もち粉
2026-01-01 00:38:19
12602文字
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千年先へのラブレター


カブミス ライシル
カブ33歳 ミスさんに対して、呼び捨て+タメ口
公私混同


遠くから、宴の喧噪が聞こえてくる。
召使いが客の目に留まらぬよう行き来する隠し階段の小さな踊り場に、カブルーは立っていた。
一度歓声が聞こえたのは、ライオスがマルシルにダンスを申し込むのに成功したからだろうか。広間を抜け出す前にヤアドに耳打ちしておいた。彼ならきっとうまく手助けしてくれる。

散々ダンスの練習に付き合ってやったんだ。うまくやれよ、と。王ではなく、友人としてのライオスに、心の中で呼びかける。
何せあいつら、まだキスもしていないのだ。どう見ても両想いなのに、一体何年もだもだしているんだか。

目を閉じて冷たい壁に背を預けたカブルーの耳が、密やかな音をとらえた。
下からゆっくりと上がってくる足音の主を待つ。まずは壁に影が写り、続いてその小さな銀色の頭が見えた瞬間、カブルーの胸は甘苦しさに襲われてきゅうと縮まった。

……ミスルン」
「カブルー……

カブルーを見上げてゆるりとほころぶ黒い瞳。ここは何百もの視線を浴びる謁見室ではない。常に注目の付き纏う大広間ではない。
――ふたりきりだ。

階段を駆け上がりだしたミスルンに、上段から手を差し伸べる。最後の一段を蹴ったその体を、カブルーは力強く抱き寄せた。
足が床から離れるほどに抱きすくめられ、ミスルンの背筋に甘い痺れが走った。

唇が触れた瞬間、カブルーは自分がどれだけ彼に飢えていたか思い知った。まるで堰を切ったように堪えていた何かが一気に溢れ出そうだった。

……っ」
「会いたかった」

「ん……カブル……。私もだ……。会いたかった」

息継ぎの合間に零れる声は、熱に浮かされたように震えている。触れるたび募る渇きに追い立てられて、ひたすらに強く抱きしめた。

体温が上がったミスルンの身体から、ふわりと花のような香りが立ち上る。その誘惑に抗えず、彼の薄い小さな尻を包み込むように服の上から手を滑らせた。
その瞬間、はっと我に返ったミスルンが素早く身を離すと、ぺちりとカブルーの手を叩いた。

「なんだ、この手は」
「えー、だめ? 四ヶ月ぶりだよ?」
「カブルーっ!!」

身の内の熱を知らせるように、ぐいと腰を抱き寄せる。ミスルンは顔を赤らめ、隙間を作ろうと腕を突っ張った。

「馬鹿者、誰か来たらどうする!?」
「大丈夫、こっちの階段は人払いしてって、さっき側近に言ってきたから。どうせこっちは広間から遠くて、今日はほとんど使わないしね」

ウィンクしながら種明かしをすると、呆れたように抵抗の手が緩んだ。

……職権乱用だ」
「これくらい、いいでしょ。宰相特権ってことで」
「メリニの未来が思いやられるな」

ため息とともに力を抜いたミスルンを、カブルーはクスクス笑って、再び抱きしめた。

「まったく……仕方のないやつだ」
優しげな声で言うミスルンの黒い瞳が、柔らかく光った。
ミスルンは、カブルーの腕から抜け出すと、もう一段上がってカブルーと顔の高さを合わせて向き直る。

「私欲にまみれた宰相閣下に、就任祝いを差し上げよう」
「就任祝い?」

ミスルンは微かに笑みを浮かべ、カブルーの両肩に手を置くと身を寄せて、ちゅ、と可愛らしい音を立てて唇をかすめた。

「実家で、私とお前の婚姻の許しを得てきた」
「え?」
「正式に言ってきた。お前と一緒になりたい、と」

……!」

「これで私も、『宰相の伴侶』という公的な立場に立てる。お前が公私の切り分けができないなら、私が公にもなってやるさ」

……じゃあ、これからは俺たち、家族として?」

カブルーの声は震え、その青い瞳は感激で潤む。言いかけた言葉を、ミスルンは人差し指でそっと制した。

「浮かれるのはまだ早い。私の家は、短命種の伴侶を簡単には認めない。心から祝福してくれたのは、兄だけだ。
今回、一応の許しが出たのは、元々私が半ば放逐されていたことと、お前が今まで一度もケレンシルの名を利用しなかったからだ」

ミスルンはカブルーから離れると、背筋を伸ばし、まっすぐに見つめてきた。

「そして私が――お前の命の短さや、メリニの政治に巻き込まれることもすべて承知の上で、本気であると、理解してもらえたからだ」

……本気、ね」
「そうだ。本気で、お前と生涯を共にする覚悟だ――お前もあるな?」

問いかける表情は、十一年前の冷徹な隊長を思い出させたが、その脚はわずかに震えていた。その緊張に気づいたカブルーは、ミスルンの頬に触れるように右手を差し出した。

――ねえ、可愛い人。今さら俺が、貴方の本気に怖気づくとでも?

​カブルーは、どこまでも愛おしそうにミスルンを見つめ返した。そんな覚悟は、とっくの昔過ぎて、すでにカブルーの一部だった。

​「ミスルン……俺は、ずっと君と一緒に生きていく。君が迷ったときも弱ったときも、絶対に俺がそばにいる」
カブルーの声は熱く、それでいてどこか震えていた。
「一生掛けて証明するから、俺を一番近くで見守って」

​「カブルー……

​ほっとしたように顔を緩ませたミスルンの頬を軽く引き寄せ、義眼の目元にそっとキスをした。その柔らかな感触に、カブルーの胸は満たされた想いでいっぱいになった。

ミスルンも、こみ上げる幸せにまぶたを下ろし、唇へのキスを待とうと顎を上げかけた。
……が、次の瞬間、カブルーはいいこと思いついたとばかりに、弾けるような笑顔を見せた。
​「それなら、宰相としての最初の仕事は――異種族間婚姻のガイドライン制定と、婚姻法の見直しにしようか。俺の愛の証明として!」

……今、そういう流れだったか?」
この重要な局面で肩透かしをくらったミスルンは、結婚したら仕事は家庭に持ち込まない、という規則を設けることを心に決めた。

だが、甘い未来だけではない。二人を取り巻く現実もまた、そこにある。
​現行の婚姻法はすべての種族に適用される。だが文化や習慣の違いから生まれる軋轢は絶えなかった。
ここに手を付けるなら、苦労は避けられないだろう。

​「あまり急くなよ」
​釘を刺すように言ったミスルンに、カブルーは自信ありげに笑う。

​「まあ、ついに印章は我が手に入ったわけですし?」
​彼は冗談めかしてそう言った。
「多少の強攻策はとれるってものでしょ?」

「無用な反発を招いて、足元を掬われるなと言っているんだ。――就任早々、情実が過ぎるのではありませんか、宰相閣下?」

ミスルンに軽く睨まれ、カブルーは肩をすくめた。今さらひるむ気なんてなかった彼は、記者会見さながらの真面目な顔を作り、胸に手を置いた。

​「そのようなお言葉は心外ですね。ガイドラインの制定は急務。これは私欲ではなく、我が王のため、ひいてはメリニのためでもあるのです。――いい加減、あの唐変木が腹をくくってプロポーズするきっかけになればいいのですが」
「まあ、あそこもな。そろそろまとまってもいいんだが」

​ミスルンは眉を寄せ、深く溜息を一つ吐いた。

​「だが、そんなに簡単に踏み切れるものでもないだろう」

かつて置いていかれる恐怖に怯え、全ての種族に均等な寿命が与えられることを望んだ少女は悪魔の手を取った。
誰も自分を害すなと、悪魔に願ったミスルンは、彼女を思って目を伏せた。

​「マルシルはエルフとしてはまだ若く、成人にも達していない。彼女の精神はまだ未熟だ。そして私よりもずっと長く、これから千年の時を生きていく。
ライオスも、それを十分わかってるはずだ」

静かにミスルンの言葉を聞いていたカブルーは、何も言わずに彼を抱き上げた。ゆっくりと上段から下ろすと、いぶかしげに見上げてくるミスルンに微笑みかけた。
そうして、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。

​「カブルー?」


​(……わかっているよ。俺たちは、いつか必ず君たちを置いて逝く)


​遠くから聞こえる旋律が鳴り止むまで、​カブルーは、ただ黙ってミスルンを抱きしめ続けていた。


 ✱✱✱

楽団の音色が、軽快なワルツからロマンチックな調べに変わる。
周囲のカップルたちは互いの距離を縮め、親密そうに肩や腰を寄せ合ってゆったりと身体を揺らしていた。

​広間の中央で、楽しげに踊っていたマルシルは、自分だけステップ踏み続けてしまっていたことに気づき、動きを止めた。困惑して慌ただしく視線を彷徨わせる。足元が落ち着かず、つま先が輪の外へと向きかける。

​(え、どうしよう……このまま抜けたほうがいいかしら。でもこんな真ん中から人をかき分けて出るのも迷惑かも……


顔を上げてライオスに相談しようとした瞬間、繋いでいた手がそっと引かれた。背中に置かれていた手が腰に回ると、マルシルの体は自然とライオスへと引き寄せられる。
顔を赤らめたライオスは、言葉を絞り出すように口を開いた。

​「その……マルシル。君さえよければ……このまま、もう一曲。
――君と、まだ踊っていたいんだ」

​その真剣な瞳に射抜かれ、マルシルの頬も薔薇色に染まった。
そう、彼はいつだって、私のことを見つめてくれていた。
マルシルは、はにかみながらもライオスをまっすぐ見つめ返した。そして、小さく頷いた。

​「……はい」

​ようやくリズムに合わせて動き出したふたりを、周囲のカップルたちは微笑ましげに避けながら、それぞれのダンスを続けている。

​その夜、即興で曲を長めに奏でた楽団は、宴の後、ヤアドからお褒めの言葉を受けたという。


 ✱✱✱

いつかの春の終わり、王城の中庭は柔らかな風に包まれていた。
木漏れ日が芝に模様を描き、遠くからは衛兵の訓練の掛け声と、厨房から漂う焼き菓子の香りが混ざって届く。
その日、ライオスとカブルーは、昼下がりの陽だまりの中で、珍しく肩の力を抜いて話していた。

……俺は、王としてどうとかよりも」
ライオスはゆっくりと口を開いた。
「マルシルが笑って暮らせる国にしたいんだ。それができたら……きっと、みんなも笑って暮らせると思う」

風が二人の間を通り抜け、ライオスの短い髪をふわっと乱していく。
芝の向こうでは、マルシルが子どもたちの手のひらの上に、魔法の光をきらめかせていた。笑い声が風に乗って届き、王と臣下の会話を優しく包み込んだ。

「彼女はきっと、あの子たちが大人になって子どもを持った時も、あそこで新しい子どもたちに魔法を見せてあげるんだろうな」
遠くマルシルを見つめるライオスの視線は優しかった。

……王としての理想にしては、ずいぶんと個人的ですね」
「そうかな?」

カブルーはふっと微笑んだ。
「でも、それでいいと思います。――奇遇ですね。俺も似たような理由で、この国をよくしたいと思ってますから」

ライオスはきょとんと目を丸くした後、ハッと顔を強張らせた。

​「まさか君もマルシルのことを!? そりゃ彼女はかわいくて面白いから無理もないけど!」

​「違いますよ」
​カブルーは呆れたように半眼になると、手の甲でぱしんとライオスの二の腕を叩いた。
こんな気安いやりとりができるようになったのは、いつからだろう。
​「……ミスルンさんです」

​「ああ、君たち仲いいもんな」

​「えーっと、もう付き合い始めて一年以上経ってるんですが」
​「付き合……そうだったのか!? え、教えてくれたってよかったじゃないか……

​「全然隠してませんよ。気づいてなかったの、あんたくらいです」

​「友だちだと思っていたのに……」と自嘲めいて呟くライオスを見て、カブルーはこめかみを揉んだ。

​「まあ、だから……あんたの気持ちはわかるよってことです」

​そのとき、風が一段強く吹き、ライオスの肩に掛けた三ツ首の毛皮の裾がバサリと舞い、顔にかかる。
「ぶっ」とライオスが間の抜けた声を上げた。風が止むと、毛皮はずるりと落ちてもとにもどった。一瞬、二人は見つめ合い、そして同時に笑った。

​(相変わらず、しまらない王さまだ)
そんな王だからこそ、彼の力になりたいとカブルーは思っている。

​王と未来の宰相。二人は成り行きとはいえ、この国に生涯を捧げると誓った。だが、その根底にあるのはただ――大切な誰かを守りたいという、あまりに私的な願いだった。
その小さな願いが、いつかこの国を、そしてそこに暮らす全ての人々を幸せに導くと、彼らは信じていた。


 ✱✱✱

その夜、宴が終わった後のことだった。
誰もいない謁見室の扉が静かに開き、カブルーが一人入ってきた。
高窓からは月の光が静かに差し込み、今は誰もいない玉座を照らしていた。

カブルーは静かに壇上に上がると、玉座の左後ろに立った。明日からは、ここに控えることになる。隣にはマルシルが立つだろう。
迷宮から帰還したミスルンが、御前で報告するのを見下ろすこともあるだろう。

――ねえ、ミスルン。

俺たちがいなくなった後も、君たちは長い時を生きていく。
ミスルンも、マルシルも――彼らにとっては、別れはそう遠いことではないだろう。

​母を早くに亡くした自分は、残される側の痛みを知っている。
カブルーの故郷は既にない。
魔物であふれ、灰燼と化した故郷は今も禁足地だ。
もしも母のよすががこの手に残されていれば、どれほど慰められたことだろう。
だからこそ、切に願う。

​君たちが孤独に沈まぬように。
君たちが迷ったときも弱ったときも、帰る場所があるように。

周囲の視線が厳しくても、反発の声がまだ消えなくても構わない。
この道は俺が選んだ。俺が愛する者たちのために選んだ。

​いつか、マルシルが泣き疲れて眠る朝も、ミスルンが誰かに背を向けられて傷つく夜も――
この国が、たしかに彼らを包む場所であってほしい。

​メリニという国を残そう。
ただの政治でも、ただの制度でもない。
――君たちに捧げる、特大のラブレターとして。

カブルーは、懐から印章の小箱を取り出すとそっと開け、指先で取り出した印章を高窓から差し込む月の光に翳した。
三ツ首の魔物を精緻に象った印章は、冴え冴えとした月光を吸い込むように微かに光った。

――就任早々、情実が過ぎるのではありませんか、宰相閣下?
ミスルンの呆れたような声が聞こえた気がして、カブルーは小さく笑った。

(公私混同? 上等じゃないか。
俺の一生をかけて、君に本気だって証明してあげる)


ねえ、ミスルン。
いつか俺のもういない未来で、君は笑って言うよ。
あいつの公私混同も、悪くなかったって。