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sidori
2025-11-15 23:49:59
18434文字
Public
人妻定食十一月号『夜兎パロ』
モブ視点で高銀の坂田に敗北するNTRマガジン十一月号です。
1
2
3
しどりの『二兎のきまぐれ逃避行グリル定食 ~リピート不可の失恋小盛付き~』
ドンッ、と、衝撃があって、僕は後ろによろめいた。
そのままなら地面にしりもちをついただろう。しかし力強い手が僕を引き留め、ぐいと寄せて立たせてくれた。
「っと、あぶねえ。怪我ねえか?坊主」
やわらかな低音。その主は彼だった。ぶつかったのは僕の方なのに、高い身長を畳んでわざわざ僕の顔を覗き込んで訊ねてくれた言葉に、僕は慌てて勢いよく頷く。
高鳴った鼓動は、走って来た息遣いの所為より、この運命によるものだった。
そう。運命に違いなかった。
思わぬ幸運。僕は嬉しくなって詫びるのも忘れ、彼の服の裾にそのまま縋り付いて考えて来たセリフを大声で叫ぶ。
「あの
……
っ!!追われてるんです!助けてください!!」
◇
この計画を思いついたのは、彼と出会ったからだった。
出会ったというより、僕が一方的に彼の事を知ったという方が正しいのだけれど、それは今から三か月ほど前の事。
町を歩いていた僕は、聞こえて来た喧騒にふと足を止めた。普段の僕ならそんな事はしないのだ。その点から言ってもやはり、これは運命だったのだと思う。一体何事かと建物と建物の間にある細い路地を覗き込み──そこに彼は立っていた。
喧嘩の後のようだった。彼は一人で立っていて、その足元には大勢の男が倒れ伏していた。彼の纏った異邦の長い衣。その袖をまくり上げた腕は返り血で真っ赤に染まっていた。
普通なら、きっと「恐ろしい」と感じる場面だっただろう。明らかに風体のよくない男達と戦っていた事自体がそうだし、その上多対一にも関わらず彼が難なく勝利をおさめた事を、息一つ乱さず倒れた男達を睥睨する眼差しが証明していた。
だけど僕は、その時彼の姿を見て一番に「なんて綺麗なんだろう」と思った。
薄暗い路地にあってさえ、キラキラと光を乗せて遊ぶ白銀の髪。長いそれを三つ編みにして垂らした背中のすらりとした立ち姿はどことなく野生の獣を思わせ、衣服から覗く肌は遠目から見ても真っ白で滑らかそうで、傷一つない高級な陶磁器を連想させた。そしてもう向かってくる者がいないこと確認した彼が、雨が降っている訳でもないのに差した傘の影から一瞬ちらりとこちらを見た瞳の赤さを。その中に瞬いた金色の輝きは、彼がくるりと踵を返してその路地から向こうへ去って行った後も僕の瞼の裏に残った。
話に聞く"夜兎"のようだと思った。
夜兎族。この宇宙に高らかに名を馳せる最強の戦闘種族。
実を言えば、僕も一応その血を引いている
……
らしい。というのは、僕の家には、遠い昔にこの星にやってきた夜兎族の末裔だという言い伝えが残っているからだ。とは言え、今現在の僕の家系にその特徴を持つ者はいない。ほんの時々、虹彩に不思議な色味を帯びて生まれて来る子供がいるけれど、それも子供の内だけで、大人になる頃にはもれなく皆、基本的にはこの星の他の住人と変わりない姿に成長する。戦闘力だって別にない。
それなのに、僕の家は"そういうこと"を生業にしていた。つまり荒事──雇われて用心棒をしたり、誰かと戦ったり、そういう仕事だ。肉体的な強さは勿論、鍛える事でそれなりにはなる。けれどもこの場合僕の家の持つ"武力"というのは、道具に依存したものだった。こういう仕事はとにかくお金にはなるので、代々その仕事で続いている僕の家は所謂お金持ちではあって、その資金力を背景にいつも潤沢で最新の兵器を取り揃えている。
僕は、物心がついて自分の置かれている環境というものを自覚できるようになってから、そんな自分の家族がずっと嫌いだった。
だって、どんなに力を誇示して、古く力のある家だからとこの界隈では大きな顔をして威張っていても、実際には僕の家の人間は商売敵や恨みを持つ人間の襲撃を恐れ、一人では外を歩けもしないのだ。虚しいとしか思えなかった。
そんな僕が”本物”の夜兎に出会った。
その日だって僕には勿論警護の人間が付いていた。僕は基本的に大人しく、言われた事には黙って従う子供だから、当主である父の指示で動く警護の人達は僕の動きに対してはあまり注意を払っていないのだ。その隙についと離れて路地裏を覗き込みに行った僕を慌てて追いかけて来た護衛の中の一人が、僕と一緒に彼の後ろ姿を見て、そうだと肯定してくれた。
「あれは、"白夜叉"ですよ坊ちゃん。夜兎族です。まだ若いですが、既に夜兎の歴史の中でも最強の内の一人に数えられるくらいだって噂で。元はどこか遠くの方の星の出身らしいですけど、最近よくこの辺りの星域にいるみたいですね。お父上が困ってらしたでしょう」
「?どうして?」
「そりゃもう扱いづらい男らしいんですよ。元々流しの傭兵稼業なんかやってる連中なんて夜兎じゃなくても大概ですがね。あの"白夜叉"ってのは輪をかけておかしな奴らしいんで。なんでも、金塊山と積んで頼んでも仕事を引き受けてくれるどころか、頼み方が気に食わないと逆にやられちまうとか、それで星一個丸ごと壊滅させたこともあるなんて、まあ、どこまで本当の話かはわかりませんが、とにかく何で動くか分からないってんで。今は様子見しろって言われてるんですよ。下手に関わって目でもつけられたら大変ですからね。さ、坊ちゃんももう行きやしょう」
そう言って僕を連れ戻そうとする護衛の男の手に逆らわず歩き出しながら、僕はまだドキドキと興奮していた。
初めて出会った本物の夜兎。小細工じゃない。見せかけじゃない。生まれつきその身を強者として生まれて来る彼ら。更にその中でも特別であるらしい彼の、その圧倒的な存在感にすっかりあてられてしまっていた。
もう一度会いたい──もっと近くで、あの綺麗な人を、あの赤い瞳を、見てみたい。
そう思った事が、始まりだった。
それとなくあの人──白夜叉のことを聞いて回ると、やはり最近になってよく目撃されるようになった事がわかった。どうやら近くの別の星から移って来て、暫くこの町に滞在しているということらしい。泊まっている宿までは分からなかったが、いつも食事をしている店のことは分かった。繁華街の外れにある安くてとにかく量が多い飯屋だった。
気ままな旅人という訳ではないらしく、そこでこまごまとした人の頼みを聞いて、日銭を稼いでいるようだ。護衛の男から聞いていたような気難しさのようなものは、その話からは感じなかった。むしろその逆。かなり気さくな質の青年で、本当にささやかな金額でなんでも請け負ってくれるらしい。夜の店の用心棒から、近所の商店の店番、荷物の配達。手先が器用なのか、家屋の修理や、傘貼り仕事を手伝って貰った者もいるという。子守も得意だときけば流石に意外だと思ったが、聞けば聞くほど、僕の期待は膨らんでいった。
彼ならもしかして、僕の願いも聞いてくれるかもしれない。
僕はいつか
……
大人になったら、この星を出て行こうと思っていた。どうしても、父や他の家族たちのように武装して荒事を後ろから差配しながら、一方では怯えて暮らすこの生活に未来を見いだせなかったのだ。僕自身が活発な質ではなく、本を読んだり絵を描いたりする事の方が好きだからというのも関係あるかもしれない。
時々父は、"仕事"をするのに家の者達だけではなく、星の外から来た傭兵集団を雇う事もある。彼らの話を聞くのが僕は好きで、その事は確実に関係している。遠い星の話。僕が生まれたこの星とは違う空、違う海。見た事のない沢山の生き物。町。人。そして彼らの旅路で起こった色々な出来事。
きっと危険な事も多いんだろう。だけどどうせ命の危機に怯えるのなら、そういう冒険をして生きてみたかった。こんな町で、偽りの強さを誇っているよりは。
でも、きっと簡単じゃないという事も子供ながらに分かっていた。僕はこの家の後継ぎとして生まれた。真偽も定かじゃないほど大昔の祖先の話が伝わっている事からも分かるように、僕の家は血筋を一等大事にしている。夜兎の血だ。僕が一人で家を飛び出せば、その血を失うまいとして連れ戻そうと追手が差し向けられるだろう。
だけど彼と一緒なら──?
彼ならきっと、僕を守ってくれるだろう。彼のような人に、この星から連れ出して貰えたらどんなに素敵な旅の始まりになるだろう。もしかしたらそのまま一緒に旅をする事だって出来るかもしれない。幸いにも、いつかの為に始めた貯金は既にかなりの額になっていた。従順な息子であった僕に、まさかいつか家を捨てようと思っているだなんて思わない父は気前よくお小遣いをくれていたからだ。
そう。そして今日、僕はその計画を実行した。
あの人はいつまでもこの町に居る訳じゃない。夜兎というのは、最初に生まれ出でた母星を太古の昔に大戦で失ってからは、基本的に流浪の民である。行った先の星で家族を得、それこそ僕の家系の伝説の始祖のように根を下ろすことも時にはあるようだけれど、大抵が血のつながりの濃い者達か、あるいは傭兵部隊のような形で一塊になって宇宙を旅している事が多い。単独で居る、という点で変わってはいても、数カ月経っても宿に泊まったまま部屋を借りるでもない彼もまた定住するつもりはないのだろう。
それでも、こんな風に出会う予定ではなかった。僕はただ普通に彼がよくいるという飯屋に行き、普通に同道をお願いするつもりだったのだ。とりあえずこの星を出て隣の星まで。お金が足りるようならこの辺りの星域で一番大きな星のターミナルから、もっと遠い宇宙へ飛び立つ船に乗りたかった。
ところが思ったより早く屋敷を一人で抜け出した事に気付かれてしまい、追いかけて来た屋敷の者達に、目的の飯屋に着くよりずっと前に捕まってしまいそうになっていたのだ。この路地で彼とぶつかったのは完全に偶然だった。だけどだからこそやっぱりこれは運命なのだ。
「追われてるんです!助けてください!!」
そう言った僕を、彼は驚いたようにぱちぱちと瞬きをしながら見た。
その直後、バタバタと大きな足音が背後から角を曲がって近付いてくる。追いかけて来るのは僕の家に雇われている男達に違いなく、その人相はといえばお世辞にも良いとは言えない。対して僕はひょろりと痩せた十三歳の子供。事情を知らなければ、傍目には人さらいかなにかに遭っている真っ最中に見えない事も無いだろう。元々彼に依頼をする時言おうと思っていたセリフは、より緊迫感のある場面によって有無を言わさぬ説得力を持った。
彼はまだよくわからないという顔をしながらも、流石に荒事慣れしているだけあって判断は素早く、次の瞬間にはひょいと僕を抱え上げて軽々と跳躍していた。そして足音の主が路地に姿を見せる前には、僕達は周辺の建物の屋根の上を伝って、あっという間にその場から遠ざかっていた。
僕は「わあ
……
!」と歓声を上げる。旅の始まりだった。
◇
僕の──僕達の旅は順調だった。
彼は僕を連れてこの星域から出る事を了承してくれ、家の者には結局一度も追いつかれないまま、数日後には隣の星の宇宙港にいた。
勿論、何故追われているのかという問いはされた。僕は囚われの身から自由になりたいのだと答えた。完全に本当の事を伝えられる訳ではない事が少し心苦しくはあったが、あの家を出て違う人間になりたい気持ちは嘘じゃない。彼は「ふうん」とだけ言った。まだせわしない道中だったという事もあるのだろうが、問いはしたものの実際には僕の目的にそこまで興味があるという訳でもなかったのだろう。それは少し寂しい気もしたけれど、ほっと安堵もしたのは確かだ。
お金は差し出したが、受け取って貰えなかった。
「ガキからンな金取れっかよ」
そう言って僕の分の船のチケット代だけを彼は取り、残りは再び僕の小さな荷物の中へ帰って来ている。
言葉を交わせば僕の中で彼への憧れは一層成長していた。彼は美しい外見だけじゃなく、内面も素敵な人だった。
言葉はいつもぶっきらぼうだけれどどこか柔らかく、僕が強請れば面倒臭そうにはするけれど結局はその耳障りの良い低めの声音で今までの旅の話を語ってくれる。それはどれも面白くて、まるで本で読む物語にも引けをとらないほど魅力的な冒険譚だった。──その旅路に僕もついていきたい。はじめはふんわりとした空想だったそれは、あっと言う間に明確な未来像に変わり──そうだ。この人と、もっと、ずっと、一緒に居たい。強くそう思うようになっていた。大きく育った憧れは完全に好意へと変わっていた。好きだと思った。ごく自然にそう思った時、僕の心の中には歓喜が満ち溢れていた。
「で?その地球?ってのは、どれくらい遠い訳」
同じ恒星を中心に回る惑星同士の間を結ぶ連絡船は一日に何度も行き来していて、予約などしなくてもいつでも誰でも乗れて安い代わりに、狭い客室内に座席は少なく、大体酷く込み合っている。
ぎゅうぎゅうに押しつぶされるような数時間のフライトを終え、どことなくボロボロになった僕達は宇宙港の近くの定食屋で遅い昼食を取っていた。
夜兎というのは皆そうらしいのだが、彼も例に漏れず大食漢で、テーブルの彼の側には既に空になった皿が山盛りになっている。炒飯に海老と青菜の炒め物、川魚の煮つけに餡をかけた物、大きな肉団子のスープ蒸し。家鴨の塩漬けに、子豚の叉焼、筍と白魚に衣をつけて揚げた物、骨付き肉の甘酢煮。それから沢山のデザート類。彼は甘い味付けが好みらしい。
まだ足りない、と、今度は蒸籠で蒸したカステラを店員に注文し終えた彼は、氷がたっぷり入って汗をかいた水差しから茶を注いで煽ると、ふう、と一息ついた様子で僕に訊ねる。
ぼんやりとしていた僕ははっとして、慌てて視線を上げた。
つい見てしまっていたのは、ぱくぱくと良く動く彼の口元と、はだけた胸元。彼のそこは、まるで春画雑誌のようなのだ。家で雇われていた男達が回し読みしているような、綺麗な女の人が裸でポーズをとっている写真や絵が沢山載っているような。彼は男の人だから、本当はそんな風に見える筈はない。だけど彼の白い肌を見るとなんだかむずむずした気持ちになる。ふっくらとした薄紅の唇に僕のそれを押しつけてみたいと思うし、はだけた胸元の谷間の、そのもっと奥を見てみたい。
初めて抱き上げられた時に嗅いだ甘い匂いはずっと鼻の奥に残っていた。強い匂いじゃない。本当に微かな、多分彼自身が纏っている匂い。連絡船の中で密着している時にも時折感じたそれは、そのむずむずした感覚を増長させる。僕は分かっていた。実はつい先日に僕は精通を迎えたばかりだった。学校に通わない代わりに父親が僕に沢山つけている教育係の内の一人に教わったことだ。生物として一人前になった証。子孫を残す為の行為が出来る雄になったという証拠。
つまり──僕は彼とそういうことをしたいと思っているということだ。好きというのは、そういう意味だった。
どうすれば彼とそういう風になれるだろう。どうしたらこの旅をただの依頼ではなく、本当の意味で"彼と僕"の旅路に出来るだろう。
ぽうっとのぼせたような心地で彼に見惚れていた僕に、彼は気付いていないようだった。僕はほっとして、彼の問いに思考を移す。
「えっと
……
」
最初に、僕が目指していると言った惑星の名だった。僕がその星の名を聞いたのはやはり、家に雇われていた傭兵団の男からだ。その時僕が名前を知っていた一番遠くの恒星より更に向こうの宙域に、比較的最近になって発見されたばかりの新しい銀河系。その中にある太陽という恒星を中心にした軌道を描いているその惑星は表面積の大半が海で、天から見るとそれは美しい青色をしているという。
でも具体的には、どうやって行くのかは知らない。とにかく遠くだ。遠く。遠く。方向だけは分かっていた。
正直にその事を言うと、彼は「うーん」と呻って、ぼりぼりと頭を掻く。
「
……
まあ、いいか。どうせどこに行くにしろ、一旦ターミナルには行かなきゃなんねえんだし。船に乗ってから考えっか」
「はい」
僕は持ってきた鞄を膝の上でぎゅうと抱き締めた。
今更になって、少しだけ不安だった。彼は僕のその仕草を見て、困ったように眉を下げて笑う。
「自由ってのはさ、案外怖ェもんだよな。分かるぜ」
「え?」
「俺も昔、──「おまたせしました~、ふわふわカステラでーす」
「おっ、来た来た。あ~コレコレ!やっぱ出来立ての甘味匂いってのはたまんねえな。この瞬間の為に生きてるわ」
「あの」
「ん。まあ、何事もなるようになるモンさ。つーかちっと長居しすぎちまったな。これ食ったら行くぞ。今日中に船に乗る」
「あっ、はい!」
僕はふいに零された彼の言葉にひっかかりながらも頷いた。今何か、すごく大事な話を聞きそびれた気がするのだが。
けれどもカステラにフォークを突き立て、大きな一口を頬張った彼の顔からはもう一瞬見せた憂いのような感情は消えていて、僕は何を言えばいいのか分からなくなったまま彼が三人前くらいある大きな蒸しケーキをぺろりと平らげる様子を黙って見ていた。
でも、いいさ、と、思う。旅路は長い。少しずつ、彼の事を知っていけばいい。話を聞く機会はまたあるだろう。
そう思っていた。その時までは。
「チッ、なんでこのタイミングなんだよ」
彼が立ち止まって、不機嫌そうにつぶやいた時、僕達はターミナルのある星に向かう為、再び宇宙港から船に乗ろうとしているところだった。
ターミナルと言うのは、星のエネルギー"アルタナ"を動力にして稼働する特別大きな宇宙港の事を指す。宇宙は広大で、恒星同士の間の空間には僅かなデブリ以外に何も存在しない虚無の空間が広がっている事も多く、そう言った場所では当然ながら物資の補給は出来ない。しかしそんなにも広大な空間を疾走する船が消費するエネルギーはまた莫大な物であり、とてもじゃないけれど通常の燃料を必要なだけ積み込もうとすれば物理的な無理が生じる。大昔、まだ"アルタナ"が発見されていなかった頃には、恒星間を行き来するなんて事は到底実現不可能な、夢のまた夢でしかないことだったのだと僕は歴史の教師から教わった。純粋なエネルギー源である"アルタナ"の発見は、人類の歴史を語る上で欠かせない重大事件なのだ。星がある限り無尽蔵のエネルギーであるアルタナは暗黒空間を文字通り一足飛びに飛び越えて行く力を人類に与え、その時からこの宇宙で人類の文化圏は無限大の物になった──と、読んだ本には書かれていた。
とは言え、そのターミナルもどこの星にでもあるという訳ではない。星の命と同義でもあるアルタナを扱う技術を持っているのは現在はアルタナ保全委員会と呼ばれる組織だけであり、彼らが認可しなければそもそもその星の住人達でさえアルタナのエネルギーを自由に利用する事は出来ないからだ。
という細かい事情はともかくとして、つまり僕の星にもその隣の星にもターミナルは無く、遠い宇宙へ旅立つ為には更に二回普通の惑星間連絡船を乗り継いでいく必要があった。
その途中。食事をするため一旦出て来た宇宙港の門が、もうあと一つ角を曲がれば見えるという辺り。近道して行こうと彼が言い、僕一人なら絶対に歩かないような少し治安の良くなさそうな裏通り。
僕は訳が分からず、立ち止まった彼の傍らで彼の顔を見上げた。彼はこの数日間──結局何も起こりはしなかったが、追われてはいるのは間違いなかった。──で一度も見なかった険しい顔をしていた。大きな手がす、と僕の前に翳され、彼は僕を守るように立ち位置を変えながら薄暗い路地を振り返る。
男が立っていた。
僕はぞっとした。まるで気配がしないのだ。否、存在感はすごくある。圧力と言えばいいのか、それとも引力か。夜、灯りの届かない暗闇をふと見つめた時のような感覚だ。目が離せない。怖い、のに、逸らしてはいけないとすら思うような。だけどそんなものすごい存在感を放ちながら、男は静かだ。足音なんて聞こえなかった。纏った大きなフードのついたマントが衣擦れる音もしなかった。いるのにいない。まるで、そう。闇そのものを人の形に凝縮してそこにぽんと置いたような、男はそんな現れ方をした。思わず彼の服の裾に縋りつく。
彼はさしていた傘をたたみ、右手に構えると言った。
「
……
俺、まだ許してないからな。連れ戻しに来たんなら」
男は答えた。深く被ったフードから覗く口元が淡々と動く。その声は彼とはまた違った甘さのある低音だった。
「──てめェじゃねえよ。仕事だ。そのガキを連れ戻せと言われてな」
僕は身を固くする。追われる覚悟はしていたつもりだが、なんだかんだ僕に甘い父がまさかこんな恐ろしい人間を雇って差し向けて来るとは思っていなかったのだ。連れて行かれたらどんな扱いをされるんだろう。
震え始めた僕を余所に、しかし彼の口調は微かな緊張をはらみながらもまだ全くのんびりとしていた。流石は最強の夜兎の戦士ということなのだろうか。
「そりゃ残念。その仕事は失敗だな。俺はコイツを地球とやらに連れてく依頼引き受けてんだ」
「地球──?どこの星だそりゃァ」
「さあてな。俺がどこ行こうが勝手だろ。ついてくんなよ」
「
……
てめェが勝手すんなら、俺がどこ行くのも勝手だろうが」
「はァ?ストーカーですかこの野郎。つーかどうやってここの場所分かったんだよ」
「ストーカーってなんだ。てめェの行動パターンなんざお見通しなんだよ。ガキ連れてったって事が分かってんだ、何も難しい話じゃねェ」
「そういうのがストーカーだっつってんの!っていうかやっぱ追っかけて来たんじゃねェか!」
「連れ戻しに来た訳じゃねェよ、てめェの事は。迎えに来た」
「そ!れ!は!屁理屈っつーんだよ!」
「銀時」
「帰んねえからな!」
「銀時」
「ッ、ヤ!ダ!!!つってんだろうがあああああ!!!!」
次の瞬間、僕は呆然としていた。
どうやら二人は知り合いらしかった。男の方も服装から判断してどうやら夜兎族のようだったからその事自体は不思議ではないのかもしれないが、仲が良い相手という訳でもないようで、意味は良く分からないものの段々ヒートアップして行く会話──というより、彼が一方的に声を荒げて行くのをハラハラとしながら聞いていると、突如ドゴオン!と強烈な破壊音が辺りに響き渡って、気が付けば彼の姿は僕の隣ではなく、彼の名前を呼びながらゆったりと近づいてきていた男の胸倉を掴み上げて、路地の遠くでその体を壁に叩きつけていた。
路地に吹き溜まっていた砂塵がぶわっと舞い上がる。バタバタとはためく彼と男のマント。汚れた壁に貼り付けられていたチラシの類が剥がれて吹き飛び、倒れたゴミ箱からは中身が散乱して辺り一面に腐敗臭が漂う。
かと思えば、僕が自分の周りで一体何が起こったのか理解できないでいるうちに、更に次の瞬間には砂塵と刺激臭によって出た涙でぼやけた視界を何か白い物が横切って、さっきとは逆の方向から大きな衝撃が走る。慌てて目で追いかけると今度は男の方が倒れた彼の腕を掴み、その体に馬乗りになっていた。
彼は握っていた傘を持ち上げ、先端を男に向ける。
夜兎の持つ傘は仕込み銃になっていると聞いた事があったが、本当だった。彼は躊躇いなく引き金を引いた。重たい発射音が連続し、路地を囲む建物の壁に小さな穴がいくつも連なって開いて行く。
だが身軽に飛び退いた男には当たらない。
宙でくるりと器用に身を返して体勢を立て直した男は壁に着地し、そのまま地面と水平に走った。そして彼の手元で傘の仕込み銃の引き金がカチン、と空の音を立てると頭上から再び彼に向かって飛び掛かった。翻ったマントから彼と同じ七分丈仕立てのズボンを履いた脚が突き出ている。勢いで被っていたフードもとうとうめくれてその容貌が露わになった。
男の姿は彼と対極だった。
ふわふわと光と一緒に跳ねるような彼の白銀色の髪に対して、男の髪は深い紫色光沢を滑らかに纏う黒髪。
深い赤に陽の光のような金色の光を宿す彼の瞳に対して、男の──どうやら隻眼であるらしく左目は黒の眼帯に覆われている。──鋭い視線は澄んだ緑色で、その奥に揺らめくのは彼と同じ金色でも、まるで燃え盛る炎のようだ。その視線がぶつかり合う。
二人はそれぞれ拳を繰り出した。咆哮がビリビリと空気を震わせる。
──は、は、と、息の音がやけに大きくて、僕は自分が息をしている事に気が付いた。無意識のうちに肩から斜めにかけたカバンの紐と一緒に胸元を握り締めていて、一体どれくらい、そうして彼らの合わせた拳を見つめていたんだろう。
相打ちというのは、こういう時にも言うのだろうか。どれだけのエネルギーでぶつかり合ったのか、正面から激突した二つの拳はしゅうしゅうと煙をたてている。二人はじっと見つめ合っていた。
やがて、
「
……
銀時」
と、男が口を開いてまた彼の名前を呼んだ。
彼は視線を逸らす。
男はそこで初めて表情を変えた。恐ろしさが和らぎ、僕はそこではじめて、男の容姿が整っている事を認識した。彼の容姿が儚げだとするなら、男の方は凛としている。その精悍な眉を、彼が困った時にするように僅かに下げ、男ははあ、と溜息を吐く。
「
……
いい加減機嫌直せよ、銀時」
「
……
ヤダ」
「
……
俺が悪かった」
「
……
そう言って、いつも何が悪いか分かってねーじゃん」
「分かってる」
「分かってねェ。こないだだってそう言ったのに」
「桔梗屋の最中。
……
本店の」
唐突に男は言った。桔梗屋というのはこの宙域で有名な老舗の菓子司だ。その本店というのは実はまさに僕の家のある星にあって、最中の詰め合わせは毎日午前中には売り切れてしまうという大人気商品
……
だと、前にテレビのバラエティー番組で特集されているのを目にした事がある。
彼はぴく、と肩を揺らして、何か言いかけていた口を閉じ、男の顔をじっと見た。
「買って来た。船に置いてある。賞味期限は明日」
「
……
」
彼は真剣に悩む顔付きになった。男は続ける。
「ろく屋のパフェ。明後日から季節限定メニューが変わる。てめェはどうせ行きたがると思って席は抑えてある。どうする」
ろく屋。確かターミナルのある星で最近人気の甘味処だった気がする。彼は悔しそうに呻いた。
「
……
っ、ず、ずりィぞ
……
」
男は何か、勝利を確信したような涼しい顔をしていた。
「何とでも言え」
彼は黙り込む。それから暫く考えて、ぼそりと零した言葉に、男は確りと頷く。
「
……
直海屋のデザートビュッフェ。一番高ェやつ」
「てめェが望むなら、どこにだって行ってやらァ」
僕の知らない店の名前を呟き、はあ、と、今度溜息を吐いたのは彼だった。彼らの拳から明らかに力が抜けたのが少し離れた僕にも分かった。そして二人の視線はくるりと、ただぽかんとその様子を見ていた僕に向く。僕は竦んだ。
男は彼の手を緩く引き寄せながら口を開いた。
「やり方が、気に入らねえな」
その声は冷淡で、彼に話しかけていた時のような甘さはない。視線は氷のように冷たかった。
「てめェの居場所が気に入らねえってのはてめェの勝手だ。留まるも出て良くも好きにすりゃァ良い。その為に人を雇うってのも、まァ、一つのやり方ではあるだろうぜ。だがお前は、コイツの甘さに付け込んだだけだ。大方憐れなガキを装ったか?助けて下さいとでも泣きついたんだろう。コイツは馬鹿だから、そういう腹芸は苦手でな」
「てめェ!馬鹿とはなんだ!」
「ふん。馬鹿は馬鹿だろ」
男に指を指された彼がわめき出して、僕を見ていた男は彼に向き直った。
「てめェだって本当は薄々気付いてたんだろうが。このガキの方が悪いって」
彼は俯いた。拗ねたように唇を尖らせている。
「
……
まあな。いきなり助けてとか言われたからとりあえず連れて逃げてはみたけど
……
自由になりたいとか人攫いに遭ったみてェな事言う割には身なりはいいし
……
金もすげェ持ってるし
……
。虐待されてるような感じも、別に無かったしな
……
。けど、万が一って事もあるだろ。だから事情が分かるまでは、って、思って」
「だから、それが甘ェっつってんだ。コイツが誰か分かってんのか?あの星牛耳ってる組の一人息子だぜ。下手すりゃてめェ、星一個丸々武装した連中とやり合う羽目になってたんだ。ああ、別にてめェを心配してる訳じゃあねえよ。相手が何人いようが、どんな武器持ってこようが、てめェが負けるわきゃァねェ。んな事わかってんだよ。だがそんだけ来られりゃ、流石に手加減はできねーだろうが。そんでテメーは、それで後から落ち込むじゃねェか」
「べっ、べつに、そんな、ことは」
「は。どうだかな。てめェは本当に甘ェからな。いつもいつも手加減して、結局敵を増やしやがる。
……
まあいいさ。てめェのやり方に口出す気はねェ。俺が気に食わねえのは、なァ、ガキ」
男はまた僕を睨んだ。
「お前は、殺す覚悟があったか?」
「
……
え?」
「お前が雇った夜兎が、お前の為に人を殺す。その意味が、本当に分かってんのかって聞いてんだ。お前の親父は、お前をコイツに攫われたと思ってる。俺が依頼されたのはお前を連れ戻す事だけだが、つまりそれってのは、コイツを殺してでもって事だ。そんでもし俺が、たまたまお前の親父の依頼を聞けるような場所に居なきゃァ、今ここにはお前の家の兵隊が押し寄せて来てただろう。そいつらにとっちゃ、コイツは大事な"坊ちゃん"を攫った悪党って訳だ。問答無用で攻撃してきただろうな。だがコイツは強いぜ?返り討ちだ。そうだな。皆殺しって事にはならねえだろうよ。コイツはな、甘ェからどんな敵でも端から殺そうとして戦う訳じゃねェ。だが向かってくりゃァ戦う。倒さなきゃならねえ。どうしたって殺っちまう時もあらァな。そりゃァ仕方ねェ。コイツも、こういう商売してる以上覚悟はあんのさ。それでまた別の恨みを買っても仕方ねェって。俺達はそういう世界に生きてる。分かっててそういう生き方しか出来ねえのが俺達だ。だがお前──」
男の隻眼がすうと細められる。
「──お前にその覚悟はあったのか?お前の親父は諦めねえだろう。何度でも追手を寄越すだろうし、コイツは戦う。お前はソイツら全員、死んでも良いと思っているのか?追手が全員、俺みてェなお前の知らねえ男だとは限らねェんだぜ?」
僕は何も言えなかった。
「
……
てめェがしたのは、そういうことだ。世界ってなァ、生半可な覚悟じゃ壊せねえモンさ。惜しいと思うモンがあるならやめときな。それと」
俯きかけた僕は、男の急な動きにつられるように顔を上げる。男は柔らかく掴んでいた彼の手をいきなりぐいと引き寄せていた。彼は驚いたような顔をしていたが、抵抗はしなかった。よろめいた彼の体は男の腕の中にぽすんと収まり、男の手が彼の腰を後ろから抱く。
男は言葉の残りを言った。
「逃げる事すら自分で出来ねえ奴が、あんまり欲をかくもんじゃねェよ、坊主。お前、コイツに惚れただろ。そりゃァ無理もねェ。だがコイツを手に入れようってんなら、それこそ世界壊すより、もっとずっとデケェ覚悟が要る。一生
……
いや、永遠賭けても追いかけようってくらいの覚悟がな。ついでなんぞで手に入るもんじゃねェんだよ。覚えときな。まァ、なんにせよよく考えてみる事だ。──行くぞ、銀時」
そうして男は彼の手を引いて身を翻した。彼は少しだけ躊躇った様子を見せたが、結局は僕の返事など聞かないまま、
「まあ
……
そういうことだから。気ィ付けて帰れな」
とだけ言い残し、二度と振り返らなかった。二人の纏った異国の衣の裾と、対極の色をした二つの長い三つ編みは揺れながら僕の視界をどんどんと遠ざかって行き、路地から踏み出す前に、男は彼が持っていた傘を受け取って二人の頭上にさした。
◇
結局、僕はその足で船に乗り、自分の家に帰った。
母星の側の宇宙港には家の者達が一杯僕を探しに来ていて、僕を見つけた護衛の男はいかつい顔をくしゃくしゃにして喜んだ。父も、僕の勝手を一応叱りはしたものの、怒りはあまり感じられず、ただ帰って来てよかった、と、目を潤ませていて、僕はそれで──わんわんと泣いてしまった。なんて浅はかだったんだろうと後悔した。窮屈な家だと思っていたけれど、僕は、この人達が死んで良いなんて思った事はないんだ。
その後少ししてから、僕はあの男の正体を知った。名前は高杉晋助。やはり夜兎族で、その中でも珍しい名門家系の出だという。そして彼とあの男は、傭兵稼業の者達の間では"番の夜叉"としてとても有名な存在らしい。どちらか片方だけでも歴代最強クラスの力を持っているのにそれが二人。星を丸ごと滅ぼした事があるというのもどうやら誇張されすぎた話という訳ではないらしく、仕事の依頼をする時彼らが敵となる事が分かっている場合、その報酬がどんなによくても最早引き受けたがる者はいないのだとか。
それなのに何故僕の父が、その片割れである高杉晋助に彼を追う手配などしたのかというと、それこそ噂の所為だった。まさか白夜叉の方だけが別行動をとっているとは思いもせず、たまたま現れた夜兎の男に縋るような気持ちで追跡を依頼したらしい。
後から思えば、と父は言っていた。
「あの隻眼だけでも気付いてもよさそうなものだったな。とにかく慌てていたから
……
白夜叉らしき男を追えと頼んで、逆にこちらに牙を剥かれる事が無かったのは幸運だったかもしれん。何にせよ、お前が無事に戻って来てよかったよ」
僕は頷いた。
僕が見たのは、彼らの力のほんの一端だろう。戯れでしかないのかもしれない、そんなやりとりだった。それでも十分、彼らの強さを肌で感じた。皆が彼らを恐れるのも無理はない。
ただ
……
、あんなことがあってもやっぱり、僕は彼の事を噂程滅茶苦茶な人だとは思わないのだ。その番だという人の事も。
彼もあの男も、結局僕や僕の家族からは報酬と言えるものは何も受け取っていかなかった。実際には、彼らはただ僕のわがままと、その事によって引き起こされた僕の家の騒動に付き合わされたに過ぎないのに。
多分、彼らには彼らのルールがあって、ただそれが、あの二人の中だけで共有され、外には出てこないものであるというだけのことなのだろう。
彼と出会って、あの男と出会って。恋を知って、失って。
少し前の自分より、少しだけ成長する事が出来た筈の僕は、そんな風に思った。
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