いを
2026-01-17 20:27:40
2684文字
Public くらくら
 

夜の深いところ/朝の青いところ

鵼、マルタ
・後半に慶さん【ppy_op】
お借りしています。


朝の青いところ


 白楽天鵼のカウンセリングから数日後、自分は病院を去った。
 月日が流れるのは早い。何度も春を迎え、何度も冬を送ってきた。
 生きているような、死んでいるような日々だった。何人ものアンチドートたちを送り、迎え、または帰ってこない職員の面影を探していた。死ぬということは恐れではなかったか、という心持ちになり、やがてその心持ちも同じように死んでいった。
 心が死ねば、いずれは肉体も死ぬ――その考えは甘かった。肉体は食物を欲し、睡眠を欲し、まぎれもなく生きてしまっていた。死すらも自分に背を向けているようで、無性に腹立たしかった。
「死ぬな」
 そう伝えた人間が、死んでいく。あますことなく人間の手で死んでいく。それが秩序のうちならば、秩序は一体だれのものなのだろうか。
 アンチドートも絶対的な正義ではない。ヒーローなどでもない。ただ、人間を人間の手で罰するためにつくられた、秩序という名の空箱なのだろう。

 みかん色の短い髪が視界の端でふわふわと動いている。
「齋穏寺」
 視線を向けると、笑顔で「はい」と答える。
「これから任務か」
「ええ。あの付近、ちょっとゴタゴタしてるみたいで」
 慶は視線を窓のむこうに向けた。〝視て〟いるのか、いないのか。パソコンに向けていた目をおなじように、窓の外を眺める。
 ギイと椅子がきしんだ音をたてた。
「飛白センパイは待っててくださいネ。それで、おかえりって言ってください。いつもみたいに」
「簡単に言ってくれるじゃねぇか」
 彼は笑っていた。それこそ、いつものように。
「待つほうの身にもなれよ」
「心配してくれてます?」
「俺も一応、34年人間やってるんでな。人並みの感情はある」
「知ってます。飛白センパイは優しいので」
……優しいか?」
 ひとさまから優しいと言われなくなってひさしい。窓から視線をうつし、彼の顎の輪郭を見つめる。骨格のしっかりとした、けれども18歳らしい面影をのこしている横顔だった。
「優しいですよ」
 ひょいと慶は視線を下ろし、マルタの目をみとめる。
「ふうん」
 ようやく視線がかちあい、目をほそめた。
 椅子が、ギイと鳴る。
 ここではないどこかで出会っていたら、違っただろうか。奪うことも奪われることもなく、死というものがまだ遠くあれただろうか。
「齋穏寺」
「ハイ」
 呼べば、答える。
 それだけなのに、なぜか愛しい。
「俺はちゃんと、飛白先生になれてるか?」
 お前にとっての先輩に、そして、過去での先生に。
 ――優しいねといわれて、ありがとうございますと素直に受け取れていたころにはもう、きっと戻れない。
「俺にとってはきっと。いつでも、いつまでも」
「そうか」
 そっと息をつく。ひじ当てに手をかけ、ゆっくりと立ち上がった。視界が一気に高くなり、とおくもよく見渡せた。
 慶のほおに手のひらをふれると、あたたかい、生身の体温をたしかに感じる。
 ここに、たしかに在った。齋穏寺慶という人間が。
「行ってこい、スーパールーキー」