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山城まつり
2025-12-14 15:54:11
8483文字
Public
クリムゾン・ジェネシス
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シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.009【完結】②
前回:Ep.008
https://privatter.me/page/69341936badd5
シリーズ:
https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299
シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─、堂々完結~~~~!!
長い間お付き合いくださり、ありがとうございました! 実はエピローグ、ふたつ生えてしまったのですが、よければ読み比べていい方を教えてください……。こっちは余韻を残したエピローグ、もうひとつは希望を与えたエピローグになってます。
もうひとつ:
https://privatter.me/page/693d55d1610f5
それではどうぞ、お楽しみください。
※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。
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3
4
エピローグ:人間に、戻れた者と
十一月十日。
あの二日間が終わってから──まだ、二十四時間しか経っていない。
病室には、夕方特有の薄く濁った光が満ちていた。
窓から差し込んだ西日がカーテン越しに分散され、白い壁に柔らかな影を落としている。部屋を淡いオレンジに染めるその陽光と、微かに吹き抜ける微弱な温度を宿した晩秋の風が、この科学と幻想を抱く医療の場をメランコリックに染めていく。
病室に落ちる影は、僅かに風に揺れている。それが、時間がまだ流れている唯一の証拠のように、病室の中の人々に思わせていた。
──ベッドの上で、東雲は眠っている。
正確には、「昏睡状態にある」と医師は言うだろう。だが翠には、その言葉がどうにも現実味を帯びて聞こえなかった。
眠っている。横たわる彼はただ、それだけのように見えた。
包帯に覆われた身体。
微かに上下する胸。
規則正しく刻まれる心電図の音。
──東雲はまだ、この世界に生きている。
その事実だけが、病室の中で、やけに大きな存在感を放っていた。
床頭台には、花瓶に活けられた花が存在を主張している。その脇にはビニール袋に収められた菓子類と、達筆な文字が並ぶ手紙。どれも、彼の親族──恐らく父親と祖母──が書いたものなのだろう。
彼は罪を犯したのだと、伝えられた筈だ。けれど、彼の家族はそれを黙って受け入れた。
葛藤もしただろう。苦しい思いもしただろう。それでも
……
それでも彼等は、東雲をひとりの家族として赦したのだ。
翠はそれを眺め、ベッドの脇に立ったまま、暫く動かなかった。
ベッドサイドにはチェアが二脚。だが、それに座る気にはなれなかった。ここで腰を下ろした瞬間、自分は「見舞いに来た人間」になってしまう気がしたからだ。
……
そうなってしまえば、きっともう、立ち去れなくなる。彼が目覚めるまで、彼が人として生き直す事が出来たと確かめられるまで、見ていたくなる。
「
……
不思議だな」
落とした声は、思ったよりも低く、乾いていた。
「あんたは神を、特別な存在を目指して
……
あの時俺達と、奇跡を起こしながら戦ったのに──こんな風に、普通の病室で寝てるなんてさ」
返事はない。ただ、バイタルモニターの数値がぴっ、ぴっ、と音を立てながら返ってくる。
それでいい。返事を期待していない事は、自分が一番よく分かっていた。
翠は、ポケットに手を入れ、指先で布の感触を確かめる。
そこにあったのは、白いレースのハンカチ。あの日、彼が母に差し出したハンカチ。昨日、彼が手に取り──そのまま落としたハンカチだった。
布団を捲る。リストバンドをされた彼の細い指先にそれを滑らせ、握らせる。そして、もう一度自分のポケットに手を遣った。そこにあったものは、彼に渡った。布地で作られた虚無の空間だけが、指先に触れる。それを確認するための、無意味な動作だった。
「
……
戻れたんだな」
言葉が、自然と零れる。
「神にもならず、怪物にもならず」
一拍、間があった。
「
……
ちゃんと、人間に」
その瞬間、胸の奥に、ひび割れるような感覚が走った。
痛みではない。手を握り潰すような、無力感ではない。
それは、喪失感に近かった。自分と彼は違うのだという事を見せつけられた、そんな感覚に近かった。
ゆっくりと視線を落とす。
自分の両手は、静かだった。そこには震えも、痺れも無い。医学的に見れば健康そのもの。痩せているか太ってるかで言うと──限りなく細く、骨と血管が浮き出た貧相な手。
「
……
俺は」
喉が、僅かに詰まる。
「俺は──人間には、戻れない」
声は、
殆
ほとん
ど音になっていなかった。それでも、言わずにはいられなかった。
「奇跡を、使った」
独自のようにそう、続ける。
「誰も死なせないために。誰も、殺させないために」
それは、医者としての選択だった。同時に、医者である事を超えてしまった選択でもある。
自分はあの瞬間、確かに人間の枠を越えた。そしてその代償は──自分ではない何かが引き受けた。何も言わずに。呪いの言葉ひとつ、吐かないで。
(
……
だけど)
けれどあれ以降、翠の心には〝
限界値
リミッター
〟がまるで数値として見えているかのように浮かび上がっている。無茶をすれば、感情が昂れば、また超えてしまうという確信が静かに手を挙げている。それを思い出せば、自然と唇が震える。喉が狭まって、ひりひりと痛む。それをなだめるように、言葉を置いた。
「
……
あんたは、忘れるだろうな。忘れられるだろうな」
翠は、ベッドに視線を戻す。
「此処で、何が起きたかも。自分が、何になりかけたかも」
脳は、そうやって人を守る。人に戻った彼を守る。
耐えきれない記憶を、バグの起きた事実を切り捨てる事で〝人間〟で居られるようにする。〝人間としての己〟を守っている。
「それでいい」
唇から紡がれたのは、そんな言い聞かせるような言葉だった。
「それが
……
人間だ」
ベッドサイドの縁に、そっと手を置く。陽光の残骸が翠の横顔を
微
かす
かに照らし、逆光になった頬に暗い影を落としていた。
風の音も、カラスの歌声も、病院のざわめきも──全てが遠ざかった、隔離された聖域の病室。バイタルモニターが生命を刻み込む音だけが木霊《こだま》する、どこまでも静かな世界。
翠は、ただ黙って東雲を見つめていた。救われない己と、救う事が出来た彼を見比べて、黙っていた。
そうやって翠が唇を結び、視線を逸らそうとした、その瞬間。
視界の端で、彼の指が、ほんの僅かに。
東雲の右手の指先が、布の上できゅ、と動いた。
掌
てのひら
に押し込まれたレースのハンカチを、そっと握り締めた。
錯覚かもしれない。
筋反射かもしれない。
医学的には、いくらでも説明がつく。
だが──翠の呼吸は、素直に止まった。時間が一瞬だけ、引き延ばされる。
心電図の音が、遠く鳴る。自分の鼓動だけが、耳の奥で、やけに大きく響く。
「
……
。」
名前を呼びかけそうになって、やめた。
呼んでしまえば。期待してしまえば。
内側で、眠る神を抱える自分がそうすれば──彼をまた、縛ってしまうような気がしたから。
翠はじっと、その手を見つめる。指は、それ以上にもう動きはしなかった。ただ、何事も無かったかのように静止している。陽光を淡く反射して、白く煌めいている。
──気のせいだ。
──そういう事に、しておくべきだ。
翠は、ゆっくりと息を吐いた。
「
……
もう、」
小さく、細く呟く。
「神なんて、目指さなくていい。母さんみたいに
……
俺みたいに、ならなくていい」
それは、願いだった。
同時に、祈りでもあり、逃げでもあった。
「人間として、生きろ」
それ以上、何も背負わずに。
翠はベッドの柵から手を離し、静かに
踵
きびす
を返す。そして、病室を出る前、ほんの一瞬だけ振り返る。
東雲は、依然として眠ったままだ。涙も零さない。唇は
言祝
ことほ
がない。だけど、それでも──。
それでも、その指先は、確かに温かそうに見えた。
──ドアが閉まる。
軽い音だった。それでも、その向こうと此方側を、完全に切り分けるには十分だった。
廊下に出た瞬間、外界の賑やかさが一気に鼓膜に押しかける。
リノリウムの床を叩く靴音。鳴り響くナースコール。看護師が飛ばす指示に、見舞いに来た人々の談笑。
それらが、此処が現実なのだと囁いている。此処が人間の住まう世界なのだと、謳っている。
翠は、暫くその場に立ち尽くしていた。
自分が周りと同じなのだと確かめたくて、ただの一般人なのだと思いたくて、胸にそっと手を当てる。
……
鼓動は、ある。呼吸も、ある。
それなのに──人間である証拠だけは、どう確かめようとしても見当たらなかった。
「
……
それでも、医者は」
口に出しかけて、飲み込む。
「
……
それでも、〝俺〟は」
──最期まで、人間を演じ続ける。
それは誓いではない。仲間達から、世界から重要な記憶を消し去り──それでも覚えている自分が抱えるべき、罰だった。
そっと、手を胸から降ろす。それと同時に、廊下の向こうから靴音が聞こえてきた。
足音は三人分。彼等は翠の目の前まで足を進めると、そっと横開きのドアノブに手を遣った。
白を基調とした
外套
がいとう
。胸元には、見慣れない紋章。テレビで見た記憶を引っ張り出す。それは、己の記憶が告げるに
……
魔法執行局の制服だった。
うち片方は、まだ若い。もう一方は
年嵩
としかさ
で、視線の動きに一切の無駄がなかった。そしてその二人を引き連れた、先頭には──。
「
……
あ」
思考より先に、声が漏れる。それを受け取って、〝彼女〟の
紅玉
こうぎょく
の瞳が此方を捉えた。
黒い肌に映える、黒いワンピース。足元は長い白のブーツで、整えられた髪は長い。
人間のようで、人間ではない立ち姿。翠は似た存在と契約しているから分かる──魔界出身の異界存在、即ち悪魔だった。
「
……
なんじゃ、先客かの」
呼ばれた事に気付いたらしい少女はそう言って、ドアに手を遣ったまま翠を見上げる。そしてその顔を見た瞬間、ふと目を見開き──。
「そち──」
一拍、休符が描かれて。
「
……
成る程。そちが、サクラダヒスイか」
彼女はゆっくりと瞳を細める。紅い瞳に映る自分の顔は、どこか泣き疲れたような表情をしていた。
「
……
あんたは、」
「
妾
わらわ
はラプラス。真実の悪魔、ラプラス」
「ラプラス
……
」
枯れた声でそうおうむ返しする。ラプラスは小さく頷くと、「先日の事件解決はご苦労じゃったの」と静かに返す。優しく、やさしく、傷に触れないような声音で。
「
……
東雲さんに、用ですか」
いつもなら「ああ、はい」と曖昧に返事できるのに、今の翠はそれすら出来なかった。ただ淡々と、彼女達が此処に来た理由に触れていく。背後に控える魔法執行官の男が、一歩前に出た。
「東雲被疑者の状態確認と、身柄確保の手続きに来ました」
事務的な声だった。もう一人、若手の男がおずおずと言葉を継ぐ。
「現在は、医療管理下。意識回復後、改めて聴取を行おうかと
……
」
「記憶が無いのに、ですか」
翠の口から、思わず言葉が漏れる。歳を喰った執行官は、即座に答えた。
「はい。罪は、罪ですので」
迷いは、ない。
「責任の有無と、記憶の有無は別ですから。そうでなければこの魔法世紀の秩序は守れません」
それが、この世界のルールだった。あまりに淡泊な台詞を聞き、翠は瞳を伏せる。
──人間だ。
──あんたは、人間に戻れた。
それでも
……
。
それでも、裁かれる。
「残酷だな」
小さく、呟いたつもりだった。だが、ラプラスの耳はそれを拾っていたらしい。
「公平、とも言える」
穏やかでも、冷酷でもない声。
「記憶を失っても、行為は消えん。じゃが、同時に──」
そう言って、彼女は翠を見た。血のような底なしの瞳に、翠のエメラルドの瞳が黒く映る。
「──行為を〝行わせた世界〟も、また無罪ではない」
その言葉に、翠の胸が僅かに軋んだ。
世界に、罪があるというなら。この廻る世界が、事を引き起こしたというなら。
……
世界はいずれまた、同じように誰かを罪に導く可能性があるという事なのだから。
「
……
俺に、まだ用があるのか。俺に、まだ
……
抱えていけって言うのか」
投げた声は、震えていた。だがそれに対し、ラプラスは少しだけ考える仕草をする。
「今すぐではない」
答えは、否定でも肯定でもなかった。ただ、これからも何かを抱えていく可能性がある事が示唆され、これから先の未来でまた何かを背負っていく運命を示唆され、喉がひゅっと狭まる。
「じゃが、いずれ」
彼女はゆっくりと、言葉を続ける。
「そちは〝思い出す側〟ではなく、〝思い出させる側〟になる」
意味は、分からない。けれど、拒否できない確信だけがそこにあった。
彼女はにこりともう一度笑うと、ドアノブをそっと握りしめた。薄く開かれた病室では、先程と同じように、ベッドに横たえられた東雲の穏やかな呼吸が続いている。
ラプラスは、それを愛しそうに眺めた。まるで、眠る東雲の〝先〟を観測するように。
「
……
観測は、終わっておらぬ」
誰にともなくそう呟いてから、ラプラスは、執行官と共に歩き出した。すれ違いざま、部屋に入る最後の最後に──もう一度だけ、翠を見る。翠と、目が合った。
「
……
そちは、まだ〝確定しておらぬ〟」
一呼吸置いて、続けて。
「人であると断ずるには、失いすぎた。じゃが、人でないと切り捨てるには──まだ、足りぬ。それがそちの希望じゃろうな。分からずともよい。ただ
……
それだけはどうか、忘れてくれるなよ」
そう言い残して、人影が三つ、扉の向こうへと消えていく。
橙
だいだい
を終え、緋色に染まりつつある世界の色が、翠をひとり包んでいた。
廊下に、再び静寂が戻る。
翠はその場に縫い留められたまま、暫く動けなかった。
胸の奥で、何かが、微かに──。
本当に微かに、静かに、軋んでいく。
それは、希望なのか。
それとも、次の刑なのか。
まだ、分からない。
「それでも、俺は──」
先程声にした呟きを、もう一度なぞる。
夕暮れの光が、長く廊下を染めていた。
その中を、翠は独り、歩き出す。
人間に戻れた者を背に。
戻れなかった自分を連れ──。
──ひすい。
母の声が、記憶の奥で密かに揺れる。
──どうか、あきらめないで。
それが祈りなのか、それとも、ただの願いなのか
……
翠にはもう、判別がつかなかった。
それでも彼は、歩き出す。
人間に戻れなかった者として。
それでも──医者であろうとする者として。
消毒液の匂いが、遅れて鼻腔に届いた。
それは、逃れようのない〝現実〟の匂いだった。
シャルラッハロートの夕陽が、彼を包んでいる。
これは、人と神の境を歩く彼が紡ぐ──
紅蓮の創世
クリムゾン・ジェネシス
だ。
──シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─ 完結
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