壱加
2026-02-22 15:03:01
7753文字
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猫の日のブラネロ(現パロ)

2024の猫の日に書いた、ブラッドリーと別れたネロが猫を拾う話に加筆(2025)したものの続きを足した(2026)ものです。

 店から自宅へ帰ろうとしたときだった。
 今にも消えてしまいそうな声が聞えたのは偶然だろう。
 頼りなく、か細く、それでも最後の力を振り絞るかのような小さな生命の声を無視して帰路につけるほど薄情ではない、と思う。
 その声の主は店の裏手、ネロが出入りしているドアの影に倒れていた。
 夕方まで降っていた雨のせいで泥だんごのように汚れていたそれは、声が聞えなかったらもう息を引き取ったものだと思ったかもしれない。ネロが気付かずに帰ったら、明日の朝にはそうなっていただろう。
 店に戻って新しいタオルでそっと包み込んで事務所に通した。
 衛生管理的に動物を入れるのはどうかと思ったが、そうは言っていられない。
「えっと洗っていいのか? 暖める方が先か? えっと……そうだ」
 動物なんて飼ったことがないネロは右往左往しながら、猫が好きで家で飼っている友人のことを思い出した。
 こんな時間に、と迷わなかったわけではないが、あとでこのことを伝えたら「どうして頼ってくれなかったの」と眉間に皺を寄せて言う姿が浮かんだので通話ボタンを押すことが出来た。
――ごめん、ファウスト。あのさ、死にそうな子猫拾ったんだけど、どうすればいい?」
 あんなに慌てていたきみは初めて見た。
 後日、深夜にいきなり電話を受け取ったにも関わらず、すぐに駆け付けてくれて愛猫のかかりつけの動物病院に連絡までしてくれた上に付き添ってくれたファウストは、目元を柔らかくしてそう言うのだった。

 泥だんごのようだった猫は綺麗に洗うと白と黒の毛が混じり合った毛の長い猫になった。
 仔猫は十分な餌が得られずやせ細っており、それなのに小さな身体で喧嘩をしたようで鼻の上には生々しい傷痕と、右の耳が欠けてしまっていた。
 動物病院とネロの店に迷い猫の張り紙をしてみたが、飼い猫の可能性は低くきっと野良だろうと言われ、一ヵ月だけ様子を見ることとなった。
「一ヵ月経って飼い主が見つからなかったら、どうするの?」
……うーん……どうしようかね」
 店で飼い主募集の張り紙でもしようか。
 傷があるので貰い手を探すのは大変だろうと獣医から言われているが、店の客はかわいいと言っていたのでそんなに苦労しないかもしれない。
 でも「可愛い」から「飼う」とはならないことなんてネロ自身がよく分かっている。
「愛着が沸いてきた?」
……ファウスト、面白がってるだろう」
 まったく、と目の前で微笑ましそうにするファウストは「先住猫が許せば、僕が引き受けてもいいよ」とまで言ってくれる。
「でもあいつ、全然近寄ってこないよ」
「まだ警戒してるんだよ。ご飯は食べてる?」
「そっちは大丈夫。トイレも覚えたし」
「いいこだ」
 くすっと笑い、子猫とネロの近状を聞き終えると、ごちそうさまでしたと両手を合わせる。
 今日はこの間呼び出したときのお礼だから、とファウストから代金を貰うことはしなかった。

……
「た……ただいま」
 部屋に帰ると、玄関の前に猫がいる。
 じっとネロ見てから出迎えは終わったとばかりにリビングへと戻っていく。
 お気に入りの場所はネロのベッドらしく、音もなく飛び乗ると丸くなる。その姿は可愛く、癒されるって言うのはこういう感じかと噛みしめるが、触ろうとすればするりと躱して逃げてしまうのだ。人間に触られるのは抵抗があるようだ。
 それにしても、見れば見るほど似ている、と思ってしまう。
 白と黒の二色の毛、赤い瞳、欠けた耳、顔の傷。
 類似点のせいで猫なのにネロの知っている人物に見えてしまうのだからため息のひとつも零れるというものだ。
……三年か」
 やっと三年、もう三年、まだ三年。
 冷蔵庫から缶ビールを取り出して口をつける。
 治りかけの傷口みたいなものがずっと心の中にあって、ときどきかさぶたを捲って確認してしまうことがある。今がまさにそれだ。まだ治らないのかと落胆し、まだ治っていないと少し安堵する。
 黒と灰色のツートン、怪我して欠けた耳と消えない顔の傷、大きな赤い瞳はいつだってネロをまっすぐ見ていた。
……ブラッド」
 傷口の名前をつい口にだせば、なう、とベッドの上にいた猫が鳴いた。
…………え?」
 拾ってからまったく鳴かなかった。もしかして声が出なくなったのではと心配していたので、はっきり聞こえた鳴き声に目を見張ってしまう。
「いやいや……
 ぐびっと缶ビールに口をつけて飲み込むが、気になってしまってそっとベッドへ近づいていく。
 座り直した猫は近づいてくるネロをじっと見つめている。あいつとそっくりな赤い瞳で。
……えっと、ブラッド?」
 にゃう。
 偶然だろうと思うけれど立て続けに鳴かれてはお手上げだ。余計にブラッドリー――三年前に喧嘩別れをした元恋人に見えてきてしまった。
 そっと手を伸ばす。いつもなら逃げる頃だが猫は動かない。じっとネロを見ている。
……うちの子になるか?」
 にゃぁう。
 その声が嬉しそうに聞こえた、というのは流石に都合がよすぎるだろうか。
 伸ばしたネロの手に頭を擦りつけて目を細める仔猫に息を詰まらせつつ、ファウストになんて言おうかと新たな問題に頭を抱える。
 元恋人に似ていて手放せなくなった上に、その男の名前に反応して鳴くなんて、言えるわけがない。
 それでも他の名前が浮かばないほどこの猫は「ブラッドリー」だった。
……本人にはもう会うこともねえだろうし。まぁ、いいか。よろしくな、ブラッド」
 一切触らせてくれなかった子猫を撫でながら、ネロは相貌を緩める。
 今は可愛い子猫がネロの想像よりも大きく成長し、性格までブラッドリーそっくりになることを知るのはもう少し先の話だった。