haruon1018
2025-11-19 17:20:07
5467文字
Public ヘクマン
 

猫も杓子も

明治ぽい世界観で高等遊民のヘク様と新聞記者のマ君が同棲していて、猫のヘクマンもいる変わった世界の話。
https://x.com/Haruon1018/status/1991060052321665163?s=20   (元ネタ)

朧月夜に猫の聲が反芻する。
 いくつかの十字路を間違いなく選択し、さらに路地奥へと入ると目立たないように行灯や屋号が飾られている屋敷を通り過ぎると、ようやく重々しい表門が顔を出す。
 瓦解前は武家屋敷だったのか、当時の名残で白壁を彩るように木々が植えられ、庭には池もある。
 ただ今世の家主が海の向こうから来た男なので、表札は『トロヰア』と仮名文字で書かれている。
 家の中は波斯絨毯が敷かれた異国的な部屋や、高僧の私室と名乗っても可笑しくないほど古めかしい部屋と様々だ。
 左へ曲がったかと思えば次は右へ、複雑な廊下を渡り終えるとようやく家主の部屋の襖が出てきた。
「ヘクトールに餌やらないと、」
 黒髪の青年が床より一段高い寝台から起き上がろうとすると、ぬっと太い幹のような腕が青年を攫った。
「ヘクトールならここにいるけど、」
 カラっとけれど青年に向ける感情は重い鳶色の髭を生やした壮年が抱き寄せて笑うが、青年はふるふると首を振る。
「猫のヘクトールっす、」
 青年はけっして華奢ではない。
 きめ細やかな肌の内側から筋肉のありどころが示されている。
 割れた腹と引き締まった下にある瞬発に飛んだ脚。
 それが洋灯の下、榛実色のヘクトールの前では瑠璃の器よりも高貴な酒器に見えるし、簡単に白酒を注げる。
 あっと器から白酒が漏れた青年は、鈍色の瞳を潤ませ頬を赤く染めたが意志は固くヘクトールの膝の上で藻搔く。
「心配しなくても腹が減ればどこかで餌を獲ってくるはずだ、捕れなくても蓄えがある、」
 実際あの猫はそういう猫である。
 下手な犬より体格が良いのだから一食抜いた位で死にはしない。
 餌なんぞ本当は三日に一度でいいのにマンドリカルドが来てからは、やたらと催促するようになった。
 最も猫のヘクトールに番が出来てからは甘えることはなくなり、ふてぶてしい猫は格好つけるようになっていた。
「そうですけど、髭のヘクトールにばかり餌をやっては恨まれません?」
「あっちはあっちで猫のマンドリカルドがどうにかするさ、だから」
 餌をくれとネコのマンドリカルドの首筋に唇を落としたヘクトールが嗤った。

 ネコ、猫と分けるのには理由がある。
 ヘクトールが訳あって故郷から遠い島国へたどり着いて一番難儀したのが部屋探しだった。
 既に西洋居住地制度はなくなったが、人というモノは集団を形成する。
 自国の集団に入れば折角日本に来た意味がない。
 できれば誰も知らないひっそりとした場所で暮らしたいと探し回っていると、ふと新聞の紹介欄にこの屋敷が掲載されていた。
 瓦解で本来の主から手放されたとはいえ、偲ぶ者がいたのか手入れがされた屋敷は今からでも住めそうであった。
 成金の箔付けにはお誂え向きの由緒正しい屋敷ではあるが、仲介の老婦曰く猫が人を選ぶ家だそうで気に入らない相手が来ると、追い出すのだという。
 猫は家につくということわざが日本にはあると老婦は笑うが、ヘクトールは半信半疑だった。
 結果から云えばヘクトールは屋敷を手に入れられた。
 「それぢぁ」と見合いのように屋敷の周りをうろついている猫を紹介されたが、思えばその時から猫らしくない猫だった。
 ふさふさとした茶色い毛にヘクトールよりも翠の濃い瞳を持つ猫は、一目で洋猫だと分かったが、その毛並みかはたまた垂れ目の瞳のせいか猫と云うよりは狸を思わせる風貌だった。
「お前さんが家主か、ここに住まわせてはくれないか」
「そんな肩肘張らなくても良いのですよ、ただ気に入って貰えれば。そやヘクトールさん、お茶でも飲んで寛いでいたら良いわ」
 それが良いと老婦が手を叩いて屋敷へ戻ろうとすると、これが鳴き声なのかという声で洋猫が鳴いた。
「あら珍しいこの猫が鳴いたところ一度も見たことがない、気に入られたようですわ」
……もしかしてお前さんもヘクトールと云うんじゃないだろうね」
「そんなまさか、冗談がお上手、あら、」
 ヘクトールの問いかけに洋猫はやはり猫らしくない声で鳴いたのだった。

 こうして終の棲家を手にしたヘクトールだったが、そういえば祖父さんの兄弟が日本に行ったきり帰ってこなかったのかを思い出し、もしや彼の生まれ変わりか何かだと思い問いただしたが洋猫は鳴くことはなかった

 暫くは人と猫の共同生活であったが、老婦に云われた通り時々良い餌を食べさせてあげれば、あとは自分で狩ってくるというのでその通りにしていても問題がなかった。
 どうやら猫のヘクトールはこの辺りの猫の顔役のようで、自分で餌を採る以外に時々世話になった猫が餌を土産に話し込んでいた。
 そういうときは彼の顔を立てて、刺身など買ってきて振る舞うと洋猫はご機嫌に笑った顔を見せたが実に猫らしくない表情だった。

 そのうちに、ヘクトールが手慰めで描いた小説が気に入ったとマンドリカルドが訪ねてくるようになり、マンドリカルドには学業もあったので暫くは通いで色々教えていたが、卒業し、彼が新聞記者となり取材と云っては、どこかへ出掛けるのでしょっちゅう家を空けていては家賃が勿体ないと部屋を一つ貸してやると大層喜んだ。
 いずれそのまま帰ってこない不安を拭い去るための方便であったのだが、それはヘクトールしか知らない。

 その日の夜、洋猫が珍しくヘクトールの腰の上でゴロゴロと喉を鳴らした。
 洋猫にお前さん五貫あるのだぞと文句を言ったが退くことなかった。

「ところで猫に同じ名前ってややこしくないです?」
 それはまだマンドリカルドが屋敷に通っていた頃、彼はふとヘクトールに訊ねた。
 家主を呼び捨てするつもりはないが洋猫がそれでしか反応しないから、呼んでいると付け加えたマンドリカルドにヘクトールがああと返事をした。
「こいつがそう返事をしたし、オジサンの一族の男子は名誉ある先祖の名前にちなんで殆どがヘクトールだったから問題ない、」
「集まりのときはどうするんですか、」
「あだ名だね、頭に色々付けていればどうにかなる」
 これも流行廃りがあるようでヘクトールの代は自分一人だったし、そういえば祖父さんの代も一人しかいなかったことを思い出した。
 ただその大叔父も自分も一人しかいないのに立派なあだ名を貰って、同じように故郷を離れた。
「ヘクトールさ、ヘクトールさんはなんと」
……髭のヘクトール、そうだこいつは猫でオジサンは髭のヘクトールと呼んでくれ」
「意味ないっすよねそれ、そもそも子どもの頃に髭なんて生えてなかったでしょう、」
 そうだねと返事をすればヘクトールの触れてはいけない部分だと察したマンドリカルドはそれ以上何も聞かずに、洋猫に餌をやりに行った。

 一匹から二匹になったのも丁度その頃だ。
 近所の顔役のヘクトールは時々猫にしては不器用な生活をしている猫に、狩りや適当な猫好きを紹介して猫たちの生活を守っていた。
 ふらりとやってきた黒猫もその口で、洋猫が丹念に狩りを教えていた。
 自力で餌を取れるようになれば猫たちは勝手に何処かへ行くのだが、その黒猫だけはいつまでもヘクトールのそばを離れなかった。
 だからといってヘクトールの家の猫になるわけではなく、近所の商店街で餌となる獣を捕ってはそれで店主に軒先を借り、清潔な水を頂戴していた。
 時々屋敷に顔を出し洋猫の毛繕いをし、黒猫は猫らしく鳴くのでなにか懸命にヘクトールに訴えていたが、洋猫の垂れ目がさらに垂れていたのだから喧嘩ではなかったはずだ。
 ちなみに猫にもマンドリカルドと名付けたのは、洋猫と同じ理由でどうやらマンドリカルドにもある日突然、消えた親戚がいるようだった。

 その黒猫とマンドリカルドが暫くどこかへ出掛けたのは半年ほど前。
 マンドリカルドの方は取材と言っていたので行き先は分かっていたが、黒猫の方はどこへ行っていたのかは分からない。
 ただ帰ってきたときには黒猫の尻尾が二つに割れ、近所の散歩以外家から出たことのない洋猫が暫く何処かへ旅に出て、行き先が同じだったのか二人揃って仲睦まじく帰ってきた。

 お互い自分のネコを手放したくないと、年甲斐もなく肌を重ねているのだから似たもの同士だねと、ご馳走をやったがやはり洋猫は鳴かなかった。
 取材の最中、夢の中で危ないところをヘクトールさんに助けて貰ったと話すマンドリカルドだったが、どうにもその話が夢とは思えず帰ってきた洋猫が暢気にあくびをしていたが、黒猫がキラキラとした瞳で洋猫の前で鳴いていた。
 お礼も兼ねて奮発したのだからもう少し愛想良くして欲しい。
 この猫が鳴いたのは挨拶と、黒猫が出掛ける少し前に黒猫より図体のデカい獲物を捕らえて屋敷に運んだときだ。
 ヘクトールも驚いたが洋猫は聞いたことのない悲鳴を上げていた。
 そんな洋猫の気持ちを知って知らずか褒めて欲しいと黒猫は傷だらけで鳴く姿に、肝が据わっているとマンドリカルドが手当てをしようと近づくと、洋猫が遮りどこかへ運んでいった。
 おそらく洋猫はそこで黒猫を番にすると決めたのだろう。
 猫に先を越されたのは癪だが、人には人の気持ちの整理がある。

 大体に人が恋に思い悩んでいる間自分はささっと黒猫の元へ行っていたのだから、やはり餌は要らなかったのではと思ったが、あげたものを返せとは云えない。
 まぁお互いしっぽりとしている間くらいは、目の前のネコには快感だけ与えようと、とびっきりのネコの酒器に白酒を満たすのであった。