nishimori
2025-12-19 14:23:57
8803文字
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釣り日和

言わほど4th展示作品です。釣りに関する話の二本立て。


 
釣果はアビサルヴィシャップ一体
 
 「疲労回復にピッタリの紅茶を新しく考えたのよ」
 と、笑顔で言うシグウィンの言葉に思わず苦い顔をしてしまった。彼女の作るオリジナル料理は大抵のものが"不毛"としか言いようのない味になる。いくら紅茶を好んでいるリオセスリでも彼女作の紅茶を飲もうとは思わない。
 リオセスリの芳しくない反応を見て「まあ、嫌そうな顔!」とむっと頬を膨らませるシグウィンは、これから供されるもののことを考えなければ大変愛らしいのだが。
 しかしリオセスリの懸念とは裏腹に、シグウィンは彼の想像を否定することを言った。
「安心してって言うのもなんだか変だけど、今回は公爵に飲んでもらうためのものじゃないのよ」
 クロリンデさんたちにご馳走するんだから、と続ける彼女にリオセスリは安堵と、これから謎の紅茶を振る舞われるだろうクロリンデたちへの心配を覚える。だが、その憂慮を口にしてしまえば自分もあちら側へ回ることとなるに違いないので「なるほど」というありきたりな返しをしておく。
「それで?この休暇届は彼女たちとのお茶会のために?それにしては二日分あるが」
「それもあるけど、材料が足りないから採りに行こうかと思ってるの。良質なロマリタイムフラワーを探すの!」
 メラも手伝ってくれる予定だと話す楽しげなシグウィン。メラとは彼女の友人の一人であるメリュジーヌのことだ。彼女たちが花を摘む姿を想像するとなんともメルヘンチックな図にはなるが、ロマリタイムフラワーは確か食用に向かないと図鑑か何かで見た記憶を思い出し、苦笑を浮かべそうになる。
「そうだ!公爵も一緒に来ない?水の上には暫く行ってないでしょう」
 シグウィンにそう言われ、そういえば前回水の上に行ったのはいつだったかな……と思案する。記憶を辿ると二ヶ月ほど前に定例報告会のためにパレ・メルモニアに行ったきり水の上に行っていないことに気がつく。先月の報告会はトラブルの対応に追われ急遽代理の看守を向かわせたのだった。普段なら他の用向きで水の上へ出ることはあるが、それすらも最近はなく私用でわざわざ出向く理由もなかった。
「たまには陽の光に当たった方が健康に良いのよ」
 シグウィンの言うことは確かだった。ただでさえメロピデ要塞ここでの生活は健康に過ごす難易度が高い。水の上に出たくとも出られない囚人とは違い自身は自由に地上を歩けるのだ。こういうときにでも太陽の下に出るべきだろう。
「それもそうだな。特に重要な案件もないわけだし、俺も着いていくよ」
「それがいいわ!」
 素直な返事にシグウィンはぱちん、と手を合わせにっこり笑って答えた。
 
 ✧✧✧
 
 青空の広がる平野をロマリタイムフラワーの青と紫がぽつぽつと彩る。降り注ぐ陽射しはそれほど強くもなく暖かで心地好いものだった。それでも久々に浴びる陽の光は暗い水の下に慣れた目には少しだけ眩しい。目を細めながらも、ロマリタイムフラワーを吟味するシグウィンたちの姿を眺めていると隣から無機質ではあるけれどほんのり心配の乗った声で話しかけられた。
……君は目に何か不調を抱えていただろうか」
「ああ、いや。久しぶりに水の上に出てきたからかな。ちょっと眩しくて……心配するほどのことじゃないさ」
「そうか……
 無理はしないように。そう言って隣の彼──ヌヴィレットは視線をシグウィンたちへと戻した。
 朝からシグウィンと連れ立って水の上にやってきたわけだが、昇降機の前には事前に聞いていた通りメラと、全く聞いていなかったヌヴィレットが待っていた。驚いてシグウィンを見てみれば、彼女も驚いた様子で、しかし嬉しそうにヌヴィレットへ駆け寄っていった。どうやらメラがヌヴィレットへ今日の話をしたところ、彼も付き添うと急遽休みを取ったらしい。最近の彼は休暇を取ることに抵抗がなくなったようで何よりだが、同時にメリュジーヌに対する彼の行動力を改めて実感した。彼女たちのために法律を作るだけはある。
 現在、隣でシグウィンたちを眺める目は柔らかく、見守る姿はまるで娘を見る父親のようだった。彼女たちのこととなると途端に心配性になるのもそれらしい。陽の下で見る穏やかな光景に、リオセスリも自然と緩んだ顔になっていた。
 暫くそうしてシグウィンたちを見守っていた二人だが。リオセスリはこのまま隣に並んで何もしないというのも変かと思い始める。別にこうやって過ごすのも悪くはないが、シグウィンたちがせっせと花を探している傍ら手持ち無沙汰の自身らは話すでもなくただ突っ立っているだけだ。折角の休日だし何かないかと辺りを見回す。しかし一帯には広大な自然が広がっているだけで、切り立った小さな山々とヴィシャップが彷徨いている浅瀬の川くらいしか見えない。……川か。
「俺たちも何かやってみるかい?そうだな……釣りなんてどうだ?」
 あんな浅瀬では魚なんて釣れないとわかっていながらそう誘ってみる。きっとこの人は彼女たちを見守るのに忙しいだろうし断られるだろうと思った上での冗談だった。
 しかし意外にもヌヴィレットはリオセスリの誘いに迷う素振りもなく首肯した。元々断られなくても「冗談さ」と笑うつもりであったのに、こちらを向くヌヴィレットの瞳が常にないほど輝いて見えて。
 期待に満ち溢れた顔をする目の前のひと──と言っても彼をよく知らない人からすれば普段と変わりなく見えるだろうが、とにかくリオセスリには厳粛な最高審判官ではなく、未知の体験に心を踊らせる子供のようにすら感じるこのひとの期待を裏切るのは忍びない。笑い飛ばす予定は白紙にし、「じゃあ……まずは釣竿の調達といこうか」と言った。
 その辺の木の枝を集め、その中から竿に使えそうなものを探す。リオセスリが指導するように釣竿を作ってはいるが、別にリオセスリも釣りの経験があるわけではない。なんとなく長さがあり多少丈夫そうな枝を二本選んだところで、釣り糸や釣り針の代わりになるものがないことに気がつく。針はともかく糸がなければそれらしい形を取ることもできない。
 さて、どうしたものかと思案しているといつの間にか近くまで来ていたシグウィンに声をかけられる。
「ヌヴィレットさん、公爵。二人とも何をしてるの?」
 彼女は長い枝を持った二人と足元に転がる何本かの枝を見て尋ねる。疑問符を浮かべる彼女へ肩を竦めながら「釣りでもしようかと思ったんだが糸と針がなくてね」と説明する。
「何でもいいんだったら、縫合用のものは持ってるけど……
 そう言って彼女はポシェットから小さな針付きの縫合糸を取り出し見せてくれた。針のサイズは三センチほどで緩く湾曲している。木の枝に括り付ければ一応それらしくはなるだろう。それに、どちらにせよあんな浅瀬では小魚一匹いるかも怪しい。
 そうは思ったが、隣で胸を踊らせるヌヴィレットを落胆させたくなくて口には出さなかった。
「ああ、それで充分だと思う。けどいいのか?医療用だろ?」
「ええ。本当は安易に素人に触らせるべきではないけど、公爵たちだもの。悪用なんてすることもないだろうし勝手に縫合に使わなければ大丈夫よ」
「それは勿論だ。我々は医師免許を所持していない」
 大真面目にそう答えるヌヴィレットにシグウィンは笑顔で縫合用針糸を手渡した。それから彼女は再びロマリタイムフラワー探索へと戻っていく。
 選んだ枝に縫合糸を括り付ける。何度か引っ張ってみたがなんとか抜けずに固定できているようだ。
「よし。これで準備はできた」
 不格好な釣竿が二本。その片方をヌヴィレットへ持たせ、近くの浅瀬へ歩いていく。横目で見る隣を歩く彼の姿ときたら。手に持つお手製の釣竿がその高貴さに似合わず笑いが込み上げそうになり、そうなる前に視線を前へ戻した。
 到着した水辺にはやはり小魚一匹見当たらず、アビサルヴィシャップが数体だけ。しかし彼らはこちらを襲ってくることはなく寧ろヌヴィレットのことが気になるようでこちらを遠くから窺っている。
「まあ、一見魚は見えないがここで始めるか」
「ああ」
 椅子になるような岩場も見つからず、とりあえずその場に腰をおろすことにした。最高審判官様を地べたに座らせるのはどうかと一瞬迷ったが、彼はさっさとリオセスリの隣へ座ってしまった。彼はその繊細そうな見た目に反して存外こういったことに抵抗がないのだ。
「さて、と」
 釣りの経験は無いが釣りをしている人を一度も見たことがないわけではない。彼らを真似て針を水面へ投げ込む。投げてから、そういえば餌を用意しなかったなと思い出したが、どうせ餌をつけたところで釣れはしない。このままでいいだろう。
 ヌヴィレットもリオセスリを見て水面へ針を投げ込む。じっと糸の先を見つめる彼の瞳は真剣だ。暫くは微動だにしないかもしれない。
 リオセスリは期待値ゼロの釣りのことは早々に諦め、周囲の観察をし始める。観察と言っても大層なものではない。ただ単純にそこにある自然をぼうっと眺めるだけだ。こうしてゆっくり自然の中で過ごすことが今までに殆ど経験がなかったから、新鮮な気持ちだった。ついでに言えばヌヴィレットと仕事関係以外で外出することも珍しい。精々がシグウィンの付き添いだとか、仕事後に少し食事に出たりするくらいだ。
 こんな場所で並んで不格好な釣竿を手に座り込んでいる自分たちの姿は、傍目からすれば一体何事かと騒ぎになるだろう。特にヌヴィレットはいつだって市民の注目の的だ。きっと彼が釣りをしているだけで記者が見れば新聞の一面を飾る。今まさに彼の隣に並んで釣り糸を垂らしているリオセスリではあるが、やっぱりおかしな光景だなと客観的に見て思う。
 しかしそれも悪くない。周りには気にするべき人の目もないし、このひととの時間を存分に楽しもうという気になっていた。
「ヌヴィレットさんはこの辺によく来るのかい?看護師長にロマリタイムフラワーが咲く場所を聞かれてすぐに案内してたし」
 だからこうして雑談に興じてみようと話を振った。一人であれば釣りは考えごとに丁度いいと聞く。二人ならばゆっくりと対話することに向いているだろう。今日なんかは絶対に魚が掛かることがないと知っているから余計に。
 じぃっと水面から伸びる糸の先を見ていたヌヴィレットだったが、リオセスリが話しかけたことにより、その視線は一時的にリオセスリへ向けられる。
「ここには雨が降る日によく来る」
「雨の日に?」
「ああ。街中で雨に当たっているとやはり目立ってしまうので……
 そこまで聞いて、彼が雨の日に傘もささずに佇んでいたときのことを思い出す。あのとき傘を差しかけたリオセスリはヌヴィレットの表情を見て、余計なことをしてしまったかなとは思っていたが、まさかあれを気にしてこんな場所まで来るようになったのだろうか。そうであれば少しばつが悪い。謝ろうかと口を開きかけたが、ヌヴィレットはこちらの様子には気が付かずそのまま話を続けた。
「それに、本来ならば私はこういった自然の中の方が落ち着く。水中などは特に良い」
「へえ、そうなのか。水の中だとあんたはやっぱり陸にいるときより速かったりするのかな」
「そうだな。水の中で私が遅れを取ることはまずないだろう。君たちが水流に乗って泳いでいるときよりもいっとう速い」
「ふふ、だったら今度競ってみるかい。俺も案外速いぞ」
 リオセスリの言葉に返ってきた声は僅かに弾んでいる。きっと冗談を言っているつもりなのだろう。けれど彼ならば冗談とも言い切れない内容なのが面白い。リオセスリも冗談で競争を提案したが、別に本当にやってみるのもいいかとも思っている。だってそれはそれで楽しそうじゃないか。
 リオセスリにつられたのか、ヌヴィレットも息を小さく吐き出すように微かに笑う。その穏やかな顔はあまり見たことがないもので、何故だかリオセスリの心に強く残った。
 
 全く引かれる気配の無い釣り糸を見ながら二人は話し続けた。それは仕事の内容だったり多少プライベートに踏み込んだものだったりとそれはもう様々に語った。釣果がないまま時はあっという間に過ぎ、いつの間にか水の中にまで探索域を広げていたシグウィンたちが目的の質のロマリタイムフラワーの花弁を抱えて帰ってきたことで、漸く二人は時間の経過に気がついた。仕事に忙殺される以外でこんなことは初めてだったので、リオセスリは一人内心で驚いている。
 結局最後まで何も釣れなかったが……いや、何もというのは正確ではない。何も釣れないヌヴィレットを見兼ねたかのように一体のヴィシャップが自ら針に掛かりにきたのだ。その光景を見て珍しくリオセスリは屈託のない笑みを浮かべた。あれはなかなかにおかしな状況だった。
 とにかく、そんな素っ頓狂な初めての釣りだったが、リオセスリはかなり充足していた。自然に囲まれてのんびり過ごすのも、ヌヴィレットと他愛ない話をするのも悪くなかった。
 それはヌヴィレットも同じだったようで、彼は帰路を歩きながら満足気にシグウィンたちへ初めて経験した釣りについて語っている。メラも釣りの経験はないらしく興味深そうに相槌を打っていた。
 彼らの姿を少し後ろから歩いて眺める。彼と彼女たちの並んで歩く様はやはり親子みたいだ。なんとなく眩しく感じ、目を細める。けれど、この情景を近くで見られることが嬉しくもあった。
 いつもと違う休日。たまにはこういう日も良いものだと、誘ってくれたシグウィンへ感謝した。