もち粉
2026-01-01 00:38:19
12602文字
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千年先へのラブレター


カブミス ライシル
カブ33歳 ミスさんに対して、呼び捨て+タメ口
公私混同


その日の夜、謁見の余韻を抱えたまま開かれた大広間での宴は新年を寿ぐと同時に、新しい宰相の就任を祝う場ともなった。
華やかな音楽とざわめきの渦の中を、冬の夜気が窓の隙間から忍び込み、蝋燭の炎を震わせる。

老獪な他の候補たちを抑え、最年少のカブルーが宰相に指名された。物陰からは嫉妬と憂慮の視線が注がれたが、本人は動じることなく、広間の中央で人々に囲まれていた。

​齢三十を超え、細身ながらも貫禄を増したカブルーは、その笑顔に包容力と色気をにじませていた。
独身だと知った人々からは、口々に家庭を持つことを勧められ、次々と差し出される祝杯に応じながらも、内心では少しうんざりしていた。

「今後、遠国へ赴く際など、伴侶を伴うべき場も増えましょう。身を固められる、よい機会では?」
博士の言葉に、大商人がもみ手をしながら身を乗り出す。
「我が姪などどうでしょう、身内ながら才色兼備で――

笑顔を崩さず、彼は軽く頭を下げる。
「ありがたいお話です。ですが、もう――

視界の端に、銀髪の横顔が映った。
ああ今だって、どんな喧騒の中でも、彼だけはすぐに見つけてしまう。恋に落ちたばかりの頃に感じた引力は、まるで弱まる様子がない。

​だが次の瞬間、カブルーはぎょっと目を瞬いた。視線の先には、白い肌に銀の髪を持つエルフが、ドワーフに酒を注がれていた。

​「失礼、少しだけ行ってまいります」

​戸惑う相手に軽く頭を下げると大股に歩き出す。五歩ほどの距離を大股に詰めながら給仕の盆の上から飲み物を一つ取ったカブルーは声を張った。

​「ミスルン!」

​振り返ったエルフが、驚いたように小さく目を見張る。
普段は公の場では取り繕った態度を決して崩さないミスルンの頬が一瞬緩んだ。
「カブ……」声を上げかけた彼の手の中にあった小さなグラスを取り上げ、代わりにフルートグラスに満たされた黄金色の蜂蜜酒を押し付けた。

​「駄目だよ、また潰れる気? こっちにしておきな」
「無粋だな、新宰相。我らドワーフにとって、酒を酌み交わすのは友情の証だ。邪魔をするのかね?」

からかうドワーフに、カブルーはにやりと片唇を吊り上げた。

​「もちろん、この世に無駄にしていいお酒と人の縁などありませんからね。これは私が頂きましょう」

指三本で摘めるような小さなグラスを、小気味よい音でドワーフの持つジョッキに当てると、一気に煽る。草のような青々しさと樽の香りが、カッと喉を焼くように滑り落ちていった。

​「ふふん、まあここは新宰相に免じて許してやろう。そこの軟弱なエルフは、甘ったるい蜂蜜酒でも舐めておれ」

ドワーフは上機嫌に許しを与え、カブルーを見上げたミスルンはむぅと眉根を寄せ、唇をわずかに尖らせた。

……私だって飲めた」
すねたような視線の奥に、再会の喜びと甘えが潜んでいた。

「飲んだあと、介抱するのは俺なんだけど? ……職人頭、申し訳ないけどこの人を見張っておいてくださいよ」
「おい、人が毎回酔いつぶれてるような言い方をするな」
「ハハッ、まあいいわ。本当に上手い酒の飲み方を教えてやろうエルフ。鯨飲するのだけが我らではないぞ」

戻り際、カブルーはミスルンの耳元に何事かそっと囁いた。その声を聞いたミスルンは、一瞬動きを止める。
​カブルーが立ち去った後、ミスルンはまるで囁きの余韻を払うかのように、そっと耳に触れた。その耳元は、ほんのりと赤く染まっていた。



​「……中座してしまい、申し訳ない。それで、さっきのお話へのお返事ですが……

​足早に先ほどまで話していた国内の有力者たちの元へ戻ると、彼らは呆れ笑いを浮かべた。
​「いや、大丈夫。分かりましたよ」ひらひらと手を振る博士と、「やっぱりな」とため息をつく大商人。
「知ってるよ」とばかりに周囲からくすくすと笑い声が漏れた。
そんな彼らに、カブルーは楽しげに片目を細めて、悪びれもせず言い放った。

​「ええ、なにせ彼以外は目に入りませんのでね」

カブルーと付き合うことを決めた八年前、まだ将来どうなるとも分からなかったのに、ミスルンは西方の外交官の職を辞し、メリニの国民登録をしてくれた。
ミスルンのその決断と覚悟が、カブルーを今、この場所にまで連れてきたのだ。​

​「はいはい、ごちそうさまですな」

博士の声に、周囲からどっと笑い声が上がった。冷やかし混じりの乾杯が始まり、軽やかな杯の音が響く。ミスルンには公の場で私情を見せるなと渋い顔をされるが、「そういう人」と一度認められてしまえば、意外と受け入れてもらえるものだ。

​カブルーは余裕のある笑みで差し出された杯を飲み干した。


 ✱✱✱


「お前はな」

ミスルンはキスの合間に低く囁いた。それは、人前でミスルンへの想いを隠さないカブルーに向かってだ。

次期宰相に内定したと伝えた日、ふたりは昼日中から熱に溺れ、汗ばんだ身体をシーツに沈めていた。気だるい空気の中、ミスルンの声だけが情事の余韻を断ち切るように、固く響いた。

​「正式に宰相になるのなら、まさにこれからが正念場だろう。公私をわきまえて、公の場で私を構うことはもう止めろ。
お前を引きずり落とそうと虎視眈々と狙っているやつがどれほどいると思っているんだ」

「牽制だよ、俺に他の人を勧められないように。君に俺以外の奴がちょっかいかけないように」

​あくまでも無邪気なカブルーの返答に、ミスルンは一瞬だけ目を伏せた。何度言っても、彼の態度は決して変わらない。

(私のために、危うい橋を渡らせている)

秋の気配をまとった風が、白いカーテンをゆるやかに揺らすのを見ながらミスルンは月日をざっと計算する。

​「……カブルー、就任式は新年だな? 私は明日から少し実家に戻ろうと思う」
「えっ、急だね」

二人きりでお祝いをしたいと思っていたカブルーは、落胆と寂しさを覚えたが、それを一瞬で振り払い、「ね、しばらく会えないんだったら、もう一回」とミスルンの手首を捉えた。

「うん」

​ミスルンは促されるがまま、カブルーの胸の上に乗り、愛しい男の頬を両手で挟むと、しばしの別れを惜しむように深く口づけた。


 ✱✱✱

外交官を辞めた時、どうせ自分には向いていなかった、とミスルンは言った。
だが、就任からわずか三年での辞職など、エルフの感覚では拝命直後にも等しい短期間だった。きっと本国での彼の印象は、あまり良いものではなかったはずだ。

​それでもミスルンは、カブルーが王宮という場所で生きていく上で、特定の国に肩入れしていると見られないよう、あえてそうしてくれた。
彼には人からよく見られたいという欲もなかっただろう。だからこそ、カブルーはミスルンを決して蔑ろにしないと心に誓っていた。

​有力者の令嬢と結婚などしなくとも、自分の実力だけでこの道をやってきた。
エルフではなく、ミスルンを特別にしていると言動で示してきた。
彼の実家の膨大な人脈や莫大な資金を利用できないのかと持ちかけられる度に、カブルーはたとえ同じ派閥の人間であろうとも厳しく対処してきた。

​そうして今日、ついに人臣の一の位についたのだ。


ミスルンがメリニに帰国したのは、つい昨夜のことだ。帰りの船は悪天候と嵐による魔力の乱れで、予定より半月遅れでやっと到着した。
妖精を介した通信も途絶えがちで、カブルーはもしやこのまま船が消息を絶つのではないかと眠れぬ夜を過ごしていた。
港に着いたと連絡は受けていたものの、式典の場でこちらを見つめてくる彼の無事な姿を見つけた瞬間、安堵で崩れ落ちそうになった。
本気で場をわきまえることができないのなら、先ほど酒を取り上げたついでに、唇も塞いでいただろう。


 ✱✱✱

一方、宴の賑わいも最高潮に達した大広間では、楽団が華やかに音を鳴らし、ダンスタイムの始まりを告げた。高らかな合図が天井に響き、シャンデリアの光を揺らす。
待ちかねたカップルたちが、さざめきながら広間の中央へと輪を作り始めた。

​軽やかな調べに乗って人々が踊り出す。だが、ダンスの輪の中に友人とその恋人が見当たらないことに、ライオスは気づいた。
彼の宰相就任に際しては、若すぎる、と懸念と反発も少なくなかった。けれどライオスが推した。
未来を信じるための若さなら、この国の力になると信じて。

「どうしたの?」

きょろきょろと広間を見渡すライオスに、​玉座の右後ろから、少し羨ましそうに広間で踊る人々を眺めていたマルシルが問いかけた。

「いや、カブルーが見当たらないんだ。今日の主役なのに……ミスルンもいない」
「もー、気が利かないなぁ。そっとしといてあげなよー」

どんと、マルシルがライオスの肩を後ろから叩く。

「ミスルンさん、昨夜遅くの船でやっと帰ってきたんだって! 久しぶりの再会なんだから、ここは見て見ぬふりしてあげなくちゃ!」

​両頬に手を当てて、照れたように体をくねらせたマルシルは、ふと、楽しいことでも思いついたように、窓際へと一歩踏み出しかけた。

​「ねぇ、バルコニーでふたりきりで踊ってたりしてないかな!?」

​今にもカーテンをめくりに駆け出しそうなマルシルの肩を、反対側に控えていたヤアドが、ため息混じりに掴んで制した。彼がこの場に控えるのも今日が最後だった。

​「見て見ぬふりじゃないんですか、マルシルさん」
「あ、あ、そうね。もちろん分かってるよ、ヤアドくん」

​えへへと顔を赤くして笑うマルシルを、ライオスはニコニコと見つめていた。そんな二人を前に、ヤアドが提案する。

​「それよりどうですか? おふたりでダンスをされては?」
「えっ」

一瞬固まったライオスだが、ヤアドの目配せを受けると、こほんと小さく咳払いをして立ち上がった。
軽く一礼しながら、マルシルに右手を差し出す。

​「一曲、お相手いただけますか?」
「あ、うん。うん、そうね……。みんな楽しそうだし……。いいわよ」

​両手を体の前でもじもじと動かしたマルシルは、精一杯すました顔を作ると、意を決して左手をパッとライオスに向かって突き出す。
その手を、ライオスはそっと包んだ。

​(何よ……。いつの間にこんなかっこいい振る舞いができるようになっちゃったのよ……


​めずらしく広間に降りてきた王に、参加者たちは沸き立った。楽団がわずかに曲調を変え、新たに奏で始めたワルツに乗せて、二人はややぎこちなく踊り始めた。

​ライオスの腕に左手をかければ、右手を優しく握られる。曲が進むにつれステップも滑らかになり、ターンの度に背中に回されたライオスの手の力強さと熱さが意識されて、マルシルの心臓は小さく跳ね上がった。
ダンス中は相手をきちんと見るのがマナーだと分かっていながらも、どうしても照れて目線を外してしまう。それでも、そろりと見上げる度に、ライオスの琥珀色の瞳が必ずマルシルを優しく包んでくれた。

​くるりと回るたびに、ドレスの裾がふわりと広がる。

​(なんだか私……お姫さまみたいじゃない?)

​マルシルは思わず顔を赤らめた。ライオスはそんな彼女の微かな動揺に気づき、優しい眼差しを返した。

空気を伝わる弦楽器の音色の振動が、身体に心地よく響く。周囲のさんざめきが、意識の外をふわふわと通り過ぎていく。まるで夢の中にいるみたいだった。

​(いつかライオスはトールマンのお嫁さんをお后に迎えるだろうけど……今日は、今日だけは、私が踊っても、いいよね)

​片足を軽く踏み出し、手を握り直し、ふたりは再び旋回する。いつの間にか広間の喧騒が遠のき、笑い声も拍手も、まるで水の向こうにあるようだった。
ほんのひととき、ふたりだけの空間が、そこに確かに生まれていた。


やれやれ。ヤアドはふたりを眺めながら喜びと諦念の混じったため息をついた。
あのふたり、とうとう僕の在任中にはくっつきませんでしたね。

本日いくつもの見合い話を断っていたカブルーよりも、よほど世継ぎを待ち望まれているのはライオス王だ。
だが彼はいまだに顧問魔術師であるマルシルにきちんと想いを伝えられないでいるらしい。

ヤアドから見れば、マルシルだってライオスを十分意識している。
ただ、マルシル自身は、恋に恋する少女のような一面を持ち、さらにハーフエルフであるがゆえに子どもを望めないことから、お后候補として自分が選ばれるとは夢にも思っていないようだ。

ライオスは、決してマルシルを急かさない。辛抱強く、彼女の気持ちが熟すのを待ち続けている。
――それでも、そろそろ踏み出してもいい頃ではないだろうか。

世継ぎが望めないと最初からわかっているなら、他の道を選べばよい。王妹のファリンに子どもができれば、その子を跡継ぎにすることもできるし、いっそ世襲に頼らない政治体制を整えることだって可能だ。

誰かの血筋ではなく、誰かの意志が国を導く時代が来てもいい。
より良き未来が来ればいい。

何よりも、メリニと、メリニに暮らすすべての人の幸せが優先だ。
ヤアドは心から、ふたりの将来の幸せを願っている。王国の名を姓に持つ、かつてこの国を治めていた一族の最後の生き残りとして。

(君だって、本当の願いはそれだけだっただろう?)

ヤアド・メリニは、かつて民の幸せを願って国ごと千年の時間の牢獄に閉じ込めた、狂乱の魔術師に思いを馳せた。


――明日は、シスルの墓参りに行こう。