千草莱
2026-01-12 16:06:33
9787文字
Public 弟子バロ
 

【大逆転裁判】悪魔なんて怖くない

バロックに憑いた悪魔に振り回されたり、逆に振り回したりするお話。

 死神検事、バロック・バンジークスには悪魔が憑いている。 
数えきれないほどの怪しい憶測や噂がある彼だが
これについては本人しか知らない秘密の事実だ。

 逆恨みからの襲撃で額に大きな傷を作って間もない頃。
悪魔を召喚しようとして失敗し、命を失った男の事件を担当した。
死亡現場は血で書かれた呪文らしきもので埋め尽くされており
男は悪魔の召喚陣の上で絶望の表情のまま事切れていた。
捜査の時点ではひたすらおぞましく異様な事件というだけであったが
悪魔が関係していると分かったのは、捜査した日の夜だ。

 眠れぬ夜、つまりほぼ毎夜の習慣で晩酌をしていたバンジークスは
今日見た現場を思い返していた。
まるで悪魔でも呼ぼうとしたかのような状況。
もしそうだとしたら、男は悪魔に何を願うつもりだったのか。

死神と呼ばれ不可解な事象の渦中にあるが、自分の目で
人知及ばぬ怪現象を見たことなどない。
悪魔がいるのなら、死神だっているかもしれない。

「兄上……

死神の正体と噂されるその人を思い、ふと口に出していた。
人ならざる者となっていたとしても、一目会いたい。

「バロック」

耳元で声がした。部屋には一人のはずで、誰かが入ってきた気配はない。
声がした方を向くと、すぐそばに今思い浮かべた人がいた。

「兄上?ではないな」

姿こそクリムトそのものだが、その表情は彼がするはずのない
品のない笑みで歪んでいる。先ほどの声だって、甘ったるく誘うような
口調で、兄から聞いたことのない声だった。
兄の姿をしたものは、地面から浮いた状態で脚を組んでこちらをのぞき込んでいる。

「お前が俺を呼んだんだろう。会いたい人の姿になってやったんだ。
 何をしてほしいか、言うがいい」

クリムトの顔で、にたにたと笑いながら言われてバンジークスは眩暈がした。
説明を求めれば、意外にも素直に話してくれた。
あの小屋で男が呼ぼうとした悪魔は、心から会いたいと思う人の姿を見せて
望みを叶えてくれる契約だったらしい。
そして、叶えた対価として魂をもらうのだ。
しかし、あの男は失敗した。参考にした資料が不完全であり、生贄が足りなかった。
最後に自分の血の数滴で契約するはずが、彼自身が足りない分の生贄となってしまった。
最期の絶望の表情は、それを告げられたせいだったのだ。

捜査中、バンジークスは壁から飛び出た釘でうっかり手を傷つけ、血が出てしまった。
傷は浅くすぐに処置をしたが、知らぬ間に一滴、したたり落ちていたらしい。
それが契約の儀として発動していた。

「兄にしてほしいことがあるのだろう?隠しても無駄だぞ」

「私が兄に願うのは、その死の真相のみ」

「教えてやろう」

「悪魔の言葉を信じることなどできぬ。貴様にできることはない。去れ」

毅然とした態度に、悪魔は肩をすくめ口笛を吹く。兄の姿で軽薄な仕草をされることに
バンジークスは耐え難い怒りを覚える。

「消えよ」

ひときわ低い声で告げるも、悪魔は動じない。

「願いたくなったら呼べよ」

そう告げて瞬く間に消え失せる。近くにあったろうそくの炎は揺らぎもしない。
悪酔いして幻覚でもみたことにして、もう寝ることにした。
手の傷がずきりと痛みなかなか寝付くことはできなかったが。


 一夜限りの幻覚だと思い込もうとしたのに、悪魔は度々現れた。
死神による粛正だと噂される事件が起き、バンジークスが兄に思いを馳せると
待っていたと言わんばかりに姿を見せる。
悪魔に何かを願うことはないし、表情も仕草も口調も何もかも違うのに
兄の顔を見れることにわずかばかりの喜びを感じていることに
危機感を持ち始めた。

悪魔召喚の場となった小屋は、地主の希望で裁判の後すぐに解体されていた。
男の所持品に召喚の資料は残っていなかった。
一体どこで、誰から教わったものかもわからない。
教会で祓ってもらうことも考えたが、死神に悪魔が憑いているなど知れたら
倫敦市民にゴシップを提供するだけだ。
何も願わなければいい。実害がないのなら、放置でいいだろう。


 死神として過ごすことに心が疲弊し、法廷から去った頃には
兄を思い出すことさえ苦痛となり、悪魔が現れることもなくなった。
享楽的な存在だから、きっとつまらなくて飽きたのだろう。
いよいよ孤独が身に沁みながらも安堵していた。