花の金曜日。コスパ最強の居酒屋で独り身の同期たちとテーブルを囲む。繰り広げられる話題はいつも同じ。その話題の中心人物こそ私の直属の上司である松本課長。課長は当たり前だが仕事ができる。上司からの信頼も厚く、部下からも慕われている。何よりおしゃれな課長は女性社員から大いにモテている。当の本人は無自覚だが。
課長が異動で私の部署にやってきてからというもの、事あるごとに「松本課長の話聞かせてよ!」と同期にせがまれるようになった。
そして今日は第6回松本課長を語る会だ。
ビールで乾杯してすぐに「今週の課長、どうだった?」と隣に座る同期が口を開いた。
「相変わらずおしゃれでした」
「だよねー」
「ネクタイで遊んでたんだよね」
ネクタイは柄のないシンプルなものから、ストライプなど無難なものもあれば、この前はよく見るとドットではなく小さなジャイアントパンダだった。
「おぉっ!」
「それに合わせてタイピン変えてるっぽくてさ、いくつ持ってるんだろって思う」
私が言えば、ここには居ない課長をみんなで思い浮かべながらそのセンスの良さにうっとりする。
「課長ってさ、結婚してたっけ?」
「結婚はしてないけどパートナーの話してたよ」
それは月曜日の昼休み。課長が同僚と給湯室で話しているのを偶然聞いた。ちらっと覗き見た課長の表情は驚くほど優しく甘く、こちらが恥ずかしくなるほどだった。その話を聞いていた同僚から「惚気んなよ!」とグーパンチをお見舞いされていた。
「そういえば、」
「なになに?」
「水曜日はいつもと違う香りがしたんだよね」
「香水変えたってこと?」
「プレゼントかな?」
私も初めはそう思ったけれど昨日はいつもと同じだった。だからその説は薄いと思われる。
「じゃあ匂わせかな?」
「香水だけに?」
「うまいこと言った!みたいなドヤ顔止めな!」
同期のツッコミに思わず笑いがこみ上げる。それにつられてみんなもゲラゲラと笑う。まだお酒は2杯しか飲んでいないのにもはや酔っぱらいみたいだ。
「他に何かあった?」
「うーん…あ!!」
「でっかい声」
「ごめん!こないだ眼鏡かけてるの見たの」
初めて見る課長の眼鏡姿は心臓にぐさりと刺さってしばらくデスクから動けなかった。
「待って!目瞑って想像してみ?」
「うぅ゙っ……無理だ……」
「くるしい…」
「何でまた?」
「それなんだけどさ!今日眼鏡なんですねって言ったら「最近文字が見辛くてな。もう歳なんだよ」って苦笑いしてたんだよ!?」
「マジ?」
「そう。その姿すら素敵でね、眼鏡がまたおしゃれでね…あれは間違っても老眼鏡ではなかったよ」
そう報告すれば別の部署からでは拝めないから写真撮ってきてねとせがまれる。私は彼女たちの圧に負けて軽く頷いてしまった。
尽きない課長の話。2時間の食べ飲み放題はあっという間に過ぎて、私たちはお会計のために席を立った。
◇
「……っ、ふっ、…、ははっ……も、やめて…」
居酒屋のカウンターに並びきゃいきゃいと楽しく話している彼女たちの会話を背中で聞きながら肩を震わせて笑っているのは一之倉。
「おい」
その隣で眉間に皺を寄せ険しい顔をしながらも呆れているのは、彼女たちの話題の人物である松本だ。
「お、おなかっ……い、いたいっ…、ふははっ!!」
一之倉の笑い声は騒がしい店内と元気な店員の声にかき消され彼女たちには届かない。それ故誰一人として話題にしている人物がここにいることには気づかないままだ。
「老眼すら素敵なんだとよ」
「それは眼鏡を聡が選んでくれたからじゃねぇのか?」とグラスを傾ける。
「まぁ稔ひとりだったら違ったかもな……ふはっ…」
一之倉は普段の松本を思い、また笑いをこぼす。
「笑いすぎだろ!」
「だって、…ぷっ、」
家での松本はスーツ姿から受けるイメージとはほど遠く、基本はスウェットかジャージでだらだらと過ごしている。
「そういやさ、昔もあったよな」
「あ?」
「松本は汗がいい匂いしそうとか、汗かかないとかさ………ふっ、ははっ!」
「あー…」
言われて遠い目をする松本の横で一之倉はその目に涙を溜めて笑っている。
「イメージってすごいよな。全然違うのに」
長い時間 をかけて自分が仕立て上げたよそ行きの松本稔が若い女の子たちにもてはやされていることが一之倉にとってはすごく楽しかった。
スーツもネクタイもタイピンもカフスも普段つけている香水も全部一之倉が選んだ物だ。そして彼女の言う「たまに違う匂い」は一之倉の香りで、匂わせというよりもどちらかといえば牽制であった。
「あー久しぶりに腹抱えて笑ったわ」
そう言いながら一之倉はグラスを空にしてドリンクを追加オーダーした。
◇
行こ〜と席を立ちカウンター席の後ろを通り過ぎたところで時折課長から漂う香りと同じ香りがして私は足を止めた。
「え…っ、」
「どうした〜?忘れもの?」
急についてこなくなった私を心配した同期の声がする。
「ううん、何でもない!」
その場で振り返れば視線が切れ長の鋭い瞳とぶつかった。そして私はその隣の人物に気づいてしまう。
え、松本課長!?
大きく開いた目をぱちぱちさせているとパートナーらしき男性が人差し指を口元に添え、しーっと目を細めた。その仕草に私の心臓がドクンと大きく跳ねた。見てはいけないものを見てしまったような罪悪感に苛まれ「すみませんでしたっ!」と頭を下げ急いで店を出た。
「顔赤いよ。大丈夫〜?」
顔が熱いのは飲み放題のせいだと言い聞かせ大丈夫だと答える。
「よし!そしたら二次会行くよ〜!」
「もっと聞かせてよ、松本課長の話」
口が裂けても言えない課長のプライベートを垣間見てしまった今、二次会へ行くのは危険すぎる。だけどうまく断る理由が見つけられなくて連行されてしまった。酔った勢いでポロッと喋ってしまわないように、私はアルコールを最小限にとどめておいた。
◇
「どうした?」
「ん?何でもない」
しらばっくれた一之倉は、なみなみと注がれたお酒のグラスに口をつけ、緩やかに口角を上げた。
「お前のモテ期は一生終わんないな」
「はぁ?なんだそれ。下らねぇこと言ってないで帰るぞ」
恋人の終わらないモテ期に嫉妬するなんてのはとおの昔に過ぎ去ったけれど、レジで彼女たちとかち合わないように、「もう一杯飲んでから」と立ち上がる松本の腕を掴んで引き止めた。
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