同じ世界線の話(読まなくても大丈夫です)→
Give me back the blanket!
数分前から大きな鍋を弱火にかけてじっくりと火を入れているのはたんぱく質の塊である鶏の胸肉だ。日頃信じられないほど動いているため食べた分太るということはそうそうないが、大事なのは筋肉の維持だ。毎日のようにトレーニングは欠かさないがそれでも必要なのは食事面からの補給。これがなければ育つ筋肉も育たないというもの。だから手軽に食べられることができて多少作り置きができるものを時間のある時に作っているというわけだ。
同居人は深夜に帰ってきたらしくまだ就寝中。最初のころは物音を立てないように気遣っていたが本人からゆっくり眠れるから平気だ。と言われてしまえば心配することもなくなった。そして、同居人
……ではなくもう一匹もお気に入りの場所でお昼寝中だ。
俺は動物を飼っていたことがないからバッキーに飼い猫を紹介された時は正直驚いたしどう接していいかわからなかった。自分が猫を苦手か得意かもよくわかっていなかったし、好かれるのか嫌われるのかもわかっていなかった俺の背を押したのは飼い主であるバッキーだった。
同居を始める前、慣れるためにバッキーの家を訪問した俺に背を低くして物陰から伺い警戒モードだったアルパインはその日のうちに触らせてくれるようになった。実際のところ俺は何もしておらず、ただバッキーと部屋で過ごし少ない調理器具で飯を振る舞い会話をしていただけだったのにも関わらずシャワーを出たあとにソファに座った俺の隣で丸まったのだ。
「どういうことだ
……?」
「だから言っただろ、大丈夫だって。俺が日頃からお前の匂いたっぷりつけてこいつに触ってたんだ。すぐに慣れると思ってたさ」
思わず疑問を小さく口に出せば勝ち誇ったようなバッキーが饒舌に喋り、アルパインの頭をひと撫でしてからシャワールームへ消えていった。
触られたアルパインはむずかるように身体を捻り片目で俺を伺うと前脚でちょいちょいと俺の腕を触り僅かに引っ張られる。
「触ってもいいってことか?」
問いかけると返事の代わりかにゃあとひと鳴きしたので人差し指の背で顎下を撫でる。数秒するとテレビでも付いてたら聴き逃してしまうような喉を鳴らす音(らしい)をゴロゴロと言わせて再び目を瞑る白い猫。そうしてバッキーが戻ってくるまでそのままだった俺たちは無事打ち解けたのだった。
そんな訳でバッキーとアルパインと同居を始めて早数ヶ月経った今日、ここの所引越し後の片付けや何やらで出来ていなかったサラダチキン作りをしているのだ。
設定したタイマーが鳴る前に音を止めて火を消す。このまま数十分置けば出来上がりだ。その前にスープの味見をしておくか。今日はこのスープで温かいポトフでも作ろうかと思っているところだ。
蓋を開けると湯気が上がり、味見分だけスープを取り分けてすぐに蓋を閉める。余熱で火を入れたいからなるべく熱は逃したくない。小さなカップに入れたスープを口に運ぼうとしたところで寝ていたはずのアルパインが足音はさせずにキッチンに入ってくる。躾が出来るとは思っていないが一応キッチンは立ち入り禁止とは教えてはいるのだが。
「ヘイ、寝床に戻ったらどうだ?」
お気に入りの場所を指さしてもなァなァと声を上げて俺の足に擦り寄ってくる白い猫。すっかり寒くなり換毛期というのは落ち着いたらしいがそれでも毛は抜ける。黒いズボンにはすでに白い毛がまとわりついている。
「どうした。お前の飯はないぞ。寝る前に食ったろ」
俺が起床したタイミングでアルパインには飯を与えているしいつもはこんな風に催促して来ない。まだ数ヶ月だからわからないこともあるが、流石に具合が悪いとかじゃないよな?
カップを置いてしゃがみこみ未だ鳴き続けるアルパインの頭を撫でると前脚を限界まで伸ばし、何度も空を切る。なにかに手が届かないようなそんな仕草だ。
「サム? アル?」
至近距離でアルパインの鳴き声を聞いていたためか階段を下りる音に気付かなかったらしい。声をかけられてバッキーが起きたことを知った俺は立ち上がって両手を上げて降参のポーズを飼い主に向ける。
「ん
……? あぁ、そういうことか。サム、その中って鶏でも煮たか?」
アルパインは今度はバッキーの足にまとわりつき始め、バッキーは気にもしない様子で近付いてくると鍋を指さし小さく笑みを浮かべる。
「あぁ。むね肉をただ水で煮ただけだけどな」
「塩は?」
「入れた」
俺の返事にバッキーはオーケーと返すと俺がしたようにしゃがみこみ、頭を撫でながら言葉を続ける。
「あれはお前にはだめ。スープも鶏もやれない。オーケー?」
ん? と首を傾げながら真っ直ぐにアルパインを見て伝えるバッキーの言葉にようやく合点のいった俺は小さく息を吐いてから再びしゃがみこむ。アルパインはわかったのかそうではないのか鳴き声は止めたが撫でるバッキーの手に頭突きのように頭を押し付けている。これは抗議なのか?
「なぁサム」
半歩俺に近付いたバッキーは顔を寄せて内緒話のように小さい声を俺の耳に吹き込んでくる。
「小さいオヤツはあげようか」
「そうだな」
顔を見合わせると小さく笑い、同じタイミングで立ち上がってオヤツ置き場に足を向けると何かを察したのか白い猫は軽い足取りで付いてくる。高い場所にケースに入れて保管しているオヤツ箱をバッキーが手に取るともうわかったようで再び鳴き出し俺たちの周りをぐるぐると歩き回る。
お気に入りのオヤツのひとつが取り出されると俺が箱を戻してバッキーが封を開け、スティック状の袋の先端をアルパインに差し出す。柔らかいゼリー状のそれは大好物であまりに興奮するから本当にたまにしかやらないらしい。
バッキーがチキン味を選んだのは俺の気持ちも汲んでくれたからだろう。すぐに食い付いたアルパインは人間が出していたら到底許せない咀嚼音(でいいのだろうか)を立てながらバッキーがゆっくりと押し出す半固形のそれを一心不乱に舐めていく。
「今度お前用にチキンを茹でてやるからな。スープも一緒に」
撫でることはせず声をかけるとわかっているのかいないのか、こちらを見向きもせずなァとひと鳴きしたアルパインはそのまま一袋を舐め終わるとさっさと寝床に戻り熱心に毛繕いを始めた。それを見た俺の肩を労うように柔らかく叩いたバッキーは袋を捨てるとキッチンで手を洗い冷蔵庫を物色し始める。
「夜はポトフにするから、今は軽めにパスタでもいいか?」
後を追い同じく手を洗い、後ろからバッキーの腰を引き寄せ冷蔵庫を閉めさせる。俺の行動が予想外だったのか小さく声を上げた同居人兼恋人はすぐに振り向いて同じように腰に手を回してくる。撫で方が不埒だったので少しつねればわざとらしくぶすくれる顔が目の前に広がる。
「折角いい飼い主っぷりを見せてくれたお前に感謝の食事とキスでもやろうかと思ったのにな」
「! なぁ、おい。さむ」
お互い連日忙しくこうして顔を合わせるのは久しぶりで、ましてや昨日は深夜に帰ってきたためキスだって出来ていない。それを踏まえて俺はしようと思っていたのにこいつと来たらすぐに〝そういう〟方向に持っていきたがる。嫌ではないが今じゃない。
それでも家族のひとりの対応に困っていたところを助け船を出してもらい感謝してるのは本当だ。情けなく下げられた眉と眉の間に唇を押し付けてパッと身体を離す。これもキスはキスだ。
「ほら飯作るからシャワーでも浴びてきたらどうだ?」
「サァム
……」
顎を動かしキッチンから退出するように促すと情けないままの顔と声で俺を伺いながらバスルームへ向かっていく姿は素直で少しばかりかわいそうだ。仕方ないので好物のひき肉がたっぷり入ったパスタでも作ってやるとしよう。
「な、アル?」
やっぱり物音ひとつ立てず足元にすり寄ってきた愛猫に声をかければ返事の代わりにゴロゴロと喉を鳴らす音が微かに響いたのは穏やかな冬の昼下がりだった。
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