しちろ
2026-01-03 17:44:39
28146文字
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文庫版『いつかの宝石泥棒編』サンプル


まいごのプリンセス

  

  【一】

 ドミナの町で、とある騒動が起きていた。
 事件発生! ストーカー出没中! 最初の被害者はドゥエル、次にティーポ。誰彼かまわずからんで、つけまわしているとか。
 町を訪れたカイが真っ先に耳にしたのも、その話だった。
 カイは、町から離れた小さな一軒家に住んでいる。蜂蜜色の豊かな金髪、使いこまれた十字槍。くるくる動く空色の目をして、動きやすい軽装に身を包む。
 見過ごせないなと思った。ドミナは平和な町だ。変質者と戦える者は多くない。
「とはいえ」
 汗ばんだ胸元を手団扇で扇ぎ、汗を拭う。
「こんな暑い日に、そんな暑苦しいもんが出なくてもさあ……
 初夏から盛夏へと変わるころ、ぎらつく太陽と鮮烈な緑が、生命の息吹を感じさせる季節。この地方特有の黄金色の茅葺き屋根が、蒼天にまぶしく映えている。
 カイは手持ちの槍を肩に乗せ、三つに束ねた長い髪をもう一方の手でかき上げて、うなじに空気を含ませた。命の助けとばかりに、清涼な風が首元を吹きぬける。
「へへ、ジンの恵み、かな?」
 信心のあるようなことを言いながら、走り書きのメモを取り出した。
「ドゥエルにティーポ、草人くん……
 からまれた実績――タマネギ、魔法生物、草人。まるで共通項がないところからすると、無差別に犯行に及んでいるのか、あるいは。
「マニアックな趣味のストーカーなのかな……
 ある種の上級者といえなくもない。お近づきになりたくないことは間違いない。
 ――感じの悪いやつでさ。目つきが鋭くて、砂のマントを羽織ってた。
 玉ねぎ剣士ドゥエルの情報は、特徴的で分かりやすい。砂漠でもないのに、砂のマントはめずらしい。
 商店街から宿を右手に、ドミナバザールに入る。
 過去の大戦時代、主要街道から少し外れていたことで戦火を免れたドミナは、田舎の街並みに当時の面影を残している。歴史あるバザールは現代においても、行商人や買い物客でそれなりの賑わいを見せていた。
 怪しい人物がいないか、広場を捜索していると、
「あら、カイちゃん」
 こちらに気づいた婦人が、朗らかに声をかけてきた。
「いらっしゃい。今日はお買い物?」
「こんにちは、ジェニファーさん! こんな人見なかった?」
「こんな人……ええっと、砂マントの変な男?」
 武器屋の女主人ジェニファー。あいにくというべきか、幸いにもというべきか、不審者は見ていないという。彼女の一人娘であるレイチェルはカイとは幼なじみであり、ドミナで生まれたカイは、現在の住まいに引っ越すまでの数年、レイチェルやドゥエルとよく遊んだものだ。
「ところでカイちゃん、ちょっと聞いてよ! おばちゃんねえ、最近、娘のことで旦那と意見が合わなくて」
「レイチェル、どうかしたの?」
「あの子ね、酒場へアルバイトに行ってるの」
「酒場? レイチェルが?」
 意外ではある。酒場ならアマンダ&パロット亭だろうが、小遣い稼ぎなら実家の店があるし、居酒屋でバイトなど、控えめな彼女が好んでするようには思えない。
「レイチェルが自分からはじめたことなら、それでいいのよ。娘に明るくなってほしいって、旦那がやらせてるの。それだけじゃないわ。あれもこれもって、娘にべたべたべたベた。何も言わないけど、あの子嫌がってるんじゃないかしら」
「うわぁ……
 カイは、レイチェルの父マークを思い浮かべた。快活で娘思いで、いい人なのは間違いないのだが、はりきりすぎなのか空回りしていることがしばしばある。けど、思春期ってさぁ、放っておいてほしいときとかあるじゃん。
「あ、そうそう。話変わるけど、こないだドミナに引っ越してきた男の子。うちの店に来てくれたんだけど、愛想なくってねえ……。たぶん、あなたと同い年くらいでしょ? 悪い子じゃなさそうだし、仲良くしてあげなさいよ~」
「はいはい」
 こういう、いらぬお節介とかさ。

 バザールと教会は異常なし。商店街へ戻る。先ほど北に折れた道を、西へ向かった。残るはこちらの道しかない。
 はたして、予想は当たっていた。
 女神の使いの噴水公園で、住人と揉めているところに出くわしたのだ。興奮しているのか、相手の胸ぐらをつかみ上げ、声を荒らげている砂マント。
「さっきからのらくらしやがって! 知っているのかいないのか、いい加減答えろ!」
 一方的にからまれている被害者が、カイに気づいてこちらを見た。
「げ、シオン……
 カイの頬が軽く引きつった。
 ジェニファーの話にあった〝こないだ、ドミナに引っ越してきた男の子〟
 金の巻き毛に、風変わりな赤い羽根帽子。腰に無骨な大剣を提げている。とっつきにくくて無愛想なのは、ジェニファーの発言通り。彼とは、ウサギネコの商人の依頼でリュオン街道へ盗賊退治に赴いたことがあるのだが、仲は正直あまりよろしくはない。シオンの態度が悪いせいだとカイは思っている。
「何してんの?」
「からまれている」
 カイが聞くまでもなく、謎の砂マントに絶賛からまれ中である。それも、肩口のスカーフを容赦なくつかまれて、ギリギリと締めあげられていた。苦しくないのか。
「そこの女、何をじろじろ見ている。アンタには関係ないだろう」
 砂マントの威嚇の、意外なほど若い声に驚きを覚えつつ、その顔はフードに隠れていてよく見えない。どんな顔をしているのか興味が湧いた。
「ほほう、これが噂のストーカー……
 カイは顎に手を当て、身をかがめて中をのぞきこんでみた。なんと、これは。
「思ってたのと全然違う!」
「なにがだ!」
 砂マントががなる。
 噂のストーカーは、鋭い眼差しが印象的な美青年だった。褐色の肌、切れ長の目。目深にかぶったフードには、大きな羽根飾り。深緑の前髪が片目にかかっている。開いた胸元になにやら青く硬質な物が見えた気がしたが、カイの視線に気づいた青年はマントで素早く上半身を覆い隠した。
(これでストーカーとはもったいない……
 妙な感想を抱くカイをよそに、青年はシオンをがくがくと揺さぶっている。
「こちらは急いでいる。いいからさっさと答えろ!」
「だから、俺にはお前の事情は分からないし、何も答えられることはない。情報を探すなら他を当たってくれないか」
 強引に吊り上げられて、つま先立ちの少年の顔には、ありありと『迷惑です』と書いてある。絵面的にはカツアゲかなんかにしか見えない。
 収穫なしと見るや、青年は乱暴にシオンを突き放した。
「チッ、時間を無駄にした!」
「あ、ちょっと!」
 カイの呼び止めは無視し、荒々しくマントを揺らしながら立ち去ってしまう。
「なんなんだい、あいつ」
「お前、見てないで助けろよ」
 やっと解放されたシオンは、ぶつくさ言いながら服を整えて、足元の本を拾い上げた。からまれた拍子に落としたらしい。いやまあ、カイとて助ける気がなかったわけではないのだが、砂マントが尋常でなく美男子だったのであっけにとられた、とか言いづらい。
「どうしたの?」
「いきなりからまれた。何か知っているのかって」
「何かって、なに?」
「さあ」
 埒があかない。
 ひとまず追いかけることにする。放置しては、さらなる被害を生みそうだ。
 今度はすぐに見つかった。酒場から青年の怒鳴り声が聞こえてきたからだ。
 カイはカッとなった。店にはレイチェルがいるはずである。
「このストーカー! ついにレイチェルに毒牙を!」
 ギラリと光る槍を手に、アマンダ&パロット亭に飛びこんだ。両開きのドアが乱暴に開け放たれ、カウベルがちぎれそうな勢いでけたたましく鳴り響く。
「レイチェル! 大丈夫⁉」
「あ、あ……
 店内では危惧した通り、青年が鬼気迫る形相でレイチェルに詰め寄っている。可哀想に、レイチェルは怯えきってしまっていて、カタカタと震えていた。
「無差別と見せかけて、真のターゲットはやはり美少女! 女の敵、いざ成敗ーっ!」
「なんなんだ、オマエはさっきから!」
 飛びこみざま、跳躍からの一撃を、青年が瞬時に抜刀した曲刀で受け止める。後方に身体ごと弾かれて、カイは毒づいた。なんだい、ストーカーのくせに生意気な!
 着地したカイに青年が振りかぶったところで、しかし、続く一撃はなかった。
 ばっこん! 景気のいい音が辺りに響く。
 いつの間にか青年の背後に回りこんでいたシオンが、本で頭をしこたま殴りつけたのだ。厚い革表紙の本は見た目より威力があったらしく、青年は呻いて後頭部を押さえた。
「何するんだ!」
「それはこちらの台詞だ。なぜ俺にからんできたか、聞いてなかったんだけど」
 シオンが半眼で言う。本の表紙がちょっぴりへこんでいる。
 暴挙と裏腹の淡々とした態度は、一応、青年の頭を冷やす効果はあったらしい。
「なぜ、だと……?」
 青年がつまった隙に、カイがレイチェルを庇い、両者の間に割って入った。「大丈夫?」と訊くと、レイチェルが小刻みにうなずく。小作りの顔に恐怖がにじんでいる。
「あのさぁ! か弱い女の子に、なんてことするんだよ!」
 カイが凄むと、青年は気まずそうに剣を納めた。帯剣した男に脅されては、レイチェルはさぞ恐ろしかっただろう。
「何か言うこと、ないわけ?」
 なおも責めると、青年は「すまなかった」と火の消えたような声で謝った。その様子があまりにも小さくしょぼくれて見えて、カイは毒気を抜かれてしまう。正気にかえれば意外と素直というか、根っから悪い奴ではないのだろうか。
「何か、わけあり?」
……仲間を探してる」
「仲間?」
「白いドレスの女の子だ。ふたつに編んだ髪を垂らしている。妹みたいなものなんだが」
 仲間の無事を案じるあまり、人を脅す形になっていたということだろうか。青年は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。
 カイは、さっきとは違う理由で腹が立ってきた。
「あのね! だったら、ストーカーなんてやってる場合じゃないでしょ!」
「ス、ストーカー……?」
 青年が目を白黒させる。自覚がなかったらしい。
「最近はモンスターも増えてきてるし、女の子一人じゃ危ないよ! えーと」
「瑠璃だ」
「瑠璃! 言いたいことはいろいろあるけど! そういう事情なら手伝うよ」
 カイが前のめりになって言うと、瑠璃はなぜか狼狽した。
「いや、それは……オレたちに関わると……
 たった今までの荒っぽさが嘘のようにまごついている。しかしすぐ思い直したのか、殊勝な態度で頭を下げた。
「すまない……助かる」
 頭が冷えれば悪い人柄ではないようだ。カイは彼への警戒を少し解くことができた。
「よろしくね。瑠璃。あたしはカイ。こっちの仏頂面はシオン」
 シオンは、俺を巻きこむなと言いたげである。むろん黙殺する。
「あの……
 カイに庇われていたレイチェルが、ためらいがちに会話に入ってきた。
「これを……
 レイチェルがおずおずと差し出したのは、翡翠で作られた卵の置物。
 両手で包むようにして受け取ったカイは、顔を寄せてのぞきこんだ。自分の顔が、翡翠の表面に丸く映りこむ。滑らかな質感。内部の複雑な反射と、とろりとろけそうな濃密な翠が美しい。
 ふいに、眉を寄せた。カイの中を冷たいイメージが通りすぎていく。暗く湿った空間、水音。細く射しこむ光。翡翠色の壁。これは声だ。石の声。ヒスイの卵が、自分の生まれた大地の記憶を、己に込められた思念をカイに伝えようとしてくるのだ。
「これって、もしかして」
「アンタ、なにか分かるのか?」
 空色の目を閃かせて、カイはうなずいた。言葉を持たずイメージで語りかけてくる、不思議な工芸品。誰かの思念とその土地の記憶を秘める古き品々を、この世界ではアーティファクトと呼ぶ。
「アーティファクトっていうの。うーん、どう説明したらいいのかな。魔法の道具みたいなものっていうか……。これがあればきっと、ここじゃないどこかに行けるはず。でもこの石、迷子の女の子とどう関係あるのかな」
 レイチェルに訊いてみるが、彼女は石を渡すので精一杯だったようで、ふるふると首を振った。止むを得まい。ひとまず行ってみるしかないだろう。
「これは……
「ん?」
 いつの間にか瑠璃が身を乗り出し、ヒスイの卵を穴の開くほど見つめている。石の声を聴くカイの比ではない。完全に目つきが変わっている。
 瑠璃はとうとうカイの手からひったくるようにして、ヒスイの卵を取り上げた。
「真珠姫の香りがする!」
 カイはおもいっきり腰が引けた。まさか、本物のストーカーじゃ……ないよね?


  【二】

 ドミナ近郊に位置するメキブの洞窟。それが、ヒスイの卵の指し示した地だった。
 メキブは地下水脈に浸食された鍾乳洞である。亜人や魔物の棲み処となっており、用もなく訪れる者はまずいない。
 大地の裂け目から地下へ潜ると、外の夏の空気を押し出して、冷たく湿った空気が肺に押し入ってきた。
「煌めきを感じる……! 真珠姫……!」
 瑠璃の胸元がきらりと光る。
 町ではマントで覆っていた身体を今、瑠璃は隠してはいない。彼の胸元、ちょうど心臓の位置にあるのは、大きなラピスラズリ。カイの見たまま通りならば、石は体内に埋もれており、瑠璃の身体の一部であるように思える。
(それは何?)
 聞いてみたかったが、空気を読んでやめておく。迷子を見つけるのが先だろう。
 明りは必要なかった。濡れた岩肌はそれ自体に発光する性質があるらしく、鈍い翡翠色に光り、岩壁の割れ目からの外光もあって、内部はそれなりの明度を保っている。
「魔物の気配がある。油断するなよ」
「こう見えても、戦いには慣れてるんだ。任せてよ」
 瑠璃が曲刀を抜き、カイが槍を握る。
 頭上には無数の鍾乳石、地面には大小の石筍。鍾乳石の先端から、氷のように冷たい水滴が滴っている。足元は滑りやすく、自由が利く場所とはいえない。
 魔物の棲み処との噂は事実だった。洞内の魔物を蹴散らしながら、瑠璃の〝煌めき〟とやらを頼りに進んでいく。
(やるなあ、瑠璃)
 瑠璃の剣は研ぎ澄まされて鋭く、速い。舞うように曲刀を繰り出して、魔物を屠っていく。明らかに戦い慣れており、場数を踏んでいる動きだ。
 つい見惚れそうになりながら、カイは槍を振りかざす。バットムの群れを穂で薙ぎ払い、返す柄で一体を叩き落とすと、やる気のない後衛を怒鳴りつけた。
「シオン、今日は戦ってよね!」
「護身程度には」
 シオンに狙いを定めたバットムが、大剣の一振りで両羽を落とされて地に落ちた。もう少しがんばってほしいところだが、こちらも腕前を見るに心配はなさそうだ。
「瑠璃。真珠姫って子、どうしてここに迷いこんじゃったのかな」
「目を離すとすぐ迷子になるんだ。戦う力もないのに、危険な場所に入りこんじまうことも一度や二度じゃない」
 瑠璃の焦燥は当然で、迷い人を追ううち、かなり深い階層まで降りてきてしまっている。腕の立つ冒険者でも、よほどの事情がないかぎり、こんな地下まで来ないだろう。
「いっそ、首に縄でもつけとけば?」
「それができれば苦労はしない……
 人権侵害甚だしいシオンの発言だったが、瑠璃は怒りもせずに嘆息した。瑠璃は瑠璃で苦労しているようだ。

「待て」
 瑠璃が後続を制止した。
「誰かいる」
 瑠璃の指摘通り、奥の暗がりに人影が見える。
 女だった。それも、きわめて美しい。赤褐色の髪を結い上げ、耳元に大輪の花。大胆なスリットの入った緑のドレスに身を包み、高いヒールのブーツを履いていた。武器らしい武器は所持しておらず、探索者には見えない。
「あの人じゃないよね?」
 小声で問いかけると、瑠璃は固い顔つきでうなずいた。何者かは判らない。確実に言えるのは、洞窟の最下層に女性が一人でいるなど不自然だということだ。
「遅かったじゃないか」
 ひんやりした洞窟に、よく通る女声。明らかにこちらへ語りかけている。
「真珠姫はこの先だ。早く行ってやれ」
「何者だ。なぜ真珠を知っている」
 瑠璃が、表情を険しくしながら前へ出た。
 謎の女は瑠璃には答えず、カイをちらりと見た。
「それと君、あまりコイツらに関わらないほうがいい」
 どういう意味だ。
「君が石にならないといいけど」
 女の台詞に、瑠璃がざわっと肌を粟立たせた。
 だが、カイが理由を問う暇はなかった。
「きゃああああ!」
 若い女性の甲高い悲鳴。緑の女がいるより、さらに奥からだ。
「真珠!」
 血相を変えた瑠璃が、弾かれたように駆けだした。
 即座に追いかけ、カイは女を振り返る。謎の女は、跡形もなく消えていた。

 そいつは最深部で待ち受けていた。
「でか!」
 人間に比すればあまりの存在感。
 奥は広い空洞になっており、それでもなお、空間を圧倒する大きさである。
 毒々しい紫の毛皮、獰猛そのものの顔つき。巨大な頭蓋の斧を握りしめ、血走った目で獲物をねめつける。ドゥ・インク。メキブをなわばりにする凶暴な大猿である。
「真珠!」
 瑠璃が周囲に視線を走らせる。もしや、この魔物に襲われたのか。見える範囲には、悲鳴の主らしい姿は見当たらない。
「瑠璃、女の子は⁉」
「核に反応はある……おそらく無事だ。まずはコイツを片付ける!」
 瑠璃は臆せず地を蹴り、曲刀を抜き放った。カイが瑠璃に続く。
 斧の一撃をかいくぐり、流れるような動きで瑠璃が、遅れじとカイが槍を繰り出した。だが、いずれも厚い毛皮と脂肪に阻まれて、ダメージを与えるには至らない。
「もうっ! でかすぎて刃が通らないじゃん!」
「軽い攻撃じゃダメだ、もっと威力のある技でないと!」
 二打目を喰らわそうとして、地面が揺れた。巨猿の雄叫びが洞窟を揺るがし、空気が急速に凍りつく。落ちる水滴が氷の粒になり、吐き出す息が白くなる。
「上!」
「うわっ!」
 一斉に飛び退いた。今の今までいた場所に、巨大な氷柱が槍の雨さながらに降り注ぐ。危うく串刺しになるところだ。
「あ、あぶな」
 すんでのところでかわしたカイだったが、
「カイ、避けろ!」
「え」
 息つく間もなく、巨斧が迫っていた。防御体勢をとろうとするが間に合わない。
 だめかもと脳裏によぎったとき、ドゥ・インクの顔目がけ、一条の銀閃が飛んだ。
 巨猿は絶叫して斧を取り落とし、片目を押さえてのけ反った。苦痛の咆哮が轟くなか、命拾いしたカイがどうにか距離をとる。
「あ、ありがとう」
 ドゥ・インクの片目を潰したのは、小さな短剣。シオンが投げたのだ。軽装備のどこに仕込んでいたのか、彼の手には数本の短剣があった。
「狙われてるぞ、お前。……あと」
 真っ赤に血走った目が、ぎょろりと二人を見下ろした。傷つけられた側の目の、指の間から血がどくどく流れ出ている。
「かえって怒らせたっぽい」
「バカ~っ!」
 カイとシオンは一目散に逃げだした。
 逃げる二人を、炎のブレスを吐きながら、ドゥ・インクが執拗に追いかける。突き立つ氷柱の林が炎熱に嬲られ、じゅうじゅうと音を立てて溶けだした。高温の水蒸気がもうもうと上がり、視界が蒸気で白くなる。
「ねえ、あたしら情けなくない⁉」
「人目を気にしてる場合か。よほど腹立ったんだな、あのサル」
「そりゃあそうでしょうよ! 目ぇ返してあげなよ!」
「なんだよ、助けてやったのに」
「それでピンチになってたら世話ないんですけど!」
 なんとも緊張感のない言いあいだが、逃げるほうは必死だ。捕まったが最後、たぶん、おいしくいただかれる。
 しかし、思い虚しく、彼我の距離はぐんぐん詰まっていく。
 生臭い息遣いが真後ろに迫り、脂ぎった獣臭がカイの鼻をついた。巨獣の爪が二人の襟元へ伸びる。ドゥ・インクは、黄ばんだ牙をむき出しにして、にたりと笑んだ。捕まえた――勝利を確信した、そんな笑み。
 いなや、カイとシオンがぴたりと止まった。その場でバネのようにくるりと反転、それぞれ槍と大剣を真横に構える。
「せーのっ!」
 二人は腰を落として両足を踏んばり、左右から大猿の両脛をしたたかに打ち据えた。床には熱で溶けた大量の氷柱。水の撒かれた鍾乳洞はよく滑る。
 勢いのついていたドゥ・インクは、急なふたつの衝撃に耐えきれず、足を取られて前のめりにすっ転んだ。
 この時初めて、ドゥ・インクは気づいたはずだ。マントの男がいないこと。
 だが、時すでに遅し。
 場に誘いこんだカイとシオンは左右に飛び退き、主役に道を譲る。
 たちまち二人の間から躍り出た瑠璃が、岩を次々と蹴り上げて、高々と跳躍した。体勢を崩した猿は避けることができない。振りかぶった曲刀が青白い光を帯びた。
「レーザーブレード!」
 光線となった蒼い光刃は、本来の刀身の数倍にも膨れあがる。
 それが、ドゥ・インクが見た最期の光景となった。
 瑠璃の放った光の刃は、上空からの重力を加えた強烈な一撃となって、巨猿の脳天に振り下ろされた。

「おみごと!」
 強敵の撃破に、カイが跳びはね、手を叩いた。ハイタッチとばかりに瑠璃に向けて両手を挙げたが、瑠璃はかまうどころではない。
「真珠! どこにいる!」
 瑠璃の呼び声が空洞に反響する。
「真珠姫!」
 瑠璃がもう一度呼びかけると、彼の胸元の石がちかっと光った。
「瑠璃くん……
 淡雪のように儚い、可憐な声。
 岩陰から遠慮がちに現れたのは、白くたおやかな少女だった。亜麻色の髪をおさげにし、大きく開いた胸元に美しい白真珠を抱いている。彼女が瑠璃の探し人――真珠姫か。
「核は傷ついていないか?」
「ええ……
 さて、核とはなんだろう。カイは分からないなりに、ちかちか光るあの石かな、などと思う。
「一人でうろつくなと、あれほど言ったじゃないか。どうしてこんなところに」
「考え事をしていたの……いろいろ……
 口下手なのか、うまく説明できない真珠姫の言葉を、瑠璃が遮った。
「今は考えなくていい……おとなしくオレに守られていればいい……
 でも……と真珠姫がためらいがちに言うと、瑠璃が声を荒らげた。
「いい加減にしろ!」
 一喝されて、真珠姫が「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りはじめる。
「瑠璃、そんな言い方はないんじゃないの」
 見かねたカイが口をはさんだ。迷子癖は困りものだが、「何も考えるな」など、何もするなと言っているようなものだ。
「アンタは黙っててくれないか」
 ぴしゃりと言われて、むっとした。せっかく助けてやったのに、とはまでは思わないが、もう少し信用してくれてもいいのではないか。
「この人たちは……?」
「オマエを探すのを手伝ってくれた。変わったやつらさ」
「そ、そうなんだ……
 カイとシオンを恥ずかしそうにチラチラ見て、真珠姫は「ありがとう」と顔を赤らめた。カイの頬もつられて緩む。かわいい。
「どういたしまして、真珠ちゃん」
「はい、おねえさま。そちらのおにいさまも」
「うん。えへへ」
 おねえさま、との物言いは、カイにはちょっと照れくさかった。真珠姫の年ごろは、カイやシオンと変わらないように見える。
「真珠、そろそろ行くぞ。じゃあな」
 瑠璃はつれない。カイとシオンを置いて、真珠姫とさっさと行きかけた瑠璃だったが、カイの次の一言で立ち止まらざるを得なかった。
「ねえ、瑠璃。帰り道、どうすんの?」
「あ」
 迷子が見つかったところで、メキブの洞窟が危険であることには変わりない。
 瑠璃が背中を丸めて、「帰りも頼む」とすごすご戻ってきた。真珠姫ほどではないものの、顔が少し赤くなっている。やはり、そんなに悪いやつではないようだ。