山城まつり
2025-12-06 20:53:26
16065文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録─クリムゾン・ジェネシス─Ep.008

前回:Ep.007 https://privatter.me/page/6929534bcd5cc

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=91299

シャルラッハロート、更新~~~~~!!
これにて第四章「紅蓮の創世 – Crimson Genesis –」は終了となります! ですがあの まだ幕間とエピローグがあって……普通に2つで1万文字を越すので、今回はクライマックスだけを載せます 今週で完結!とか言ってすみません、来週もまだ続きます……。

今回、ずっと「面白いか……? これ……」と頭を抱えてばかりで自信があんまり……ありません……。面白かったよ!という方が万が一にもいらっしゃいましたら、リアクションや感想で教えてください(最悪な他力本願)いやあの 強制じゃないですからね!? 気が向いたらでいいので……。

山城の小説は「うおお!胸アツ!」というより「感動」をお届けできたらええな~~~と思って書いております。自信はないけど、前作『ヒイロノカイ』とはまた違った感動があるとええなあと思っています。

長々と喋ってすみません~~……。それでは、どうぞ。よき時間を提供できますように!

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。


4節 憶えているから




世界に静寂が戻り、手術室に満ちていた熱が冷めていく。空はすっかり紫に染まり、夜の気配をさらに強めていた。だが、それを尻目に──翠はひとつ息を吐くと、横たわる東雲の頭部へと視線を向ける。

──まだ、終わってはいない。まだ、やるべき事が残っている。
何故なら、彼の魔法感受体は壊れているから。
何故なら、彼は神を目指す事に囚われているから。
このままでは、彼は母と同じ道を辿るだろう。死という概念へと溶けて、消えてしまうだろう。だがそれは、彼が向かうべき未来ではない。彼の〝償い〟は、生きて果たすべきものだ。
彼はまだ、終わりじゃない。彼に残ったのは、絶望じゃない。東雲は生き直せる。まだ、選び直せる。どこまでも優しい彼ならば、人として生きる、その道を。

「──メディ」

真っ直ぐな声でそう名を呼ぶ。呼ばれた悪魔の少女は直ぐに振り返り──小さく悪戯に笑った。

「うん、分かってるよぉ?」

彼女は東雲の額に指を添え、甘く囁く。
彼女は、悪魔だから。あらゆる概念を飲み込む、悪魔だから。

「〝魔法感受体を壊した〟って事実、いただくねぇ?」

それが、母の時に出来たらどれだけ良かったか。
……分かっている。母は、魔法感受体を切除しないと危険だったから切除したのだ。異界との接続なしに魔法を操れる人類の特異点──だから彼女は、人々の危険因子とならないように感受体を切除したのだ。
その結果、呪いを抱く羽目になった。死ぬ未来を決定づけられた。

……でも)

どちらを選んでも、きっと末路は同じだった。
それはきっと、母には分かっていた筈だ。
だから彼女は、選んだ。
人として、普通に生きられる日々を、望んだのだ。

母は死んだ。命を落とした。
だが──東雲は救える。
まだ間に合う。まだ、人として生き直せる。
翠はただ、起こる奇跡から目を逸らさぬように見つめた。
胸を焼く痛みから目を背けぬように、見つめていた。

緋色の光が、炎のように静かに燃え上がる。
光が頭部を包み、概念だけが燃えていく。

彼が抱え続けた孤独。
彼が囚われた呪い。
彼が選ばされた痛み。

それらだけが、火の粉と共に空へと消えていく。
メディは燃え盛るほむらの中、振り返って静かに告げた。
どこか、冷たい声色で。

「──この概念を全部喰べたら、レイもイオリも、サナも──おにーさん以外のみんなの記憶から、この事件が消える。東雲センセが神に成ろうとした事も、魔法感受体が壊れた事も、事件の全ても……全部。この事件は、東雲センセが神になろうとして始まったものだから」
「な──」

怜が絶句する。翠は肩をすくめるように言った。

「俺は呪いで身体が〝概念の存在〟になりつつあるから消えねぇみたいだけどな。仕方ねぇだろ。東雲さんをこのまま放っておくワケにもいかねぇし」
「だが、櫻田……!」

メディが、少しだけ残酷に笑う。

「しかたないんだよ、おにーさん達」
「仕方ない、だと? 櫻田一人に全部押し付けて、忘れろと言うのかッ!」
「落ち着いて、レイ先生……!」

伊織が怜の肩を掴む。しかし、その指も微かに震えている。
その戸惑いを許さないように、世界がぐにゃりと波打った。

山の空気がひと呼吸ぶんだけ歪む。視界の端で色が砂のように崩れ、そこにあった〝出来事の輪郭〟がほどけていく。怜が、伊織が、サナが、頭痛に顔を歪める。彼等の記憶が、概念が、徐々に薄れようとしていた。

……忘れてたまるか! 忘れて──俺、達、は……俺達は、何故このような、手術を……? 違う、東雲さんを、東雲さんを……ッ!」
「う……っ、頭の奥が、白く、」
「サナ、サナ……っ。綾人さま……? 綾人さまが、どうして、怖かったんですか……っ。ちがう、ちがうんです……っ!」

次々に、記憶が溶けていく。
必要な部分だけを残して、世界が再構築されていく。

翠だけが、ただ静かに見ていた。
火の粉が宵闇へと溶け、記憶が消えていく様子を、独り。
瞼の裏が、燃えるように熱かった。雫がひとつ、アスファルトに落ちる。
けれど、それでも。それでも翠は、背負い続ける。
それが、己の使命だから。それが己の、権利であり──義務だと思うから。

……みんなが忘れても、俺が覚えてる」

声には、揺れが無かった。迷いなど、ひとかけらも無かった。

「櫻田……ッ、お前……!」
「無理すんなって? ハイハイ、今さらだろ」

翠は自嘲気味に笑った。それを見て、メディがゆっくりと近づいてきた。

「──おにーさん」

右手がそっと差し出される。そこに握られていたのは、透明なアンプル──シナプス・リモデラー。あの時幸田のカバンから盗み出したのであろうそれは、悪しき記憶を上書きする、翠のための救済手段。

だが翠は、首を横に振った。続く言葉には、確かな意志がある。

「要らねぇ。俺は、使わない。……患者の苦しみは、忘れちゃいけねぇ。だから俺だけでも覚えていく。背負っていく。医者は──誰かの〝痛み〟で生きてるんだから」

メディは手を引っ込めると、小さく呟いた。炎の影に、紅玉こうぎょくの瞳が揺れている。

……おにーさん。おにーさん独りに、こんな重荷を背負わせるのは……ほんとは、間違ってる。でも〈呑噬〉は、概念ごと消す魔法。世界は〝矛盾〟を残せない。だから、みんなの記憶は消える。消えてしまう」
「ああ、知ってる」
「でも……おにーさんは、特別なんだ。世界のありのままを覚えていられる、特別なんだ」
……それも、分かってる。それが俺の、母さんから与えられた役目なんだろうからな」

翠はそっと水平線を見つめた。
火の粉が薄暮の空に散り、現実と幻想の境界をぼかしている。
それを眺めた怜がそっと。そっと、震える声で言葉を紡いだ。未だ痛むのであろう頭を押さえ、激痛を堪えながら、けれど確かに。

……記憶が抜け落ちる前に……櫻田、言って……おきたい事がある。一人の医師、として、〝東雲さんを救った〟、お前の戦友として」

彼の表情は、苦しみの渦中にありながらも、いつになく柔らかかった。

「──お前は神を否定した。だが……それでも、救えると思って手を伸ばした」
「ふは、なんだよ。得意の説教か?」
……どう受け取っても構わん。ただ……言いた、かったんだ。お前と同じ記憶を持っていられる今、独りで……全てを背負おうとする、異端の医師に」

炎が、彼の顔を優しく照らしている。青みを帯びた怜の髪が、紫色に染まっている。

……俺達は、神ではない。脆く……弱い人間だ。だが──医師だ。命を、繋いでいく使命を負った、医師だ。そうだろう──〝翠〟」

伊織もその後に続いた。橙に満ちた逢魔の空の下、静かに、静かに。まるで、祈りのように。

「命に触れる。命を赦す。命を──生かす。それが、僕達の役目。たとえ、記憶が無くなっても、君と……〝ヒスイ〟と、何度でも」

その言葉を受け取って、翠は頷いた。

「医師ってのは、神様みたいに救済を与える存在じゃない。ただ人間臭く、寄り添うだけの存在だ。でも──」

息をひとつ置いて、笑む。

「それで上等だよ。俺達は、人間だから」

炎が、空へと昇っていく。夜が、ゆっくりと訪れていく。
手術室の帳が弾け、澄んだ空気が流れ込んでくる。
音が一瞬遠のき、世界が呼吸を忘れている。

翠は、自分の胸の中にたぎっていた怒りが、ゆっくり、波のように引いていくのを感じていた。

……ああ、俺は)

──それでも。
それでも俺は、この人を救いたかったんだ。

自分でも驚くほど静かな心の声が、透明に響き、空へと昇っていく。
東雲の身体が、微かに震えた。彼の指先が、ぴくりと動いた。

風が吹き、空がひとつ色味を変える。
緋色から、深く澄んだ紫へ。夜の境目に、一番星が瞬いた。

東雲が、ゆっくりと息を吸う。それは、彼が道を選び直し──生まれ直した証拠だった。

……東雲さん」

眠る彼に、そっと告げる。雪の表面を撫でる風のように、そっと。

「あんたは今、生き直した。〝神になりたかった理由〟が消え去った。でも──〝人として生きる理由〟がまだ、胸の中に残ってる筈だ。救いたいんだろ……患者達を」

そよそよと、風が通り過ぎる。湿ったアスファルトの匂いを連れたそれが鼻をくすぐり、髪を撫でていく。
照らす炎が消え、場に静寂だけが残される。
長い沈黙が横たわり──黙っていた怜が、小さく呻いた。

……俺は……どうして、此処に」

その言葉が、翠の胸を刺す。
全てを忘れたのだという事実が、脳を痺れさせる。
伊織が涙声で続いた。

「助けないとって……それだけ、覚えてる、のに……もっと、大切な、事……

サナも涙を零した。透き通る光が、頬を伝って落ちていく。

「綾人さまが、苦しそうだった、気がするのに……どうして……? どうしてサナは、何も覚えてないんですか……っ」

翠は彼等の言葉に、背中だけを向けた。
孤独と慈しみを同時に帯びた、小さすぎる背中だった。
三人の問いが途切れ、空気が鎮まる。胸の奥に、ひりつく熱が走っている。

声が震えないように、涙が零れ落ちないように──深く、深く息を吸う。そして、一番星を視界に捉え、空を仰いだ。瞑色めいしょくの夜空を吹き抜ける風が、熱い目頭の温度を溶かしていく。

……いいよ。それでいい。全部、俺が覚えてるから」

口にして初めて、その言葉が〝重荷〟ではなく〝祈り〟だと分かった。心の奥で、何かがそっと音を立てて落ちていく。

誰にも届かなくていい。
全部、忘れられてもいい。
だけど、俺だけは──。

呑噬の炎が消え、世界が静かになる。
紅蓮の創世を終え、新しい世界が構築された。

東雲の〝真実〟を、誰も覚えてはいなかった。
ただ──翠だけが、知っていた。
メディがそっと、細い指先に彼女の指先を滑らせる。

「──おにーさん」

静かな声。翠はそちらにひとつ、視線を向ける。

「ボクは、ずっと傍に居るよ。キミと一緒に、失われた真実を胸に抱いて」
……ああ。忘れない。絶対に、忘れない。それが、呪いを抱く俺が──この世界で唯一、出来る慰めだから」

その言葉に彼女は一瞬、泣きそうに微笑んだ。
二人の見る世界の真の姿を、今や仲間達は覚えていない。誰の記憶にも残らない。

翠だけが、知っていた。
〝彼〟の優しさを知る人間の中で──翠だけが、たったひとりが。

命が戻る喜びも。
命がほどける痛みも。
記憶を失う仲間の苦しみも。
それでも彼等が傍に居る幸福も。

東雲は、生きた。
翠の手と、仲間の祈りと、母の言祝ぎと、メディの力によって。

静謐せいひつの中、空は緋から紫へ変わり、いずれ常闇が訪れる。
霜月、晩秋の宮島。世界は書き換えられた余韻を抱えたまま、生きとし生ける全ての命に、厳かな讃美歌を奏でていた──。


────────Ep.009に続く