ほしのねい
2026-01-09 19:38:00
7136文字
Public 海財
 

【海財+財マネ】さよなら、花泥棒さん

※財津マネージャーによる、海財まきこまれ記録

――花泥棒は、罪にならない。

これには諸説あって、自分が知っているものだと沙石集の「花盗人の歌」からきているらしい。
桜の枝を折って捕まったお坊さんが、追いかけられて木に縛り付けられたものの、詠んだ歌がそれはそれは見事で歌を教える代わりに許されちゃったし、最終的にもてなされちゃったよ~? という身もふたもない話だ。まさに『芸は身を助く』というやつである。
他には、花を盗み見る人のこと自体を指す場合もあるらしい。見るだけならいいが、普通に盗ってきてしまえばただの泥棒だ。

――そう、なんだよなぁ)
(泥棒は泥棒だ……

――盗んだって、才能があったら許されるのはどうなんだろう。
選択科目の古典の授業中、そんなことをぼんやり考えていた自分も、もう立派な社会人である。
それもベテランといって差し支えない、八年めの。

貴船きふねさんー! クサシノさんから!」
「すみません! あとで折り返しますって伝えてください~!」

『クサシノさんから』で、すべてが通じてしまうあたり、実にお世話になってしまっている。
冬休み明けの溜まりにたまった請求書の山に目を通しながら、昨年ウチがしでかしてしまった案件に思いを巡らせる。
あちらの大事な選手を巻きこんでしまって、申し訳ない限りだ。

――財津さん、まだ実家だよなぁ)

貴船がこの八年間でやってきたことは、ひとりのスプリンターのサポート業務だ。
元々スポーツ畑ではないし、そちら方面の資格を持っているわけでもない。
なので現場では体育大出身のコーチ兼、スポーツマネージャーをやっている専門のスタッフがおり、貴船はまごうことなきマネージメント専門の社員なのである。
スケジュール調整をはじめ、出版社とのやりとり、ホテルの手配などやることは目まぐるしい。

「すみません、貴船です! 明けましておめでとうございます! も~年明けからバタついちゃって……いや昨年はほんとうに……本当にお世話になりました……っええと、”何か”ありました?」
『明けましておめでとうございます。年末年始はどこも同じですねぇ……ええと、そうですね、”何か”というか……相変わらずと言ったら相変わらずなんですが』
「あ、まって 下さい! いま一息ついたところで……お茶いれてきちゃっていいですか?」

話が長くなりそうだったのと、本当に一息入れたかったこともあり、昨年頂いたちょっとお高めのほうじ茶を軽くなった足取りで淹れにいく。
(財津さんのお土産のチョコレート、まだあったよなぁ)
老舗チョコレート店のお土産は、女性陣が目の色を変えていた。南イタリアでは有名なお店らしい。
貴船個人にもピスタチオのスプレッドを買ってきてくれたが、硬めのパンとの相性が良くすぐに使い切ってしまった。
財津も、この店ではじめてチョコレートのジェラートを口にしたらしい。
いままでならば、海外遠征といったら休養といっても調整期間である。今回のイタリアは正真正銘、羽根がのばせたようで何よりだ。
『教えてもらったお店なんですが、すごくおいしかったです』
などと薄い唇をゆるめて、得意げに報告してくれた。
誰に、とは聞かなくても分かる。休養にあてた南イタリアで、非常にお世話になってしまった人物だ。

(財津さん、うれしそうだったなぁ)

貴船が手配した五つ星ホテルでトラブルがあったのは、昨年の冬のはじめ。
宿泊予定の部屋のバスタブが水没したらしい。混乱の中『こちらでなんとかします』のメッセージを残したきり、財津から連絡が途絶えてしまったのだ。
血の気がひくとは、まさにあの時の状態だ。
すぐに頭に浮かんでしまったのは、財津と同じく日本の陸上界を長らく牽引してきた、よそさまのスプリンターの顔である。これは比喩でなく、親の顔より見てる。
幸いなことに……と言っていいのか、滞在先は同じナポリ。無我夢中でスマホを握りしめてしまっていた。
なぜよそさまの選手の個人的な連絡先を知っているのかと言うと、これはもう八年も前に遡るので、割愛させていただく。
正直、申しわけない気持ちと、それを上回る絶対的な安堵があった。

(運命ってあるんだ~と思ったら、計算だったんだもんなぁ)

財津にしてはめずらしく、南イタリアにこだわっていたのは”そういうコト”らしい。
貴船がマネージメント業を長年ささげてきた、スプリンター。
――そう。
十代の頃から日本の短距離走の記録を塗りかえ続け、【孤高の王者】と呼ばれた日本陸上界の至宝。
陸上にさして詳しくない人間にも『財津』と言ったら通じるだろう。そんなレジェンド級の選手である。
貴船が『花泥棒』についてぼんやり考えていた学生時代、目まぐるしく新記録を打ち立ててきた、同い年のすごい子……というのが以前からの印象だ。


――出会いは、八年前。


のんびり就活していた貴船は、たまたま……ほんとうにたまたま奇跡のような巡りあわせで、同じく新社会人になる若き日本のエースのマネージメントを請け負うことになった。
貴船には年の離れた三人の姉がいる。そのうち二番目の姉は生粋の陸上ファンで、学生時代はハードルの選手でもあった。
現在は、某スポーツブランドの開発部に所属しており、貴船がこの面接にこぎつけたのも姉のツテからだった。

――あんた、CPの国家資格、受かったって言ってわよね?』
『?? うん。そのために心理学系の大学に入ったし、えり好みさえしなけりゃ潰しはきくからさ、就職は心配しないでいいよ』
『ちょっと面接、受けてみない?』
『いいけど……ねーちゃんからってことはスポーツ関係だろ? 専門のスポーツカウンセラーの方がいいんじゃない?』
『ううん。逆に違う方がいいの』
『??? そう? 姉ちゃんが言うなら、いいけど……

さんざん年上の姉たちに可愛がられてきた貴船は、姉からのお願いに弱い。
聞けば名の通った企業だし、気に入ってもらえたら就職もできるかもしれない。
そんなわけで、貴船はあまり気負うこともなく面接に臨んだのだ。

そこで貴船は長年のパートナーとなる、同い年のスプリンター……財津と、出会った。

――わたしの、最近出た大会は知っていますか?」
この子も黒いスーツ着てる、几帳面だなぁ、と思ったのが第一印象だ。
この頃の財津の髪は、顎下のあたりでふんわりと揃えられていて、ユニフォームでない姿は細身ですらあった。
のちにこの黒いスーツの下に、淡々と磨き抜かれた肉体があることを知るのだけれど。

「へ? ええと……すみません、正直に言うと数字だけ叩き込んできたので、結果は知っています。でもそれは財津選手が聞きたい答えじゃないですよね?」

――実際の試合は、目にしていません。

嘘をついても仕方ないので、貴船は正直に答えた。
黒いスーツにつつまれた、見ているこっちが苦しくなるほどピンっと背筋をのばす同い年の青年に、実直でありたかった。

「貴船さんは同い年だと聞きました。臨床心理士の資格をお持ちで……これはあなたのお姉さんから聞いた話になってしまうのですが、身体がかなり頑丈だと」
「あー……ちっちゃい頃から体力バカだって、ず~~っと言われてますね。財津選手と違って肝心の運動はからっきしなんですが」
「とてもいいことだと思います」
あ、ちょっと笑った? かな? と思ったのは、三番目の姉と雰囲気が似ているからだ。
表情が乏しいと言われているが、よく見ると違う。表情の変化はわずかだが、偽りがない。

「では同い年として聞きます。貴船さんが学生の頃、私のことをどう思いましたか」
「すごい子がいるんだなぁ~っていうのと……うーん……あ! 日本記録? 更新したの高二でしたよね? 中間テスト大丈夫だったのかなぁ……とは思いました」
……ちゅうかん、テスト」
「ええ、大変じゃなかったです?」

強豪校の練習なんてこっちの想像を絶するだろうが、同じ高校生だ。テスト期間が挟まれたのは、変わらないだろう。
貴船の返答は予想外だったのか。
財津の横にいる、たぶん偉い感じの関係者の眉間に、ぐっとシワがよっている。

「こうした言い方は良くないですが……陸上で、すごい記録を出しても?」
「??? だって財津選手も、十六歳とか十七歳でしょ? 赤点、カッコ悪いじゃないですか」
……わたしもそう思います」
「ほら! ――で、実際どうでした?」

まだまろさを残す頬が、わずかに色づいた。ああ、やっぱり笑ってる。
だって周囲の注目度はケタ違いだ。他のことが凄ければ凄いほど、そうなんじゃないかと思った。
貴船の一方的な想像にすぎないのだけれど。

「古典が、その前の小テストから危うくて」
「っえ、選択科目、古典とったんですか? ぼくも! 古典、得意だったんです?」
「あまり……
「?? 得意じゃないのに? 古典選択しちゃったんですか? それもすごいなぁ」

正直、他の科目を選ぶことが多いんじゃないかと思う。
貴船のまわりだと、進路が決まっていないのなら物理を選択する同級生が多かった。
貴船はたまたま得意だし好きだっただけだ。
だが、財津はそのどれでもない。どうして? と思ったのはしごく当然だった。
すこしだけ考えるそぶりを見せた財津は、いっしゅんだけぎゅっと唇を引き結び、ぽつぽつと理由を教えてくれたのだ。

……わたしのすきなひとが、古典の歌集を読んでいるのを、みて」
「っえ!」

まったく想像もつかない返答だった。
貴船のまのぬけた声に、真正面で黒いひとみがぱちぱちと瞬く。

「いいなぁ~」
……いい、なぁ?」

面接だということも吹っ飛び、ぽろっと本音がこぼれていた。
財津はほそい首を傾けて、じっとこっちの返事をまっている。

――ええと、財津さん、すきな人のすきなものを理解したかったんでしょ? それで選択科目きめちゃうとか、
そんなの学生の時しかできないじゃないですか~! 僕は単純に古典が得意だったからなんで、いいなぁ~~」

もうこの時点で貴船は、財津のことが、人として好きになっていた。
(かわいいな、このひと)
すごい人なんだけど、何だかかわいい。
財津の横にいる関係者らしき妙齢の男性は、先ほどよりも深く眉間にシワを作り、すっかり押し黙ってしまっている。
この面接落ちたな~と思いつつ、楽しくお話をさせてもらったし、貴船はこれから陸上のニュースを目にするたび、なんだか嬉しくなってしまうんだろう。

……ねーちゃん、ありがと)
(おれ、就活がんばるよ……!)

そう。面接はなんとここで終わってしまった。
そうしてこのレアな経験を胸に、次の就活へ……と思っていたら、なぜかその日の夕方には、雇用を告げる電話がきてしまったのだ。なぜだ。

「ええと……ぼくが言うのもなんですが、大丈夫なんですか?」
「お姉さんから聞いていませんか? マネージャーといっても競技の方でなく、完全に財津個人のマネージャーを探していたので。何よりも貴船さんは、うちの財津と相性がいい」
「はぁ」
……貴船さん、出されたお茶請けもしっかり食べちゃって、『美味しかったです』とか『どこのですか?』とか聞いてきたでしょ?」
「あ! はい! 大分の! さっそく通販しちゃいました! も~~届くのがたのしみで」
「あれね、用意したの財津選手なんです」
「えっ」

面接の間も、ずっと笑うの堪えてたんですよ、と。
のちにしかめっ面だと思っていた財津の隣にいた人事のおじさんは、肩をぷるぷると震わせていた。

あれからもう八年だ。
財津の髪ものびたし、なんといっても競技から引退してしまった。
いつかくる、いつかくると思っていた幕引きを、極上のかたちで――





『そちらも、お土産はガイオディンのチョコでした?』
「ええ、ええ、財津さん、そこの店でジェラート食べたって! うれしそうでしたよ~お店も教えてもらったみたいですね」

教えてもらったというか、あの表情からすると一緒に行ったのだろう。
電話口だが、向こうのマネージャーもたぶん、そう確信している。声が笑っちゃってるもん。

イタリアで消息が分からなくなった財津のことを、最初に頼み込んでしまったのはマネージャーである自分だが、海棠はなんと最終日まで財津の面倒をみてくれたのだ。
よそさまのベテランエース選手に、なにをさせてるんだ? と思う。空港で出迎えた財津は、なんかもう、ふやふやで、ぽやぽやだった。言語化が難しい。
『財津くん! なにしちゃってんの!?』
そう、ちゃんと叱ろうと考えていた、そのあとのセリフがすべてが引っ込んでしまったぐらいに。
となりで珍しく眠そうな顔をした海棠が、
――お、懐かしいな……貴船マネの「財津くん」呼び』
だとかしたり顔で言ってくるから、余計にうろたえてしまった。
こっちもついつい緩んでしまった頭で、『おかえりなさい』でなく『あ、おめでとうございます』が口から出たのは仕方ないだろう。
なんなら海棠のマネージャーも、隣でペチペチと小さく拍手していたし。

――そう。これは「芸に助けられた」花泥棒の話ではない。
花のほうもさらって欲しいとのぞんできた、恋の話なのである。

ちなみに空港で、いつの間にか撮られていたらしい二人のオフショットは、まんまとSNSで拡散され、
――富豪と愛人?』
『これ羽田? どうみても成田空港の絵面』
などと不名誉すぎるコメントを頂いてしまっていた。

百メートル走の日本記録保持者と、
それを抜き去った男ですよ?

「ああ、そういえば”何か”ありました? あれから」

そうだ。この多忙な正月明けに電話をしてくるぐらいだ。
何か伝えたいことが、あったんじゃないだろうか。声が明るいので、深刻ではないのだろう。

『ええ……大したことじゃないんですが……ほら、財津さん、そのまま小宮選手のコーチ陣営に入ったでしょう?』
「はい! ああ見えて小宮、なかなか懐いてますし、選手として財津さんからいろいろ吸収したいみたいで……
――練習中、財津さんのバレッタを小宮選手がぱきっと壊しちゃったって』
「あー! 弁償します、いやいい、の攻防戦になったヤツですか? うわ、そんなことまで知られてるんです? お恥ずかしい」

走る時ですらまとめることなく下ろしていた黒髪を、コーチになった財津はまとめるようになった。
最初に使っていたのは、事務の子がプレゼントしたものだったと思う。

『いえ、小宮選手からウチの海棠にですね「どういうのが好みですか?」って連絡がありまして……
「えっ、有能!」

『そうなんです……他にも、いろいろありまして……その……海棠がですね「小宮にお年玉、あげていいと思うか?」って……真顔で相談してきまして』
「真顔で!」

『ええ。真剣です。分かりにくいかもしれませんが、うちの海棠も浮かれてます、すこぶる』
「分かりました! 小宮には、おめでたいことだからもらっておいて~って伝えときますね」

『ゆ、有能~~~!』

小宮の死んだ目がくっきりと浮かんだが、そこは存分に巻きこまれてもらう。
財津同様につかみどころがないと言われる貴船だが、こればっかりは譲れない。

社会人になって八年。もちろん十五年には負けてしまうけれど。
百メートルを走ることが大好きな子の、いちばんのファンなのだから!







(※財マネージャー貴船による、海財まきこまれ日記)