静寂に包まれる古城の中、半開きにしたバルコニーに続く窓からは冷たい風が入り込んでくる。トランシルヴァニアによく似たひんやりとした空気が懐かしく心地よい。我が愛息は死んでしまうかもしれないが……ドラルクは温かくして過ごしているだろうか。少し気がかりだけれど、あんまり電話しすぎると怒られてしまうから我慢しておこう。
目覚めてから早数時間、そんな事を考えながら一人読書に耽っていた私はパタリと本を閉じる。中々の分厚さではあったが時間が経つのを忘れて読み進めてしまった。いつの間にか弓なりの月が空に浮かんでいるが、まだまた夜は始まったばかり。さて、次は何を読もうか。壁一面の本棚に向かい次の本を物色していると隅にある一冊に目が留まる。そうだ、最近読んでいなかったしこの本を久々に読み返してみよう。懐かしいなぁ、少し前にミュージカルになってミラさんと一緒に見に行った物語だ……懐かしいというにはまだまだ最近の出来事だけど。最近は慌ただしいことが多かったから時間の感覚が人間に似てきたのかもしれない。
窓辺の椅子に深く腰掛け、パラパラとページをめくっているとハラリと何かが滑り落ちる。落丁でもしてしまったのかと床に落ちたものを拾い上げると、それはセピア色の紙に挟まれた小さな花の栞だった。
「これは……あの時、ミラさんから貰ったものじゃないか!」
無くしてしまったと思っていたけれど、何十年か前に読んだ時に挟んだままだったのだろう。あの時は申し訳なくて残念で、棺桶に張り付けていたミラさんの写真に泣きながら謝ったことも思い出してしまって少し気まずい。流石にあの時の鮮やかな山吹色は薄らいでしまっていたけれど、思い出はつい昨日のことのように鮮やかに蘇る。
―――ドラウス、今日は一緒に芝居を見ることができて楽しかった。こんな花束まで貰ってしまって……
―――そうだ、この一房を栞にしてお返ししよう。今度の手紙で送るから、読書の時に使ってくれ。
あの日のミラさんとの会話を思い返しながら窓を押し開きバルコニーに出る。星明かりに照らされながら夜風に揺れる栞を眺めていると、なんだか無性にミラさんに会いたくなってしまった。ああ、あの時みたいにたまにはデートしたいなぁ。
今彼女はどこにいるのだろう。日本国内か、それとも海外か。きっと毎日あちこちを飛び回っているのだろう。私が本気を出せばミラさんの元へ行くことは可能ではある。それをしないと決めているのは、私がミラさんの仕事を応援する唯一の方法だからだ。この恋しい気持ちは私の胸の中にしまっておかないと。
ミラさんのおかげで多くの吸血鬼が、そしてドラルクが笑顔で過ごせるような世界に変わっていった。本当にミラさんは凄い人だ。私は彼女につり合う吸血鬼になれているのだろうか?最近は情けない部分ばかり見られてしまっている気がするし……
ぐるぐると考え込んでいると、三日月が少し滲んで見えてきた。流石に冷えてきたし、読書に戻るとしよう。そう思いバルコニーから戻ると、ジャケットに入れていたスマホの着信音が鳴り響く。画面に映るのは、愛しい息子の名前だった。
「もしもしお父様?」
「どうしたんだねドラルク!?お前から電話してくれるなんて嬉しいぞ!……またシンヨコで何か事件か?」
助けに行くぞ!と息巻くと「早合点しないでください!」と止められる。すまないドラルク。
「いえ、そうじゃないんです、実は今度……」
そう言って語られたのはドラルクが住む街で二週間後に開催される祝宴のお誘い。その内容を聞いた私の脳裏に浮かぶのは愛しい妻の姿。
「もしもし、聞いてますお父様?」
「……ああ、聞こえているとも。是非伺おう」
「楽しみにしていてくださいね、私が料理監督をするんですよ!フフ、あのトマトスープにセロリを加えてみようかと思っていて……ん?アハハロナルド君居たの……ウアァー!!」
電話がなし崩し的に切れ、再び静寂が訪れる。死んでばかりなのは相変わらず心配だが、ドラルクの声色は楽しそうだったから大丈夫だろう、多分。
部屋に戻り、栞をじっと見つめる。
ミラさん、君の頑張りは報われているよ。だって、人間と吸血鬼が文字通り手を取り合って踊る祭典が開催され、その中心には我々の息子がいるんだ。
―――前言撤回。「恋しい気持ちは心にしまおう」なんて格好つけてしまったけれど、やっぱり一か八かミラさんを誘ってみようかな。
Shall we dance?……と。
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