柳堂知羽@一次創作
2025-10-25 11:00:19
7746文字
Public ⬛︎みえナい
 

みえないモノはみえナい

この街には、人とヒトが住んでいる。

【某所、にて】

ふるり、と体を震わせ腕をさする。決して薄着をしているわけではないのに、妙な寒気を覚える。底冷えするような室温の古道具屋に長くいたからだろうか。吐き出す息は白くない。それなのにやはりほんの少しだけ、寒い。取り出したスマートフォンの時計は夕方の時刻を指しているから、寒いのは当たり前か、とそこでハヤテは思い直した。
それに最近は季節が一気に冬に向かって駆け出しているから、体が気候についていけてないのかもしれない。大将の店で滋養にいいものでも食べて、長めに眠る方がいいか。風邪でも引いたら元も子もない。
パーカーのポケットにスマートフォンをしまい、ハヤテはゆっくり歩き出す。脳裏に浮かぶのはたくさんの興味深い話達である。それらを反芻しながら、今日いい古道具屋に赴くことができたな、と改めてハヤテは思うのであった。
店主が全ての品物を大事に取り扱い、それら一つひとつの説明を過不足なくしっかりと話すことが出来る。長年店を構えているだけあり、知識も豊富で様々な参考になる話を聞かせてもらった。今回の話をまとめつつ、それら「面白い話」の中でどれを真っ先に確認しに行くかを検討しなくては。
流石、大将が紹介してくれるお店だ、と自然と笑顔になるのも無理はない。これから大将の店に向かうから、いつもの濃いめのレモンサワーを頼みつつ、紹介のお礼を言うことにしよう。
無意識に鼻歌を歌いながらぐねぐねと曲がる道を行き、やがて十字路に辿り着く。ここはかなり大きな道路で、絶えず車が行き来している。そのせいか排気ガスの匂いが少しだけきつい。
思いきり吸い込んでしまった排気ガスを体外に出すために咳き込んでいると、不意にハヤテは自身の横にある横断歩道を誰かが歩いていることに気が付いた。別段、横断歩道を歩くことが問題なのではない。何となく、その男が気になってしまったのだ。
青みがかったマンションを背に歩く男は、全身が灰色だった。これは誇張でもなんでもなく、被っている帽子から洋服、靴に至るまで全てが灰色に見えた。とはいえ、肌の色は流石に、と言いたいとこだが、帽子を目深にかぶっているせいで顔は分からないし、手はズボンのポケットに突っ込んでいるから分からない。―― まあ人間の肌が灰色だなんてこと、あるわけがないのだが。
大きな音を立てながら大型のトラックが通り過ぎていく。そのせいでまたもや排気ガスを吸い込んでしまって、再度ハヤテは咳き込んだ。しかも今回はガスが目に染みて痛い。滲む視界の先で、灰色の男はゆらゆらと左右に体を揺らしつつ、ゆったりと横断歩道を渡っている。何となく足を引きずっているように見えるのはきっと気のせいではない。足を怪我しているのだろうか。そうなるとあの長い横断歩道を渡るのはなかなか手間だろうとぼんやり考えてしまう。
そこでハヤテは急に思い出したのだ。
ここら辺にある、大きな十字路の角に建つマンションの屋上から誰かが身を投げて以降、その者の姿を度々見かけることがある、なんていう話を。
これは先ほど様々な話を聞かせてくれた古道具屋の店主が話していたのだ。よくある心霊話だとは思ったし、深堀りするつもりもない。
ただの世間話の一環だったというのもあるが、この手の話はその人の「身を投げる程の何か」を突き詰めることと同義となる。それはハヤテにとって全く面白みがない行為だ。否、掘り返すという行為自体に嫌悪感があった。それは決して、無遠慮に蹴散らして良いことではなく、無関係な誰かが掘り起こして掲げるものではないのだ。
だいぶこちらに近付いてきた灰色の男が、いつの間にかポケットから出した手をハヤテに向けて突き出している。まだ信号は点滅していないからゆっくり歩けばいいのに、なんて思いながらハヤテは無意識に自身のズボンのポケットに手を入れる。そこには昨晩、トラから押し付けられた寄木細工のチャームが入っていた。
今日、大将に紹介された古道具屋に行くと言ったら、渋い顔を向けられつつ無理矢理ポケットにねじ込まれたのだ。どうしても今日は夜まで抜けられない用事があるからついていけないのでうんぬん、と何やら言っていたが、ハヤテは別に一緒に来て欲しいとは一言も言っていない。だが、プレゼントを貰うのは素直に嬉しかったし、普段からケチで滅多に奢ってもくれないトラが何かをくれた、ということ自体が嬉しくてずっとポケットにしまっていたのだ。あいにく、スマートフォンにはチャームをつけられるような穴がないので、あとで財布にでもつけよう。そうすればなくさないで済むだろう。
長方形の形を指でなぞりながら前を向く。あと少しで信号が赤から青に変わる。それにしてもこの道路はトラックの往来が多い。喉が排気ガスでイガイガしてきたから、何処かで水を買って飲むことにしよう。
「あ、そうだ。駅前にある洋菓子屋さんに寄らなきゃ」
これも大将からの情報だが、この洋菓子屋はどうやらフィナンシェが絶品とのことだ。是非とも味わいたいので、トラへのお土産と大将へのお礼も兼ねて複数個買わなければ。
信号が青に変わり、ハヤテは再び歩き出す。少しずつ辺りが暗くなってきた。いつの間にか日が落ちるのが早くなってきたな、なんてことを考えつつも、そんなことより洋菓子屋の閉店時間を気にする方が先だと思い直す。ポケットの中のチャームに触れながら、ハヤテは歩く、あるく。心なしかチャームに触れていると体がぽかぽかと温かいのだ。これもきっと、尊敬する人から貰ったものだからだろう。
さあ、早く帰ろうではないか。

ウキウキと歩き出すハヤテの目にはもう灰色の男は映らない。正確には、灰色の男の伸ばされた手がハヤテに触れる直前に排気ガスと一緒にどこかへ消えていたから映りようがないのだ。それにハヤテの目は前だけを向いている。それならばもう二度と、その目にあのモノクロ色の蜃気楼が映ることはない。それだけは確かであった。
ちなみに、電車内でポケットから取り出したチャームにひびが入っていることに気付いて悲しみの唸り声をあげるのだが、これはまた別のお話である。とにもかくにも、ハヤテは無事にフィナンシェをゲットしてから、電車に揺られて帰っていったのであった。