pinopipi
2026-01-03 08:16:31
18706文字
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君とまたダンスを

ヌヴィフリ/大遅刻のヌ誕2025/予言から3年後の時空/ヌ視点。ヌの愛が激重&少し病みかけているように感じられるので注意。両片想いのハピエンです。


12月18日。無事に誕生日当日を迎えた。
本日は朝から雲ひとつない晴天。気温は低いがその分空気は澄んでいて、とても清々しい朝だ。
私はメリュジーヌ達への贈り物を両手に抱えてメリュシー村へと向かい、メリュジーヌ達と共に心穏やかな時間を過ごした後、今度は彼女達から受け取った贈り物を抱えて夕刻にはパレ・メルモニアへと戻った。
軽く夕食を済ませ、10分前には歌劇場へ到着できるよう巡水船に乗り込む。予定通り歌劇場へ到着すると、夜勤のメリュジーヌーーーアイフェが私を出迎えてくれた。

「こんばんは、ヌヴィレット様。お誕生日おめでとうございます!フリーナ様より、21時ぴったりにホールの扉を開けていただきたいと、伝言を預かっております。ですので、あと10分ほどこちらでお待ちくださいませ!」

私は頷き、時計の針が21時を指すのを静かに待った。その時間は体感で1時間程と通常の何倍にも長く感じられたが、それは楽しみであるが故のことだ。元より今日は彼女に会えないと思っていたのだから、この待ち時間ですら、私には幸福で愛おしいものであると感じる。扉を隔てた向こうに彼女がいると思うと、とても気分が高揚した。
ーーーそして。
ホールの扉を開けると、まず煌びやかな装飾が全体に施された舞台が目に入った。その中心には可憐にドレスアップしたフリーナが立っている。

「やぁ、ヌヴィレット!誕生日おめでとう!今日は来てくれて本当にありがとう!」

彼女は両手を広げ、満面の笑みで私を迎えてくれた。
本日のフリーナの衣装は、リラの花を全身に纏ったようなAラインのドレスだった。全周に柔らかなフリルがふんだんにあしらわれていて、幾重にも重なり合うシフォン生地は薄紫やピンク、淡い青などが絶妙に合わさり、唯一無二の幻想的なグラデーションが表現されている。肩を露出し、珍しく手袋さえしていない白くしなやかな細腕は、ドレスの色合いとのコントラストをより優しい印象にしていると思った。
白波のような美しい髪は丁寧に編み込まれ、可憐なロマリタイムフラワーが飾られている。彼女が最近また髪を伸ばし始めていたのはこのドレスを着る為であったのかもしれないと、そう思える程、背中の位置でふわふわと揺れる髪がドレスのデザインと完璧に調和していた。
大粒の白いパールのイヤリングと、パールが繊細に編み込まれたネックレスも今宵のドレスとの相性が抜群で、それらは舞台照明に照らされ柔らかな光を放っている。
私は彼女を見た瞬間、あまりの美しさに息を飲んだ。
普段であれば、彼女はロイヤルブルーや白の衣装を好んで身に纏っているが、今回は全く印象が異なる柔らかな春色を選んだことに驚いた。
間違いなく、とてもよく似合っている。
まるで時が止まったかのようにただただ見惚れたまま扉の前で立ち尽くしていると、サロンメンバーが私の方へと近付き、恭しく頭を垂れた。
ジェントルマン・アッシャー、シュヴァルマラン婦人、クラバレッタさん。
彼らに手を引かれ、背中を押され、舞台上のフリーナの元へと誘導された。改めて、正面から彼女を見る。思わず小さく感嘆の息が漏れた。よく見ると、ドレスや宝飾品だけでなくきめ細やかな白い肌も上品な輝きを放っている。化粧も普段とは異なり、僅かに青みがかった柔らかいピンクを瞼や頬へ淡く乗せ、非常に可愛らしい印象である。爪はドレスと同じグラデーションで彩られ、指先まで綺麗だ。それらの色は彼女の肌によく合い、透明感を一層引き立てている。今宵の彼女は、この世のものとは思えない美しさでーーーまるで、御伽噺に登場する花の妖精のようだと思った。

フリーナは一歩前に出て、私との距離を詰めた。柔らかな笑みを湛えながら、色違いの青が私の顔を見上げる。

「今夜、キミのために最高の衣装を用意したんだ。僕が一からデザインしたんだよ。着てみてくれるかい?」

クラバレッタさんが一着のタキシードを抱え、全体が見やすいよう目の前で袖を広げた。
白地に金糸で細やかに美しい刺繍が施された上質な生地のジャケットとスラックス。彼女のドレスと同じリラの花の色のシャツには縦ラインに何重にも繊細なフリルが施されている。白のボウタイにも金糸でさりげなく上品に刺繍が入っていてーーー普段私が身に纏う衣装とは正反対の、明るく柔らかな印象の衣装だった。

「これを君が……?私の、為に……?」

普段は黒やネイビーなど、暗い色味の衣装ばかり着ている私に果たして似合うだろうか。だが、他でもないフリーナが私のためにデザインしてくれたものだ。彼女のセンスは、疑いようもない。

「ありがとう。早速着替えて来よう。」

一旦、舞台袖から控え室へと下がった。後ろを着いて来たサロンメンバーが甲斐甲斐しくタキシードの着用を手伝ってくれる。
シュヴァルマラン婦人の勧めで、髪も結い直すことにした。腰のあたりで緩く結っていた髪を解き、いつもの髪飾りを外す。長い髪は高い位置でスッキリと一本に纏め、左の横髪は耳に掛けて軽く流した。
ふと、控え室に備え付けられている姿見の鏡で全身を見てみた。初めて身に纏う明るく柔らかい色はやはり新鮮であったが、不思議と馴染んでいるように思えた。それにサイズも丁度良い。軽く腕を曲げ伸ばししてみたが、上質なストレッチ素材で仕立てられているためか、礼装とは思えない程とても動きやすかった。
サロンメンバー達はにこやかな表情で頷きながら、私の周りを漂う。『とてもよくお似合いですわ。』『明るいお色も素敵ですね。』『フリーナ様もさぞお喜びになることでしょう。』と、彼らは皆、肯定的な感想を述べてくれた。
おかげで少し、自信が付いた。
やはりフリーナのドレスと対になるようにデザインされているのだろう。例え一夜限りでも、再び彼女の隣に並び立てる権利を与えられたことに、私はこの上なく喜びを感じた。

それから私はサロンメンバーと共に舞台上へと戻り、フリーナの前に立った。
するとフリーナは色違いの青が零れ落ちそうなほど大きく目を見開きーーー花が綻ぶような美しい笑みを浮かべた。

「うん、いいね!とっても似合っているよ、ヌヴィレット!」
「ありがとう。一流の美的センスを持つ君がデザインしたものだ。間違いなどある筈がない。」

そう称賛の言葉を返すと、フリーナは満足そうに笑ってから、ゆったりとした足取りで私へと歩み寄る。小さく白い両手が私の手元へと伸びーーー優しく握られた。

「今日はね。キミの誕生日を祝して、キミと僕、2人だけのダンスパーティーを企画してみたんだ。大スターである僕の歌唱付きだよ。楽しんでくれると嬉しいな。」

フリーナに手を引かれ、スポットライトの真下ーーー舞台の中央へと移動した。
それと同時にジェントルマン・アッシャーが舞台袖へと移動し、大きな蓄音機を操作する。いくつかあるレコードの中から一枚を選び取って器用に蓄音機へとセットし、ゆっくりと針を落とすと、早速1曲目の音楽が流れた。
ーーーそれは我が国の伝統的な円舞曲。忘れもしない、400年以上前にフリーナと初めて踊った曲だった。
そういえば、彼女が退位してからは全く踊る機会がなかったことを思い出す。彼女が神であった頃は、国内の貴族や資産家などの権力者間の交流を目的とするパーティーが頻回に行われていた。私は最高審判官として彼女のパートナー役を担い、何度も参加した。故に過去には彼女とダンスをする機会は幾度もあり、共に様々な曲を踊ったものだ。
またあの頃のように踊れるだろうかと少々不安ではあったが、幸いなことに所作の全てを身体が覚えていた。フリーナの腰を支えるように片腕を回し、反対の手は彼女の小さな手を包み込むように握ることもーーー少々緊張はしたが、存外自然に行えた。だが、恋心を自覚してから初めて彼女に触れるため、身体が密着するとそこからじわじわと体温を上げ、熱が篭り鼓動は早鐘を打った。まずい。この感情だけは彼女に勘付かれないようにしなければ。私は少しでも心を落ち着かせようと、脳内でひたすら法典を暗唱した。しかし、その様な抵抗は全く無意味でーーーフリーナに触れることを許された喜びと気恥ずかしさで全く落ち着かない。今、己は可笑しな表情をしていないだろうかと気になって仕方がなかった。

一方フリーナはそんなことも露知らずといった様子で、地上に舞い降りた天使のような笑みを浮かべたまま透き通るような歌声を響かせながら楽しそうに踊っている。なんて美しく、愛らしいのだろうか。私はいつの間にか彼女の一挙一動を見逃さないよう瞬きすら忘れ、自然と口元が緩みきっていた。この世界で最も愛おしい人が今、私の腕の中にいる。一夜限りの、夢のような時間。何にも変え難いこの幸福なひとときに、私は酔いしれていた。

気付けば2曲目、3曲目と、次々曲が切り替わっていた。彼女と踊るのは楽しく、一曲一曲があっという間に終わってしまうように感じる。
そして、続けて4曲目を踊ったところで、音楽が止まった。

「少し休憩しようか。キミが好みそうな水を用意しているんだ。」

一度舞台を降り、最前列の観客席の方へ手を引かれる。座席に腰掛けるとグラスを渡され、フリーナが美しい所作で水を注いでくれた。

「ドラゴンスパインの水だよ。僕が現地に行って汲んできたんだ。気に入ってくれると嬉しいな。」

私はグラスにそっと口を付け、ひと口目をじっくりと味わう。なかなか手に入らないその水は、まろやかであるが後味はスッキリと爽快感があった。それに、フリーナが直接汲んできてくれたからか、どこか温かな感情も感じられる。

「貴重な水をありがとう。非常に好ましい風味で、今まで味わったどの水よりも美味だ。」
「ほ、本当かい!?よかったぁ〜!」

フリーナは安心したように、ふにゃりと笑った。その表情は初めて見るもので。飾らないただの少女のような愛らしい笑みに、不意に胸が高鳴った。じんわりと心が温まっていく。
ーーー可愛い。
そう、ついうっかり声に出してしまいそうになったが、すんでのところで止まった。薄く口が開いたままであることを誤魔化す様に、もうひと口水を含む。少々浮かれ過ぎているな。今のは本当に危なかった。プライベートとはいえ、今一度気を引き締めなければ。
グラスの中の小さな水面を眺めながらそう己に言い聞かせていると、フリーナは優雅にドレスの裾を持ち上げ、私の隣の座席へと腰掛けた。

「僕のダンスパーティーはどうかな?楽しんでくれているかい?」
「ああ。踊ったのは久方振りであったが選曲も君の歌声も素晴らしく、とても楽しませてもらっている。」
「ふふっ、それはよかった。」

フリーナは頬を薔薇色に染め、潤んだ瞳を嬉しそうに細めてから自身の両手指を絡ませ、はにかみながら目を伏せた。今宵の彼女は本当に可愛らしい。このような控えめでいじらしい仕草をするとは知らなかった。大仰で我儘な神を演じていた時代とは真逆の様子に驚いたが、おそらくこれが本来の彼女なのだろう。今の彼女も、とても好ましく思う。
.もっと彼女のことが知りたい。もっと様々な表情を見てみたい。どうして今年は私の誕生日を祝おうと思ってくれたのだろうか。もしその心を知ることができたなら、今よりも親しい関係たまに会う友人くらいにはなれるだろうか。そんな淡い期待が胸の内で膨らんでいく。現状維持以上のことは何も望まないとそう決めた筈であるのに、彼女の好意的な言葉や態度についそれ以上を望みたくなってしまう。少し、踏み込んだ話をしてみても良いだろうか。私は彼女に気付かれないよう一度静かに深呼吸をしてから、隣の席の彼女の方を見た。

「フリーナ殿。久方ぶりに、君に誕生日を祝ってもらえて嬉しい。このような素晴らしい時間を設けていただき、感謝する。」
「ははっ、キミに喜んでもらえるなんて、僕もとっても嬉しいよ。こちらこそ、急な招待だったのに来てくれてありがとう。去年も一昨年も、お祝いできなくてすまなかったね。」
いや、昨年までのことを気にする必要はない。私も、君の誕生日を祝うことが出来なかったのだから。」

まさか、フリーナがそれを気に病んでいたとは思わなかった。誕生日を祝えなかったのはお互い様だ。覚えてくれていただけで、十分である。だが、それでも彼女の表情は晴れなかった。彼女は少し迷ったように目を泳がせたのちーーー意を決したように顔を上げた。

ヌヴィレット。僕ね、本当は毎年気付いていたんだ。キミ民からのプレゼントに紛れ込ませて、僕に花束やスイーツをプレゼントしてくれていただろう?」
……そ、それは……

ーーーなんということだ。匿名で贈っていたというのに、贈り主の正体に気付かれていたとは……

すまない。迷惑だっただろうか?」
「えっ!?め、迷惑だなんて、そんなわけないだろう!レインボーローズの花束はすごく綺麗だったし、スイーツの詰め合わせは全部美味しかった!メッセージカードだって、とっても嬉しかったよ!」

フリーナは少々慌てた様子でーーーしかし本当に嬉しそうな表情で過去の贈り物に対する感想を述べてくれた。
良かった。匿名ゆえ毎年彼女に受け取られることなく処分されたものとばかり思っていたため、予想外の真相に嬉しくなる。

「そうか。喜んでもらえたのなら何よりだ。」

心からの安堵で肩の力が抜けた。耳に熱を感じるのは、きっと気のせいではない。もしそれをフリーナに指摘されたら、これは舞台照明の熱に当てられたのだとそう言い訳をしよう。
だが、なるべく気付かれたくなかったため、私は話題を変えた。

「それにしても、誕生祝いにダンスパーティーとは驚いた。実に君らしく、型にとらわれない華やかな発想と企画力に感服している。」
「ふふん、そうだろう!僕はサプライズが大の得意だからね!僕の手に掛かればこんなものさ!」

彼女の得意気な言動が懐かしく、愛おしい。昔と変わらぬ一面に、共に過ごした過去の全てが演技という訳ではなかったのだと感じ、安心する。

「ああ、そうだな。して、何故私の誕生日にダンスを?」
「えっ」
「此度は非常に多くの時間やモラを費やして準備してくれたのだろう?それもおそらく、この数百年で最も力が入っている様に思う。私が今までに贈ったささやかな贈り物とは比にならない程。これは明らかに貰い過ぎではないだろうか。」
「え、え〜っと……

フリーナは目を泳がせながら視線を落とした。動揺している?もしや、してはいけない質問だっただろうか。確かに、金銭的な話題は不躾だったかもしれない。私は少々調子に乗り過ぎてしまったと、反省をする。
ところが、私が謝罪の言葉を述べようと口を開いた瞬間、彼女は視線を落としたまま話し始めた。

僕、あれから他の人とも何度か踊ってみたんだ。でも、その度にキミの顔が思い浮かんでね。キミともう一度踊りたいな、って思ったんだ。ほ、ほら!キミはずっと何百年も僕のパートナー役を務めてくれていただろう?だから、その……キミの方がしっくりくるというか。それで、キミを誘うからには一切妥協したくなかったんだ。会場も衣装も音楽も、全て一流のものを揃えたくてね。でも安心してほしい。これらは全部僕が自分で稼いだモラで用意したんだよ!シュヴァルマラン婦人も今回は快く賛成してくれて……

一瞬、呼吸が止まる。
他の人とも、踊った?フリーナが?それは一体、いつの話だ
考えながら胸に鋭い痛みを感じる。"他の人とも何度か踊ってみた"という言葉に囚われ、それ以降の彼女の声は全く耳に入って来なかった。
つまり、他の男が彼女に触れたのか。私の、知らないところで。
つい先程まで幸福でいっぱいに満たされていた心が鉛色の雨雲に覆われ、段々と翳り沈んでいった。黒く渦巻く感情が、腹の底から沸き上がって来る。この様な感情を抱くのは明らかに間違っている。彼女へ想いを告げるつもりがないのだから、私には嫉妬する権利などない。執着心や独占欲を抱くなど以ての外だ。そもそも、彼女がダンスのパートナーに誰を選ぼうと、それは全て彼女の自由。身勝手で醜い感情は直ちに全てこの場で捨てるべきだ。本来であれば、私はもう二度と彼女と踊る機会を得られない筈だった。だというのに、奇跡が巡り巡って彼女は一夜限りの夢に私を誘い、この手を取ってくれた。それでもう、十分だろう。
だが、どれだけ己に強く言い聞かせても、この黒い感情は嵐の夜の荒波の如く私の心を猛スピードで侵食していった。
ーーー何故だ。どうして感情の制御が効かない?苦しい。まるで凍える程冷たい海に溺れている様だ
浅い呼吸を繰り返す。私は葛藤しながら悶々と思考を巡らせながらグラスの水を一気に煽った。この黒い感情は決して野放しには出来ない。暴れ回る前になんとか抑え込まなければ。

己の感情と対峙することに必死で周りが見えなくなっていた私の目の前に、いつの間にかフリーナが立っていた。
そして、グラスを持っていない方の手に、温かく優しい彼女の手が触れた。

「ヌヴィレット?」

私は弾かれたように慌ててフリーナを見上げた。彼女は色違いの青を不安げに揺らしながら、歪になった雫が私を見つめている。どうやら私が急に黙り込んでしまったことを不審に思われてしまったようだ。折角彼女と過ごせる幸福な時間を、このような暗い感情で台無しにする訳にはいかない。私は翳りをなんとか心の隅へと追いやり、無理矢理笑みを作った。

ああ、すまない。君が私の誕生日を祝う為にここまで大掛かりな準備をしてくれていたことが本当に嬉しくてね。やはりこのドラゴンスパインの水は美味だな。つい味わうことに集中してしまう。」

偽りの表情で、紛れもない本心を語る。どうか、この笑みが作り物であることに気付かないでくれと願う。幸い、フリーナは疑う様子もなく「そっか」と小さく笑って、私の手を引いた。

「そろそろ休憩は終わりだよ。さぁ、続きを踊ろう!」

再び2人で舞台上へと上がる。
第二部の最初の曲は、予言前にフリーナと最後に踊った曲だった。現代的でポップな曲調と、アクロバティックで斬新な振り付けが特徴的なこの曲は、当時民衆の間でもかなり話題になっていた。民の前で絶対に失敗しないようにと、2人で何度も時間を作って練習したのも、記憶に新しい。
この曲の最大の見せ場は終盤、フリーナを空中へ高く投げ、見栄え良く受け止める場面だ。練習し初めの頃は私が力加減を誤り、必要以上に高く投げてしまったことで、彼女が天井に衝突しそうになったことが何度もあった。その度に青い顔をした彼女からヒステリックな口調で苦情を受けたことも、今では懐かしい。結局、何十時間も練習を重ねた結果、民の前では完璧に踊ることが出来、スチームバード新聞の一面を称賛で飾る程の大成功を収めたのも良き思い出だ。
あの時の感覚は今でも鮮明に覚えている。私は、記憶に刻まれた通りの力加減でフリーナを高く投げた。ドレスの裾がふわりと広がり、彼女は空中で華麗に一回転して美しくポーズを決める。まるで頭上に大輪の花が咲いたようなこの景色を見ることができるのは、パートナーだけの特権である。やはり、どの角度から見ても彼女は最高に綺麗だ。しかしただ見惚れている訳にもいかない。私は落ちてきたフリーナを受け止めるため、両手を広げた。横抱きの状態でしっかりと身体を受け止めると、彼女は気分が高揚しているのか、色違いの青を潤ませて爛々と煌めかせながらはにかんでいた。ふと視線が合うと、彼女は頬と耳を紅潮させーーー突然私の首へしがみ付くように腕を回した。熱い頬が私の頬を掠める。白波の髪からふわりと香る花のような甘い香りに、一瞬くらりと眩暈がした。
それから彼女は何故か動かなくなってしまった。通常であればここで彼女を降ろし、ラストに向けて再び手を取り合いながら踊る筈なのだが

「フリーナ殿?」

耳元で名を呼ぶと、フリーナの肩がピクリと小さく跳ねた。
……返事は、ない。

「もしや、気分が悪くなったのだろうか?すまない、私はまた加減を誤りーーーー」

しかしフリーナは私の言葉を遮り、「ち、違うよ!」と慌てて声を上げた。

「キミは完璧だったんだ!えぇと、だから……これはだね……

言葉を濁し、目を泳がせるフリーナ。
私はフリーナの答えを静かに待った。

「こ、こんなに間近でキミの顔を見るのは久しぶりだったから……その。ち、ちょっと照れくさかったんだ………

消え入りそうな小さな声でそう言ったフリーナは、顔から首までを真っ赤に染め、そっぽを向いてしまった。
つまり、彼女は恥じらっていると。
私は驚いた。なんと愛らしい反応だろうか。神を演じていた頃には決して見せることのなかった等身大の彼女の表情が、たまらなく愛おしい。
気付けば再びこの心は幸福でいっぱいに満たされていた。あれ程手強かった翳りの残党は一斉に鳴りを潜め、悉く霧散していく。
思いの外単純過ぎる己の心に苦笑してしまった。
そして彼女の感情がいつの間にか伝染したのか、私まで少々落ち着かない気持ちになった。
気が付けば既に次の曲が流れていたが、私達は暫く会話もなく、ただただそのまま身を寄せ合っていた。

その後、丸々1曲分の時間を掛けて私達は気持ちを落ち着かせ、私達はダンスを再開した。
夜は更け、あと30分程で日付が変わってしまう。
そう、次が最後の曲だった。朝日が反射した海原を思わせる様な管弦楽器の煌びやかで壮大なハーモニーが美しい前奏が流れる。それは初めて聴く曲だった。なので、振り付けが分からない。戸惑いながらフリーナの表情を窺うと、彼女は上目遣いで悪戯っぽく笑みを浮かべていた。

「これは未発表の新曲なんだ。僕が作曲して、メリュジーヌ・フィルハーモニー・オーケストラが演奏してくれた曲さ。僕からキミへのプレゼントだよ。振り付けは僕に合わせてくれるかい?」

既にたくさんの贈り物を貰っているというのに、まだサプライズが残っていたとは。最後の最後まで驚きを隠せない。
フリーナは私の手を取り、軽やかにステップを踏み始めた。初めは穏やかに揺れるように、それから次第に大胆な動きへと変わっていく。
即興の振り付けで踊るのはこれが初めてではない。過去にも何度かフリーナの思い付きで合わせたことがある。先の読めない動きに着いて行くのはなかなか難しい。それでも、開放的な雰囲気の中で自由に楽しそうに踊るフリーナを見ていると、いつも不思議と愉快な気持ちになった。
今思えば、それはまさに彼女への好意の表れだったのだと思う。

今宵のフリーナも、とても楽しそうだ。心地良い旋律を伸びやかに歌う姿は、この世界で最も美しいと思う。
故に私は心の内で密かに願ってしまう。最も近い距離で彼女をずっと見ていたい。この美しい歌声をずっと聴いていたい。これから先、彼女が共に踊るのはどうか私だけであって欲しいとそんな欲が出てくる。だが、これらは私の一方的な想いであり、決して叶うことのない夢。優しい夜の雰囲気に浮かれ過ぎてはいけない。このような身勝手な願いは、心の奥底に仕舞わなければ。そう己に言い聞かせつつも、私は一夜限りの夢が終わってしまうことが、酷く寂しく感じた。

そろそろ曲が終わるのだろう。緩やかにフェードアウトしていく音響に、フリーナもステップを止めた。
私は名残惜しい気持ちを抱えながら、美しく愛らしい彼女を最後までこの目に焼き付けようと見つめていた。今宵、彼女と踊った記憶は、生涯決して忘れない。今まで生きてきた凡そ1000年の日々の中で最も幸福な夜であったと断言できる。

「どうだったかな。なかなか良い曲だっただろう?」
「ああ、とても素晴らしかった。今夜しか聴くことができないのが非常に惜しいと思う。」
「ははっ!そんなに気に入ってくれたんだ。じゃあこのレコードはキミにプレゼントしよう。実は僕の歌唱バージョンも入れてあるんだ。だから是非、何度でも聴いてくれたまえ!」

フリーナはそう言って満面の笑みを私へと向けた。あまりにも眩いその表情に、私は思わず目を細める。
ジェントルマン・アッシャーからレコードを受け取った彼女が、「どうぞ」と笑顔のまま私へそれを差し出す。私はそれを受け取り、礼を述べた。

「貴重な物をありがとう。君の歌声が何度も聴けるのは嬉しい。大切にさせてもらう。」

自然と頬が緩む。このレコードで再び彼女の歌声を聴けば、また夢のようなこの夜をより鮮明に回想し、幸福に浸ることができるだろう。最高の贈り物だ。喜びで心が満たされていく。

「あ、あのさ、ヌヴィレット

ぎゅ、とフリーナが突然私の手を握った。それから彼女は急にどこか落ち着かない表情へと変わる。言葉を詰まらせ、少し視線を落としてから潤んだ瞳で私を見上げた。

「も、もしキミが迷惑じゃなかったら……その。また、誘っても良いかな?」
………は、」

彼女から発せられた言葉はあまりにも予想外の内容で。思わず気の抜けた声が出てしまった。驚きのあまり、すぐに言葉が返せない。

「ぼっ、僕ね、キミと踊るの結構気に入ってて……!今日も、すごく楽しかったからっ……

フリーナの瞳が揺れている。僅かに震えている声は、だんだん自信無さげに細く、小さくなっていった。

「〜〜〜っ、ごめん。ただの一般人の僕が、キミのような雲の上の貴いひとにこんなことを願うなんて、とんだ身の程知らずだったね申し訳ない。今言ったことは全部忘れて……

気不味そうに視線を逸らされ、手の温もりが離れていく。
全部、忘れてだと?無理だ、その様なこと出来ない。好いた相手からの魅力的な申し出を、どうして忘れられようか。
不意に舞い込んだチャンスを逃さぬ様、私は咄嗟にフリーナの手を掴んだ。
少し、自惚れてみても良いのだろうか。
彼女の手が離れて行ってしまわないように強く握った。

「フリーナ殿、待ってくれ!」

私がそう言葉を発すると、フリーナは反射的に顔を上げた。
瞳を潤ませ、小さく肩を震わせながら表情を歪めている。
そんなに唇を噛み締めてはいけない。傷ができてしまったらどうする。
あまりにも傷ましい彼女の表情に心が傷んだ。
決してそのような顔をさせたい訳ではない。私は、彼女がまた共に踊りたいと願ってくれたことが、とても嬉しいのだ。何故なら私も同じ願いを抱えていて、彼女にーーーフリーナに恋焦がれているのだから。
彼女はきっと、勇気を出して伝えてくれた筈。ならば、私はその好意に応え、正直な想いを伝えなければ。

「私も、願っても良いだろうか。」

フリーナの手を握ったまま、片膝をつく。
その瞬間、フリーナの肩が大きく跳ね、慌てて私を立ち上がらせようとした。

「ち、ちょっと!?キミ、一体何をっ!?やめてくれっ最高審判官たるキミが、ただの一般人の前で跪いてはいけないよ!!いくらプライベートでもそんなことっ許されないっ!!」

力いっぱい振り払われそうになる手。私は決して逃さぬよう、一層強くフリーナの手を握った。それでも私の行動に異を唱える彼女の言葉の全てを受け流し、白いパールが飾られた小さな耳へ確実に届くよう、はっきりと想いを告げた。

「君と、いつでも踊ることの出来る権利が欲しい。」
「えっ?!」

フリーナの色違いの青が驚きに見開かれ、ぴたりと動きが静止する。その隙に私は握ったままの彼女の白い手をくるりと優しく返し、そのまま手首への方へするりと手を滑らせ掴み直した。それからそっと唇を寄せ、口付ける。手の甲ではなく、敢えて掌に。その刹那、私の"懇願"が伝わったのか、彼女の白く透明な肌がみるみる真っ赤に染まっていった。
彼女は小さく悲鳴を上げ、手を震わせた。

「そ、そそそそれって!?キミッちゃんと意味を分かってて言っているのかいっ?!」
「ああ、勿論だ。」
「ひぇっ……

ーーーそう。先程私が告げた願いは最上級の愛情表現であり、"生涯を共に歩みたい"という意味である。
表面的な意味で捉えてくれても別に構わないと思っていたのだが、どうやらこちらも伝わってくれたらしい。フリーナは比喩的に表現された言葉に込められた真意を汲み取ることに長けている。何故なら、彼女はあらゆる芸術分野に精通していることに加え、存外ロマンチストな気質があるからだ。
私の言葉の真意を正しく理解してくれたからだろうか。フリーナは身体を強張らせ、一歩後退ろうとした。
逃がしてなるものか。
私はより一層がっちりと彼女の手首を握り込み、一歩たりとも離れることを許さない。伝えたいことはまだまだ沢山あるのだ。どうか、最後まで聞いてもらいたい。

「返事は急がない。嫌なら当然、断ってくれても構わない。だが、どうか前向きに検討してもらえると嬉しい。身分や種族など関係なく、私はただの1人の男として君に強く恋焦がれている。君にはもう他の男とは踊って欲しくないし、小指の一本でさえも触れられて欲しくない。今後君が踊るのは私とだけにして欲しい。君と会えるのが月にたった一度しかないのは寂しいと、常日頃から思っていた。何も用がなくとも、いつでも君に会いたい。君と、もっとたくさん話がしたい。美しく、愛らしく笑う君がたまらなく愛おしい。君の輝きを、これからは特等席で見ていたい。この世界の誰よりも、君を愛している。故に残りの生涯は、どうか私の傍にいてくれないか。」

己を抑え込んでいた枷を取り払い、ひとたび口を開いてしまえば、湯水のように次から次へと溢れ出てくる願望の数々。それは最早、恋や愛を通り越して一種の執着とも言える感情だった。
普段公正無私と評されているとは思えないあまりにも強欲過ぎる私の発言に、フリーナは一体どう思うだろうか。
私は彼女が何か言葉を発する前に、もう一度小さな手を引き寄せ、己の額を寄せた。完全に予定外ではあったが、この想いを告げたことに全く後悔はない。私が生涯愛するのは、彼女だけと決めている。例え数十年後に彼女の魂が水へと還り、ひとり置いて行かれてしまっても、私は決して彼女を忘れはしないし、この身が朽ち果てるまで永遠に愛し続けるだろう。故にこれは、一世一代の求愛だ。恋人になって欲しいと乞い願う愛の告白というには些か重過ぎる、謂わば切実な求婚である。本来踏むべき手順を全て飛ばしてしまったが、私が本気であることが彼女に伝わるならばそれで良い。
とはいえ。私自身、フリーナから正式な回答を得られるまでは不安と緊張が続くだろう。だが言いたいことは全て言えたので、今は思いの外とても清々しい気分だった。

一方、フリーナは静かに息を飲んだ後、沈黙した。
きっと驚かせてしまった。もしかすると、かなり混乱させてしまっているのかもしれない。しかし幸いなことに、彼女から拒絶の気配は感じられなかった。
つまり今、彼女は先程の私の言葉を咀嚼し、真剣に考えてくれているのだろう。他人から向けられた好意を正面から受け止め、決して無碍にしないのが彼女の美徳だ。その純粋な心と優しい性質は、やはり非常に好ましく思う。

こうしてフリーナは数十秒間の沈黙を経た後、両膝を付いてしゃがみ込み、私の顔を覗き込んだ。

ねぇ、ヌヴィレット。顔を上げてくれるかい?」

まるで壊れ物に触れるかの如く、いつも以上にとびきり優しい声色が静寂に響き渡る。私は彼女の手から額を離し、ゆっくりと顔を上げた。一旦離れて行った温かい手が、そっと私の頬に触れる。
まさか今、返事を貰えるのだろうか。そう思い至った瞬間、張り詰める程の緊張感が全身を駆け巡った。恐る恐るフリーナの表情を窺うと、いつになく真剣な表情をしている。ところが、目が合うと彼女の表情は瞬く間に柔らかく綻んでゆき、ふわりと愛らしく笑った。刹那、耳鳴りがする程に激しく心臓が暴れ出す。全身が火照り、季節外れのーーー真夏のような暑さを感じた。
期待しても、良いのだろうか。まだ何も言われていないというのに、柄にもなく浮かれた思考に脳内が支配されていく。
フリーナが小さく息を吸い込む。その音に、私は反射的に固唾を飲み、思わず喉を鳴らした。おそらく此方の緊張は伝わってしまっているだろうが、それでも彼女は変わらず笑みを浮かべたまま。そして、薔薇色に染まる柔らかな頬の上を、ひと雫の涙が瞬きと共に滑り落ちた。

「喜んで。」

フリーナが飛び込むような勢いで私の首に腕を回し、ぎゅっと抱き付いてくる。私は彼女の柔らかく細い身体をしっかりと受け止め、力強く抱き返した。彼女の心音が聞こえる。通常よりも早く、強く脈打つそれは、私の鼓動とシンクロしているように思えた。
ーーー嬉しい。フリーナが、私の想いを受け入れてくれた。
これ以上ない程の歓喜で心が満たされ、目頭が熱くなる。まるで涙が込み上げてくるようなこの感覚は、生まれて初めてのことだった。今、歌劇場の外は温かな雨が降っていることだろう。私は彼女を抱き締め、これまでの生涯で誰にも見せたことの無い、一番の笑みを浮かべた。

「我が生涯を賭けて、必ずや君を幸せにすると誓おう。」
「うんっ僕もキミを幸せにする!ヌヴィレット、世界で一番キミが好き。大好きだ!」

舞台上で抱き締め合いながら、どちらともなく唇を重ねる。初めての口付けは、互いの涙のーーー甘やかで優しい味がした。
数秒間触れ合わせた唇を離し、目が合うと、私達は照れくささを隠すことなく笑い合った。
時刻は間もなく0時を回る。そのことをすっかり忘れたまま、目の前の愛おしい人をただただ見つめ、幸福を噛み締めていた。