柳堂知羽@一次創作
2025-10-25 11:00:19
7746文字
Public ⬛︎みえナい
 

みえないモノはみえナい

この街には、人とヒトが住んでいる。



【弟と妹のエトセトラ】

なんで私まで一緒に、という言葉を妹はこれまでに三度口にした。だが踵を返すことなくここまでついてきている段階で、その言葉は口だけでしかないのだ。ただ、それを指摘したら即座にUターンするに違いないから、俺は曖昧に笑って歩き続ける。そもそも本当に嫌だったら、家で母親から荷物を渡された時点で断っているだろう。妹は兄弟の中で誰よりもはっきりとした性格をしているのだ。なんやかんやで、少し離れた街で一人暮らしをしている兄を心配しているのは確かだろう。なにせ兄は数ヶ月単位で実家に顔を見せていない。適度に連絡はしあっているが文字だけでは分からないこともあるのだ。
父がどこかのお店で貰ったらしいトートバッグには様々な食材や日用品が詰められている。曰く、これは一人暮らしをする兄への贈り物だ。宅配便で送ることもあるのだが、前述の通り、最近実家に顔を見せない兄の様子伺いも兼ねて、今回は直接手渡すことになった、というわけである。
きっと自分も一人暮らしをするようになったら、こんな風に実家から何かを送られるのだろう。でも兄と違って俺は定期的に実家は顔を出しそうだな、なんて考えつつ、トートバッグの中で缶詰同士がぶつかり合う音を片耳で聞きながら、妹と歩く。その小さな金属音は駅の雑踏の中に紛れてすぐに消えてしまう。それが何故かほんの少しだけ心細かった。
「私、気に食わないんだよね」
そう言って妹が俺を見上げる。大きくて丸い目はどこまでも真っ直ぐな光を宿している。これを目にするたび、妹の目は兄とよく似ていると思ってしまう。見た目という意味でも、そこに宿る光という意味でも。
とはいえ、兄はここまで貫くような鋭さを見せない。ただ、柔和ながらも絶対に根っこを曲げないという強さを感じさせるのだ。他人から言わせれば、俺もそういう目をするらしいが、自分のことはよく分からない。それに俺は兄や妹ほど真っ直ぐに何かを見つめているとは思えないので、他人からの意見は話半分に聞くようにしていた。
学校から戻ってそのまま俺についてきたから、妹は学校の制服を着たままだ。この辺りでは見ない制服ではあるが、浮くことなく上手いこと人の群れに溶け込んでいる。だが、妹の存在もまなざしも、確かな存在感を放ってここにあるのが妙に面白かった。そうだ、消えてなくなるわけなんてないのに。どうしてこうも心がざわつくのだろうか。
「ハヤテ兄が懐いてる人。どう考えても堅気じゃないもん」
それには俺も同意である。なのでうんうんと頷いて見せれば、妹は心なしか嬉しそうに口角を上げる。年をおうごとに生意気、もとい、クールになっていく妹にちょっとだけ淋しさを覚えるものの、時折こうやって変わらない仕草を見つけると嬉しくなる。もちろん、それを口には出さない。兄はきっと口に出すだろうけど。
「なんだっけ、マグロ漁船の人だっけ」
「あと違法賭博場で荒稼ぎしたって言ってた」
なんだそれ、俺は聞いてないぞという顔をしてみれば、妹は深く溜息を吐いた。この様子だと、まだまだ俺には伝えていないだろう情報があるに違いない。兄はたまにこういうことをする。俺が心配するから、と半端なことしか伝えてこないのだ。そして妹にバラされる。実家にいた時からこれの繰り返しだ。そうだ、兄は大学を辞めてフリーターになると決めた時だってそうだった。一人で勝手に決めて、でもこっそりと話をする人だけには話して、気づいたらそれが決定事項になっている。確かに兄の人生は兄のものだ。俺がどうこういう資格なんてない。そんなことくらいは分かっている。分かってはいる。だけれども、危なっかしい兄を心配して口を出すことくらい、したっていいじゃないか。
ブラコン、と隣で小さく呟かれた気がするが気にしない。なに、それはお前もだぞ、妹。
「兄さん、面白い人にはすぐに懐くからな」
「家の近くにいた、ちょっと“アレ”な人と仲良くなりすぎてたもんね」
なんとも懐かしい話だ。あれは確か、兄が高校生くらいの時の話か。兄が仲良くしていた、もとい、兄に付き纏っていた年配の「その人」は、結果的には警察のご厄介となって、二度と俺たちの前に姿を現さなくなったのだ。まあ、それは俺と妹とで「その人」が近所を徘徊しながら、兄に対する感情を延々と呟いている言葉を録音し、時折公共物を破壊している様を録画したものを然るべきところにチクったからなのだが。それは今回の話とはまた別の話なので詳細は省くことにする。
そういえば俺は「その人」をただの変質者だと思っていたけど、妹は別のことを言っていた。確か、そうだ、「あの人、みエすぎるからね」だっけか。そうそう、だから兄を身代わりにしようとした、とも言っていたっけ。
正直、何を言っているのかよく分からなかったから流したし、兄の身に危ないことが降りかからなかったから良しとしよう。
「ま、引き続きムツキ兄が情報収集してよね」
「ヨウコも協力しろって」
改札の向こうには兄がいる。スマホと改札に視線を行き来させつつも、隣でうんざりしたような顔をしている長身の男へ顔を向け、楽しそうに笑いかける。弾けるような笑顔は実家でもよく見たものだ。いつでも変わらない、兄の笑顔は見ているだけでほっとする。
それにあてられたのか、気怠げな男の顔が柔らかく綻んだ。
その顔を見て第一に思ったのは、「ちゃんと笑えるんだ」という感想であった。兄と顔を合わせていない時は、全てを平等に、何の価値もないと言わんばかりに眺めていたのに、だ。そして同時に、兄を見て笑ってから男の気配がくっきりと浮かび上がったように感じられてならなかった。
別に存在しないわけではないのだ。それなのに男はどこか希薄で、瞬きをすると見失うような気がしてならない。兄よりも大柄で、派手な見た目をしているのに、だ。その実、どこまでも透明な男だな、と思った。きっと、兄の横にいない状態で街中ですれ違っても気づかずに通り過ぎてしまう気がする。そして男もこちらに気付いたとて、声をかけることなく通り過ぎるだろう。彼の関心がこちらに向くことは無い。そんな確信があった。否、彼の関心はそもそもどこに向いているのだろう。
兄から聞かされる情報と、自身の目に映る男の像がどうしても重ならない。でも兄が嘘を言っているわけがないことも分かる。結局のところあの男は、兄が「トラさん」と呼んで懐いている男は一体何者なのだろうか。
「もうしてるじゃん。でも……
――なんもわかんない。
ぽつり、と妹の漏らした言葉の意味を問うことはしない。何故なら兄がこちらの存在に気付き手を振ってきたからだ。ああ、そんなに大振りだと人にぶつかってしまう。はらはらと見守ってしまうのは仕方がないことだと許して欲しい。そうだ、これは照れ隠しでもなんでもない。人に迷惑をかけてはいけない、という我が家の教育方針に沿っての行動なのだから。
妹が言う通り、あの「トラさん」と呼ばれる男のことは何も分からない。どんなに調べても何の痕跡も見つけられない。その筋のホンモノなのかもしれないし、はたまた本当に何者でもないかもしれない。まあ、何かあれば弟と妹の「一生のお願い」を発動すればよいだけの話である。兄は俺達のこういう行動に弱いからな。
「ムっくん!ヨーコ!久しぶり!」
ただ、なんとなくだが、きっと大丈夫な気がした。なにせ男は、五月蠅いくらいに明るい気配をまき散らす兄の横で呆れ顔をしつつも、穏やかに目を細めている。そんな優しげな表情を兄に向けるこの長身の男は、どうしたって悪い奴には見えないからだ。
「チョロいね、ムツキ兄」
「うっせ」
兄の目の下に隈を見つけて思考が切り替わる。どうやら俺達に何かを隠している模様だ。ここはきっちりと問い詰めないといけない。好奇心のままに、真っ直ぐに、一心不乱に駆け抜け続ける兄を止めることはしたくない。でも家族だから、ちょっとくらいは心配だから。
妹が俺の横で何やら肩を竦めているが気にしない。お前だって気になってるくせに。なので遠慮なく、俺は存分に兄を問い詰めるのであった。


「で、あなたはハヤテ兄を傷つける人?」
―― そう、だから、妹が何やら長身の男に何かを詰め寄っているのは分かっていたが、内容まできちんと確認することはできなかった。これについては後できちんと妹に確認しなくては。返答次第では、俺も妹も黙ってはいないのだから。