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ウーユリーフの処方箋

ナチュラル同棲わかとも

夏の魔物


『第○○回夏の全国高校野球選手権大会。日程は3日目、第二試合です。△△高校対□□高校の試合は5回裏、中盤に入っています。□□高校の攻撃は――

 つけっ放しのテレビではヘッドセットを装着した壮年の男が慣れた口調ですらすらと言葉を紡ぐ。スポーツ実況のアナウンサーらしい、はっきりとした聴き取りやすい滑舌は、畑は違えど役者として見習いたいものだとソファに身体を沈めたまま、緒力友喜はぼんやりと思う。
『△△高校は二大会連続25回目の出場です。対する□□高校は今季が初出場。これまでの得点は5対1、点差は4点と苦しい状況ですが……どうでしょう? □□高校に逆転の可能性はあるでしょうか?』
 実況の男が、隣に座る中年の男に問いかける。甲子園常連校の元監督だったという解説の男は、グラウンドに視線を向けたまま面白そうな表情で快活に笑った。試合を見るのが楽しくて仕方がないと言った表情の男は、心底高校野球が好きなのだろう。
『5回で4点差ですからねえ、まだまだ逆転の可能性はありますよ。ヒットは出ているわけですから、あとは打ち取られずに繋いでいけば全然可能性はあります』
『そうですね。極端な話、満塁でホームランが出れば同点なわけですからね』
『そうなんですよ。まあ、△△高校のピッチャーは昨年も甲子園のマウンドを経験していますからね。崩すのはなかなか大変だとは思いますが、なにせ甲子園ですから、何があるかわからないですよ』
『やはりベテランの監督でもわかりませんか』
『そりゃそうですよ。まあどの試合でもそうなんですが、特に甲子園には魔物がいますから――

 プツン。

 突然テレビの電源が落とされ、暗い画面に映る己のぼんやりとした間の抜けた顔に、だらしない顔だと友喜は小さく笑った。
「友喜」
 名前を呼ばれ、顔をテレビから自分にのしかかっている相手に移す。
……和歌」
 手にしていたリモコンをローテーブルに放り、友喜を睨み付けるように見下ろす男。乏しい表情の中に、不機嫌そうな雰囲気を漂わせている年下の男――富田和歌。
 高校生の頃から見ていた彼は、元々大人びていたが、成人を迎えてからますます成熟した。まるで今まで抑えていたかのような急激な速さで、少年だった彼は青年へと成長した。
……いい男に、なったね)
 少年期よりも幾分か鋭さを増した精悍な輪郭をなぞる。陽にほとんど焼けない若々しい肌は白く滑らかで、剥きたての茹で卵の様だ。頬に添えた友喜の手を掴む、大きな手のひらと細い指に、こっちはまだそんなに変わらないかなと、高校生時代の彼と比べて唇を吊り上げた。
「野球、見てたんだけど」
……去年は、見ていなかったくせに」
「今年は、和歌の曲が聴けるからね」
 今年度の高校野球のテーマソングは、今を時めくシンガーソングライター・富田和歌の新曲だ。
 野球はさほど詳しくないが、白球を追いかける生命力に溢れた少年たちと共に流れる和歌の明るく透き通った歌声は、CM前後の一瞬だとしても耳に馴染み、青春を謳歌する彼らの姿をより輝かせていた。
 どちらかというと落ち着いた静かな曲調が多い富田和歌の新境地として多いに話題となった新曲は、話題性と釣り合うように音楽チャートを総なめにしている。
「本人が目の前にいるだろう」
「じゃあ歌ってくれるの?」
……友喜」
 そういう話をしたいんじゃない。雄弁に語る紫水晶 アメシストの瞳が、はぐらかしてばかりの友喜を射貫く。
 まっすぐに見つめてくる和歌の美しい瞳。友喜が苦手な眼だ。
 その眼に見つめられると、途端に身動きが取れなくなってしまう。
 若く才能に溢れた和歌の瞳に映る自分が、とてもちっぽけで矮小なものに見えてしまうのだ。

 ――甲子園には魔物がいますから――

 解説の男の言葉を思い出し、ああ魔物だ、と友喜は思う。
 若く、美しく、才能も度胸も精神力も行動力も。友喜がほしかった何もかもを持ち合わせた富田和歌は、友喜にとって劣等感や嫉妬や恐怖の象徴だった。
(俺にとっての魔物は、君だよ。和歌)
 それでも、隣にいたい。
 劣等感や嫉妬や恐怖を抱きながらでも、和歌の傍に、隣にいたい。
 友喜は和歌が好きだ。愛していると言ってもいい。けれど、同じくらいに和歌が羨ましくて、そして恐れている。
 それでも、共にいたいのだ。
(きっとこれは、愛より重い)
 友喜は、不貞腐れたような表情を浮かべる、十以上年下の青年と視線を合わせた。美しくて恐ろしい、紫水晶が友喜を映す。
 掴まれた手を、和歌の手ごと引き寄せて、口元へ運ぶ。美しい音楽を作る美しい手に唇を寄せ、ほんの少し歯を立てると、微かに和歌が息をのんだ。
「こういうことでしょ?」
 挑発するように口角を上げるのは、精一杯の虚勢だった。
 けれど和歌を煽るには十分だったようで、途端に唇を塞がれた。
――っ」
 唇を和歌の舌がなぞる、その生暖かい感触にぞくぞくと背筋が粟立った。口を微かに開けると、するりと入り込んだ舌が口内を荒らしまわる、その乱雑さが愛しい。
 暴れる舌を落ち着かせるように舌を絡めると、待ちかねたように吸い上げられて、反射的に体が跳ねた。
「ん……んぅ」
 和歌とのキスは気持ちがいい。
 元々、友喜はキスが好きだ。身体を重ねるよりも、キスをしている方が好きだと言ってもいいほどに。
 それでも、和歌とするキスは、今までしてきた誰よりも気持ちがよかった。比べられていると知ったら、きっと和歌は不機嫌になってしまうから伝えたことはないけれど。
 角度が気に入らないのか、和歌の手が頭の下にまわされて固定される。繋いでいた手もいつの間にか外されていて、友喜のわき腹から腰をうろうろと彷徨っていた。
 決して洗練されているとは言えないその動作が可愛くて、喘ぎながら笑ってしまう。む、とした表情を浮かべた和歌が、一層口づけを深めた。
「ふ……ぅっ、ん」
 噛みつくような深い口づけが気持ちよすぎて、くらくらと眩暈を覚える。和歌のキスを受け止めながら、食べられてしまいそうだな、とぼんやり思う。
 美しい和歌の歯が立てられて、肉を食いちぎり、咀嚼し、飲み込まれる。そんな一抹の妄想。
 酷く被虐的な妄想だ。そんな趣味はないはずだけど、けれど。
(いっそ、全部食い尽くしてくれればいいのに)
 肉も骨も、髪の毛一本、血の一滴すら残さず、食いつくされて、そうして和歌の一部になれたらいいのに。

 そんなことを考えながら、友喜は愛しくて恐ろしい和歌 まものの首に腕を回した。

2021.08.15

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