有栖川
2026-02-11 20:05:15
12859文字
Public 天使悪魔パロ
 

ネバーエンド/01

天使悪魔パロのkiis
色々捏造と妄想で厨二病、何でも許せる人向け。最後はハピエンです
nsとna多め。

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01/同居、雨、止まない夜




 夢を見ていた。
 きっとろくでもない夢だ。細かいことは思い出せないが、直感的にそう思った。きっと、そう、——悪魔に無理矢理契約される人間ぐらい、滑稽でくだらない夢。

……ざ、……カイザー?」

 肩を揺さぶる動きで、ふと、意識が浮上した。ミヒャエル・カイザーは重たいまぶたを擦り、ぐずるように頭を振る。「おい、カイザーってば」しかし声の主はそんな抵抗お構いなしだ。「もぉいい加減起きろって、雨だからって寝過ぎ! 昼になっちゃう!」やがて業を煮やしたらしいソイツは実力行使とばかり掛け布団に手を掛け、ひっぺがし、冷たい冬の空気をベッドの中へと送り込んでくる。

……あ゛ークソ、何しやがるよいちてめぇ……

 十二月の刺すような大気に皮膚を突かれ、寝間着の下に隠した脚が震えた。てめぇ世一フットボーラーの資本になんてことを、そう言ってやる気力すらなく、カイザーは起き抜けのぼんやりした頭をどうにか振ると、しつこい同居人の攻撃に根負けしたようにのろのろと上体を起こし、頭をもたげる。

「今何時……

 訊ねると同居人潔世一はにこりと人好きのする笑みを浮かべ、カイザーのボッサボサの髪の毛を実に楽しそうにいじくりながらこう言った。

「今ねー、十一時過ぎたとこ。遅くなっちゃったけどブランチ食べよ、もう用意出来るから!」



 ミヒャエル・カイザーと潔世一は少し前から同居している。シェアハウスというやつだ。すったもんだあった末ふたり一緒にバスタード・ミュンヘンのトップに所属することになり、チームメイトとしての暮らしにも慣れてきた冬の始めぐらいの時期に、世一の住んでいたアパルトメントが水道管を凍らせてしまい……にっちもさっちもいかなくなったということで気付けばカイザーの自宅に転がり込まれていた。
 むろんカイザー自身が積極的にその方策を推したわけではなく、半ば周りに外堀を埋められた結果である。カイザーが気付いたときには世一を住まわせるのが確定事項になっており、大分頭を抱えたものだ。世一は既にミュンヘン市内でかなり顔が売れてしまっていたため、今更適当なところには住まわせられない。かといって良さげな賃貸はあまり空いている時期じゃないし、いきなり家を買うのはハードルが高い。そうだ、カイザーの家ならどうだ? アイツの家新築だし確か部屋余りまくってるだろ。気がついたら周囲が満場一致でそう騒ぎ立てていて世一もすっかりその気になってしまっていた。カイザーは否定するのが面倒で最終的には世一の希望に折れた。

 あれからもう一ヶ月ほどが経って、世一との暮らしにも大概慣れて来たと思うが、しかしそれにしてもこの一ヶ月というものカイザーは世一に折れすぎではなかろうか。朝もそうだし、昨日の夜も何かあまりにうるせぇから譲ってやった気がする。そうだ、夜のアクティビティを何にするかの軽い意見の対立だった。世一は頑なにカイザーに〝TOTORO〟を見せることを譲らなかったし、カイザーは静かに哲学書を読んで寝たかった。しかし結果的にカイザーはメイとサツキの姉妹愛に普通に涙ぐんでいたし、今日の朝寝不足で起きられなくなった。
 まぁどうせ雨でランニングにも出られなかったのは確かなのだが。

「はい、これ丸パンゼンメル、いつものヤツね。バターもう塗ってあるから、好きなもん乗っけて」
「チーズでいい。……残り少ねぇな。週末までに買い足しに行くか……
「あ、ならついでにヴルストの買い置きもしちゃおうぜ。あと一パックしかねーもん、俺とお前で食べたら一瞬だよ、一瞬」

 とはいえ今日は止みそうにないもんなー。
 いつも通りの朝食の席を囲みながら、世一がそう呟く。世一のお気に入りのメーカーのヴルスト。カイザーが気に入っているパン屋のパン。ふたりであーだこーだ言いながら選んだバター。色んなメーカーのを試している最中のザワークラウト。当たり前になってきた光景を取り囲む奇妙な天候。世一がリビングの大きなガラス窓の方へ振り返って、ずぶ濡れの庭に視線を投げ掛ける。

 その日はひどくしけ込んでいて、雨の止む気配すら見えなかった。雪が降るには生温かく、散歩に出歩くには肌寒いその空模様は、空調の整った室内から眺めていても気分を盛り下げて陰鬱に引きずり込もうとしてくる。カイザーは首を振った。「外なんぞ見ていても仕方が無い。今日は大掃除の日にするぞ」すると世一はわかりやすく唇を尖らせて拗ねる。「今日こそ気分転換したかったのに」。世一は掃除が出来ないわけではないが別に好きなわけでもなかった。外ではまめまめしくロッカールームを整えている姿をよく見るから勘違いしていたのだけれど、それは単に最低限の衛生意識に加えて、日本人的な……世間体を気にしての行動、の部分が大きかったらしい。

「まーでも、よかったのかもな、最近物騒な話多いし。ほらカイザーも聞いたことある? 例の連続怪奇失踪事件の話」

 そんなカイザーのどーでもいい脱線など露知らず、世一が食卓に置きっぱなしにされていたリモコンを手に取り、ピッと壁掛け75インチテレビの電源を付けた。番組は丁度昼前のニュースを流しており、キャスターがいやにシリアスな顔をして原稿を読み上げている。

『続いては連続失踪事件のニュースです。今朝未明、失踪届が出されていた男性がゲルメリングの繁華街裏通りで発見されました。男性はミュンヘン大学の三年生で、今もって意識不明の状態です。家族や友人は失踪の動機に心当たりがないと話しており、警察は何らかの大きな事件に巻き込まれた可能性を——
「これで五人目かぁ……

 液晶に映る映像をぼんやりと眺めながら、どこか遠い国の出来事を聞かされているような調子で世一がぼやいた。

「最近、どこ行ってもこの話でもちきり。俺さぁ、なんかニュース見るたび現実味ないなって思っちゃう。ホント作り話の中の出来事みたいで」

 そのままヤツの独白はバツが悪そうに続いていく。潔世一が平和ボケした国のとくに平和ボケしたご家庭の出身だということはよくよく知っているので、カイザーはその言にあいまいに頷いた。人が一夜のうちにいなくなるとか、死体が見つからないとか、子供が夜帰ってこないだとか、そういった事象とまるで無縁で生きて来た人間には異世界の出来事みたいに思えるのだろう。だがお世辞にも治安がいいとは言えない地域で荒みきった幼少期を過ごしたカイザーにとっては「フーン」の一言で終わるような事件でもあった。ニュースにならないだけで人は毎日消えているし、悪事に手を染めている。カイザーだって十年前は盗みで生計を立てていたのだ。

「しかしまぁ、こうしてわざわざ全国ネットに乗るんだから、失踪してる連中はみんなそこそこ裕福なんだろうな」

 だから、カイザーとしては、別に返事を期待するでもなく殆ど独り言のようにそう漏らしたのだけど。

「そのへんは分からないけど、見つかった人みんな、昏睡状態になってるらしいんだよ。命には別状ないのに、目だけ醒まさないんだって」

 意外にも世一はちゃんとカイザーのぼやきを聞いていて、そうして奇妙な引っかかりを持つ言葉を投げ返して寄越した。

……ニュースキャスターはそんな話、しそうにもないが。何処で聞いた?」
「練習中とか雑談のときに。なんかホラ、SBサイドバックのクラインが、お兄さんが警察官だとかで、あることないことよく喋っててさ……。どこまでホントかわかんないけど、色々知ってるとかで吹聴してくんの」

 〝吹聴〟なんて単語を選んでいるあたり、世一も、クラインの話を丸っきり信じているというわけではないのだろう。「クライン曰く、見つかった人たちはみんな、保護されるまではギリギリ意識があって、昏睡状態に陥る直前に何かを言おうとするんだって」疑わしげな色を含みながら世一の言葉は続いていく。「——〝天使を見た〟、って。みんな、決まって、これだけ言うと気絶しちゃうらしい」その恐る恐るといった調子の言葉に、カイザーはふるりと首を振り、忌々しげに息を吐く。

「典型的なヤク中のたわごとだな……
「しょーじき俺もそう思った」

 カイザーの返しはにべもなかったが、対する世一のしみじみした合いの手も同じぐらい取り付く島がなかった。

「クラインは……オカルトマニアなのかも。俺無宗教だからさぁ、天使とかよくわかんないんだよな。ゲームに出てくるキャラって感じ。回復魔法とか得意そう」

 宗教学者が聞いたら全然違うと怒りそうなことを適当に抜かしながら、世一が最後のヴルストにフォークを刺してぱくつく。実際の日本人は言うほど無宗教ではないというのが曲がりなりにも日本で数ヶ月間過ごしたカイザーの持論なのだが、まぁそんな細かいことはどうでもいいので、サラッと流すことにして喋りたそうにうずうずしている世一の二の句を待つ。

「まーとにかくさ、捜査チームの中でついたあだ名が〝エンジェル・ドラッグ事件〟なんだって。ホントかどうかは知らないけどね、クラインの創作かもしれないし」

 そう言って溜息を吐く世一の手には、もうヴルストは残っていなかった。食べきってしまったらしい。コレで正真正銘ヴルストの買い置きは残り一パックになってしまった。頼むから夕飯……ソレが無理でも明日の昼までには上がって欲しい。カイザーとて好き好んでこの豪雨の中車を出したくはない。洗車だって大変なのだ。カイザーは意外にまめまめしく愛車に手を掛けるタイプだと世一に評判だった。日曜の朝にBMWを手入れしているだけで爆笑されたのは二週間ほど前のことだったか。

「ん——ごちそーさま。なぁ今日このあと何する? 家ん中から出られないじゃん」

 皿の上を空っぽにした世一が日本人らしく手を合わせて一礼するのをちらりと見て、カイザーはプレートに残されたサラダへと緩慢にフォークを突き刺した。「何って、いつも通りだが」雨の日のルーチンは決まっている。寝るか、筋トレするか、読書をするか。世一が来るまではずっとそうだった。ひとりきりで時間を潰すのは得意だ。むしろそっちの方が性に合ってると言ってもいい。誰かに付きまとわれるのは嫌いで、横に置けるのは、せめて自分の邪魔をしてこない奴で。その点ネスは丁度良くて、かつてヤツが買い物に着いて来たがったり隣で一緒に読書したがったときは好きにさせていたが——世一にはその方策が通じない。

「えっ、また俺ひとりで暇つぶししてなきゃなの!?」

 世一が表情筋をくるくると変えてあっけらかんとした調子でそう零す。カイザーは一瞬で表情をアンニュイなものに染め変えた。全身全霊で、面倒くさいから嫌だ、と主張したそのつもりだった。しかし世一はそれらのサインをまるで全然まったく無視してにょきりと腕を伸ばしてきて、当たり前みたいにカイザーの頬を撫でながらこう宣うのだ。

「今日すげー雨でいろいろ集中できないしさぁ、せっかくだからお前となんかしたいな。ダメ?」

 カイザーは首を振った。横に振ったつもりだったが、気付けば、頭は縦に頷かされていた。何もかもみなこのクソ悪天候のせいだ。「やりぃ! じゃ〜、さっさとご飯片付けちゃお」とはしゃぐ世一の顔を見ながら、カイザーは辟易したように溜息を吐く。
 どうしてこうこの男は自分勝手で振り回してきて、そして自分はヤツの手を振り払えないのだろう。



◇ ◇ ◇



 結論から言うとふたりは溜め込んでいたボードゲームを大量に消化することでその日を潰してしまった。遅めのブランチを食べ終え、昼下がりから始めたというのに、思っていた百倍ぐらい白熱して三個も五個もボドゲに手を出してしまったため、気がついたらもう陽が沈んで夜になっていたのだ。
 ひとつ言い訳をするとすれば、カイザーと世一はどちらも頭を使って試合を支配し掌握することに快感を覚えるタイプのストライカーだったので、そもそも、頭脳戦を突き詰めたような盤上遊戯ボードゲームにはハマりやすい性質ではあった。特に相手の思考を誘導して騙くらかし、自分にだけ有利に事が運ぶようにゲームメイクをしていくタイプのヤツなんかドツボにハマるレベルで熱中してしまった。勝敗は二勝二敗一分けで決着がつかなかったのもなんとなく納得の行く結果だった。思考レベルが近すぎるので、あとは純粋に運要素と対応力の駆け引きになってしまう。サッカーとほぼ同じだ。

「はー、遊んだ遊んだ。なんか結局やめ時無くなってさ、積みゲー全部崩しちゃったな……

 こうこうと照るあかりの下で、最後にやっていた天国と地獄の陣取りゲームをボックスに詰め直しながら世一がぼやく。表情から疲れはあまり感じ取れず、未だ抜けきらない勝負ごとへの高揚がまだ頬に差す赤みになって残っていた。
 その朱色に無意識に指先を寄せようとして、けれど土壇場で、自分が意味不明な行動に出ようとしている事に気がついて引っ込める。

「つーか……そもそもなんでこんなに溜め込んでたんだよ。お前こーゆーの好きなタイプだったか?」

 カイザーはぱっと世一から距離を開けると、思い出したようにどかりとソファへ座り込んだ。自分が今何をしようとしていたのかまったくもって理解出来ない。ただ、世一がよくやってくる仕草を、自分もしそうになったというだけのことなのに、それは何か……とてつもなく恐ろしいことのように思える。
 まるである種の禁忌のような。
 そんなことはないはずなのに、何故かその時はそう思えてならなくて、カイザーはやらかしを忘れようと露骨に頭を振る。

「ん〜? なんでって……理由はふたつ、かな?」

 そしてボックスを片付け終えた世一は、そんなカイザーの懊悩など知ったこっちゃないという気さくさでそう答え、わざわざ離したはずの距離をスーッと詰めてくると真横にぽすんと腰を降ろした。

「まずひとつは、青い監獄ブルーロックのみんなの間で流行っててさ、色々オススメ聞いて興味もってたから」

 指折り数えて世一が呟く。その言葉に、あの監獄の連中本当に仲いいな……と他人事みたいに思うと同時に妙に胸がざわついた。何故? 自分でも理解出来ない。ただその仲良しこよしの中央に恐らく世一が立っているのだろうと思うとイライラするのだ。

……もうひとつは?」

 だからカイザーはイライラの理由から目を逸らしてぶっきらぼうにそう訊ねた。
 すると世一はにこりと笑い、いばらと王冠が刻み込まれたカイザーの手を勝手に握りとり、こう告げる。

「カイザーとやりたかったから。俺お前のコトもっと知りたかったんだよね」
「は?」

 その答えになんだか虚を突かれたような心地がして、カイザーはらしくもなく息を呑み、目を丸くして固まった。

「知りたい? 俺のことを? 世一が? なんでだよ。……俺のサッカーを攻略する足がかりにでもするつもりか?」
「それもあるけど、四割ぐらい! 残り六割は、なんか一緒に暮らすうちに、お前の隣って息しやすいなーと思って、なんでだろうなって気になったからで…………

 手のひらに重ねられた指先がもぞもぞと恥じらうように丸められる。他人に肌を引っ張られるなんて気持ち悪い、そのはずだが、やはりこれも振り払う気になれない。
 カイザーは世一に手を握られるともうダメだった。何故かその手を離すことができないのだ。思い返せば出逢ったばかりの、世一に宣戦布告を喰らった時からそうだった気がする。はね除けられたのは——ヤツに手を握るつもりなんかさらさらなかったであろう、あの屈辱の敗北マイベストピエロの時ぐらいか。

 どちらかといえば世一が嫌いなはずなのに何故?
 分かりそうにない。世一コイツが考えているコトと同じぐらい……理解不能だ。

「それで色々考えてるうちにさ、気付いた。俺ずっと引っかかってるコトがあったんだな、って。——『お前に逢いに来た』ってどーゆーコトだったのか今もずっと気になってんの。こんなに息のしやすい相手が、俺を見つけてくれた理由が」

 そして世一はというと意味不明な言動を更に積み重ね、恥じらうような朱に頬を染めたままむにむにとカイザーの左手を弄び続けているのだった。

「いやまぁ、お前が息のしやすい相手だって気付いたのはホントここ最近だけどね? それこそルームシェア始めてからが大半。青い監獄ブルーロックの頃は俺も実力足りてなかったし、お前は格下潰しばっかしてて小者だったし」
「おい世一」
「でもそーじゃん、あの頃クリスが言ってたとおりのヤツだったよ、お前。尊大ぶってるけど、意外に小者。勝てる相手にしか吹っ掛けてこない。……でも最後に手結んだあたりからさ、なんか……人が変わったみたいに真っ直ぐで強さに貪欲になってさ、だから——

 そこでようやく、ミヒャエル・カイザーおまえの心の一番深い場所がほんの僅かに垣間見えたような気がして。
 その真っ直ぐで飾らない剥き出しのエゴに、いちばん最初の宣戦布告が重なって聞こえた。世一の言葉は論拠もないくせに確信を持ってそう続けられた。

——、」

 カイザーは息を呑んだ。世一の果ての無い海色の瞳が今日はひどく恐ろしかった。
 なんだってコイツは突然こんなことを喋り始めたのだろう。
 雷雨が窓を叩き付ける今日に限って、何故? 暮らし始めて一ヶ月のあいだコイツは普通だった。その前も。同じチームでサッカーして、潰し合ったりまれに共闘したりして、普通にやっていたと思う。……いや思えば渡独してきた頃から世一の距離が妙に近くなっていったような気がしなくもないけれど。

「深い理由なんかあるワケないだろ」

 〝思えば〟の先を考えるのがいやになって、思考を逸らすように頭を振り、ぶっきらぼうに言い捨てる。でも世一は止まってくれない。激しく降り続ける雨音に背を叩かれるようにして、きっとずっと秘めてきたであろうモノを、突然ドロドロと開帳してくるのだからたまったものではない。

「嘘。カイザーってどんな行動にも必ず理由があるタイプじゃん。お前は思いつきにも論理をくっつけたい性格だよ。俺がなんとなくでチーズのメーカー選ぶといつもくどくどお小言垂れてくるくせに」
「今それ関係あるか?」
「あるよ。少なくとも俺はそう思ってる」

 朝は普通にベッドに乗りかかって起こしにきたくせに。
 朝飯食ってるときだって普通に笑ってたくせに。
 昼だっていつも通り馬鹿みたいにふにゃふにゃした笑い顔を晒して遊んでたくせに。
 さっきまで普通に真横に腰を降ろしてサッカー無関係の雑談してただけのはずなのに。

 ……それら全てが〝普通〟になっている状況が既におかしいのだということを今ひとつ呑み込めないまま、カイザーは押し流されるようにして、忌々しげに舌を打つ。

「チッ……なら世一が言った通り、俺が小者だったってだけだろ。あれはそうだ、たまたま……中継で青い監獄ブルーロック代表としてウィナーズインタビューを受けているお前を見て。この極東の島国でイキッてるガキを叩きのめしたら気持ちよさそうだなと思っただけで——

 あの日はそうだ、確か、遠征でフランスのホテルに泊まっていて。クラブの他の連中と相部屋にされるのが嫌で私費で取ったスイートで、珍しくテレビを点けていた。ノアから「日本で何やらふざけたプロジェクトが進んでいるらしい」と聞かされて、風呂上がりの暇つぶしの慰みにたまには見てみるかと思ったのだ。すると画面の真ん中でクソ生意気そうなツラをした双葉がこう宣言しているのが目に入った。——『俺が日本をU-20W杯で優勝させます』。

——それだけだ」

 だからそれきりをなんとかかんとかもたつく舌でひねり出すと、何故か世一はフッと頬を赤らめて気恥ずかしそうに眼差しを緩める。

「なぁ、それってさ、その時もう——

 でも、その続きが、言葉になることはなかった。

——えっ、」

 瞬間、部屋中を照らしていたLEDの光が、ブツン、と落ちる。窓の外では嵐が吹き抜けているそんな状況で、孤立した方舟のように家中が真っ暗闇に叩き落とされて、うすぼんやりした闇の中に互いの存在がたわんで消え、時折、遠く離れた場所に落ちる落雷の光だけが、自分たちの輪郭を写しとる唯一のものになる。

「停電……?」

 世一が小さく息を呑むのが分かった。声音には動揺と恐怖、そして怯えなんかと一緒に何らかの言い知れぬ情動が滲んでいる。なんというかこれはまるで、不機嫌……というかどこかムッとしているみたいな。

「どうやらそうみたいだな。……どうかしたか?」
「いや、気にしないで。それより冷蔵庫の中は……牛乳昨日飲みきったし冬だし致命的なのはないか。冷凍庫は……
「一昨日最後のアイスを世一が食って空だが」
「うわベストタイミング。停電にベストもなんもないけど、……ううん、やっぱこのタイミングは最悪だ」

 だけどその不可解な声色の真実が分かることはない。世一はちぇーと唇を尖らせたふうな声を漏らし、暗がりの中でゴソゴソと腕を動かすとスマホを手に取った。そして闇の中でスマホをかざし顔認証でロックを開けると、スイスイと災害情報を調べ、最後に匙でも投げるようにスマホを放り捨てる。

「う〜わマジで大規模停電してるって。くそぉ……出鼻挫かれちゃった……
「ハ? 今なんでスマホ捨てた?」

 せっかくそばに明かりがあったのにアホかよと詰ると、世一は今度こそ唇を尖らせてカイザーの頬に手を伸ばしてきた。

「あっても、しょうがないじゃん、これ以上ニュース見てても気分が塞ぐだけだし。……それより電気落ちたってことは、空調も止まったってことだろ? ここもすぐに寒くなる……移動しないと」
「移動ってどこに」
「お前の寝室。ベッドでかいから。今日はマジでくっついて寝た方がいいよ、少なくとも俺はそうしたいな——お前体温高くてぬくいじゃん?」

 暗がりの中、よたよたと世一が立ち上がり、どこかへ行こうと歩き出して、そして早速コケそうになる。
 くそ、言わんこっちゃない。コイツはアホか。
 カイザーは慌てて立ち上がると世一のあとを追って歩きはじめた。ボドゲに熱中していたせいで夕飯も風呂もまだなのだが、流石にこの状況でそれを言い出す気にはなれない。
 ……ただ、外に出ていないとはいえシャワーを浴びていない状況で世一と同じ布団に入ることにいくらかの抵抗があった。世一が渡独してきた直後ぐらいにヤツが「コッチの人たちって体臭濃くない?」とこっそり聞いてきたのを思い出したからだ。

「言っておくが、俺の体臭がキツイとか文句言われても知らねーぞ」

 歩き慣れているはずの廊下を覚束ない足取りで移動して手探りでドアを開ける。そのまま冷え切った部屋の中を勘だけでぺたぺたと歩いてベッドに腰掛けると、後ろからやっぱりよたよたした調子のまま世一がついてきて、手探りでベッドを探し当てると勝手に掛け布団を捲り、中に入り込んでしまう。

「気にしないよ、カイザーのなら」

 世一が言った。

「それより寒いから早く入れよ。停電明日には直ってるといいよな」
……はぁ。人のベッドででけぇ態度取りやがって……

 カイザーはその言葉に最早反論する気力もなく、手招きされるままに布団の中へ身体を滑り込ませた。
 星と月の明かりしか差さない室内に、チクタクという時計の針の音が厳かに響き渡っている。カイザーは身じろぎをした。当然だが眠れない。ついさっきまで全然そんな気がなかったというのもあるし、単純に……心臓の音がやけにうるさくて耳に響くのだ。

 世一の考えていることがなにひとつ分からない。

 薄闇の中でひとつの布団を被り、身を寄せ合ったところで、理解るのはコイツの心臓は自分と違う周期で脈打っていて、確かに生きてそこにいて、あと、カイザーよりちょっと体温が低くて体臭は薄いという、……そのぐらいだ。

……寝れない?」

 そんなことばかり考えてもぞもぞとしていたからだろう、世一がこちらにくるりと顔を向け、カイザーの気なんかちっとも知ったこっちゃないというふうに訊ねかけてくる。
 世一の青い瞳は、この闇の中では殆ど見えなかった。カイザーは首を振って世一の頬に手を伸ばし、それからはっとして引っ込める。

「眠れるはずもない。そもそも普段寝る時間じゃないし、停電で急にやることがなくなってしまったし、世一の理解不能レベルには拍車が掛かるし」
「めちゃくちゃ言うじゃん」
……だが思ったより寒くないのはいい。利害関係の一致だ。もう少しそっちに寄ってもいいか」
「うん。俺も……まだ寒いから引っ付いてたい」

 寝返りを打って身を寄せると、世一の微かな体臭がふわりと広がって鼻孔をくすぐった。嫌な気はしない。何か、シュガーバターみたいに甘い匂いがする、ような気がした。冷静に考えてそんなはずないのだが、とにかくそう思えて仕方なかった。たまらなかったと言い換えてもいい。

「カイザーって薔薇の匂いがする。いつも使ってる香水が残ってるのかな。野薔薇だ」

 暗がりでそう囁く世一の声は奇妙に上ずっていて、もしかしたら似たような気分なのかもしれないと思った。そうだったら臭がられるよりはマシだなとも。

……世一は」
「うん?」
「今日の世一は妙だ。何故だ?」

 そして互いの思考が重なり合った今なら直裁にそれを聞ける気がして踏み込むと、世一は「あっ」とちいさく息をつめてごくりと生唾を飲み込む。そして視線をふいと横へ逸らすと微かくちびるを動かす。

「ごめんな。わかんないよな、急に距離詰めてさ。俺もわかんないんだ。でもなんか、今日だなって、思ったんだ、お昼食べながらさ」

 生白い喉仏が呑み込むように動くのが、夜の暗さに慣れてきた視界の真ん中でぼんやりと浮かび上がった、気がした。

「お前と暮らすのが当たり前になって、〝普通〟がいっぱい増えてそれが嬉しくってさ、外は大雨でなんかちょっと心細くて、雷もゴロゴロ鳴り続けてて……

 だから。もたつくくちびるがそこではたと動きを止め、潔世一の海色が、宇宙の果てへと続く深淵が、こてんとこちらに向けられる。
 薄闇の中に浮かび上がる。ぼんやりと、しかし今度こそ確かに、ヤツの底なし沼の眼力が……カイザーをまっすぐに射抜いて無理矢理にでも掴み取る。

「俺さ、雷嫌いなんだ。子供の頃ほどじゃないけど今も普通に怖くて。一緒に寝たかったのはそれも理由」

 言い訳じみた世一の言葉に、カイザーはゆったりと訊き返していく。

「それ以外は?」
……朝、お前を起こしに来たとき、寝顔がいつもと違ったから」

 そうして引き出したまず最初の本音を、カイザーは、まるで他人事みたいに聞いていた。

「なんか多分、いい夢でも見てたのかなぁ。らしくもなく顔緩んでてさぁ、不覚にもちょっとかわいーかも、とか、思っちゃって。……ソレを独り占めしたいとか、もっと見てみたいなーとかも思ってさ、あ、そーゆーコトなのかもなぁとか色々考えてさぁ……
……? どーゆーコトだよ?」
「それはまだ内緒。でもこれだけは先に伝えておこうかな」

 ふわふわと浮ついた心持ちのまま、世一の頬にまたしても手を伸ばそうとして、そして直前で引っ込める。だが三度目は、そのまますごすごと帰るわけにはいかなかった。

「カイザー」

 世一の手のひらがカイザーの手をぎゅっと掴む。指先があつい。命を燃しているように。
 とくとくと流れていく血潮を何故か奇妙なまでに強く感じてしまって、それに何も言えなくなっているうちに——そして世一が唇をそっと寄せて耳打ちをしてくる。

「俺お前のこと、昔より嫌いじゃないかも」

 その生っぽい声色に、カイザーは、はぁあ……とひどく大きな溜息を吐いて首を振った。

「クッソ今更だな……

 そもそも嫌いだったら一ヶ月も同居できねぇだろ。
 そう言おうとして、同居出来てしまっていたのは自分の側も同じだと気がつく。ミヒャエル・カイザーにとって潔世一ってなんだ? そして潔世一にとってのミヒャエル・カイザーとは? 出逢った頃は掛け値なしに「ムカつくヤツ」「敵」「通過点」などの言葉で括って片付けることが出来た。

 でも今は。
 今は……いったいこの男と自分の間にどんな名前を与えればいい?

「そう、今更だよな。俺お前のこと、もうそこまで嫌ってない。昔はホントさ〜、カイザーと共闘とか絶対無理無理、あんなクソヤロー死んでも仲良くなんねーからキモチワリィとか思ってたんだけど」
「そこまで?」
「そこまで。でも実際共闘してみたらすごかったんだもん。そもそもあの頃と違って今は給料貰ってる以上仕事だからさ、監督にやれって言われたらやらなきゃいけないんだけど、……そんなの関係なくホント、気持ち良くて。あんなの知っちゃったらもぉ俺……

 世一の指先がするりと動いてカイザーの手のひらを掌握する。いつの間にかもう片方の腕を首元に回されていて、背中をつうとなぞられていた。肩甲骨のあたりが奇妙に熱を持つ。お前もイカれているが俺も狂っている。カイザーは無言のままじっと視線を上げ世一の両眼を睨み付けた。光の薄れた世界ではその全てを覗くことができずもどかしい。

「だからさ……来月。クリスマス、何も予定なかったら俺と出かけない?」

 何が「だからさ」なのかよく分からないが、とにかく、世一はそう言ってカイザーの肩甲骨を撫で回した。

「俺ミュンヘンここでのクリスマスって初めてだから、詳しい人に教えて欲しいんだ」

 世一の声音は奇妙な感じだった。猫撫で声のようにも聞こえるが、一方で、透き通って怜悧で、どこか冷たさも感じる。甘いと苦いと酸っぱいと辛いが全部一緒くたになったみたいに、一言で言い表せない不可思議な味。まるで潔世一という男そのものだ。カイザーはこの男への憎悪を、あの日の敗北の怒りを忘れたことは一秒たりともないはずだが、しかしその一方で憎悪と並び立つ何かがあるからこうしてこの男の匂いに包まれてベッドに横になり、数え切れないほどの〝普通〟を抱きしめている。

——あぁ」

 だからカイザーの答えは、当たり前のように、それだった。
 〝普通〟に一緒に暮らしているのだから、そういう場所に行くのも自分であるのが〝普通〟だろうととってつけたみたいに心の中で言い訳をした。
 自分以外の誰かが世一とクリスマスマーケットを練り歩く姿を想像しようとしたら胃の中身が引っ繰り返ったみたいに気持ち悪くて、そんなもの許せる気がしなかった。
 その感情が〝普通〟と呼べるかどうかには目を瞑って。

「その時気が向いたらな」
「うん。約束」

 そんなカイザーの含みのある答えに、世一は頬をすり寄せてにへらと笑う。

「破ったら針千本飲ますから。……俺は他の誰でもないお前と行きたいんだよ、カイザー」

 暗闇の中、寒さを紛らすためふたりきりで抱き合い、心臓の奥に空いた穴を埋める代わりに頬を埋め合って。
 まるで恋人達がそうするみたいに、いつまでもいつまでも、——たおやかで厳かに。


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