nishimori
2025-12-19 14:23:57
8803文字
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釣り日和

言わほど4th展示作品です。釣りに関する話の二本立て。


 
 湖面で寄り添う二羽のガンたち
 
  月に一度、ヌヴィレットの執務室で行われる定例報告会の帰り際。少しの休憩と称してお茶も一杯頂いたことだし、そろそろお暇しようとソファから腰を上げたリオセスリにヌヴィレットが問いかける。
「休日を合わせたいのだが、都合の良い日はあるだろうか?」
……それはまた、どうしてだい?」
 仕事を抜けばリオセスリが執務室を去ることを引き留められたことは殆どなく。更にはその内容も今までにないもので、リオセスリは静かに困惑していた。珍しく声色にもそれが乗ってしまっていたが、相手はヌヴィレットだ。特に気にかける必要も無いだろう。
「ああ。以前二人で釣りをしたことを覚えているだろうか?」
「釣り?」
 釣りといえば、あれだろうか。
 一年以上前にシグウィンと彼女の友人であるメラの付き添いで水の上へ来たとき。彼女がロマリタイムフラワーを吟味する傍ら、特にすることがなかったリオセスリは冗談で「釣りでもするか?」と、隣でシグウィンたちを見守っていたヌヴィレットへ声を掛けた。きっと断られるだろうと軽い気持ちで発したものだったが、予想外にヌヴィレットは誘いに乗ってきた。勿論そのまま「冗談だ」と返すこともできたのだが、彼の瞳は爛々と輝いて見えて、未知の体験への期待が窺えた。彼の期待を裏切る気にもなれず、結局その場の有り合わせで作った簡素な釣竿で、小魚もいないような浅瀬に釣り糸を垂らしたのだ。
「あれがどうかしたのか?」
「ああ。君との会話は楽しかったが、あのときは何も釣れなかっただろう?再び君と釣りをしたい」
 次こそは魚を釣り上げてみせよう、と息巻くヌヴィレット。リオセスリはといえば、そんなヌヴィレットを見てなんとなく意外に感じていた。確かにヌヴィレットは初めて経験することに対し、その怜悧な見目とは反対に子供のようにワクワクしていることは知っている。だがそれでも、こうしてリベンジを考えるほど釣りが気に入っているとは思っていなかった。
 それにしても。
 ヌヴィレットとわざわざ休日を合わせる日が来るなんて、と感慨にふける。二人は数ヶ月前に想いを通わせ世間で言うところの"恋人"というやつになったわけだが、今日に至るまでそれらしい振る舞いは互いにしてこなかった。別に意識していたことではなく、自然とそうなった。リオセスリもヌヴィレットも仕事を優先させる質であるし、特別な関係になったからといって特別なことをする必要性を感じていなかったのだ。
 月に数度会う機会に穏やかな時間を過ごすだけで満足していることに変わりはない。しかしそれでも、所謂デートというものに不思議と心が浮つき始める。
「ふむ……来週はちょっとばかり立て込んでるから、再来週はどうだ?曜日はヌヴィレットさんの方に合わせるよ」
 リオセスリの返事を聞いてヌヴィレットは嬉しげに頷いた。
「では、再来週の日曜に。場所は既に決めてある」
 
 ✧✧✧
 
 翌々週の日曜日。二人の仕事は恙無く進み予定通り休日を取ることができた。
 フォンテーヌ廷郊外にある湖のほとりで二人並んで釣り糸を垂らす。前回とは違いこの湖は水面から底は視認できず随分と深いことがわかる。パッと見ただけで魚も泳いでいるのが見えるし、これならば充分に釣りを楽しめるだろう。
 
 淡い色の空にゆったりと流れる白い雲。時折肌を撫でるそよ風は少し冷たく、水辺でじっとしていると少々肌寒い。遠くにガンの群れが見える。殆どが雪羽ガンであるが、その中に一羽だけ烏羽ガンが混じっていて、リオセスリの座る位置からでも目を引いた。隊列を組むように湖面を進む姿はなんとも微笑ましい限りだ。
……場所も選び、道具も専用のものを用意した。だというのに何故釣れないのだろうか」
 隣に座るヌヴィレットが神妙な声でそう呟くものだから、リオセスリはあー、とつい言い淀んでしまう。場所も良い。釣具もルアーやリールが完備されている、前回使った出来合いのものとは比べ物にならないくらいきちんとしたものだ。何が悪いかと言われれば、それは。
「まあ、俺らは素人だからなぁ」
「む……
「素人が良い道具を使って入れ食いになるんだったら、釣りを生業にする人はいなくなるだろうな」
 まだ納得のいかない顔をするヌヴィレットに「のんびりやればいいさ」と、リオセスリにしては気の抜けた声で言った。
 どれほどそうしていただろう。風に揺られる草木の音や、聞き慣れた水の音。ぽつり、ぽつりと話す互いの声。こうしてゆっくりと流れる時間は心地の好いものだった。隣を盗み見れば、初めこそ眉間に皺を寄せて釣り糸をじっと見ていたヌヴィレットも、今は元通りの無表情に戻っている。いや、気のせいでなければ普段よりは少し気が抜けた顔をしているかもしれない。
 うんともすんとも言わない釣り糸をぼうっと眺めたり、時折鳥が横切る空を見上げたり。リオセスリはこののんびりとした時間を気に入っていた。例え魚が一匹も釣れていなくとも。
 ぱしゃ、と遠くで鳴った水の跳ねる音になんとなく意識を向ける。たまに聞こえるその音はガンたちが翼をはためかせ、それが水面みなもを打った音だ。一列に並んで移動していた彼らはいつの間にかバラバラに行動していた。あそこを休息の場としたのだろう。その中でもやはり目立つのは烏羽ガンで、白の中にある黒をつい目で追う。彼もしくは彼女は一羽の雪羽ガンの傍へ向かい、その濡れ羽色の羽毛を新雪のような羽毛へうずめるみたいに身を寄せた。それを受け雪羽ガンは嘴で毛を整えてやっている。きっとあの二羽は番なのだろう。仲睦まじい光景は癒しを与えてくれる。
 ふと、思いつきで。普段のリオセスリであればやらない。しかし今日はなんだか浮かれていた。浮かれていたから、彼らの真似をしてみたら隣のこのひとはどう返してくれるのだろうかと、小さな好奇心が生まれたのだ。
 地べたに落ち着けていた腰をずらしてヌヴィレットへ近寄る。隣合って釣り糸を垂らすには向かない距離。ヌヴィレットもリオセスリの突飛な行動に不思議そうにこちらを向いた。ここまでやっておいて、今更ながらこれからすることに対して気恥しく感じ始める。今ならばまだ誤魔化せはする。髪に葉が付いていたから取ろうとした、とか。
 けれど、それでも。仕事ばかりで特別なことを殆どしてこなかった二人が、折角こうして休日を過ごしているのだ。自分の小さな羞恥心など捨てて、たまには恋人らしいことをしたっていいじゃないか。
 躊躇いから一度止まりかけた体は再び動き始める。美しい白銀の髪が流れるその肩へそっと自身の頭を乗せた。そう変わらない背丈のせいで少し体勢がきつい。ヌヴィレットの反応が知りたくて、視線を上へ向けた。
 彼の表情は変わらぬように見えるが、ほんの僅か見開かれた目を見て意表を突くことができたのだと実感する。
 次第におずおずと頭を傾け頬を寄せられる。その動きのぎこちなさにくつくつ笑うと、拗ねたような様子でより強く頭を擦り付けられるのだから堪らない。
 笑いが収まった頃には、ヌヴィレットも微笑みを浮かべていた。いつかこのこそばゆい恋人との時間に慣れる日が来るのだろうかと、いつか訪れる未来を想像する。
 ヌヴィレットを見ていた目を前の湖へ向ける。相変わらず寄り添い合っているガンたちのように、自身たちも。
「なあ、ヌヴィレットさん。たまにはこういうのも悪くないよな」
 ヌヴィレットは釣竿から手を離し、リオセスリの髪を撫でながら「ああ」と頷いた。