天使の力を引き取ろうとしたことも。
 世一の決断がどんな結末を呼んだかは、まぶたを閉じたまま目覚める気配のない青褪めた面差しが否応なく伝えきている。カイザーは首を横へ振った。またか。またなのか。また、自分は、己が愛した男ひとり、守ることが出来ないというのか?

「目を醒ませ、世一……!」

 そんなのは嫌だ。
 嫌なのだが、方策が思い浮かばなかった。倒れ伏す世一の胸に触れると、心臓は辛うじて動いていることがわかるのだが、まぶたのひとつすらぴくりとも動かしてもらえず、己の胸を蝕む嫌な動悸だけが無軌道に膨れあがっていく。
 どうすればいい。自分はいったいどうしたら。
 雷や地鳴りは落ち着いたものの吹雪はまだ止んでいない。おまけに今のカイザーには、意識せずとも、未だ下級天使たちが大挙してこの場所へ集結しつつあるのが感知出来ていた。時間がない。急がなければ——一体何を?

「世一……!」

 どこから対処すればいい?
 そこで思考が一度止まる。絡まって、袋小路に陥り、どこへもゆけなくなる。だって一体どこへ連れて行けば世一を救えるっていうんだ? ヤツらが地の果てまで追ってくるというのなら自宅すら安全とは言えない。それにカイザーの体力もあまり残っていない。天使の権能にしたって疲労で削れている、この状況で、ここまで弱り果てた世一を抱えたまま、もし交戦にでも入ったら、最早打つ手が…………

————、》

 そしてカイザーの混迷などに構うことなく、災厄は無慈悲に襲い来る。
 悲鳴のような金切り声が背後で響き、カイザーはギョッとして背後に振り返った。視線の先で、紡錘形スピンドルの構造体を剥き出しにした下級が、眠り続ける世一を狙って羽根を広げている。下級共の群れはまだ自宅の半径百メートル以内に迫っていないはずなのに、一体だけ、爛々とそのボディを輝かせ、エネルギーを集め、こちらを攻撃しようとしてきているのだ。
 然るにコイツは、先ほど襲撃しにきた連中の生き残りといったところだろう。
 しくじった。カイザーは咄嗟に六枚羽根を広げる。だが反応が遅い、間に合わない、翼を貫通して世一が、悪魔が、——また殺されてしまう、これでいったい何万何千回目だ?


——何をしている、ボサッとするな」


 だが今回ばかりは、どうもそう簡単に幕引きとはいかないらしい。
 カイザーの翼の上から覆い被さるようにして、別の真白い羽根が、ぶわりと広げられて下級天使の攻撃を弾いた。何者だ? そんな間の抜けた問いを投げかける暇も無い。カイザーは眠る世一を後生大事に引き寄せて抱え込むと警戒心も露わに背後を振り返り、そして驚愕に目を見開く。

「この吹雪の中いつまで外に出ているつもりだ。ふたり揃って凍死でもする気か? いいから中に戻れ」

 そこに立っていたのは、カイザーにとり、嫌と言うほど見覚えのある顔をした男だった。
 いつか、どこか、そしてそのまたどこかで、見飽きるほど合わせた顔。あるときは隣人として、あるときは牧師として、またあるときは大学教授として。そんな過去の記憶がブレて覆い被さり、どこかに消えていく。カイザーは瞬きをした。そしてヤツは今、相変わらず表情の読めないサイボーグ顔負けの鉄面皮を晒し、その背からカイザーと同じように六枚の白すぎる翼を翻している……

「は、おま、嘘だろ、」

 カイザーは壊れた時計のように間の抜けた声を漏らした。
 終いには瞬きを繰り返すだけでは飽き足らず、そっと手の甲で目を擦ってみる始末だ。だが視界に映るモノはいつまで経っても消えてなくならない。大天使の証たる六枚羽根を広げ、下級天使共をポイと一撃で袖にして、ソイツ——二十一世紀においてサッカー選手であるカイザーにとって目の上のたんこぶであり、潔世一にとって憧れと反抗の行きつく先であり、未だに世界最強の名をほしいままにしている男が、悠然とそこに君臨している。

 ノエル・ノアが。

 何が何だか分からないがカイザーと世一を助け、おまけに説教まで始める始末だ。カイザーが状況を呑み込めず呆然としていると、やがてヤツは小さく舌打ちをして、溜息を吐いてからパチンと指を鳴らした。誰も触れていないはずのベランダの大窓がガラリと音を立てて開く。そしてかと思えばヤツはご自慢の脚を振りかぶり、世一を腕に抱えたカイザーの背中目指して振り下ろしてくる……

「グズグズするな。長期療養なんざされたら俺がつまらん」

 それからドスン、と重ための音を立て、カイザーは世一諸共室内へと蹴り飛ばされた。
 何一つ意味はわからないが、この男が来たからにはたぶんどうにかなるのだろうと漠然とそう思った。——だってコイツは明らかにただの人間じゃないのだから。



◇ ◇ ◇



 家の中に放り込まれてすぐ、ノアも室内に入ってきて、そして窓を閉めるとなにがしかの詠唱を行って光の陣を発動させた。「結界だ。俺の権限で下級どもの巡回ルートも変えておいた、しばらくは安全だろう」台詞だけ聞いていると完全に異常者の発言だが、ヤツの言葉には真実以上の含みはなく、事実以上のフカしもない。ノアの頭上にはご立派な金冠がまばゆく光り輝いていた。間違いなく、なにがしかの権能を行使している。カイザーの魂に刻まれた大天使ミカエルとしての力がそれを感じ取り、無言で肯定している。

「世一は——
「急かすな、すぐに起こす。この程度ならまだ俺で対処出来る」

 ノアは短い詠唱を終え、魔法陣が消えるのを確かめてから、振り返ってこちらに歩み寄ってきた。「じっとしてろ」ヤツはカイザーの眼前で足を止めると、ぬーんとした表情のまましゃがみ込み、脂汗の滲む世一の額に手を当てふたたび詠唱を始める。今度は先と詠唱文が違う。だがその差違に想いを馳せるより早く、世一の身体に変化が訪れる。

「ん、ぅ、うぅ……

 ふわり、と光の球のようなものが浮かび上がったかと思うと、ノアの手にしゅうと吸い込まれ、それに呼応するようにぴくりとまぶたが動いた。
 寝苦しそうな呻き声と共に世一が身じろぎをする。カイザーは驚いた猫のようにピャッと飛び上がってそれから世一の頬をさすった。世一が、ゆっくりと、——目を見開く。

……あ、れ?」

 露わになった世一の双眸は、カイザーが愛して恋い焦がれた、美しく揺蕩う海の色をしていた。
 両の瞳から透明な液が静かに流れて落ちる。舐めたらきっと塩辛い。無理からぬことだ——きっと世一もあの終わりを見たはすだから。

 十九世紀の叶わなかった恋の結末。
 引き裂かれた愛の終焉。
 恋人たちの傷ましい幕引き。
 そこに折り重なる、切々とした祈り。

 だが……だからこそ、彼らの血を吐くような決断があるからこそ、また明日の向こうに足をつけて、自分たちは再び巡り逢えた。
 願った通り今度はカイザーが逢いに行く形で。

「世一!」

 その事実に胸を撫で下ろし、カイザーはワッと世一の身体を掻き抱いた。

「良かった、もう目を醒まさないかと……!」
「ぎゃあ!」

 そして握力80にがばりとハグされた世一は苦しそうに眉根を寄せ変な声を出して引っ繰り返った。自分が涙を流していることには、どうやらあまり気がついていないらしい。仕方ないので代わりに目元を拭ってやると悪魔の黒い翼がばたつき、尾っぽがピャッと縮み上がる。
 それでも構わずにぎゅうぎゅうと抱きすくめて頬をすり寄せていると、どこかまだ寝惚け眼だった世一が徐々に意識を取り戻し、状況を改めようとカイザーの腕の中で指折り数えはじめた。

「ええっと。俺、たしか、カイザーを助けようとして……そんで変な夢を…………

 そうしてそこまで口走ると、彼は「あっ!」と弾かれたように顔を上げ、今度はカイザーの顔をぺたぺたと触りだした。

「そうだ、おま、暴走! なんかたぶん……天使の! 大丈夫なのか!?」

 まだ自我残ってる!? などと物騒なフレーズを口走り、世一の指先がカイザーの目尻に彫り込まれた朱をなぞる。カイザーは慌てて頷いた。「まぁなんとか、世一のおかげでな」それから呼応するように常識的なサイズに収まった白翼を広げて先端で悪魔の翼を慈しむと、世一がむずがゆそうに唇の端をもにょもにょさせて「そ、そぉ……」とか目を逸らす。
 なんで逸らしたんだ今。
 なんか妙にくちびるの方を意識しているような感じがするが、もしやカイザーの意識がない間に何かしてくれたとでもいうのか。クソッ、暴走して自我を取りこぼしていなければよかった……

「言いたいことは色々とあるが……まぁ今はいい。それよりそっちはどうなんだ。お前こそ、天使の力を取り込みすぎてオーバーヒートしてたんだろーが。堕天使といえど本来的に天界の力は悪魔には毒なんだから無理をするな」
「だってカイザーに生きててほしかったから……。てか自分で言うのもなんだけど、よく俺のコト起こせたな? 結構その、限界攻めた記憶があるんですけど」
「あぁ、それはだな……

 己の失態に舌打ちしながらも、元気そうにわあわあ口を動かす世一が愛らしくてつい頬が緩む。あー、このまま何も考えずに世一とダラダラしてたい。そんな現実逃避めいた考えすら浮かんでくるが、当然、世一にまったく気付かれていない第三者が、そんな逃げを許すハズもなく。

——おい」

 ある程度は様子を見守っていたらしきソイツが、そこでいい加減にしびれを切らしたらしく、ぴしゃりと声を落とした。

「へっ!? ……あれっ!?」

 世一が驚いて肩を跳ねさせ、ギョッとしてぐるんと声の方へ顔を向ける。そしてありとあらゆる感情を乗せていると思しき様子で顔を紅くしたり青くしたりしながら——死ぬほど六枚羽根の似合わない鉄面皮男の名を叫ぶ。

「のっ、ノアぁ!? なんで!?」

 世一の絶叫にノアは仁王立ちをしたまま端的に答えた。

「ぼちぼち介入する頃合いだと思って助けに来たからだが。とにかく、無事を確かめ合いたい気持ちはわからんでもないが、乳繰り合うのは後にしろ。お前らに今必要なのはふたりの空間ではなく正確な現状把握だ。合理的になれ」
「エッ、あ、えーっと、ありがとーございます。……ってかその羽根と輪っかどーしたんすか、コスプレマジで似合ってないっすね」
「残念ながらこれは自前だ。俺もさほど似合っているなんぞとは思っていないが、仕方あるまい」

 ——そもそもこの街はミカエル信仰の方が強いからな。
 ぼそりと呟き、ノアがカイザーの方を一瞥する。世一の意見に完全同意などと与太を口走る余裕はこのうえ与えられそうにもなく、カイザーはハァ、と力なく首を横へ振った。
 そう、向き合うべきことはいくらでもある。整理し直すべきことも。自分たちの正体。繰り返していると思しき転生の意味。ノエル・ノアの正体。神がこれほどまでに固執してくる理由。カイザーにも世一にも人ならざる異能が——権能が戻り、繰り返し見る夢というかたちで記憶も戻りつつある今、それらを可能な限り詳らかにするべきタイミングがすぐそこまで迫りきている。

——で。確認だが、どこまで思い出した? 俺が何者かは、わかったか——カイザー?」

 だから今まで何万年ものあいだ見守ることに徹していたはずのこのサイボーグ男は、ここで初めて呪われた恋人達へ手を伸ばしてみせたのだ。

「え? な、何、ノアの正体って……?」

 世一がきょとんとした様子で首を傾げている真横でカイザーは舌打ちをする。カイザーにだけ問いかけてくるあたり、未だ十九世紀・・・・の気分でも引き摺っているのか、それともただの気まぐれか。合理を主体とするバスタード・ミュンヘンのエース様ともあろう者がつまらねぇ謎かけをしてくれるともう一度だけ舌打ちを重ね、カイザーは慎重に言葉を選び、唇を動かしていく。

「さっきアンタが世一の身体から吸い取ったのは曲がりなりにも大天使ミカエルの力だ。人間の器に転生して強度が落ちているとはいえ、本来の持ち主である俺自身でも受け止めきれないような強大な力を簡単に扱えるヤツは数ある天使の中でも数えるほどしかいない」
「そうだな。それで?」
「おまけにアンタは十九世紀ミュンヘンでもすぐそばで俺たちを監視していた。恐らくは神へのメッセンジャー役を任されていた、というところだろう。ここまでくれば粗方候補は絞れる」

 それに——当時の、死に瀕したミヒャエルは正体に勘付く余力もなかったが、ヤツはご丁寧にも目の前で最後に名乗っているのだ。
 つまり、ノエル・ノアの正体は。

「〝神の言葉を伝えるもの〟ガブリエル。……それが天使としてのアンタの名だ、ノア」
「及第点というところだな。まったく、期末レポート返す前に死ぬヤツがあるか。おかげで百二十年前は採点損だ」

 果たして、カイザーの推論は、正鵠を射ていた。
 生唾を飲み込んで告げた回答に、ノアの顔色が一瞬、百二十年ほど前にミュンヘン大学福音主義神学部でミヒャエル・カイザー青年を担当していたノエル・ノア教授のものを映し込み、けれどすぐに元の、世界最強ストライカーノエル・ノアの横顔へ戻って行く。
 けれどカイザーにとってはそれで十分だった。十九世紀ミュンヘンにおける悪魔の記憶を取り戻しつつある世一にとってもだ。世一は紅くしたり青くしたりしていた顔を今度は青くしたり白くしたりしてぱくぱくと口を動かし、ノアやカイザーの顔を思いっきり交互に指さしながら信じられないものを見るような目でうろんに口走っている。

「は!? え!? ……いやホントだ、夢に出てきた教授さんと同じ顔してる! なんで!? ノアも前世とかあるタイプのヒト!? ってか神のメッセンジャーってナニ、もしかして下級天使の群れに囲まれてるよりノアに捕まってる方が百倍ヤバい!?」
「いやたぶんお前が思ってるほどはヤバくない。そもそもヤツがその気なら俺たちはとっくに殺されてる」
「エッ」
「それこそ青い監獄ブルーロックの頃には殺れたはずだ。だというのに俺たちは野放しにされ、恐らく……神にも報されていなかった。そのうえヤツはついさっき危ない橋を渡ってまでミカエルの力を吸い取り、結界まで張ったんだ。どーゆー風の吹き回しかは知らんがとりあえずコイツは味方と見ていい」

 ……あるいは、入念な仕込みで油断させたあとに後ろから撃つつもりの裏切り者、という見方もできなくはないが。
 この男に限ってそれはないだろうというある種の信頼に似た予感があるのもまた確かだ。ノエル・ノアは合理的な男である。それは彼がストライカーであろうと大学教授であろうと牧師であろうと大天使であろうと特段変わるものではない。
 その事実を証明するかのように——カイザーがちらりと視線を遣ると、ノアは鷹揚に頷き、溜め息交じりにこうぼやいてみせる。

「どーもこーもないだろ。ストライカーとしての俺にとって、お前らは有用だ。また死なれるとライバルが減って非常につまらん。俺が現役やってる間は神の干渉なんぞに負けてもらっては困る」

 ほとんどギャグみたいな言い分だったが、目を——そして漏れ出る神気を鑑みる限り、恐らくはそれが彼の混じりけのない本音だった。

——は、なるほどそれが答えか。骨の髄まで蹴球狂いフットボールジャンキーは五年前から変わらないな、ノア?」

 本当に、ずいぶん、二十一世紀になってからフットボールにかぶれたようで。
 カイザーは仰々しく肩を竦めると、世一の腰を抱き寄せ、守るようにして顎をしゃくった。条件は揃った。名探偵が推理を披露するジャストなタイミングがあるとすればそれが今だ。



 ここまでに判明したいくつかの事情を整理してみよう。ミヒャエル・カイザーは大天使ミカエルの生まれ変わりであり、潔世一は大悪魔サタンの生まれ変わりである。現代科学に支配されたこの二十一世紀においては嘘か狂言としか思えないような言葉の羅列だが、ありとあらゆる事象が、そして幾度もの夢を通して流れ込んできた妄想にしてはやけにリアルすぎる過去の記憶たちが、カイザーと世一にそれらは事実であると確信させていた。そしてふたりが互いに恋いあい、惹かれあいはじめた頃、異常気象や奇妙な共有夢、下級天使の襲撃、——ひいては奇妙な噂を伴う連続失踪事件「エンジェル・ドラッグ事件」が起こり始めた。
 また、ふたりが見ていた共有夢の内容は十九世紀末ミュンヘンで起きた実際の出来事であり、夢の中の登場人物は、ふたりにとっては恐らく直近の〝前世〟にあたる存在であろうと思われる。貧乏大学生のミヒャエルと記憶喪失の悪魔ヨイチは、神がミカエルことミヒャエルに指示して起こさせていた連続失踪事件「ホワイトチャペルの天使事件」を調査する中で想いを通わせあい、お互いの魂の根源に到達して神代の記憶を取り戻し、そして神に反旗を翻すために自死を選んだ。

「ちなみにお前たちが今世で人間の身体に生まれついたのはイレギュラーな自死が原因だ。悪魔だった潔世一は元より、天使であるカイザーも、本来神御自らの干渉がなければ人間の器に転生することはない。というか神に補足されている限り神の玩具にされ続ける。だが一八九八年のミュンヘンにおいて、神は不幸にも寵児の行方を見失ってしまった」

 とにかく、規則の穴を突いて神の目を騙くらかし失踪したふたりの魂は、そこから百二十年あまりものあいだ、誰にも見つけられることはなかった。だが、人間に転生したミカエルが悪魔の生まれ変わりと出会い、天使の権能を取り戻し始めたことでようやく監視網に引っかかり、神は今度こそ寵児を自らの手に取り戻すため作戦を開始した——
 ノアの説明はそんなところで終わり、カイザーと世一は互いに顔を見合わせあった。
 合理性の男に真顔でファンタジーを語られている(しかも室内にいる全員背中から人外の羽根が生えている)という状況なのでまぁノアの説明を疑うわけではないのだが、改めて整理し直せばし直すほど信じたくない類の話である。

「あの〜、とりあえず色々、いったん呑み込むことは呑み込んだんですけど」

 そんなふたりの気分を代表するように、ノアが一度口を噤んだタイミングで世一がおずおずと片手をあげた。

「そもそもなんで神はそんなにカイザー……ミカエルにこだわってるんですか?」

 そして述べられた疑問にカイザー自身もうんうんと頷く。神のミカエルへの執着具合は尋常ではない。正直言って、今世で自分を産み落とした人間のクズ両親とはまた対極のカス親だと思う。支配型教育ママという感じだ。
 とはいえそこまで目を掛けるからには、単純に力が強い天使だから以上の理由があるはず。何しろそこの条件は同じであろうノアの方はカイザーほど干渉されている様子が無いし。

「あぁ、その理由は単純だ。ミカエルはそもそも神のスペアボディとして設計されている。おまけに近代に入って神の権威はますます弱まりつつあり、原初の肉体が傷付きはじめている。そのせいだろう」

 などとうんうん考えていたら思っていたよりも明け透けな理由が出てきたのでカイザーは半分ぐらいひっくり返りそうになり、しかしそれをなんとか意志の力で耐え抜くという無駄な頑張りを披露せざるを得なくなった。

「は……はァ!? まさか……ならミカエルの名前がそのまま理由だってのか!? クッソふざけてんだろ」
「あぁ」
「えっ何、何何何? ごめん俺わかんないから教えて神学部」
「ソレは前世の話な。……大天使ミカエルの名前は〝神に似たるものは誰か〟という意味を持つ。翻って言えば一番神に似ているから乗り換え用の予備に丁度いいってコト」
「え? ……はぁあ!?」

 毒親! 世一がキャンと叫んだ言葉に、カイザーは深く頷いて同意した。ついでに現役大天使のはずのノアも頷いていた。それでいいのかガブリエル。まぁ事実は事実だというのがヤツの言い分だろうが。

「あー……。てことはむか〜〜しの俺が人間風の名前をあげてから堕天したのもそーゆーコトか。神のスペアに傷を付けることで概念的に一個体として独立させた的な? うん、てかそのあたりのアレコレも夢に見てたような気もしてきた……。なんか一気にバーッて入ってきたせいで正直全部は把握しきれてないんだけど……
「それで当然だし、必要以上に思い返さない方がいい。人間の器で何千何万にも及ぶ転生の記憶を全て受け止めようとしたら発狂するぞ。絵心に申し訳が立たん」
「あ、ハイ。やめときます。必要に応じてノアに訊くんで宜しくお願いします」
「俺が分かる範囲でならな」

 なおサタンはミカエルを疵物にした咎で堕天させられていたりなどするのだが、そのあたりまで話を広げると収拾が付かなくなるためノアはそこで適当に話をまとめて切り上げさせた。

「で、だ。あとお前達が把握しておくべき物事は——カイザー」

 それから顎をしゃくり、ヤツは横柄にかつ乱雑にカイザーへ会話のボールを投げる。面倒になったからあとはお前が進行しろのサインだ。まったくこんなエゴイスト様が神の言葉を伝える熾天使とはかなり笑える。

「で、だ。あと残る疑問としては、そもそも俺たちが転生を繰り返している理由と、十九世紀と二十一世紀で共通して発生した連続失踪事件の関連性——というところか」

 とはいえこれ以上脱線させてる場合じゃないというのはカイザーも同意見だ。
 そのために話題を元のレールに戻すと、世一は指を二本折って数え、フィールド上で作戦を展開するときと同じ横顔で考え込みながら、緩慢に頷いた。

「転生し続けてんのは……夢で見た内容から考えるに、たぶん俺たちの関係が実りかけるたびに、神様がリセット仕掛けてくるから、だよな?」
「だろうな、俺も同意見だ。ちなみにノア、アンタの見解は?」
「右に同じだが、一点補足するとすれば、そもそも天使を起源に持つ魂は死ぬことが出来ん。消滅させる術が存在しないと言い換えてもいい。だから神はミカエルを横取りするサタンを直接滅することも出来ず手をこまねいていた。腐っても元大天使ゆえに抵抗力も強かったしな——これまでは」

 そうして推論を並べたてて採点を放り投げると、ノアは含みのある声で呟き、そこで言葉を止める。
 〝これまでは〟。それはつまり、今回は滅せる可能性がある、ということだ。その理由はこれまでと今回との差違を考えれば明白である。

「神の監視を掻い潜るため互いに人間の器に生まれ変わったことで、同時に付け入る隙も生んだということか……!」
「合格点だ。その証拠にお前たちは自身の本来の権能を制御できないほど弱っている。パニックに陥った途端羽根さえしまえなくなる始末だ。ゆえに神は今生を好機とみて迷惑バカップル監視役の俺に通達を送ってきた。——半年ほど前のことだ。そのあたりから起こり始めた〝異変〟が何かは、言わずとも流石にわかるな」
……〝エンジェル・ドラッグ事件〟!」

 ノアが放り投げた問いに、今度は切羽詰まった調子で世一が答えた。ノアが皮肉なんだか素直なんだか〝迷惑バカップル〟なんてふざけたワードを口にしたことに突っ込む余裕すらなく。
 本当に、ニュースを見る度に現実味がない、などと言っていたつい数週間前の世一の姿が、まるで遠い過去のもののようだ。なにしろ今となっては、潔世一はこの事件に関する最大の関係者のひとりとなってしまったのだから。

「待てよ、確か〝ホワイトチャペルの天使事件〟は悪魔を殺すためのエネルギー集めだったから……

 世一の呟きにカイザーは隣で神妙な顔をして頷く。であればもちろん、〝エンジェル・ドラッグ事件〟も悪魔を殺す為のエネルギー集めと見て間違いないだろう。ただし今回の下手人は、現場証拠を見る限りミヒャエル・カイザーその人ではなく下級天使どものようだったが。

「けったいなことだな。十九世紀と異なり被害者にヤク中が多いのは、下級共でも干渉出来るようにあえてそーゆー連中を選んでるな?」

 カイザーがじっとりとした声音で吐き捨てるとノアが息を吐く。

「それに加え、この百二十年で神秘がより薄まったことも影響している。お前たちも弱体化しているが神の干渉力も半減といったところだ。より魂を吸い取りやすい連中を選ぶ必要があった」
……そしてヤク中患者はこの現代において、神が手を下すまでもなく勝手に生まれてくる。良く出来た計画だよまったく、こんなお粗末な狙いに気づけもしなかったとはな」

 まぁ天使の記憶が無かったのだから仕方ないのだが。しかしそれをいいことに、出足は優勢だったこちらの分を殆ど埋められ、現状としてはリードされていると考えた方がいい。十九世紀のあの最後の夜に見られた吹雪のように異常気象が頻発しはじめているあたり、状況は悪いだろう。
 それこそノアがなりふり構わず介入してきたぐらいだ。儀式は八割がた完了していると見た方が恐らく間違いはない。

「で? この状況でお前たちはどうする?」

 ほら、だから、このサイボーグ様ときたら真顔でこんなコトを訊いてくる。
 ……どうするかだって? そんなものこっちが知りたいが。
 心底そう思ったが、言葉にするのはあまりに情けなくて出来なかった。カイザーは首を振る。粗方の記憶を取り戻した今だからこそ、見えてくるものがある。この状況は手詰まりだ——どう足掻いても詰みが近い。
 十九世紀の恋人達が決死の覚悟で起こした変化が意図せぬ脆弱性を生み、敵はまんまとその穴を利用しようとしている。一方でこちらの手札は役無しブタときた。

「どうって……

 額に脂汗が滲み、拭った指先が不快なぬめりに浸される。心臓がバクバクと音を立てて鳴っている。心音は少しずつ大きくなり、悍ましいマーチを奏でている。
 うまく答えられない。
 ノアの結界も、下級天使たちへの干渉も、所詮は一時しのぎだ。天使の権能に目覚めた状態のカイザーはいわばビーコンを埋め込まれているようなもので、座標が割れている以上いつかは必ず襲撃の第二波が来る。——そしてその時が二十一世紀における終幕の時であろう。
 そんなのはもう嫌だとあの日吐き捨てたはずなのに、だけど冴えた方法がひとつも思い浮かばないから、

——あのさ、俺、ちょっと思ったんだけど」

 けれどその行き場のないぐるぐるとした焦燥感を、ふいに——真横でおずおずと伸ばされた手と共に、世一が遮る。

「えーと。一番記憶が曖昧っぽい俺のフラッシュアイディアだから、頓珍漢なコト言ってるかもしれないんだけどさ。要はさ、もう二度と神様からちょっかい出せないようになればいい……んだよな?」

 ヤツには珍しく自信なさげに挙手された指先にカイザーとノアが視線を向けると、世一は辿々しく舌を動かしてそんなことを述べた。「で、繰り返しになるんだけど、今回は生まれてから二十年ぐらい、天使とか悪魔の力が発現するまで神様に見つかってなかったから、特に何も起こらなかった……って認識で合ってるんだよな?」それからこんなことも。カイザーは怪訝な顔をして眉間に皺を寄せる。それはそうだが、だからなんだというのだ。
 だいたい神がちょっかいを出せないってなんだ? そんな状況自分たちが天使と悪魔の権能を魂に抱えているうち・・・・・・・・・は恒久的に作れようもなくて、

——いや待て。そういうコトか?」

 けれど自虐的な言葉は、唇の外へ転がり出る前に、世一が示した一筋の可能性に掻き消されて——どこかへ消え失せる。

「そうか……世一、おま、クッソイカれてる。それだ。細い糸だが、賭けるとしたらそこしかクソない!」

 その瞬間、カイザーは裸になってエウレカとでも叫びだしそうな勢いで、思考次元レベルが同じ稀有な相手の両手を握り締め、思いきり叫んだ。

「カイザー? どうした急に、……何が分かったというんだ、お前たちには?」

 そんならしくないにも程がある反応にさしものノアもやや表情を崩し、呆気にとられたふうな声を漏らして訊ねかけてくる。「簡単なコトだ、ノア」カイザーは世一の手をぎゅうぎゅうと握り込みながら興奮気味に世一のアイディアを翻訳しはじめた。「俺たちは天使の常識に縛られすぎていて可能性を見落としていた。つまり神は自身が産みだした天使に絶対の影響力を持ち、見つかったが最後逃れる術はないのだと。実際俺は幾万回とクソゴッドに捕まり強制リセットを掛けられ続けてきた……」努めて冷静に、ロジカルに。
 これが単なる細い細い可能性に過ぎないということは分かっている。
 単なる希望的観測だ。世一が堕天した悪魔でなければこんな発想には辿り着かなかっただろうし、蜘蛛の糸でもチャンスが無いよりは遙かにマシだろう。

「だが例外はある。あるんだ。今ここに」

 カイザーは世一を指さすと、明朗にそう告げた。
 ノアが息を呑む。まさか。くちびるが微かにそう動いた気がした。ヤツとて聡明な男だ、同じ答えに気がついたのかもしれない。だがまだ顔には半信半疑だと書いてある。だから——眼前に思いっきり叩き付けて、ついでに挑戦状をも投げつける。
 一度手助けすると言った手前、責任は取れよクソ老害マスター、と。

「世一は堕天したことで神の完全な制御から外れた。そして詳細な手順に違いこそあれど互いに人間になった俺たちを、神は二十年間もの長きに渡り——更に言うなら出逢ってからですら数年ものあいだ見逃されていた。このふたつの事実から、世一はあるひとつの仮説を導き出した」
……言ってみろ」
「つまり——現代における神は、信仰心が薄く、健全な精神を持つ人間・・・・・・・・・・には干渉が出来ないんじゃないかという仮説だ」

 ノアは、呑んだ息を吐いて、大きく、大きく、溜め息を零した。

「まったく、クソガキ共が」

 言葉こそ呆れたふうだったが、ノアの声音には珍しく苦慮や慮りのようなものが滲み出ていた。
 やれやれと肩を竦めてノアが更に溜め息を重ねる。ゴーサインだ。ノアはカイザーの挑発を受けた。元より神に背いてまでクソガキふたりの恋路を手助けしようなんて気まぐれを起こした時点で、その程度の覚悟は決まっていたのだろう。

「確かに——可能性はある。お前たちが完全な人間・・・・・になることが仮に出来たならばという但し書きつきでな。通常そんなコトは不可能なはずなんだが」
——でも十九世紀のふたりが命を賭してベットしたチップが、ここで生きてきた。俺たちの力が弱まってるコト自体が、盤面をひっくり返し得る唯一の可能性でもあるんだ。希望の光はまだ僅かに残ってる……!」

 溜め息交じりのノアの言葉を引き取って、世一が目をキラキラと輝かせる。その愛らしい両の瞳に映る光景が、カイザーには完璧にわかるような気がした。
 たとえるならそれは後半戦の終了三分前のヒリつくような一瞬。
 一点差での劣勢がギリギリで同点に持ち込まれ、あと一本入れさえすれば逆転勝ちが決まる。逆境だが、まだ終わってはいない。苦しい戦いだが、絶望するにはまだ早い。そしてそういったギリギリの状況を己の手で支配し攻略することを——この潔世一というエゴイストは何より好む男だから。

「力の弱体化が出来るんなら、ゼロになるまで削ぎ落とせばいい。俺は今度こそ自由になりたい。——人間ニンゲンになりたい」

 だから世一は告げる。俺も同じ気持ちだよ、あの日あいつらが祈ったありふれた幸せを、今度こそ諦めたくなんかないと。厳かに、力強く、何より確からしく。
 あぁ、お前はきっと知らないのだろう、ミヒャエル青年が今際の際に言い残した言葉が何であったかなど。
 悪魔は先に逝った。血まみれになって一足先に輪廻の迷い路に足を踏み入れた。だから耳にしているはずなどないのだ、だというのにすべてを言い当ててしまう、それが潔世一——最新最強の、天使が恋した悪魔の本質なのだと言わんばかりに。

 ——自由になって……人間ニンゲン〟になろう。

 十九世紀におけるミヒャエル・カイザーの遺言を、転生したミヒャエル・カイザー自身と、そして彼の死を見届けたノエル・ノアだけは知っている。

「連続失踪事件を解決しよう、カイザー」

 世一の言葉に、ノアがちらりとカイザーを一瞥して、頷いた。カイザーはノアに一瞥を返してやると、それからすぐ真っ直ぐに世一へ向き直り、力強く頷いた。「随分と大きく出たなぁ世一くん、それって〝エンジェル・ドラッグ事件〟のコト?」皮肉屋のツラを浮かべて茶化すと世一が大真面目に頷き返してくる。「うん、ついでに、迷宮入りしちゃったらしい〝ホワイトチャペルの天使事件〟の方もね」具体的な方策が見えたわけではないが、どのみちそれを阻止しなければ神の目論見は挫けない。こうなったらもうやるしかない。それにこういう不自由な局面を打開するのは——不承不承ながらカイザーの好むところだ。

「乗った。ついでに全部終わったらクリスマスは俺とだけ過ごせ」
「何ソレ、今更だなぁ。あったり前だろ、もぉ——お前返事遅すぎ!」

 世一が飛び上がって抱きついてくる。その背中をスリスリとさすりながら、カイザーは深呼吸を繰り返した。
 この幸せを今度こそ守ってみせる。
 そのためならどんな奇跡だって掴んでみせる、クソ物の自分でも、人外の自分でも、——受け入れてくれるお前が隣にいるというのなら、この剥き出しの原罪あいに懸けて今世こそ……必ず。

「覚悟十分なのは分かったが、羽根やら何やらを仕舞う方法くらいは今この場で身に付けろよ」

 そんな二人を見て、最後に諌めるようにしてノアがつぶやいた。


BACK ■ HOME ■ NEXT